1:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 21:57:00
戦略>戦術
だと思うが、逆をやってのけた偉人を晒してくれ。
戦前の日本の写真って意外におしゃれでびっくりするよね
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4613444.html
800px-The_Death_of_Aemilius_Paulus


3:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 23:24:22
アレクサンドロスじゃない?
あとはチンギスハンとか?
コステロとかも?

あんまり浮かばないなあ・・・

日本だと義経かな



4:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 02:29:27
官渡の戦において、局地戦の勝利を繋いで戦略的敗北を覆した曹操
416px-Guanduzhizhan
中国後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。赤壁の戦い・夷陵の戦いと共に『三国志』の時代の流れを決定付ける重要な戦いと見做される。

狭義では戦役終盤に官渡で行われた戦いのみを指すが、広義では袁紹と曹操の一連の抗争を含む大きな戦役を指す。白馬の戦いを前哨戦とし、袁紹の元に居た劉備が汝南方面で攪乱戦を起こすなど、中原一帯を巻き込んでいた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/官渡の戦い



9:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 20:42:14
普通に桶狭間



13:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 15:51:33
楠木正成たん



30:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 00:41:18
斜行戦術のフリードリヒ大王



31:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 07:55:57
昆陽で勝った光武帝



35:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 19:53:54
圧倒的不利を克服したベトコンが最強。



43:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 02:00:12
長篠は数と質をそろえた信長の戦略の勝利だね。

戦術でいえば、カルタゴのハンニバルのカンネーの戦いが有名だと思う。
Cannae1
Cannae2
紀元前216年8月2日、アプリア地方のカンナエ(カンネー)で起こったローマ軍とカルタゴ軍の戦いである。第二次ポエニ戦争における会戦の一つで、ハンニバル率いるカルタゴ軍が、ローマの大軍を包囲殲滅した戦いとして戦史上名高い。2倍の敵を包囲・殲滅した衝撃的な勝利のためカンネー殲滅戦の異名を取る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カンナエの戦い

あと、日露戦争の奉天会戦
日露戦争自体、日本のネバリ勝ちによるところが大きい。



44:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 02:34:41
ハンニバルをここのスレで登場させるならば
ティキヌスとトレビアの戦いを引き合いに出したほうがいいような



45:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/24(火) 23:29:27
ドイツ将校ですら関ヶ原の戦いは東軍が西軍に負けると予言してる
しかも ほぼ全ての人間がこの戦は長期間になると思っていた

それがたった1日の勝利がそのまま全体の勝利につながってしまった
【閲覧注意】後味の悪い話『戦国自衛隊・関ヶ原の戦い』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4618856.html




55:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 16:34:44
第二次ポエニ戦争は戦術的にはハンニバルに勝利を得られなかったローマが
戦略で勝利した 戦略>戦術 の好例だと思う。

これに対して1805年のナポレオンは対仏大同盟と言う戦略的不利を、
ウルムとアウステルリッツの二度にわたる戦術的勝利で覆した好例かな。



56:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 00:43:50
この議論は二つの難しさがある
(1)勝利をどの時点で決めるかが難しい。
 戦術で一時期勝手も、戦略的に衰退する例が多い。
  ハンニバル

(2)戦術と戦略の境目が難しい
 単純なのは数
  数で負けたが、イクサで買った例は枚挙にいとまがない。
 しかし、数が少なくても勝てるような技を考える戦略を組織的に考えていたら、これは戦略か?



57:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 01:35:19
国同士が抗争の末参ったって言わせる手段が戦略。
これには政治や外交手段も含まれることが多い。

WWⅡでドイツが編み出したブリッツクリークは戦略手段として考案されました。
実際、ポーランドやフランス戦では成功=戦略的手段として成り立ちましたが、
アフリカ戦や独ソ線では成功=戦略勝利には至っていません。

ブリッツクリークはこの時点で戦術手段に転落してしまうわけですね。



60:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 21:04:36
どんな戦争も戦略的要因があるから、
戦術で勝ったように見えても、
実は、こういう戦略があってね。
みたいな展開にならないとも限らない。

ナポレオンのアウステルリッツの戦いも、オーストリア・ロシア連合軍主力が兵力を結集しきる前に戦いを挑んだという、基本戦略がある。

大阪冬の陣の
真田幸村VS家康の戦いや、関が原の戦いは、
戦術の勝利よりも戦略の勝利が優先した典型かと思う。
こういうパターンは多い。

桶狭間は奇襲戦術で、今川の大軍をやぶったから、これは
戦略より戦術が優先したといえる。

あとは、日露戦争かなぁ。バルチック艦隊を破った日本海軍。
陸地でのねばり勝ち。
戦略的には日本軍が互角か、やや劣勢だったといえるかどうか。
ロシアに絶対に勝てると思った戦略があったかどうかは判定が難しい。

あと、赤壁の戦いは、どう分析する?



77:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 22:56:43
圧倒的に不利な状況を切り抜けたという意味では七年戦争かな
戦術で突き崩したというか、時々負けながらも頑張ってたら外交状況が運良く好転した感じだが



80:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 15:44:24
桶狭間では、義元の首級こそ挙げたものの、今川軍に巻き返されて信長軍は逃げ帰っている。
信長自身が討ち氏にする怖れも大きかった。
大将首を奪られたくらいでは怯まない、多弾頭化された今川家と所領に敵を引き込んだ織田家、
両家戦略は引き分け。わずかに信長の果断速攻が勝ち目を分けた。

長篠の合戦、三千丁の鉄砲の半分を武田支城の攻略に当てたため、馬柵前での武田軍壊滅ではなかった。
閑散とした戦場、当時の屏風画あり。支城陥落での戦意喪失。

上杉武田の諸衝突、戦国最大のヤラセとの説あり。謙信の一騎駆け、江戸時代に疑問の声上がる。

戦国英雄伝なるもの、後世サムライ政権と軍国主義の都合で、そーとー脚色されてるから
鵜呑みはキケン。



82:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 05:10:44
戦術と戦略の定義ってハッキリと別れているの?



84:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 15:34:50
>>82
分かれているかどうかは別にして
戦略は戦術よりも上位の概念である
とはいえるんじゃねーの。

まず、戦術決めてから戦略を考える
なんてことは無いわけだし。



83:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 13:01:06
物量や政治状況で事前に敵を凌駕するのが戦略ではないかと



85:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 23:33:43
戦略でまけてたけど、

戦術で逃げるぐらいはできるだろうな。

織田の朝倉攻略のとき、

朝倉・浅井が連合して襲い掛かってきた。
これは戦略の失敗。

でも、秀吉のがんばりもあり、撤退に成功したね。



88:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:39:37
戦略>>戦術の分かりやすい例として、川中島合戦第4回な

戦術で勝った謙信が前半押してたが、結局敗走してしまい北信濃攻略という
信玄の戦略勝ちに終わる。



逆に、戦術>>>戦略の分かりやすい例として、三方ヶ原合戦な

信玄来襲の際、家康と挟み撃ちにしようと考えた信長であったが
結局信玄の巧みな戦術によって家康はコテンパンにされ、信玄戦略
は失敗に終わるww



89:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:10:59
戦略:格戦術を統一した目的と目標のために統合する総合的な計画
戦術:個別の戦闘における作戦

戦術が戦略より優位な場合とは、
絶対的不利を奇跡的勝利で切り抜けた場合とか
戦略的失敗で不利に陥ったのに、勝利した場合とか
戦略方針を無視して、戦闘を行い勝利し、
戦略そのものが戦術的勝利によって変更された場合とか
になるかと思いまするが、いかがなものでしょうか



91:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 03:08:05
韓信と義経に一票ずつ。
戦略的不利を完全に覆したといえばこの二人が印象深い。



93:久々:2007/08/04(土) 19:09:52
外出かな?上田籠城の真田幸村。
徳川家主導で関ヶ原に勝つつもりだった家康に、外様優位の領土配分を押し付けたね。

秀忠の四万が間に合わなかったため、豊臣家臣団に戦場を委ねるしかなかった。
福島加藤は断絶に追い込まれるものの、この戦略失敗は幕末まで後遺症となった。



94:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 22:12:13
それ昌幸



99:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 22:01:10
よーするに、小さな局地戦勝利で
戦略的不利を覆した人ってことかな?



101:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 18:59:10
てか、戦術的に敗北したのに戦略的には勝利したって戦いを挙げた方が早いぜ。
近代以前ではこれはかなり珍しいよ。
川中島だって、武田方の戦略的勝利といわれるが、
土地は確保したけど幹部クラスがかなり戦死している。
当時の封建社会では、当主の死というのはその軍を著しく弱体化させる。
一方、幹部クラスの戦死が少なかった上杉は、元気に関東に出陣している。
果たしてこれを武田の戦略的勝利と呼べるかね。
局地戦ではところどころ負けたが最終的に勝ったとはまた違うからね。



103:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 04:43:23
日本じゃ孫子の影響かなんか知らんけど、戦略>戦術という認識が多すぎ。

欧州じゃクラウゼビッツしかりで、戦術>戦略じゃね?
アレキサンダーとかカエサルとかハンニバルとかナポレオンとかフリードリヒ大王とか、
全部傑出した戦術家って感じじゃん。
【孫子】お前ら、兵法は勉強してるよな?【六韜】
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4116839.html



104:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 11:16:38
ナポレオンはしばしば兵站を無視して行軍したし、
ハンニバルのアルプス超えなんて大量脱落者を生み出した無茶苦茶な戦略だし、
フリードリッヒ大王にいたっては、自ら敵だらけの、
戦略的には非常にマズイ状況を生み出してるよな。
本来、役割の違いでどちらが上位概念とかではないのだが、
戦略>戦術っていわれることが多いね。
思うに銀英伝の影響が直接でなくとも間接的に強いと思う。
まあ、銀英伝も孫子の影響を受けているから、
根源をたどればやはり孫子の影響なのかな。



175:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/01(火) 07:55:08
関ヶ原前哨戦の福島正則達。
濃尾方面は西軍の方が多かったのにもかかわらず、
伊勢で西軍が手間取っている間に反撃に出て、
岐阜城他数ヶ城を調略、強攻を交えて制圧し戦局を逆転した。



195:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/07(水) 11:00:42.69
黒木為禎帝国陸軍大将。

奇襲とは有り得ない、想定外の絶妙のタイミングで不意を討つ!これは武士の真骨頂である。
正に夕張巌の夜襲は敵の寝込みを銃剣、刀を用いたまさかの想定外の奇襲だった。
銃が剣の時代を凌駕したと思い込んだ世間の常識をあえてそれを用いて敵の意表をついて勝利した、発想の奇抜さたるや…。

脱帽。

※実際に一時的にではあるが弾が尽きた為に苦肉の策で敢行されたのが現状の様だ。
408px-Kuroki_Tamemoto
・薩摩武士らしい豪傑肌の性格で、論理よりも経験を重んじる猪突猛進型の軍人であった。それを証明するかの様に、面白半分に相撲の相手を挑んできた明治天皇を容赦なく投げ飛ばし叩き付けたという逸話が残っている。

・野戦指揮官としての長年の経験と勘を生かした優れた采配を見せ、日露開戦直後の日本軍の快進撃は黒木の手腕によるところが大きい。しかし、その猪突猛進型の性格が災いし、総司令部の意思に反した突出を見せることがあり、奉天会戦時には余りの突出ぶりに満州軍総司令部より再三「進撃中止」の命令を出されている。

・日露戦後は他の軍司令官の大半が元帥位に登りつめたが、黒木だけは大将で軍歴を終えている。軍歴や功績を考慮すれば元帥に任命されてもおかしくはないのだが、黒木本人がお飾りだけの名誉職としての元帥位を嫌い、最後まで現場の指揮官としての地位を好んだということもあるが(同僚に書いた手紙の中に、そのような内容が記されているものが残っている)、その剛直で荒々しい性格が軍中央で好まれなかったというのが理由であるとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒木為楨



197:名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/16(金) 02:20:16.59
牟田口廉也



転載元:http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1176037020/
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