■剣術とは

http://ja.wikipedia.org/wiki/剣術

主に武士が修めた武術の一つであり、現代日本の武道である剣道の母体となった。
戦乱のなかった江戸時代に大きく発展したため、戦場で着用する甲冑は前提とされず、平時の服装での斬り合いを想定している形が多い。
実際の戦場での斬り合いは形通りではなく、袈裟(鎖骨・頚動脈)に斬り込むことが主流であったともいわれている。
また、示現流やその流れを組む剣術(薬丸自顕流等)を習得した薩摩藩士の戦いぶりにおいて、その斬殺死体のほとんどが袈裟斬りを受けて即死に至っていたともいわれる。

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0 :名無しカオスちゃん 2014年3月5日 09:00 ID:chaosch

日本史上一番強い剣士ってだれなの?
あと、幕末と戦国の剣士ではどっちが強いの?






20. 名無しカオス 2014年03月06日 08:49


卜伝・信綱のツートップ

塚原朴伝



http://ja.wikipedia.org/wiki/塚原卜伝

塚原 卜伝は、日本の戦国時代の剣豪、兵法家。

『卜伝百首』の後にある加藤信俊による序では、39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったと記述されている。
生涯に斬って捨てた剣士の数は、記録に残っているだけでも212人である。

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上泉伊勢守



http://ja.wikipedia.org/wiki/上泉信綱

上泉 信綱または上泉伊勢守は、上州出身の戦国時代の兵法家。

上泉城主であるとともに、兵法家として陰流、神道流、念流などの諸流派を学び、その奥源を究め、特に陰流から「奇妙を抽出して」新陰流を大成した。

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17. 名無しカオス 2014年03月06日 08:45


上泉伊勢守じゃね
刀より槍とか弓使った時の方が強そうだけど





23. 名無しカオス 2014年03月06日 08:53


最強は上泉信綱か、塚原卜伝でしょう
武蔵は強い人がいるところにはいかなかったから






26. 名無しカオス 2014年03月06日 08:56


塚原卜伝じゃないかな
戦国時代に生きた人の中の誰かだと思うな





46. 名無しカオス 2014年03月06日 09:45


戦場で人斬ってる時代を考えてもやっぱ上泉が第一候補だろうな
時代が時代だからお互いに会ったことのない人間がいるのが寂しいところで
時代に埋もれた強者とかもいるんだろうな






18. 名無しカオス 2014年03月06日 08:45


宮本武蔵にならどうやったって勝てないんじゃね?



http://ja.wikipedia.org/wiki/宮本武蔵

宮本 武蔵は、新免武蔵藤原玄信のことであり、江戸時代初期の剣豪。

京都の兵法家吉岡一門との戦いや巌流島での試合が、小説、時代劇映画、テレビドラマ(時代劇ドラマ)等の題材になり有名。
著書である『五輪書』は、現代も人生哲学書として、あるいは経営、スポーツなどの指導書としても読まれ、日本のみならず翻訳されて世界各地で愛読され影響を与え続けている。

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24. 名無しカオス 2014年03月06日 08:54


宮本武蔵って実際のところはどうだったんだ?
なんかこの人って剣豪ってよりは兵法家ってイメージのが強いんだが。





27. 名無しカオス 2014年03月06日 08:59


*24
勝てない戦いはしない
勝てなそうなら勝てそうな策を練る
有名なとこだとvs小次郎
わざと怒らせたり、太陽を背にしたり
いろいろ小細工してる
まあ、それが正当って時代だから今の倫理でどうこう言う事じゃないが




30. 名無しカオス 2014年03月06日 09:03


※24
武蔵は野良や正式な試合では結構負けてる。そこらのヤクザに蹴散らされるレベルだし技術はまあ中の上くらいだけど
逃げ足が速いのとトラップやら飛び道具やら寝込み闇討ち焼き打ちやらでとにかく勝ちに回ってくるので
最強かといわれたらまあ最強。あの時代に拳銃が有ったら間違いなく剣術の試合中に使って勝ちを取りに来るタイプ





10. 名無し 2014年03月06日 08:33


宮本武蔵って真剣勝負というか影討ちしてしてたんじゃなかったっけ?





59. 名無しカオス 2014年03月06日 10:02


でも武蔵ほど何でもやりましたって剣豪の話もそれほど聞かないし
やっぱ特殊だったんじゃないかね
人気あったのは革新者的な意味合いでは?





98. も 2014年03月06日 11:45


>59
そんな事はないよ。君が宮本武蔵位しか剣客を知らないだけで。
で、当時は剣術勝負のレギュレーションがほとんど規制されていないので、武蔵は勝つために何でもやった、というより、負けないために様々な戦法を駆使したって事。
勝てそうになければ逃げることもあった。
吉岡憲法と立ち会った時はあらかじめルールを設定されていたのでそれは守っている。
ちなみに引き分け。
下がり松云々は後世の創作。





1. 名無しカオス 2014年03月06日 08:11


そもそも沖田って強かったの?病弱イメージしかない
斉藤とか永倉の方が生命力の強さ面で上な気がする





沖田総司



http://ja.wikipedia.org/wiki/沖田総司

沖田 総司は、幕末の武士、新選組一番組組長及び撃剣師範。

文久3年(1863年)の浪士組結成に参加して上洛する。
分裂後は近藤らに従い残留し、新選組を結成。沖田は一番組組長となる。沖田の一番組は常に重要な任務をこなし、
剣豪ひしめく新選組の中でも一、二を争う程多くの人を斬ったと言われ、この時期では同年9月の芹沢鴨暗殺、元治元年5月20日の大坂西町奉行所与力・内山彦次郎暗殺など手がけたという。

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72. ななし 2014年03月06日 10:23


斉藤一だろ



http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤一

斎藤 一は、日本の武士(新選組隊士)、警察官。
幕末期に新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。

沖田総司、永倉新八と並び新選組最強の剣士の一人であったといわれる。永倉は弟子に、「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」と語ったという。沖田、永倉らとともに新選組の撃剣師範を務めた。大坂力士との乱闘、組内部における粛清、天満屋事件、戊辰戦争などで剣を振るった歴戦の隊員であった。

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81. あ 2014年03月06日 10:56


新撰組は集団でリンチする戦法だから、言われているような一人一人の戦闘力は眉唾。







13. 名無しカオス 2014年03月06日 08:39


知らんけど足利義輝



http://ja.wikipedia.org/wiki/足利義輝

足利 義輝は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍。

上泉信綱・塚原卜伝に指導を受け、卜伝からは一説に奥義「一の太刀」を伝授され、鎌倉から江戸までの征夷大将軍の中でも、最も武術の優れた人物として伝えられている。
松永久秀らに二条御所で襲われた際には足利家秘蔵の刀を数本畳に刺し、刃こぼれするたびに新しい刀に替えて寄せ手の兵と戦ったという。

このため、現代において「剣豪」「剣聖将軍」と称される場合もある。

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9. 名無しカオス 2014年03月06日 08:25


足利義輝だな
名刀をずらり並べて切れ味落ちたら交換しての乱戦
そこまでの数の相手と切り結べただけでも凄い






2. ななし 2014年03月06日 08:12


ベタなのは新撰組の誰かだろうけど
敢えて足利義輝を推したい

リアルに暴れん坊将軍をやったのはあとにも先にも彼だけだろう。武装した兵隊相手に記録が残るほど戦って見せたのは立派。







4. 名無しカオス 2014年03月06日 08:14


マジレスすると伊東一刀斎

切り殺した数が他の剣豪と比べて段違いに多い



http://ja.wikipedia.org/wiki/伊東一刀斎

伊東 一刀斎は戦国時代から江戸初期にかけての剣客。

『一刀流極意』によると「高上金剛刀を極意とし英名を走せていた中条流の達人鐘捲自斎通宗を江戸に訪ね、就いて自斎から中条流の小太刀や自斎の工夫になる中太刀を学んだ。
弥五郎(一刀斎)は日夜一心不乱に鍛錬の功を積んだので(中略)自斎は深く感心して自流の極意、奥秘の刀たる妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥王剣、独妙剣の五点を悉く弥五郎に授けた」という。
ほかにも、自ら編み出した極意として、愛人に欺かれて刺客に寝込みを襲われ、逆襲したときに生まれたという秘太刀「払捨刀」、他に刃引・相小太刀・越身、鶴岡八幡宮に参籠して無意識のうちに敵を斬り、悟りを得たという「夢想剣」などがある(溝口派一刀流伝書、他流伝書)。

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3.   2014年03月06日 08:13


東郷重位



http://ja.wikipedia.org/wiki/東郷重位

東郷 重位は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・剣豪
天寧寺の僧・善吉に出会い、彼の剣術(天真正自顕流)に開眼、修行後に薩摩へ帰国する。天正17年(1589年)、国分郷の鳥越[4]に帰り、天真正自顕流にタイ捨流の技術を組み合わせて独自の創意工夫を加えていった。

庄内の乱の勃発した慶長4年(1599年)頃には島津家中内に既に大勢の門人をかかえていた。やがてその名声が島津忠恒に聞こえるところとなり、慶長9年(1604年)、忠恒の御前試合でタイ捨流の剣術師範を破り、島津家兵法師範となる。なお、このとき逆上した忠恒に斬りかかられたが、丸腰の重位はとっさに腰に差していた扇子で忠恒の手を打ち据えて刀をかわしたという逸話も伝わる。






12. 2014年03月06日 08:35


まー伊勢守か北辰だろうよ

千葉周作



http://ja.wikipedia.org/wiki/千葉周作

千葉 周作は、日本の武士。江戸時代の剣術の流派北辰一刀流の創始者で、千葉道場の総師範。

その道場である玄武館は幕末三大道場のひとつで、北辰一刀流剣術の門下から多数の幕末の著名人を輩出し、志士の間での閥を作った。

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79. 名無しカオス 2014年03月06日 10:38/span>

真剣か木刀か竹刀かで話はだいぶん違ってくるな
千葉周作は竹刀vs木刀だからな





22. 名無しカオス 2014年03月06日 08:52


愛洲移香斎



http://ja.wikipedia.org/wiki/愛洲移香斎

愛洲 久忠は、室町・戦国時代の兵法家。影流・陰流の始祖

幼少より剣術の才能があったため、武者修行をもって生業とし、諸国を巡ったり上洛したりしたと伝わる。
剣聖・上泉信綱は弟子と伝えるが、久忠の子・小七郎の弟子とみなす説もある。







19. 名無しカオス 2014年03月06日 08:46


源義経は?



http://ja.wikipedia.org/wiki/源義経

源 義経は、平安時代末期の武将である。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。
兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。

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25. 名無しカオス 2014年03月06日 08:55


柳生宗矩は?



http://ja.wikipedia.org/wiki/柳生宗矩

柳生 宗矩は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の剣術師範。

剣術面においては、江戸初期の代表的剣士の一人として知られる。
将軍家指南役として、当時の武芸者の中で最高の地位に位置し、「古今無双の達人」「刀法の鳳(おおとり)」「剣術無双」と賞賛されている。
新陰流(柳生新陰流という呼称は現在の通称)を将軍家御流儀として確立し、当時最大の流派に育て上げた。

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28. 名無しカオス 2014年03月06日 09:02


現実的な話としては柳生利厳辺りじゃないかな

幕末はまた別として、戦国前中期の武芸者と末期の武芸者では
後者が技術的に上回っていなければ流派の名が泣く

そういう意味では天才石舟斉の元修業に明け暮れ、従軍経験もあり、
平時の剣術の基礎ともいえる「直立つる身」の考案者である利厳は
集大成的な存在と言えるんじゃなかろうか




http://ja.wikipedia.org/wiki/柳生利厳

柳生 利厳は、江戸時代初期の剣術家。
肥後加藤領内で一揆が発生し、その鎮圧にあたった際、指示に従わない古参の伊藤長門守光兼を斬り捨て、一揆を鎮圧した後に、古参の将を斬った責を取って、加藤家から逐電した。
その後、諸国巡遊の旅に出たとされる。この諸国巡遊の旅に出る理由は諸説あり、柳生一門の者を斬ったためだともされている。また吉川英治の小説などでは、この諸国巡遊の旅の時に宮本武蔵と対峙している所が描かれているが、実際に対峙したかは不明。
1615年(元和元年)から尾張徳川家の家老・成瀬正成の推挙で徳川義直に仕えた。利厳はここで義直に新陰流を直伝している。その後、利厳は義直に30年にわたって兵法指南役として仕えた。

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110. 名無しカオス 2014年03月06日 12:22


>>28
利厳の従軍経験って軍隊率いて百姓一揆殲滅の指揮したくらいで実際に剣を奮ったのかもよくわからないし
大阪の陣で七人の武者を一人で斬り殺して秀忠助けたっていう宗矩の方が凄そう






31. 名無しカオス 2014年03月06日 09:04


足利将軍の無双エピソードばかり取りざたされるが
北畠具教や柳生宗章も同じような話があるんだよね





35. 名無しカオス 2014年03月06日 09:19


>>31
結局死者へのせめてもの手向けであって、戦場では個人の
強さなんぞたかが知れてる、って話だよな、あれ

まあじゃないと戦術・戦略の意味がないし




71. 名無し 2014年03月06日 10:22


丸目蔵人は、やっぱり出ないか。



http://ja.wikipedia.org/wiki/丸目蔵人

丸目 長恵は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、兵法家。

九州一円の他流の兵法を打ち破り、そのことを知った武蔵守信綱より、西国での新陰流の教授を任されている。
蔵人佐の帰国後に信綱が新たに工夫した太刀を学ぶ為に、弟子を伴い再び上洛するも信綱はすでに亡くなっていた。
落胆し帰国した蔵人佐は、昼夜鍛錬し数年の後、「タイ捨流」を開流したといわれている。

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87. 名無しカオス 2014年03月06日 11:20


真柄直隆

175センチの太刀を軽々と扱ってたとかセフィロスかよwwwwww

なお、体格は身長2mを超えで体重250kgのバケモノな模様

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http://ja.wikipedia.org/wiki/真柄直隆



96. 名無しカオス 2014年03月06日 11:37


ここまで真理谷円四郎ナシとは…。






114. 名無しカオス 2014年03月06日 12:49


やっぱ、真理谷円四郎でしょ、千戦無敗だし。
それと、現代剣道より古流の達人の方が上だろ。剣道は剣を剣として扱う振りをしていないし。黒田鉄山先生の動き見たことないの?あれが、ごろごろしてたのが明治以前。






44. 名無しカオス 2014年03月06日 09:33


男谷信友なんてどうだろう



http://ja.wikipedia.org/wiki/男谷信友

男谷 信友は、幕末の幕臣、剣術家。直心影流男谷派を名乗った。
その実力の高さと温厚な人格から、「幕末の剣聖」と呼ばれることもある。

見栄えや形式を重んじるあまり沈滞した剣術界を立て直すため、竹刀試合を奨励し、信友自身も申し込まれた試合は一度も拒まず、江戸府内に立ち合わなかった者はいないといわれるほどであった。試合は、どんな相手でも三本のうち一本は相手に花を持たせるが、いかに強敵でも「花」の一本より勝ちを取ることができず、底知れぬ実力と評された。天保から弘化にかけての一時期、島田虎之助、大石進と並んで「天保の三剣豪」と謳われた。

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85. 幕末の剣聖 2014年03月06日 11:12


あえて男谷信友を推してみる






47. 名無しカオス 2014年03月06日 09:47


服部武雄だな。


戦国時代の剣豪は伝聞や誇張が多すぎる
幕末期の斬り合いは当事者だけでなく通行人の証言まであるし、剣士達の愛人の経歴まではっきりしている場合が多いので概ね信用できる。
服部武雄は新選組で剣術・柔術師範だったが後に粛清されている。
新選組は新選組殺法と呼ばれる集団で一人の標的を上下左右前後から包囲し殺害する戦術を採用していた。新選組隊士個人の力量も非常に高くまた実戦経験も豊富だったのに服部はそれらと堂々と切り結び新選組隊士十数人に重傷を負わせている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/服部武雄





48. 2014年03月06日 09:50


福沢諭吉さんなのは間違いない



http://ja.wikipedia.org/wiki/福澤諭吉

福澤 諭吉は、日本の武士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。

慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、伝染病研究所の創設にも尽力した。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。

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68. 名無しカオス 2014年03月06日 10:18


マンガ「ドリフターズ」の、連載は読んでないんだけど、
島津豊久 vs 土方歳三のバトルがあって、
読んだ人がレビューで
「歴戦の勇者といっても戊辰戦争の修羅場は戦国時代・関ヶ原の戦いの前ではぬるいものだったか」
と書いている人がいて、少し考え込んだ。






41. 名無しカオス 2014年03月06日 09:31


持田盛二を押したいけど、斬り合いとなると違うんだろうな



http://ja.wikipedia.org/wiki/持田盛二

持田 盛二は、日本の剣道家。「昭和の剣聖」と称される剣道家の一人。

1957年(昭和32年)、全日本剣道連盟から剣道十段を授与される。先人さえ貰わなかった段位は受け取れないとして固辞したが、連盟の懇望により受領した。

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42. 名無しカオス 2014年03月06日 09:31


国井善弥だな。昭和の武蔵。映像残ってるけどすごいぞ。



http://ja.wikipedia.org/wiki/国井善弥

幾多の他流試合を相手の望む通りの条件で受けながらも勝ち続け、生涯不敗であったという。その圧倒的な武の実力から、「今武蔵」(昭和の宮本武蔵という意味)という異名で呼ばれた。
剣や棒など武器を取らせても、武器を持たない柔道家や空手家から挑戦を受けても、國井は戦う前から勝負が決しているかのごとく一本を取るのが常であった。武道界からは異端視されたが、日本古武道の強さを体現した武人だった。








5. 名無しカオス 2014年03月06日 08:16


現代の剣道で一番強い人が歴史上最強なんじゃないの?
技術とか発展してるんだろうし






14. 名無しカオス 2014年03月06日 08:40


※5
剣道ってルール整備が進んでて競技としての性格が強くなってるからな
剣道では有効打と認められなくても、真剣だったら当たった時点で戦闘不能になるだろうし






22. 名無しカオス 2014年03月06日 08:52


※5
ぶっちゃけ剣道と剣術はもう完全に別物(体や刀の扱い方からしてかなり異なってる)だから発展系って訳じゃない。





8. 名無しカオス 2014年03月06日 08:25


剣道はスポーツ
剣術とは違うよ





21. 名無しカオス 2014年03月06日 08:51


 技術は基本的に進歩していくから剣術が廃れた現代はともかく、少人数での戦いなら幕末が一番な気もする。






83. 名無しカオス 2014年03月06日 11:07


剣道と剣術は違う。
剣道はスポーツだが剣術は戦場での実戦術。
たとえば忠臣蔵で使われた二天一流。
三人一組で行動し、一人が相手正面から立ち向かい、残りの二人が隙を見て後ろから斬りかかるのが基本形。
戦場での実戦術だからこれでもOK。
討ち入りメンバーに年寄りが多いので剣術が下手でも何とかなるようのチョイスだそうだ。
昔のチャンバラ映画だと多人数を相手にする場合は、後ろから攻撃されないように壁を背にして戦うシーンが多い。
それ考えると一対多でも勝てる宮本武蔵が最強だと思う。


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