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大炎上 | 「YAWARA!」滋悟郎のモデルとなった猪熊功の壮絶な最期を君は知るか
 

「YAWARA!」滋悟郎のモデルとなった猪熊功の壮絶な最期を君は知るか

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1986~1993年にかけて連載された「YAWARA!」が連載終了20年目にして完全版が出るようですね。
「YAWARA!」完全版、全20巻で刊行!表紙は描き下ろし
主人公・猪熊柔のお爺ちゃんといったら永井一郎さんの声が忘れられない猪熊滋悟郎。調べたところ面白いことに木村政彦とほぼ同世代だったのですね。滋悟郎は1914年生まれに対して木村は1917年生まれ。また滋悟郎は1935年から1939年にかけて全日本柔道選手権大会を5連覇してる設定に対し、木村は1937年から1939年にかけ全日本柔道選士権を3連覇しており、期間もズバリ重なります。
:この時代の大会名は全日本柔道選士権が正解

そんな猪熊滋悟郎のモデルといったら猪熊功。1964年の東京オリンピック最重量級で金メダルに輝き、世界選手権と全日本選手権も制して史上初の柔道三冠に輝いた偉大なる柔道家です。こういう偉大な人物ですから漫画のモデルになるのも当然といえるでしょう。
しかし連載終了から8年後、そのモデルの人物が割腹自殺を遂げてしまうとは漫画家の浦沢直樹氏とて思わなかったでしょう…
この模様が「KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」vol.0に描いてあるのです。

引退後 東海建設に入社して1993年には社長に就任。しかしバブル崩壊と関係者の裏切りで負債が200億円を越してしまい、いよいよ倒産となる寸前の2001年9月28日に社長室で自刃してしまいます。
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生き恥はさらしたくないと自決を決めた猪熊は、友人である合気道家を立会人として呼んだ。また死ねないときは とどめをさしてくれと。しかし合気道家は猪熊功という大柔道家が自分の手で死に切れず、他人の手を借りたという事実が残ることが我慢できない。
必ず自分で果ててください 万が一のときは私がとどめをさします と。
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どうだ…切れたか…   まだまだ!切れていないッ!
切れたか…    まだまだっ!
こうして猪熊は最後まで取り乱すことなく介錯を借りることもなく本懐を遂げたという。机の上には自分を裏切り追い込んだ相手に対し赤い字で大きく「怨念」と書いた遺書を残して。享年63歳でした。
猪熊は自決するしかなかった、そうしなければ気が済まなかったのでしょう。どう判断するかは貴方の自由です。
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