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立命館大学「ゲーム資料現物寄付」のページは、なぜ炎上してしまったか ゲーム研究者の井上明人氏が関係者の一人として釈明記事を掲載。要約すると以下。
・大学の活動は1998年からやっている。 ・最近、新聞などメディアに取り上げられることが多くなった。 ・ゲーム機器を着払いで送ってくる善意のひとが急増。 ・「これはいかん」ということで例の募集ページを作成。 ・あくまで送ってくれる人に向けてのガイドラインページだった。 ・2ちゃんねるがそれを煽る記事を掲載。まとめサイトがそれを拡散した。 ・悪いのは2ちゃん、およびまとめサイトだが、こっちの言葉足らずも悪い。 ・関係者の一人として謝罪する。 |
とのことです。めでたし、めでたし……
となればいいけど、正直、もやもやするところもあるので、今回の問題に、あえて違う条件を当てはめてみて、僕なりに考察を深めてみようと思いました。
たとえばこれが立命館でなく
ハーバード大学だったら炎上しただろうか? 日本人は(とくに外国の)権威に弱いと言われてます。海外の大学と比べてどうすると思われるかもしれないですが、そもそも大学は何のために研究をしているのか。それは人類への貢献のためだと考えます。つまり大学というものはその性質上、どうしてもグローバルな存在になっちゃうのです。
かつて、とある研究分野に対して「2番ではダメなんですか」と言い放った政治家がいましたね。日本人は大学などの研究機関に対して軽視しがちだという空気があるのではないかと感じます。はたして、ろくな大学がないから軽視されているのか、軽視されているから、ろくな大学がないのか……
もちろん、ろくでもなくない大学もたくさんありますが、この考察では、そんな大学軽視の雰囲気が今回の炎上騒動の根底にあるかもしれないっていう答えが、浮き彫りになった気がします。
続きまして。
たとえばこれがゲームでなく
仏像だったら炎上しただろうか? もし、あなたが大の仏像マニアだったとして、とある大学が「仏像を恵んで下さい」という募集をしてることを知ったら、あなたは怒るだろうか。おそらく、それほど気にならないのではないでしょうか。
大学というのは、多かれ少なかれ、いろんな分野において、常時寄付をつのっているところです。今まで、寄付するのは社会貢献したくて仕方ない大企業や資産家たちでした。それが今回、寄付の対象がレトロゲームだったので、ごく一部で通用していた常識が、通用しない人たちまで広がってしまったということが考えられるのです。
そうなると、そもそもレトロゲームが研究の対象に相応しいかどうかという根本的な問題に行き着いてしまいます。どんな分野でも最初にやろうとしてる人間は、たいてい周りから馬鹿にされるもんですが……
以上。
この2つの考察から導き出された答えは、なんだか最初から明白だった気がします。
僕の大好きな言葉に
「口だけのやつほど、難しいことを言う」ってのがあるんですが、今回の騒動を改めて眺めてみると、本当に、口だけのやつしか騒いでませんよね。僕も含め(笑
これはバカにしてるんじゃなくて、「地道にやっていくしかない」って答えに、みんなが気づいてる証拠なんだと思うんです。それが唯一の道であり、もっとも困難な道だということに誰もが気づいているんです。だから口しか出せないんです。僕も含め(笑
最後に。
「この問題に言及するやつ」=「口だけのやつ」という意味ではないということを断っておきます。気を悪くされた方がいたら、先に謝っておきます。ごめんね。まあ僕も、別に騒いではいませんけどね!
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日本でゲーム研究やってるところがここしかないなら、寄贈するならここぐらいになるんじゃなかろうか。あとは処分する場合は、捨てるか、リサイクルショップに売るかだけど、リサイクルショップって箱とか説明書を明らかに捨ててるんだよなー。
捨てるよりマシなら寄贈したほうがいいんじゃないかな。とはいえ燃えプロ数百本寄贈されても困るかもしれんけどw
タダでくれとはおこがましいという意見はわかるけど、ゲームが今も捨てられてる現実の方が個人的には大きいかな。0円として捨てられるよりは、寄贈される方がまだいいと思うけどなあ。行き場のないゲームはゴミ捨て場ですよ。そういうの見かけると胸が痛くなる…
選択肢として寄贈できる場所はあったほうがいいとは思うのだけど。国立国会図書館はアーカイブしてくれないかな