2014年01月13日
たしか、
なんでもないようなことが幸せだったと思うよ
ポン酢醤油のあるうちさ
一人の静かな時間が持てることは大事だな
お前らは勝ち組だよ
幸せは主観的なものである。幸せとは相対的なものである。
しかし、幸せな豚になることと不幸な人間になること
どちらかを選ぶとしたらそれは人間だろう。
人は、条件下においての幸せを求めるものである。
それこそが不幸なのかもしれないが
幸せを感じるか感じないかは、脳の機能
つまり、ロボトミーで脳内にある幸せを感じるスイッチをずっとオンにしておけば、現実の状態はともかく、本人は常に幸せ
生体電池として使っていいからマトリックスの世界はよ、はよマトリックスはよ
>>16
「幸福」を「すべての欲望が満たされた状態」と定義してる人はどうするの?
幸せは歩いてこないだから歩いて行くんだね
人が喜ぶ姿を見た時が一番幸福感に包まれるよ
「幸福感」と「幸せ」は区別すべき。
じゃないとクスリでトリップするのが幸せという事になる。
何も感じない時が幸せ
>>30
悟りの境地やないか
腹が減って死にそうな人がパンを貰えばそれをものすごく幸せに感じるが大金持ちがパンを貰ってもたいして喜ばない
つまり不幸こそが幸せを感じる要素であり不幸のない人生が最も不幸である
心身共に健康であることだと思うな。
>>39
これは確かだ
2chなんか見なくてもいい人生のことだろ
何が幸せか考えないことが幸せ
このあいだどっかの記事で幸せは人間関係の充実度って研究結果出てたよ
幸せを外に求めると幸せになれない
自分の中にある
>>69
これは分かる
外に求める人間は環境に不満を言うことだけ一流になる
>>74
ちょっとそこは違う気がする
答えはいつも僕らの胸に
幸せな子と書いて幸子、という名前の女性を直接間接に何人も知っているが、
何故か、本当に幸せになった子を一人も知らない
区切り区切り、要所要所で満足出来ている事
上にもあったけど自分の脳味噌との葛藤なんだよね
最近ならクリスマスに幸せか?年末年始幸せか?
この満足充実度合いで、幸せか?不幸せか?答えに近づける
答えは棺桶のフタに書いてあるよ
幸福感とは相対的な要素
寒い屋外から暖かい室内に入れば暖かいと感じ
暖かい室内から寒い屋外に出れば寒いと感じる
その都度、出入りしたその瞬間に私達は幸福感、不幸感を味わう
何かを得る幸せ、失う不幸
得るからこそ、失う不幸が訪れる事になる
幸せを独り占めしたいのなら、人生に於いて幸せを集め
たくさんの幸せを抱えたまま死ぬことだ
人が楽しそうにしているのを観ることだろー
ユダヤ人の格言だったと思うけど
自分の身の回りの環境に合わせてその生活を満足出来ている人が一番幸せな人だと
ちょっと前何かを流し読みしたこと思い出してみた
他人を好きになれること
本当に好きな人と世界でいちばん幸せになる(PR)
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この記事へのコメント
やってきた警察も蹴飛ばしたりしてたな
愛と一緒で目には見えないし掴めない。
結局はその場限りの感情みたいなもの。
貧困も不幸を生むけど
特に他人と比較して自分の幸せを計ろうとすることが多い。しかし、幸福度とは本人しかわからず、他人の全てを知ることもできない。そのため、他人の幸福度を過大評価する傾向がある。つまり他人の芝生は青いのだ。
また、自分を基準として幸せを手に入れることもある。それを実現する手段が欲である。しかし、往々にして欲の実現による幸せは持続しない。欲を実現するとそこが基準点となってしまうからだ。権力・名誉・賞賛・承認・金銭・安心・美味しい物...手に入れれば一時的には幸せを感じるだろうが維持するためには、さらに強い欲の実現が必要となることが多い。
人間は幸せを求めるように進化してきた。しかし、絶対的な幸せは存在せず、幸せを手に入れるとより上の幸せが見えてくる。人間は終わりのない旅を続けるようにプログラムされているのだ。
健康
友人、家庭を持つこと
以前は当たり前だと考えられてこれらの事があれば充分幸せだと思うようになって来た
確かにそういう人はそうじゃない人より幸せに出会いやすいな
衣食住が満たされる、安定した職につくことで幸福を感じるのは結果的に死から遠ざかるから。
生命の危険にさらされるとなんでもない日常にも幸せを感じるようになる。
だけど幸せとは退屈なもので、人はよくスリル=死に近づくことを自らしたりする。
この「満ち足りた生活」には、二つの考え方があることがわかります。一つは消極的な考え方であり、もう一つは積極的な考え方です。
中略
前者はむしろ苦痛を回避しようという傾向であるのに対し、後者は、進んで快楽を獲得しようという傾向です。ここでは、問題をはっきりさせるために、意味を限定して、前者を幸福への欲求と呼び、後者を快楽への欲求と呼ぶことにしましょう。
そしてこうも言っている。「幸福とはたんに苦痛の欠如です。」と。
これはなかなか言い得て妙だと個人的には思うね。
他人に幸せにしてもらおうとすると他人に自分の苦痛を除いてもらう必要がある。この時の苦痛ってのは今現在感じているものだけでなく起こり得る苦痛も含まれる。
これってとんでもなく難しいことだと思う。
例えばよくある話で結婚するときに奥さんに「幸せにしてね」って言われることがあると思う。この時は男ができることって精神的・肉体的ひもじさから守るってことだよな?
ひもじいという苦痛を取り除くことができるなら少なくとも上記の定義的には幸せなわけだ。
でもさ、無理だよな。だってどんなことがひもじいと感じるのか、もしくはそう思わせる原因になるのかなんて全部はわからねーもん。
やっぱり幸せには自分でなるしかないと思う。自分で苦痛を取り除くしかないんだよ。
そして自分で苦痛を取り除けるだけの実力があるやつしか幸せにはなれないのかもしれない。
どうしても苦痛を取り除くことができない場合はその状態を苦痛ではないと思うことでしか苦痛を取り除けないのだから。
まぁ個人的には幸福になるよりも快楽の方が欲しいけれど。
もっと納得感のある幸せの定義を教えて欲しい
今後ろくでもないことしかないと予想されれば
今何があっても楽しくはない
日中は同僚と下らない事話しながら軽い肉体仕事をして汗を流して、
昼に景色の良いところで素朴な弁当を食べて帰宅。
帰宅後は快適な家で美味い夕食を食べて、
食後はカワイイ女子供とイチャついたり遊んだりして楽しむ。
風呂あがりにキンキンに冷えたビールを飲んで、
明日を楽しみにしながら悩みも無くフカフカの暖かい布団でグッスリ眠る。
こんな生活ができたら幸せだなぁ・・・
俗世から感覚を解いて本質のようなものに触れる瞬間
現実では神経伝達物質とホルモンの面で追求するのが一番手っ取り早い
満たされてたら幸せなんだろうな
でも満たされるためにやるべきことは多すぎる
実存の中に寛ぐこと
本当は何もしなくてよかったんだと気付くこと
I am as I am.
少欲知足
結局知識欲だし、そこで求めてるのは他人より賢いという浅ましい優越感だろ
邪魔されないために部屋もいるし、金もいる
ただ邪魔されないために
つまり、結論なんぞ出せないて事だ
幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。 甲本 ヒロト
人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。 ドフトエフスキー
幸せの本質を突いた 名言だと思う。
振り返った時に初めて見えるもの (涙)
実在しているのは
快/不快だ
需要と供給が一致した時に快を感じる
需要そのものを少なくする方法もある
優越感じゃないな。
吾唯足知
足りていることを知れば(納得できれば)幸せだってこと。
俺らは人生のほとんどの時間を仕事に費やす
ってことはだよ
仕事に満足していることが幸せな人生の条件なんだ
それは、ここで求めても得られるようなものじゃない
雰囲気だけしか感じられず納得感が得られないのは、感性の問題でしかない。
各人言っているの言葉の裏には、それまでの人生を凝縮したバックグラウンドが存在しているのだよ。
納得感が得られないのは、具体的な不幸をイメージできないからだよ。
間違っててもいいから、その辺を想像しながら読むと非常に重いテーマになるよ。