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千早「先生と私」|エレファント速報:SSまとめブログ

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千早「先生と私」

1 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:29:21.23 ID:bEFC5GTXo

 動きを止めたメトロノームを手に取ってゼンマイを巻いていると、ふと、傍の階段に一人座ってこちらを見ているのに気付いた。
 聞こえるように溜息をついて、顔をしかめながらちらちらと視線を投げても、腰を上げる様子がない。鬱陶しい、と言うわけにもいかなかった。階段に座る彼の年齢は確か二十八で、少し皺のついたスーツと汚れたスニーカーが似合うステレオタイプな――教師だったから。
 鬱陶しいのであっち行ってください、なんて口が裂けても言えないのだった。

「何か用ですか」
 遠まわしな言い方なら、きっと許されているはずだった。

「いや、別に」
「そうですか。暇なんですね」
 吐き捨てるように嫌味を言って、私はゼンマイの巻き終わったメトロノームを窓枠に置いた。
奥行きのある窓枠、その向こうにはモダンな造りの校舎と若葉を纏う木々。
それらの間を縫うように生徒たちが歩いている。
きっと春の濃い匂いは薄れ始めていて、五月特有の爽やかな風が揺らしているのだろう。



2 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:30:58.39 ID:bEFC5GTXo

 私は学校が嫌いだった。ずっと、嫌いだった。
他人の話し声が嫌いだ。笑い声も嫌いだ。怒鳴り声も、すすり泣く声も嫌いだ。

 耳慣れた音、メトロノームの規則正しい音に合わせて、
低い声から高い声まで長く発声する。
今、校舎の隅っこ、この階段の踊り場は素晴らしい秩序に満たされていた。テンポ60、12拍。

 コツ、コツ、という生真面目な音と自分で自分の声を支配する感覚。
基礎練習がつまらないなんて、にわかには信じられないことだ。

 放課後の四時から五時くらいまで、ここは何にでもなるのだった。
聖堂、武道館、海、砂漠。私が思い浮かべる何もかもに。
モダンな造りの新校舎の向かい、取り残された古ぼけた旧校舎の面影は消し去って。

 基礎練習を終えてから、私は迷う。何を歌おうか。

 別段、一曲、二曲をどこかで発表するわけじゃない。
合唱部は目標があるという一点だけ、羨ましかった。

 今日は何にしようか。今の気分は――これだ、と思う曲が耳に浮かび上がってくる。
イントロがおずおずと私の前に跪く。

 息を一つ吸い込んだところで、幻惑の音を引き裂かれる。くしゃみだった。

 誰の?



3 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:31:46.09 ID:bEFC5GTXo

 振り返って、苦々しい顔を見せてやると彼は同じように苦々しい顔をした。

「悪い。ここ、埃っぽくって」
「邪魔しないでくれます?」
 きっぱりと言うと彼は苦笑して、ようやく腰を上げた。
分かったよ、と階段を降りていった。

「またな。頑張れよ」
 できれば、もう来てほしくなかった。
頑張れよ、の方は素直に受け取って、軽く会釈をした。

 彼の姿が見えなくなってから、改めて曲を選ぶ。

 さっき思い浮かんだ曲はなんだったか、もう忘れていた。



4 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:32:33.71 ID:bEFC5GTXo

「こんにちは。やってるね」
 声に振り向くと、彼は階段を降りているところだった。
よいしょ、と下から三段目に腰かけて、気にせずどうぞ、とでも言うように手をひらりとふった。

 私は小さく溜息をついてから、基礎練習に戻った。

「なぁ、如月。アレ、歌えるか」
 基礎練習を終えたところで彼が話しかけてきた。
私の時間に一歩踏み込まれた気がして、思わず眉間に皺がよる。

「アレって何です?」
 無愛想に尋ね返す。彼は曲名を口にして、有名な曲だけど歌えないかな、と照れくさそうに頭を掻いた。
残念なことに、少なくとも彼にとって残念なことに、私はその曲を知らなかった。

「すみません。知りません。ですから歌えません」
「そうか。しかし、知らないって……如月って普段何聴いてるんだ?」

 彼は心底不思議そうに訊いた。

 自分の知っているものは、他人も知ってて当然とでも?

 そんな刺々しい言葉を飲み込んで、私は努めて冷静に質問に答える。



5 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:33:15.06 ID:bEFC5GTXo

「別に……クラシックとか」
「クラシック」
 彼はまるで初めて聴いた言葉のように、おうむ返しにした。
ジャズ、と答えても、ハードコアパンク、と答えても、きっと同じようにおうむ返しにするんだろう。

「モーツァルト、ショパン、バッハ?」
「ええ、まあ、そんな感じです」
 その調子ですよ、と慰めてやりたくなるくらいぎこちなく、彼は作曲家の名前を数人挙げていった。
プラトン、と呟いたところでもう弾切れらしかった。

「それは哲学者でしょう」
 指摘すると彼は首を捻った。誰と間違ったんだろう、と。

「それで……如月の好きな作曲家は?」
 何故だか私は少し躊躇った。少し間を置いて、ムソルグスキー、と呟いた。
バッハにさえ疑問符をつける人だ。

「知らない」

 知ってるはずがなかった。



6 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:34:18.05 ID:bEFC5GTXo

「ほら、"展覧会の絵"ですよ」
 何故だか私は食い下がった。
お互いに、知らない知らないでこの会話を終わらせるのは何だか居心地が悪かったのかもしれない。

 展覧会の絵。名前だけなら、いやメロディなら誰でも一度は耳にしたことがあるはずだ。

「あ、それなら知ってるよ」
 彼は嬉しそうに手を叩いた。しんとしていた踊り場中のあちこちに拍手の音が反響する。
つい、私も手を叩きたくなる。

 大好きなんですよ、と言いかけたところへ、予期せぬ彼の解答が飛び込んだ。

「エマーソン・レイク・アンド・パーマーだろ」
「……はい?」
「あれ、でもELPはロックバンドか」

 いー、える、ぴー。今度は私がおうむ返しにした。

「ムソルグ……えーと、が好きなんだよな?」
「はぁ」
「展覧会の絵、ってELPだろ?」
「ムソルグスキーです」

 お互いの頭の上にはきっとはてなマークが浮かんでいるんだろう。
お互いがお互いの言葉に首を捻った。

 いーえるぴー?
 むそるぐすきー?

 そうしているうち、放課のチャイムが鳴った。
毎日きっかりこの時間に、音の魔法が解けるのだった。



7 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:35:25.54 ID:bEFC5GTXo

「もしもし、お母さん?」
 家に帰って、食事と一通りの家事と風呂とを済ませた後、母親に電話をした。

 彼の言っていた曲名を告げると、母は、ああ、あれね、と軽くメロディを口ずさんだ。
私はそのメロディにああ、あれね、とは言えなかった。初めて聴いたのだった。
バンドの名前と曲名を訊いて、メモしておいた。

 "スピッツ 渚"と。

 さて、もう一つ、訊くことがあった。

「あの、お母さん。いーえるぴー、って知ってる?」
「いー、える、ぴー」

 母の声は私とそっくりだった。

「知らないよね。ごめんなさい。私、そろそろ寝るね。おやすみなさい」

 口早に言って、返事を待たず電話を切った。母はいつも最後にいくつか小言を言う。
 ごはんは? 学校は? 友達は?

 鬱陶しい、と言いづらくて、私は耳を塞ぐ。耳を塞ぎ、口を噤み、早々に布団に潜った。



8 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:36:35.29 ID:bEFC5GTXo

 翌日、私は練習を休んだ。旧校舎には寄らず、げた箱から昇降口を出て五月の夕方を泳いで行った。

 いつもよりちょっと遠回りの道を歩いていく。道行く人の顔ぶれも全然違う感じがした。
いつもの時刻、いつもの道ですれ違う人々のことを覚えているわけじゃなかったけど、
やっぱりいつもとは違う感じがした。

 私は道を曲がって、途中にあるレンタルCD店のドアをくぐった。
店では流行の歌がかかっていた。かと思うと、次に流れたのは十年以上も前の曲だったり、その次はもっと前の時代の曲だった。

 私はメモを鞄から取り出して、邦楽の棚へと向かった。
人気のバンドだった。何枚も並んでいるうち半分近くは既に借りられている。
一枚一枚、手に取って曲目を調べていく。
彼のリクエストした曲の収録されたアルバムは借りられていなかった。
CDのケースより一回り大きい外側のケースから取り出す。



9 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:37:53.02 ID:bEFC5GTXo

 さて、次は"いーえるぴー"だ。

 とりあえず、同じ邦楽の"い"の欄を探す。無かった。
 "え"の欄を探して、結局こちらも見つからなかった。

 小さく溜息をついて、そばを通った店員を呼びとめた。

「あの……すみません。"いーえるぴー"ってどこの棚にありますか?」

 いーえるぴー、と店員は怪訝な顔でおうむ返しにした。
あまりに親しみのないおうむ返しだった。
私も、彼にこういう顔をしていたのかもしれない。

「エマーソン……なんとかって」
「ああ、ELP。エマーソン・レイク・アンド・パーマー」

 店員はこちらです、と邦楽の棚から洋楽の棚へと私を案内した。そして、"E"の欄を指した。

 エマーソン・レイク・アンド・パーマー。その名前を背負ったケースが並べられている。

「ありがとうございます」

 私が礼を言うと、店員は無愛想に仕事ですから、と言ってその仕事とやらに戻った。
あれくらい無愛想な方が、私にはちょうどいい。

 しゃがみ込んで、タイトルを追っていく。
"タルカス"、"恐怖の頭脳改革"、"Emerson, Lake and Palmer"……。



10 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:39:09.90 ID:bEFC5GTXo

 あった。"展覧会の絵"と印刷された背表紙。そのアルバムを外側のケースから抜き取って、スピッツに重ねた。

 なんとなく、ELPのアルバムをもう一枚重ねた。
"恐怖の頭脳改革"という妙なタイトルが気になったのだった。

 計三枚。そのままレジに持って行っても良かったが、
三枚借りるのと五枚借りるのと値段はさほど差がない。
折角だからもう二枚、借りていくことにした。

 結果、未聴の三枚、ELPが二枚とスピッツが一枚に加えて、
アイアン・メイデンとポリスという、何ともごった煮なレンタルの仕方をしてしまった。

 さっきの無愛想な店員がレジを打って、一週間の期日を説明した。
代金を支払って、CDの入った袋を受け取る。

 クラシックのCDは借りない。クラシックのCDは拘らなければ安いし、借りるよりは持っておきたいからだ。
クラシック以外も気に入ったものはなるべく買っている。

 足早に店を出た。何のCDを借りても、店の外を出ると自然とワクワクしてきて、足取りが軽くなる。

 今日は、少しだけ夜更かしをしよう。お母さんに内緒で。



11 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:39:54.15 ID:bEFC5GTXo

 昨日借りたのは、"当たり"だった。アイアン・メイデンとポリスは元々好きだったし、
今度安いのを見つけたら買っておこうと決めた。

 スピッツとELPはどれから聴くか迷って、
まず、"恐怖の頭脳改革"をプレーヤーにセットした。

 少し、間を置いて一曲目が始まる。
私はそのイントロにまず、胸を射抜かれた。
そして、伸びのあるボーカルが荘厳に歌い上げる。

 ああ、これは――聖地エルサレム。

 初めて聴くメロディではないのに、初めての感覚だった。
久々に、音楽を聴いてこんな気持ちになったかもしれない。

 私は一晩かけて、ELPとスピッツを聴きこんだ。
どんなアーティストも、どんなアルバムも、一曲は、いや一か所は必ず良いところがある。

 音楽を聴くのは、自分で歌うのと同じくらい楽しい。



12 :以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします 2014/03/02(日) 20:41:21.06 ID:bEFC5GTXo

 さて、
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    コメント一覧

      • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
      • 2014年03月03日 21:37
      • まあ確かに千早が普段何聴いているのかわからんから想像はさせられるわな
      • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
      • 2014年03月03日 21:54
      • メイデンが好きな千早か
        最高じゃないか
      • 3. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
      • 2014年03月03日 22:28
      • 人少なすぎぃ!どこに流れたのぉ?
      • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
      • 2014年03月03日 23:42
      • 文章は悪くないけど弟や母親との感情や態度が別人すぎだと思った

    はじめに

    コメント、はてブなどなど
    ありがとうございます(`・ω・´)

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