2013年08月23日
難易度高い
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 他人のものを盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 自分の配偶者以外と交わってはいけない(不倫してはいけない)。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない。
引きこもりの俺からすれば余裕
>>2
引きこもりになってる時点で不妄語戒は守られてないだろうな
>>2
不偸盗戒
ようつべで許可なしにアップされた動画見てるだろ・・・
南無阿弥陀仏って言ってりゃ
そんなもん破っていいんだよ
>>3
んなわけねえだろ
キリスト教の10戒はきつい
ネトウヨの?戒もむずかしい。キムチは食べないなんてムリポ。
そうかい
外出たらアリの一匹くらい踏みますやん
>>8
意図せずならok
それを言うなら空気中の微生物吸い込んで殺しまくってる
洗練されてるなぁ
欲を断ち切ってる
>>11
どこが欲を断ち切ってんだよ
性欲 睡眠欲 食欲どれも軽く制限した程度
モーセの十戒守ったら信者絶滅するよね
>>12
載せられません。原文↓
http://www.logsoku.com/r/news4vip/1371952392/19
在家ならそんな厳しく考えなくていい
仏教団は在家信者から普通に肉を食べさせてもらっていた
当時肉と言えば、在家信者自身が家畜を殺して作った肉だ。
>>13
仏教徒じゃないやつが殺した肉だったんじゃないの
お釈迦さんが実在する中でそんな信仰心薄くないやろ
>>18
肉うんぬんを言い出したのは後世、ジャイナ教徒の影響だよ
仏は肉を食っていたので、大罪者デーバダッタは僧伽を割った
>>23
デーバダッタってあれか
レインボーマンの歌詞に出てくるダイバダッタか
>>28
そう。ダイバダッタはサンスクリット語。デーバダッタはパーリ語。
デーバダッタは、仏教教団が、ボロを着ず、肉を食い、なんだか苦行が足りない気がしたので
仲間を連れて教団を去った。
それに対しての仏は、
「私はかつて世界一の苦行者だったから、
無意味な戒を守って苦行することが如何にしょうもないことか世界一わかっている」
なんとご都合主義な 肉は殺さなくても肉を切り取ることはできると思ったから鶏肉牛肉豚肉食べますもおkだな
>>22
死んだ肉ならいいんだよ
生きてるなら傷つけちゃだめ
仏教の戒律ってのは、「それをしない方が幸せな人生を歩めますよ」って言うような緩いものであって、
絶対的な神が人間に命じたという性質のものではない
ちなみに仏教には神様はいない
仏教はニートを推奨するくらいだしな
つーか仏教ってゴータマシッタルダとはもはや別モンなんだよな
この人が言ってたのはどっちかっつうと哲学に近い
死後の世界についてはノーコメントっぽいこと言ってたし
出家しないと悟ることは出来ないってのが仏教の基本姿勢だから
在家戒の五戒は破っても問題ないとは言わないが
生活規範みたいなもんだよ
でしむこうじんみらいさい
ふせっしょう
ふちゅうとう
ふじゃいん
ふもうご
ふきご
ふあっく
ふりょうぜつ
ふけんどん
ふしんに
ふじゃいん
>>40
ジオンのMSみたい
「あの新興宗教の連中は、人殺しだぞ」という噂が立つと、教団が成立しない。
だからこその不殺生戒だ。
戒に神聖な意味はない。
戒によって清まるわけではない by 仏陀
戒に囚われることは、再びの生への縁になるのだということになっていて
それはいろんなお経で繰り返される
仏「お前たち、私の弟子が、一堂に集まって、すべきことは二つだ。
法について語り合うか、もしくは沈黙だ」
と仏は何度も何度も繰り返している。集まって無駄口を叩くなということだ。
一方、王様が、静まり返った仏と弟子たちの集会場にやって来ると、そこに神聖なものを感じ取る。
そのような様もたくさんお経に出てくる。
神聖だと思ってもらわなければ、僧侶はただの乞食だ。
戒は、悪評を避け、評判を高めて、乞食生活を豊かに送るための手段だ
ではなぜ戒への囚われは再びの生への縁なのか。
戒によって (前世の業が) 清らかになる、というジャイナ経の教えを、
人は実感として悟ることができないからだ。
中阿含経にはこうある:
「君たちジャイナの弟子たちは、そうやって苦行して前世の業を清めるのだというけれども、
君たち自身の知識として、君たちに前世があったということを覚えているのか。
君たち自身の知識として、前世にどんな悪いことをしたのか覚えているのか。
君たち自身の実感として、今までどれだけの業を清められたのか知っているのか。
君たち自身の実感として、あとどれだけの業を清めれば、全て清まるのか知っているのか。
君たちはただジャイナに言われるがままにやっているだけで、自分の実感としてわかっているわけではない」
そういう状態で戒を実践したとしても、生まれ変わりへの執着は治まらない
中村元の「龍樹」はだれでも読める中観仏教入門書としていいと思う
仏の教えは、死ぬときに後悔のないように、だ。
そうすれば輪廻という不確かな救いに縋らなくてすむ。
後悔のないように生きるには、後悔のタネを全て捨てて生きるのがよろしい。
しかしそんな生き方のできる人は限られている。
だから在家信者は楽しく生きればいいのだよ。
そう思い込みたいだけじゃないの?
まあ罪を犯したけりゃ勝手にどうぞ
>>56
仏の言う罪に神聖な意味はない。
ジサツしても罪ではないのだから。
>>57
では、人を殺す場合は?
それでも罪は無いと?
>>59
法律の罪だけ
>>59
人を殺すのは罪だ。罪と訳すけれども、本来は「避けるべきこと」
犯すことが望ましいわけではない。
この辺は、宗教としてはどうでもいい箇所だけれども
実践としては守らないといけないことではある
勉強不足すぎて全く付いてけねーや
原始仏教か何かの話?
生老病死の苦から抜け出すっていう認識だから
輪廻が救いって感覚がわからね〜や
>>61
仏は、愛によって取が生じ、取によって生が生じ、生によって老死悲嘆痛憂悩が生じると言った。
愛 = 欠乏 によって、取 = 信仰や戒や魂に取りすがること が生じ、
取によって 生 = 生まれ変わり・輪廻 (という偽の救い) が生じ、
そういう偽の救いによって 老死悲嘆痛憂悩 が生じる、という意味だ。
仏教で一番重要な教えは何?
>>71
空
>>71
何が一番重要ってのができないように、上手になっている。
縁起則は四諦に組み込まれているし、四諦は八正道に組み込まれているし、八正道は四諦に組み込まれている。
また八正道を行く上で大事なのは無我。
また、八正道だ、無我だ、という生き方をするためには戒律が絶対に必要。
神聖さを感じ取り、無意味に実践するのではない。
しかしきちんと意味を理解するならば、いま幸せに生きるために戒を実践するのが良い。
無明なのが一番よくない
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この記事へのコメント
自分が戒を犯さないだけでなく、されない、させないというのも含むからかなり難しい。
とはいえ限界があるわけで、釈迦も自分の種族が滅ぼされる戦争を、3度までしか制止できなかった。
肉食は乞食で相手の食事によるから、基本はOK。
ただし、自分のために殺されたもの、殺されるところを見たもの等はNGのようです。
神様とか自然に感謝して敬う神道さんがナンバーワン
・・・・・・(´;ω;`)
涙拭けよ
性欲抑えてるじゃん
自分が存在することすら不可能じゃね?と
初めて聞いたときに思った
アートマンについては有るか無いかについては考えるなといってるだけで
ブッダは五蘊無我と言っただけでアートマンや前世や死後が存在しないとは一言も言ってない。
アートマンが有るというと聞いた人が常住論に走るし、無いと言えば解脱の必要性を失ってしまうから説かない。
アートマンっていうのはインド宗教古来の考えで、不滅の自我のこと。
ブッダは肉体も精神もアートマンには属さないと言った。
どう考えても守れないだろうと思うことに意味がある気がする。
ブッダの言葉って字面どおりにとるのが正解ではないと思うので難しい
五戒がなぜ存在するのか考えるのも面白い
ばかばかしい
他の生き物を食って行かなければ行きていけない世界でなにを
悪い言葉を使ってはいけないという意味
読み方はフアック
戒定慧っていうのを知らないみたいだなw
戒定慧が無いのは日本だけだぞ。
戒律が無いところには仏教は無いというのが世界的な認識。
まあ、密教経典には戒を超えろっていう表現が多いから誤解しても仕方ないんだがな。
「いくら物にとらわれないとはいえ、
すっぽんぽんで人様の家に上がりこむな!」
なんて戒律もあるしねw
あくまでも平静な心で修行するための戒律だから
生き物を殺して冷静でいられる人は少ないでしょ
自分にとって害のない人と同義なんだな
奴隷にする(なる?)というよりは、
競争しなくなって上を目指さなくなるって感じだと思う
現在の進歩主義みたいな風潮とはかなり相性が悪いので
今の一般的な価値観で考えたら間違ってると言えるかもしれない
明も無明も悟りには無縁
しかし学識(明)は他者に僧の優れた点をアピールするものとして多用されたため
明はその内、悟りとは有縁としてねじ曲げられた
デタラメ知ったか仏教徒が多いな
大乗戒は倫理なので心のあり方も問題にする。そのかわり、状況により殺人も許容される。
インドの唯識系論書に説かれているが天台宗の論書にもある。
このことが日本では意外に知られていない。ダライラマはもちろんこれを知っている。
これからするとしても酒やめられないな
そして連呼リアンはどこにでも湧くのな
日本の坊主も。
自浄作用を失くした組織や集団は、口先だけ綺麗事を並べても、結局は堕落する。
不殺生戒>不妄語戒>不偸盗戒>不飲酒戒>不邪淫戒
不邪淫戒が楽勝すぎわろた
だって俺には不倫以前の問題だものwww
そしてキリスト教もそうだが、無法に近い時代で知識を保持、伝達して行こうとすれば、諸侯が手を出せない宗教組織に守られるのが手っ取り早い。
中世西欧における教会権力が異常に拡大したのも、ローマであれば例えば俗人官僚や議員になれていたような知的エリートが教会に入ったことも大きい。
あんまり意味ないと思う
自発的にそうなるなら理想的だが
戒そのものには意味はないだろうな?
戒と律はあるけど
般若心経の意味も調べてみては如何か。
我々は神ですから。
ブッダが伝えたかったことはこれだから。
輪廻から解放されることが最終目的だと思ってたぞ