81803811967年、19歳で息子を出産しすぐに養子に出したキングエッカーズリーさん。息子は捜さないという約束をずっと守ってきたが、2012年の夫の死去から立ち直るきっかけとして捜索を始めたという・・・・



息子の養子縁組後の氏名がケネス・ビセットであることを知っていたキングエッカーズリーさんは、いつか息子と再会することができると信じていた。だが、パンアメリカン航空機爆破事件の追悼ページに息子の氏名を発見したとき、その希望はついえた。

「あの悲劇では270人が死亡し、その1人が私の産んだ唯一の子どもだった。そして私は4月までそのことを知らなかった」と、キングエッカーズリーさんはBBCに語った。「だから、その事実を知った時は二重の悲劇に見舞われた。1日のうちに、息子を発見し、そして失った」

死亡したケネス・ビセットさんは米コーネル大学の学生として、留学プログラムでロンドンに滞在していた。1988年12月までに米国に帰国する予定だったが、友人たちがビセットさんのために21歳の誕生パーティーを開催することになり、爆破された103便に乗ることになった。 詳細は(記事引用元: AFPBB News

Mother discovers missing son actually died in Lockerbie

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