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ネットサーフィン見聞記: ブログの更新さぼって鬱病と闘ってきた(後編)
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今月のオススメ図書
2014年02月08日


前半はこちらから→ブログの更新さぼって鬱病と闘ってきた(前編)



『憂鬱の二週間』
 七月某日、退院はしたものの治りきっていないものだから、一日中不安と憂鬱な気持ちとに襲われて何もできない。嫁には叱られ、頼れる人もいない。気力は湧かないが何かしていないと暗い気持ちに押しつぶされそうになる。家の裏で重機が音を立てていると、耳をふさぎたくなる。
 七月某日、気力がないまま部屋の片づけなどしだす。そうでもしていないと塞ぎ込んでしまっていけない。家族と話していても頭の中がグチャグチャになりそうになるし、そうなるような話ししか話題にのぼらない。
 七月某日、ちょっと気分が良くなって散歩に出ようとしたのがマズかった。途中で不安になって動けなくなる。ヘェヘェのていでなんとか自宅まで戻る。
 七月某日、やっと次の病院が見つかり早速診察を受ける。先生はとても人当たりの良さそうなひとだった。診断の結果、統合失調症の気配もあると言われる。
 七月某日、母入院。婦人科の病気で簡単な手術をするため。
 体を動かしていないのに腹は減る。仕事をしていないのにご飯を食べることへ非常に罪悪感を覚える。味覚はまだ戻ってこない。
 七月十七日、二か月半ぶりにブログを更新する。アクセス数はゆるやか〜に落ちていたが、何より私の入院と聞いていろんな人から励ましのメールがたくさん届いていた。ありがたい。しかし返信を出すにもかなりエネルギーを消費してしまう。一週間近くかかって返信を出し終える。
 七月某日、やっぱりぼんやりとしているといけない。でも、本を読んでも再び内容が頭の中へ入ってこなくなっている。それでも読んでいないと不安になったりするから目を通す。だんだん読む本が手元になくなってきた。
 七月某日、母見舞う。術後、なんの変りもなく入院しているとのこと。ついで、私の入院日も決まる。
 七月某日、本を読んでも内容が頭に入ってこないならと、数学TAの問題集(高校時に使っていた青チャート)をやりはじめることにした。本の片づけなどする。
 七月某日、嫁が歯医者の帰りに『風立ちぬ』を観てきたといった。嫁にも色々負担をかけているのだから、たまにはそんな気晴らしも必要だろうと思う。一度、実家に帰してあげようかなどとも考える。
 七月某日、母、退院してくる。数学TAが終わったのでUBを始める。そういえばモンテーニュ『エセー』を今までまともに読んだことがないなと思い、ネットで買う。
『第二の入院』
 七月下旬、地方都市の病院へ入院となる。ここは精神科の専門医院なので、私のような鬱病の人以外にもいろんな人がいた。なにより驚いたのが、以前の大都市病院と違って、ベットの周りを囲うようなカーテンなどは一切なく、狭い部屋にベットが六台置かれているだけの簡素な病棟だった。
 同室になった人たちはオジサンばかりで、その中でも一番若いIさんという人が隣にいたのだが、この人はちょっと問題児だった。なにが問題かというと、百キロ超の巨漢でもって一日中寝てばかりいる。起きているときにはジュースをガブ飲みしたり、おやつを大量に食べたりしている。そんな生活を10年近く続けていることと相まって、常にお腹を下しているのである。さらに最悪なことに本人が漏らしたことに気付いていないのである。私が入室して荷物を整理しだした直後から「ぶぱじゃflfwなhw※★☆…!!」と盛大にもよおしてくれた。部屋中に充満するウ○コ臭。この病院の窓は安全上の理由から、どこも都合五センチくらいしか開かないのだから更にいけない。朝から晩までその有様である。結果ベットのシーツも汚れ、看護師さんに毎回叱られていた。ちなみに一番最悪だったのが、昼食にカレーが出た日に盛大にやらかしてくれた時である……orz
 八月上旬、寝て起きては本を読み、数学やって寝る日が続く。なんとはなしに休めている気分がある。
 八月某日、嫁を一旦実家へ帰省させる。嫁の疲れ方が半端なく見えてきてのこと。
 八月某日、モンテーニュ『エセー』読み始める。数学はVCに突入していた。行列をパズル代わりにニヤニヤしながらやった。もはや脳の自主トレである。
 ここの病院にはちゃんと喫煙室があったので、本を読んだり数学をやって疲れてきたら、一服つけることができた。喫煙者にとってはある意味快適だった。しかし、やはり入院中の身の上。一日のお小遣いは、入院時に嫁が「300円」と決めてしまったので、タバコも節約しなければならないと悩んだ(←贅沢な悩みである)。結果、長年愛喫してきたショートホープをやめ、一番安いゴールデンバットにタバコを切り替える。しかし、辛いしキツイ。
 八月某日、病院の近くで花火大会がある。他の患者さんたちは窓越しに見ていたが、私はなんだか虚しい気分になっていたのでベットに潜り込んで音だけを聞く。
 八月某日、先生と面談した際、「もともと統合失調だったところに鬱病がからんでグチャグチャになっている」状態だと言われる。また、鬱病発症の原因としての事柄について何故労基に訴えなかったのかと聞かれる(大都市病院に入る前にもいろんな病院で言われた)が、色々事情があってできなかった旨伝えると「とにかく今は病気と一生懸命戦いましょう」と言ってくれた。こういう一言だけでも、今まで言われたことがなかったのでとても救われた気がした。
 お盆、外泊の許可が出る。兄弟たちも帰省してきていたが、私一人部屋に閉じこもる。『エセー』読了。だんだんと本の内容も頭に入ってくるようになる。
 八月某日、この頃になって、この病棟内ではタバコが通貨の様に扱われていることを知る。看護師さんに見つかると大変なことになるらしく、皆、陰でこそこそと取引をしている。たとえば、食事時に出た牛乳をタバコ五本と交換とか、タバコ三本でおやつと交換とか……。
この病院の病棟は閉鎖と開放に分かれているのだが、開放病棟の人は規定時間内であれば病院内外も出入り自由なので、コンビニなどに行って自由に買い物ができる。だから規定時間外になって病院が閉まり、閉鎖病棟の人も開放病棟に来られるようになると、そうした闇取引まがいのことが始まるのである。ちなみに私は開放病棟だったのですが、そういうやり取りが嫌いなので全部無視していました。
 八月下旬、嫁が実家から帰ってくる。かなりリフレッシュできたようでなによりだった。そんな嫁からの提案で、病院近くに大きな図書館があるので散歩がてらそこまで行って本を借りてきて読んだら良いと言われる。なるほど、そうすれば気晴らしもできるし本に困ることもない。地図を書いてもらって早速行くことにした。
『リハビリ』
 九月中旬、週末ごとに外泊許可が出る。先生曰く「ちょっと早めだけどリハビリをかねてね」とのこと。
図書館で本を借りるようになると、手当たり次第に読んだことのない本を読み漁るようになる。くわえて、数学もVCを終えて線形代数やフーリエ級数までやってしまったので、今度は大学課程の基礎物理に手を出し始める(←何故やりはじめたか理由を覚えていない)。またこの頃になると、重機の音を聞いてもだんだんと平気になってきたので、図書館以外にでも散歩に出かけられるようになる。初音ミクと植松伸夫氏の曲をmp3に入れてよく散歩にでかけた。
 九月下旬、週末の外泊時、久々にブログを更新しようという気が起きて、サイトを巡回していると吾妻ひでお先生の『失踪日記2 アル中病棟』発売の記事を見つけ早速amazonで予約をする。自分の今までの状況を顧みても、前作『失踪日記』の内容が痛いほどよく分かるような気がしたので期待に胸が膨らむ。
 十月某日、太った事に気付く。ここの病院ではラジオ体操もなにもないので、図書館に通ったり散歩する以外これといって運動をする場がない。家族からはかなり顰蹙をかった。
 十月上旬、精神科の病院やグループホームの人たちが集まって文化祭のまがいごとのようなことをするというので、是非そこでピアノを弾いてくれと頼まれてしまう。私自身、ピアノはほぼ独学なので自信がないと伝えたが、ごり押しされてしまう。
 十月某日、義妹が姪っ子を出産。
 十月某日、例の音楽発表会がある。途中、とちりつつもなんとかピアノを弾く。会場に飾られていた作品など興味深く見る。かなり独創的なものが多かったので、個人的に勉強させられた気分になった。
 十月某日、週末の外泊時に定期的にブログを更新しようと考える。とはいえ、やっぱりエネルギーが必要な作業だし、頭ぼんやりな状態での作業なので巡回に時間がかかる。
 十月某日、薬の飲み合わせの関係で肝炎一歩手前の状態に陥る。先生は早速薬を色々と変更してくれた。
 十月下旬、週末の外泊の際に家の仕事などを手伝い始めるようになる。この頃、先生からは「鬱病の気配は消えつつありますね。あとは統合失調ですね」と言われてホッとする。また、家族とも“まともに”会話ができるようになる。
『事件ナシの平穏な日々』
 十一月某日、肝臓の数値が徐々に下がり始めていると伝えられ、ホッとする。
 十一月某日、義理の両親が私の見舞いにやってきてくれた。実の両親とは違って、不思議ととても安心できた。発症からの顛末と今現在の状況をつぶさに伝えておく。
 十一月某日、不安や気分の落ち込みに苛まれることが少なくなったと感じた。ぼんやりとしていても憂鬱とした気分にならなくなる。
 十一月中旬、それまで週末外泊の際は迎えに来てもらっていたのだが、今後交通機関を使って自分一人で帰ってくるようにと家族から言われる。一日300円の小遣いをやりくりしつつ交通費を捻出する。
 十一月某日、同じ開放病棟の若い男女が付き合うだの付き合わないだのとイチャイチャしている現場を目撃してしまう。まあご勝手にと思いつつ、そそくさとその場を立ち去ってきた。個人的に患者同士で傷のなめ合うようなことをするのはよろしくないのではないかと思っているたちなので、あまり良い印象ではなかった。
 十二月某日、週一であるホール開放の日に麻雀に誘われる。つまり、爺チャン婆チャンたちの相手をしろということらしい。普段はウ○コを垂れ流している爺チャンや独り言を延々言い続けている婆チャンなどとかわるがわる麻雀を打ったのだが、普段とうって変わってかなりの猛者だった。恐ろしい…。
 十二月某日、そういえば抄訳しか読んだことがなかったなと思い、プルースト『失われた時を求めて』を読み始める。ある意味チャレンジである(知っている人は知っていると思うが…)。
 十二月某日、病院内でちょっと早めのクリスマス会がある。職員や看護師さんによるグダグダな劇など観る。
 十二月某日、週末の外泊。年賀状や喪中の方への寒中見舞いなど出力する。毎年嫁がデザインに凝っていたのだが、今年はそんな気力も出ないようなのでテンプレなど使いながらササッと済ます。
 十二月某日、院内の作業療法の一環でやっている陶芸教室に誘われる。私も嫌いじゃないので揚々と参加する。以降、退院までこの教室には通った。
 十二月下旬、ブログをよく見てくれているファンという人から、私に対しての色々な質問のメールをもらう。このやりとりを記事にして良いかと尋ねると、了承をもらう(←後日掲載します)。
『年末年始と退院へ』
 十二月某日、少し長めに外泊許可が出たので年末年始と自宅へ帰ることにする。仕事を軽く手伝ったりする。暇をみては『失われた時を求めて』と格闘する。
 大晦日、仕事の手伝いから帰ってきて年末を迎える。兄弟たちも集まってきたので家の中が大人数となり、どう立ち回ってよいか分からなくなり台所辺りをウロウロする。
 平成二十六年元日、ぼんやりと過ごす。
 一月某日、病院に戻って先生と面談。肝臓の数値は平常値になっており一安心。また、退院の日時が決まる。この頃になると、不安に駆られたり妄想に襲われることがかなり少なくなっていた。
 一月某日、深夜、ある患者さんが大暴れして警察沙汰になったらしい。眠気眼でよく覚えていないが、そういわれれば夜中に大声が聞こえたような聞こえなかったような。
 一月某日、プルースト『失われた時を求めて』読了。軽く興奮を覚える。
 一月十七日、地方都市の某病院を無事退院。


 てなような入院生活でした。後半の方は日々平穏という感じ。
 頭ボケボケだったことも手伝ってか、あっという間の入院生活でした。とはいえ都合9か月も長期入院していたのですから、結構な時間です。色んな本が読めました。なにより一番勉強になったのが、鬱病は正真正銘病気であること(なんちゃってウツやら新型鬱病がどうかは知らないけれど)。ちゃんとお医者さんに行って治さなければならない病気であることです。前編冒頭にも書きましたが、それまでの私は鬱病=なまけ病だと思っていましたが、今は180度違って立派な病気であると認識しています。皆さんもその予兆のようなものを感じたらちゃんとお医者さんにかかりましょう。
 それと自分が鬱病になって表れた症状として
 ・意欲の減退
 ・集中力・注意力の散漫
 ・風呂に入りたくなくなる
 ・自殺願望が芽生える
 ・自己否定の思考
 ・胸が重苦しくなる
 ・爪や髪が異常に早く伸びる
 ・過剰に甘いものが欲しくなる
 ・性欲の減退
 などなどがありました。

 さて、さらっと流してきた私の鬱体験記ですが、現在は無事に退院してきた私は徐々に仕事をこなすようにしたり、休んだりと色々と自分の体と相談しながら生活をしています。
 タイトルで『闘って』と書きましたが、はっきりいってまだ完治したわけではなく、今なお闘っています。
 しかし、治る病気です。
 私はこれからもしばらくこの鬱病と付き合って行こうと考えています。


 甚之助 拝
posted by 甚之助 at 11:34 | 東京 晴れ | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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