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「ビートルズの秘書を11年間してたけど何か質問ある?」海外掲示板にまさかの人物が現れ、ファン感激:らばQ
2013年09月11日 12:32
 

「ビートルズの秘書を11年間してたけど何か質問ある?」
いまだに愛され続ける、20世紀を代表するイギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」。

その全盛期にビートルズの秘書を11年間していたという女性、フリーダ・ケリー“Freda Kelly”さんが掲示板に現れ、質問を受け付けていました。

フリーダさんは1961〜1972年までの11年に渡ってビートルズの秘書を務め、ほぼ50年経った現在は、ドキュメンタリーが制作されたとのことです。
(ビートルズは1962年10月にレコードデビュー、1970年4月に事実上の解散)

そんな彼女が質疑応答に答えると、掲示板に登場していました。

彼女しか知りえない、ビートルズの当時の姿が垣間見えるエピソードをご紹介します。

Q: ビートルズの音楽は楽しんでいましたか? お気に入りは誰でしたか?
A: 音楽は楽しみました。秘書になる前からの大ファンでしたから。お気に入りに関しては彼らの機嫌と、私の機嫌により毎日変わりました。

Q: 彼らと仕事をして、一番記憶に残っている思い出は何ですか?
A: リバプールでのタウンホールで、市がビートルズとその家族を招いて、市長から直々に栄誉を与えられたときの市民による歓迎レセプション。20万人くらいの人々がビートルズを見るためにやってきていたと思う。そのときに一緒にいたので、いつまでも記憶に残ってます。

Q: ジョン・レノンのことで、あなたのお気に入りのエピソードは?
A: 一度、楽屋で彼に首にされたことがあったわ! 私が「ムーディ・ブルース」という別の音楽グループの楽屋で時間を取られていたことにジョンは怒っていて、ビートルズの楽屋に戻ったときには時間がかかりすぎだと不満そうでした。私に「どこのファンクラブの秘書なんだ」と詰め寄ってきたのです。「ムーディ・ブルース」なのか「ビートルズ」なのかどっちなのかと。
 私がそれを笑い飛ばして「ムーディ・ブルースのよ」と答えると、「もう首にするからムーディ・ブルースの楽屋に戻っていい」とジョンは告げました。  そこで私は他の3人のところに行って、私を首にするかを尋ねると、3人はそんなつもりはないと答えてくれえたので、私はジョンに向かって「わかりました。じゃあ3人のファンレターだけ取り扱うので、自分のファンレターは自分で処理してくださいね」と伝えました。
 すると「今のは冗談だった」と言ってきたので、「あれは冗談じゃなく本気でした」と言うと、ジョンは「お願いだから戻ってきてくれ」と答えました。そこで「両膝・両手をついてお願いしたら戻ってもいいわ」と言うと、「その半分のところで手を打つ」と答えたので、それ以上押せないとわかっていた私は、片膝をついたジョンを許しました。その後7年働くことになったわ。

Q: ビートルズで一番の奇人は誰でしたか? そして一番強い絆をあなたと持っていた人は?
A: 奇人はジョージ、あるいはリンゴかもしれない。特にこの人とだけ強い絆という人はいなかった。

Q: 働いていた頃のメンバーを、ひと言かふた言で表現するとしたら、それは何ですか?
A: ジョンは気分屋、ポールは怒ったり気分を害したりしないタイプ、リンゴはユーモアとダンス、ジョージは思慮深い。

Q: ジョンが撃たれてそれを聞いたとき、どこにいたか覚えていますか?
A: アメリカから電話がかかってきたのですが、早朝で、まだベッドにいました。

Q: メンバー同士でどんなことでケンカしていましたか? そしてどんな風に解決していましたか?
A: 実際のところ、彼らはあまりケンカしなかった。初期のキャバーンクラブ時代(デビュー 前、毎日演奏していた地下のクラブ)には、どの曲を演奏するかの意見の相違はありました。どの曲にするかの議論はしていました。それから1人がシンプルにその曲を弾きはじめる、すると3人がそれに参加していました。

Q: 全盛時代には彼らはノーマルでしたか、それとも横柄でしたか? LSD(麻薬)の使用についてはどれくらいオープンでしたか?
A: ノーマルでした。彼らは一度も横柄だったことはありません。LSDの使用についてもオープンでした。ポールはそれを支援する嘆願書に署名もしていました。

Q: 何が理由でやめたのですか?
A: 妊娠をしたのです。

Q: もし若者があなたのような仕事(長時間勤務と叫ぶ群衆、ファンとの架け橋になることなど)を得る機会があるとしたら、その仕事を勧めますか? そういうバンドグループの秘書として、向いているタイプというのがあると思いますか?
A: あまり栄光にとらわれない、そしてグループをあまり神格化しないタイプなら、ぜひお勧めします。

Q: 4人のうちの誰かの彼女(あるいは妻)になれたら、と願ったことはありますか?
A: 特に思ったことはありません。仕事をし始めたときは10代で惚れっぽい子でしたが、移り気も早くメンバーはすぐに兄弟みたいになりました。

Q: 一番クレイジーなファンの扱いで、覚えているものはどんなことですか?
A: 一度、女の子がほとんどお金も持たずにアメリカからやってきました。とにかくビートルズに会いたい一心でなんとか安い飛行機に乗ってやってきていました。ジョージのファンでした。うちに1週間泊めることになって、その後、彼女のロンドンの親戚に連絡をとり、その親戚の助けで彼女は帰りました。

Q: あなたの考察では、メンバーの力関係はどのように変わっていきましたか?
A: 初期のメインは2人でジョンとポール。2人はかなりイコールな関係でした。ジョージは一番若くて、静かだったのであまり何も言いませんでした。自分のために何かを言うことは最初はなかったけれど、有名になるにしたがって話すようになっていきました。

Q: あなたがバンドに影響したということはありますか? あるいはバンドがあなたに影響を与えたということは?
A: 間違いなく私が与えた影響はありません。彼らは私に音楽の影響は与えました。ジョージは私に“The Miracles”に対する興味を持たせました。

Q: 一番おもしろいグルーピー(追っかけ)のエピソードは?
A: 女の子のグループが2つほどあって、両方とも”Apple Scruffs”(アップルに食いついてるやつ、カスなどの意)と呼ばれていました。全員14〜17歳で、学校が終わったあと、Appleミュージックの前でぶらぶらして、ビートルズが入ったり出たりするのを待っていました。そのうちビートルズのメンバーもよく知るようになり、彼女らを気に入って、ジョージは彼女らのことを作曲していました。

Q: 後悔はありますか?
A: まったくありません。

Q: 誰が一番地に足が付いていましたか?
A: 全員地に足は付いていました。1人だけということはなく、全員が親しみやすかったです。

Q: 仕事のおかげで何か思い出に残る品などを得ましたか?
A: ファンクラブが終わって、事務所を閉じたときに相当な商品が残っていたけど、大半はこの50年であげてしまいました。自分が大事にするものだけ残したけれど、一番の宝物は結婚したときに、全員がそれぞれインドから送ってきてくれた電報よ。

Q: 彼らの好きなチーズは何でしたか?
A: だいたいチェダーかチェッシャーをその頃は食べていました。

Q: 今でもポールやリンゴと連絡を取ってますか?
A: いいえ、楽しく仕事はしましたが、その後私は主婦になり母になったので。

Q: 女性ファンとケンカになったことはありますか。
A: 女の子たちとケンカになったことはありません。ただ彼らをかきわけてショーに行かなくちゃ行けなかった。警備員は私がビートルズのために働いていると言っても信用してくれませんでした。当時はパスというものがなかったので、すぐドアに戻されていました。

Q: アメリカのどこかで彼らのお気に入りの場所はある?
A: 彼らは単にアメリカを気に入ってました。ただ特にどことは言ってませんでした。アメリカから初めて帰ってきたとき、みんな感動していました。

Q: スターダムにのし上がっていった有名人として、巨大なビートルズファンの現象が、彼らにどんなふうに影響を及ぼしていましたか? 彼ら自身が有名になったことに対してトラブルが出ていましたか?
A: ファンと名声を手に入れた多くのグループの中でも、ビートルズは一番しっかり対処していたと思います。誰一人ファンにひどいことをするようなことは見たことはありません。ただし彼らはそれがそんな続くと思っていなかったようです。ジョンが2年くらい続くと思っていたのは知っていましたが、誰もそれがこんな長く続くとは予想していなかったのもあります。

Q: 誰が一番クレイジーなファンでしたか?
A: いろんな国から無茶してファンクラブ事務所にやってくるクレイジーなファンがいました。彼らを帰すのが大変で、電車やバスの時間を調べたりしました。事務所が閉まったときにリバプールに放置することが出来なかったので、駅やバス停まで連れていったりする必要がありました。


秘書をしていた彼女ならではのエピソードばかりですが、これほどまでに長く愛されるグループになるとは、本人たちは全く思っていなかったことが面白いですね。

どれだけ名声を得ても、全員が立場に溺れることがなかったというところが、今でも愛されているグループである理由のひとつなのかもしれません。

I was the secretary to The Beatles for 11 years. My name is Freda Kelly.

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zeronpa | カテゴリ:音楽  海外の反応
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