(via. Kyle Taylor)
( °Д°) こっ これは・・・
なんという圧力
人々の「想い」の塊が押し寄せ、見る者のこころをギシギシ揺らす圧倒的な風景「十字架の丘 (Hill of Crosses)」
1831年ロシアの支配に対してしてリトアニアとポーランドは「11月蜂起」と呼ばれる武装反乱を起こしたがあえなく失敗、40,000人の命が失われた
さらに32年後の1863年から1865年にかけて起こった「1月蜂起」では20,000人の戦死者を出したが、いずれも砦を擁していたリトアニアのシャウレイ (Šiauliai) の丘は激戦の地となり、遺族らは愛する人の遺体を取り戻すことすらできなかった
(via. Adrián Pérez)
いつしかある者はその思いを捧げるために、ある者は戦士たちを称える象徴として、丘には多くの十字架が建てられる
(via. BestofDanSilver)
1918年、リトアニアは独立を回復。数世紀という時間を経て、十字架のみならずキリスト像や聖母マリア像、英雄の彫刻、肖像画、ロザリオなどがカトリック教会の巡礼者によって置かれていく
(via. Andreas Kambanis)
リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年には、非暴力による抵抗として丘と十字架は再び特別な意味を持ち、ソ連の三度にわたるブルドーザーによる撤去にもかかわらずその数は増え続け、2010年の時点で10万点を超える壮絶なものになっている
(via. Tim Pritlove)
1993年、ヨハネ・パウロ2世法王がこの丘に訪問。不気味な風景が訪れる人々を震え上がらせますが、世界中の戦争と自由へのリマインダーとしていまでも十字架は増え続けています
(via. Kyle Taylor)
(via. Thomas Stegh)
(via. Kyle Taylor)
(via. Dezidor)
(via. Kyle Taylor)
(via. BestofDanSilver)