夏の思い出も盛り上がってますが、
冬の思い出も実は同じくらいあるはず。
雪合戦、手袋、耳あて、霜柱、冬でも半ズボンw……
俺はとりあえずバケツに張った氷を太陽に透かして見てましたw
小学校の登下校中
金魚池にできた氷を拾って遊んでいた。
深々と雪が舞い降りる夜中に、ひとり外に出てみる。
辺りに人の姿はなく、灯りもなく、物音すらない。
世界は俺を中心に廻っているという感覚に包まれ、とてつもなく心地よい。
小学校低学年のとき、学校のストーブはまだ石炭のもので、
毎朝日直が、大きな鉄のバケツ持って石炭置き場に行き、
スコップで石炭をバケツ一杯に入れて教室に持っていく
決まりになっていた。雪が降ると石炭にも積もって、湿って
火がつきにくくなるから、下の方から濡れていないのを
掘り出して持っていった。先生が教室に来たらまずストーブ
をつける。新聞紙を丸めて火をつけて、そこに木の棒を何本
か入れて、燃え上がったら石炭を少しずつ入れていく。
生徒みんなストーブの周りに集まってその様子を眺めていた。
うまく点火しないで消えることもあった。そんなとき、みんなで
「あー…」とため息をついたりした。火がつくと、みんな一斉に
席に戻って、朝の学級会の始まり。小学校の時って楽しかった。
取り合えず下校途中は、雪合戦だよな!
雪の珍しい地方で育ちました。
年に1〜2回雪が降ると、どのクラスも1限目は校庭で雪合戦の時間だった。
冬が来る前に
もう一度 あの人と
めぐり合いたい
うちは3年まで石炭ストーブだった。
4年になって石油ストーブになった。
煙も出ないしすぐに火がつくし、重い石炭運ばなくてすむし
とても嬉しかったな!
3つ年上の兄貴と、兄貴の幼馴染み達とで、かまくら作った。その中で女は私だけ。女で一番チビな私に「よく頑張った!偉い!」と言って一番最初に基地に入らせてくれた。大して役にも立てなかったのに…申し訳なさと嬉しさで胸が一杯になったのを覚えている。20年も前の話。
お正月に親戚が集まって酒宴までの間、大人達が凧上げするのが恒例だった。
ほんとに高く上がったんだよー!
男子は1年を通して半ズボン強制の小学校に通っていた。
雪が降ると「がまん大会」と称して雪玉を太ももの上にのせて何分間耐えられるかを競って遊んだ思い出が懐かしい。
昔は冬でも半袖半ズボンだったんだが
あれは一体なんだったのだろう
そんなに寒くなかった気もしていて
今が寒いからよけいに
つらら食べながら登校してたよ
消防時代は教室のストーブで
給食の牛乳をホットミルクにしていたな。
霜の降りた土の上をしゃくしゃくいわせながら歩くのが凄く楽しかった。
校庭の水はけの悪さは最強で水溜りが凍ったから皆でスケートして遊んだ。
雪の少ない地方だから雪が降るのは嬉しかったなぁ・・・
兄弟3人で庭に積もった雪でかまくら作った。
散々遊びまわったあとの余った雪を雪かきついでに集めて
作った奴だから凄く小さくなって2人しか入れなかったけど
完成したのは凄く嬉しくて交代で出入りしまくってた。
冬のほうが楽しいことがいっぱいだった
親の財布から盗んだ1,000円札、駄菓子屋で使うには多額すぎる1,000円札。
使い切るために、親がたまに買ってきて食べるような、高い200円位するアイスを
外で食べた。これほど冷たくて、体の冷える食べ物はなかった。
夕方過ぎて暗くなり家に帰り、金を盗んだのがばれ、こっぴどく殴られたが
家の中は温かかった。その後食べたカレーを超えるカレーを食べたことがない。
石油ストーブ。火が着いた時の冬って感じ匂いが好きだった。お母さんがストーブでヤカン置いたりや鍋(煮豆炊いたり) の香りが大好きだったなぁ
石油ストーブの上でホットケーキ作ると、すっごくふくらんで
おいしいんだよぉ。
今でも思い出す、昭和の冬。
エアコンよりもぜったいぜったいあったかかった石油ストーブ…
って3丁目の夕日みたいだなぁ。
冬はジャンパーのポケットに両手を突っ込んで、ちょいと背を丸めて歩くのが印象的だな
手がかじかんで、部屋に入ってもすぐには鉛筆を握れなかった。
日曜日の朝。
暖かい布団の中で、目覚めては幸福感を味わいつつ眠る。
それが何回も繰り替えされる。
昼くらいになって、親が『いいかげんにしなさい!』と起こしにくる。
やっぱし 冬は布団の中が最高だね。
小学校の頃。
学校が駅の近くにあった。
その駅にくっつくように 立ち食いうどん のお店があった。
(確か一杯が100円くらいだった)
冬の寒い朝、湯気が開け放した扉からモクモクと出てて食べたかった。
一度だけ、小遣いを貯めて入ったことがあった。
勇気を出して入った店で
背が低かった俺は、カウンターの高さが自分の背丈くらいだった。
そして店のおじさんに、『お母さんを一緒に来なさい』と追い出された。
俺の中では幻のうどん となって、その予想される味は美化されていった。
その後 中学になって、カウンターより背が高くなり、
店に入って食べた。
家でかあちゃんが作ってくれる方が、ずっと美味かった。
まあ、そんなもんかな。
めちゃくちゃ寒い日は小便すると、それがそのまま凍る という噂があった。
独特の放物線をえがいた氷柱ができることを期待し、よく立ちションしたな。
学校のうさぎ当番かな。
近所の女の子と手を繋いで学校に行けた。
石炭ストーブに給食のコッペパンを押し付けて焼いて食べてた
雪の積もった本当にお正月らしいお正月を過ごしたなあ。いい子供時代だった
高校生の時、自分の部屋の反射式ストーブの上に祖父からの借り物のラジオを置いといて、うっかりそのまま点火してしまいラジオをダメにしたなあ
俺のジャンパー最悪だった
斜めに手が入るポケットが付いていなくて
ポケットの意味がなかった
縦に上に開いていてしかも手がうまく入らなかったよ
寒い日に遊びに行ってから帰ってくると
母親があったかいココアを作ってくれるのが楽しみだった。
よく遊んだ従兄弟と一緒に、
ビスケットのチョイスをちょっとだけココアにつけたりしながら飲んで。
楽しかったなぁ。
冬の朝礼で無意識のうちにジャンパーのポケットに手を入れていた
時々先生が後ろから回ってきて頭叩かれた
いつもポケットに手を入れていたから春になる頃には付け根が破れていた
自分が小学生の時にはストーブ当番ってのがあった
当番の日は早めに学校に行って用務員のおぢさんの所に石炭をもらいに行った
で、教室にもどってストーブに火をつけた。始め新聞紙を丸めて入れて
その上に薪を並べてマッチで火を点ける。ストーブに火が回ったら石炭を入れた
中3年の冬にスカート焦がして卒業まで夏スカートだった…
寝る前にアンカに真っ赤に焼けたタドンを火箸で母親が1つ入れてくれる。そしたらアンカの蓋を閉めて布製の袋に入れ、自分の布団に入れて置いて暖かく寝る。不便だけど、あの時に戻ってもいいやと思わせてくれるよ。今よりずっと安心できるし生活に活気があった。