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【人間凄い】ある男が33年、異様な情熱で作り上げた30mの塔「ワッツ・タワー」まるでガウディ。ビートルズも敬意した超建築 | DDN JAPAN

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【人間凄い】ある男が33年、異様な情熱で作り上げた30mの塔「ワッツ・タワー」まるでガウディ。ビートルズも敬意した超建築

 
 
 
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(via. Tom)

パネ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ッ!!!!

まるで巨大生物の骨格

33年間という人生の大半をかけ、サイモン・ロディア (Simon Rodia) がたった一人で作り上げた高層建築、全長30メートルにも達する14本の塔の集合体「ワッツ・タワー (Watts Towers)

1921年、ロサンゼルスのスラム街・ワッツ地区で現場労働者として働いていた42歳のロディアは「何か大きなことをやるべきだと思った。だからやった」と突然三角形の土地を購入、まったく建築に関する教育を受けていないにも関わらず着工した

ボルトや溶接、電動工具を一切使わず、足場も組まず、棒状の鉄を鉄製の網で覆いセメントで固めながら、拾ったタイルや空き瓶、時には人形などを装飾として埋め込む

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彼はその塔の集合体を「Nuestro Pueblo (われらの町)」と呼んだ

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しかし現実は、度重なる近隣からの苦情や子供たちの嫌がらせの標的となってしまう

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(via. nils gore)

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1954年、75歳の時についに完成を迎える。1年後、ロディアは土地を他人に譲りカリフォルニア州マルティネスに移住、二度と塔のあるワッツ地区に戻ることはなかった

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1957年、ドキュメンタリー映画「The Towers」として彼が実際に制作する12分の映像が公開

不許可建築として取り壊そうと1959年に政府が動くが、この塔の価値に注目し始めた芸術家、建築家、ジャーナリスト、美術研究者、映画業界人らが反対運動を行なう。構造の脆弱性を試験する「10,000ポンドテスト」では検査のため使われた車の方が壊れるという驚異の強靭さを立証

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サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (期間限定価格盤)
完成から10年後の1965年7月16日、サイモン・ロディアは86歳でこの世を去る

ワッツ・タワーの存在は次第に世界に知られるようになり、1967年に発売されたビートルズ8作目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットに描かれる人物のなかで、ボブ・ディランの左隣(最上段の右から2番目)にサイモン・ロディアが載るという偉業を達成

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1990年にはアメリカ国定歴史建造物に指定

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現在では音楽フェスティバルやアートイベントがここで開催され、彼の願い「Nuestro Pueblo (われらの町)」はワッツ地区のシンボル、街の誇りとして実現された

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