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「妹と俺との些細な出来事」【パート1】 【パート2】【パート3】

元スレ
妹と俺との些細な出来事
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妹と俺との些細な出来事・2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1388669627/


 
861:NIPPER:2013/11/27(水) 22:24:44.14 ID:cHjlU9dDo

<水族館>



 その朝自分でもそこまでするとは思っていなかったことまでしてしまったことに驚き、
そして少し恥かしかったけど、早朝の光の下ならあたしの顔が赤くなっていたことにお兄
さんは気がつかなかったのだろうと信じたい。この場に及んでもあたしは冷静でクールな
女だとお兄さんに思われたかったのだ。

 その後は悩む必要がないほど何もかもうまくいっているように思えた。妹ちゃんはあた
しとお兄さんが二人で別荘を抜け出したことなど気にしていないようだった。妹ちゃん一
人に朝ごはんの支度をさせてしまったことをあたしは謝ったけど、妹ちゃんは笑っていた
だけだった。ただ朝食はお兄さん好みだと聞かされていた和風の献立だったけど。

 和やかな雰囲気はその後も続いた。何かもうこのままあたしとお兄さん、妹ちゃんとお
兄ちゃんとの二組のカップルが既定路線になったようだった。そしてあたしにはそのこと
を妹ちゃんもお兄さんも気にしていないように見えた。水族館までは自然に妹ちゃんとお
兄ちゃんが並んで後部座席に座り、あたしも昨日ほど自意識過剰にならずに助手席に座る
ことができた。

 水族館のチケット売り場にできている長い行列には、妹ちゃんとお兄ちゃんが並ぶこと
になってあたしとお兄さんは入り口の脇で並んでおしゃべりをしていた

 このときあたしはもう無理しなくていいかなという思いもあったのだけど、逆に言えば
これだけ自然に妹ちゃんとお兄ちゃんの自然な振る舞いを見ると、あたしとお兄さんが別
行動しても問題はないのではないかという気もしていた。お兄さんと二人きりでデートみ
たいに水族館を回れるならその方が嬉しい。



「チケットを買うだけでもう三十分以上もかかってるぞ」

 お兄さんがうんざりしたように言った。あたしは別に何時間待ったって構わない。お兄
さんと二人きりでいられるなら。お兄さんは退屈なのだろうか。あたしは少し心配になっ
た。

「連休中なんだからしかたないですよ。それに並んでくれてるのは妹ちゃんたちじゃない
ですか」

「それはそうだけど、待っている方もつらい」

 お兄さんがお兄ちゃんと二人きりでいる妹ちゃんのことを気にしている様子は伺えなけ
ど、あたしと二人でいることに嬉しがっている様子もない。今朝のキスはお兄さんにとっ
てはあまり意味のないことだったのか。あたしは予定どおりに行動することをこのとき決
めた。

「それよりお兄さん」

「どうした」

「海辺での約束、覚えてくれてますよね」

「・・・・・・それはまあ」

「妹ちゃんはきっと四人皆で行動しようと思っているでしょう」

「そうかもな」

「この人混みですから水族館の中はきっと観光客でごった返しているはずです」

「それは容易に想像できるな」

「はぐれましょう、わざと」

「はい?」

「ですから妹ちゃんとお兄ちゃんとはぐれましょう」

「・・・・・・何でそんな手の込んだことをしなきゃいけないんだよ」

「四人で見て回ろうって言われてるのにわざわざ二人きりになりたいなんて言いづらいじ
ゃないですか」

「それに本心では妹ちゃんだってお兄ちゃんと二人きりになりたいに決まってます」

「そうかなあ」

「あたしたちに遠慮して、二人きりになりたいなんて言い出せないだけですよ」

「まあ、妹友がそこまで言うならそうしようか」





862:NIPPER:2013/11/27(水) 22:25:15.85 ID:cHjlU9dDo

「お兄さん、ひょっとしてあたしと二人きりになるのが嫌なんですか」

 意図しなかったことだけど少しだけ責めるような口調になってしまったのかもしれない。
勝手にしたことに多くの意味を持たせようとする気はなかったのだけど、それでも早朝の
あのキスの後にこういう態度を取られたことは寂しかった。

「そんなことねえけど」

「それともやっぱり妹ちゃんのことが気になりますか」

「いや。それはやっぱり気にはなるけど、気にならないようにしなきゃいけないと思って
るよ。だからおまえと二人でも全然嫌じゃない」

「そうですか」

「おまえはどうなの?」

「どうと言いますと?」

「兄貴を取られちゃうみたいで落ちつかないんじゃねえの」

「今はもう全然そんな気はなくなってしまいました。以前を考えるとまるで嘘のように」

「どういうこと」

「前は確かにお兄ちゃんと妹ちゃんが二人でいると落ちつかなかったんですけど」

「ブラコンだもんな。おまえ」

「お兄さんにだけは言われる筋合いはこれっぽっちもないと思います」

「・・・・・・まあ、そうかもしれん。で、今はどうなの」

「今はお兄さんと妹ちゃんが二人きりでいる方が心配で落ちつきません」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味ですよ」

「おまえ、俺のことなんか好きでも何でもないって前に言ってなかったっけ」

「言いました」

「じゃあ何で」

「そんなのわかりません。気になるんだから仕方がないでしょ」

 ここまであたしにしては珍しく嘘は言っていない。フェイクさえないのだ。

「おまえひょっとして俺のこ」

「お待たせ。やっと買えたよチケット」

 妹ちゃんとお兄さんが戻って来た。ようやく入場券を買えたらしい。

「チケットを買うだけで四十分ですからね。中は相当混雑しているでしょうね」

 お兄ちゃんが言ったけど、そんなに心配している様子はない。妹ちゃんとのツーショッ
トに満足しているのだろう。

「はぐれないようにしないとね」

 妹ちゃんが言った。はぐれてもいいのよ。あたしはそう思った。





863:NIPPER:2013/11/27(水) 22:25:59.61 ID:cHjlU9dDo

妹友「今ですお兄さん」

兄「あ、ああ」

妹友「二人はペンギンの方に向っています」

兄「そうだね」

妹友「この人が少ない地味な水槽の陰であの二人をやり過ごしましょう」

兄「地味な水槽って。なんだ、くらげか」

妹友「もう少し水槽の背後に回ってください。見つかってしまいます」

兄「ああ」



 予定していたとおりあたしとお兄さんはあの二人から計画的にはぐれた。これでこの後
は二組のカップルが別行動することになる。そしてまた合流して一緒に食事に出かけるの
だ。仲のいい二組のカップルとはこういう行動をするものだとあたしは思って少しだけ笑
った。

「お兄さんちょっと顔を出しすぎです。もっとあたしの方に寄ってください」

「これくらい離れてりゃ大丈夫だよ」

「万一ということもありますから。ほら」

「こら、手を引っ張るな」

「しばらくこうしていましょう」

「・・・・・・何で俺の腕に抱きついてるの?」

「知りません。そんなこと一々聞かないでください、バカ」

 そのとき異変がおきた。遠目に小さく見えている妹ちゃんが慌てたように周囲を見回し
始めたのだ。それも尋常ではない勢いで。

「妹ちゃんが気がついたみたいですね」

「どうもそのようだな。あっちこっちを探しているし」

「すぐ諦めて二人で行っちゃいますよ。少しここで待ちましょう」

「うん」





864:NIPPER:2013/11/27(水) 22:26:30.26 ID:cHjlU9dDo

 でもどうも様子がおかしかった。宥めようとしたお兄ちゃんの腕を振り払った妹ちゃん
はスマホを取り出した。案の定すぐにお兄さんの携帯が鳴り出した。

「妹から電話が来てるんだけど」

「着信に気がつかなかったことにしましょう。これだけ人だらけで周囲もうるさいので説
得力もありますし。だから出ないでください」

「ああ」

 納得したようなお兄さんの態度に安心する暇もなく、一度切れた携帯はその後も断続的
に何回も鳴り響いた。これでは子どもと同じだ。パパとはぐれて迷子になった小さな子ど
もが必死になって親を探しているようだ。

「俺やっぱやめるわ」

 そのときお兄さんが鳴り止まない自分の携帯を真剣な表情で見つめながらぽつっと言っ
た。

「・・・・・・何でですか」

「妹を宥めてやらないと」

「それはもううちのお兄ちゃんの役目です」

兄「そうだけど・・・・・・そうだけど少なくとも今は違うんだよ。彼氏君じゃ無理だ」

「どういう意味ですか? 妹ちゃんは本当はお兄さんの方が好きだとでも言いたいんです
か」

「そうじゃねえよ。そういう問題じゃなくて、あいつには家族と一緒にいたい時があって、
そういうときに側に家族の誰かがいないとパニックみたいになることがあるんだよ。だか
ら今は彼氏君じゃ無理だ。俺の両親か俺自身じゃないと」

 がっかりした気持ちもあったのだけど、お兄さんの言葉はあたしを納得させてしまった。
というかその言葉をあたしは信じたかったのだろう。恋愛感情ではなく家族を求める妹ち
ゃんの行動にお兄さんは罪悪感を感じているのだと。それにあたしの方もパニックになっ
ているらしい妹ちゃんの様子に微妙な罪悪感を感じていたから、ここは素直にお兄さんの
言うことに従うことにした。

「全くブラコンとシスコン同士はたちが悪いです」

 お兄さんは黙ってしまった。

「わかりました」

「悪い」

「この埋め合わせはしてもらいますからね」

「おう」

「じゃあすぐに行きましょう。妹ちゃんを救いに」

 あたしはお兄さんに無理に笑顔を作って見せた。





865:NIPPER:2013/11/27(水) 22:26:58.91 ID:cHjlU9dDo

<不機嫌>




 結局この後妹ちゃんの前に姿を見せたお兄さんに、妹ちゃんは半分泣いて怒りながら抱
きつくという結末となってしまった。あたしのささやかな計画のせいで妹ちゃんを悩ませ
たことは申し訳ないと思うけど、それにしてもこれはいくら仲のいい家族であり兄妹であ
ったとしても行きすぎではないか。

 妹ちゃんとお兄さんは和解したのだけど、そこから先は妹ちゃんはべったりとお兄さん
にしがみつくようにして、お兄さんの側から離れなくなってしまった。当然、何の説明も
なくあぶれたお兄ちゃんは釈然としない様子であたしと一緒にペンギンのいる大きな水槽
の周りを歩いていた。ペンギンになんか少しも目をくれず。

「お兄ちゃんさっきからペンギンじゃなくて妹ちゃんばかり見てるじゃん」

 あたしは優しくからかったつもりだったけど、お兄ちゃんの反応は予想外に激しいもの
だった。

「当たり前だろ」

 吐き捨てるようにお兄ちゃんが言った。「何でいきなり妹がバカ兄貴にべったり抱きつ
いて一緒にいるんだよ。おまえ、何か妙なことを吹き込んだんじゃないだろうな」

「そんなことしてないよ」

 あたしは予想もしなかったお兄ちゃんの剣幕に驚いて言い訳した。

「いったい何なんだよ。最初は四人でいたってよかったんだよ。徐々に彼女と二人きりに
なれればよかったのに。おまえが頭の悪いこと考えて、わざとはぐれようとかするからだ
ろう」

「何の証拠があって」

「さっき妹が言ってたんだよ。妹友ちゃんがバカ兄貴と二人きりになろうとしたせいだっ
て。僕もそう思うよ。おまえ、あの兄貴と二人きりになりたくてわざとこんなことしたん
だろう」

「それは。えと」

 確かにそれは事実だったからあたしは何も反論できなかった。

「おまえがあの兄貴を好きになるのは勝手だけどよ。僕と妹のことを邪魔するのはよせ」

「あたしは邪魔なんか。むしろ応援しようと思って」

「それが邪魔だっていうんだよ。応援してくれるならおまえは何もするな。僕の計画の邪
魔になるだけなんだから」

「計画って。妹ちゃんのパパを苦しめるっていうあれ? まだそんなこと言ってるの」

「あたりまえだ。そのために僕は妹ちゃんに近づいてるんだし、あの低脳のバカ兄貴に媚
びてるんだ。それをおまえが邪魔したんだ」

 四人で普通に仲良くなれないのだろうか。そうでなければあたしはこれ以上お兄ちゃん
を応援できなくなってしまう。いろいろ喧嘩もしたけど結局妹ちゃんはあたしにとって唯
一の親友だ。それにお兄さんの大切な妹ちゃんをそんなことに利用させるわけには行かな
い。それを黙認したらあたしはお兄さんと親しくなる権利すら失ってしまう。





866:NIPPER:2013/11/27(水) 22:27:48.05 ID:cHjlU9dDo

「あいつらが移動した。行くぞ」

「行くって。二人のところに行ってどうするの」

「決まってるだろ。合流して四人で行動するんだよ」

「今はそういうの止めておこうよ」

 必ずしもお兄ちゃんの行動の目的に反対だったからということだけでそう言ったわけで
はなかった。それよりもお兄さんを必死に探している妹ちゃんの姿と、それを見て迷わず
妹ちゃんのところに向ったお兄さんの行動がまだ目に焼きついていたからだった。

 お兄さんは家族として妹ちゃんを宥めに行ったのだし、その行動をあたしは信用したか
った。それにお兄さんは妹ちゃんは家族から自分がはぐれて慌てているのだと言った。だ
から妹を宥めるのは自分でなければならないのだと。

 お兄さんにキスしお兄さんに告白まがいの言葉を伝えたあたしは、お兄さんを信じるべ
きだと思ったのだ。それに妹ちゃんは親友だった。この旅行をきかっけに一度は仲違いし
た彼女と、あたしは仲直りしたのだ。親友として思い返してみると妹ちゃんが家族好きな
ことだけは間違いない。妹ちゃんは笑いながら自分はファミコンだからって言っていた。
ファミリーコンプレックスのことだそうだけど。

「何でだよ。おまえなんか誤解してないか」

「誤解なんかしてないと思うけど」

「いや。してるね」

 お兄ちゃんは断言した。「おまえは僕のすることで妹ちゃんが不幸になると思ってるだ
ろう?」

「それは・・・・・・。正直言うと思ってるけど」

「それが誤解なんだよ。妹ちゃんは不幸になる要素なんかどこにある?」

「だって。自分のお父さんへの復讐のためにお兄ちゃんに告白されたなんて知ったら」

「知ったらだろ。知らなければ単なる普通の恋愛じゃん」

「それにしたって」

「いいか」

 お兄ちゃんが妹ちゃんたちを追跡することをやめてあたしの方を真っ直ぐに見た。

「母さんとあの二人の父さんとの不倫はいつかは妹ちゃんも知ることになるんだ。あいつら
はお互いに離婚して再婚する気まんまんだからな」





867:NIPPER:2013/11/27(水) 22:28:18.77 ID:cHjlU9dDo

 それはお兄ちゃんの言うとおりだった。そしてそれを知った妹ちゃんがどんなに苦しむ
ことになるのかも容易に想像できた。

「確かに僕は妹ちゃんの父さんへの復讐もあってこういうことを考えたんだけど、もう少
し考えればこのことを逆手にとって母さんとあいつの仲を清算させることだってできるか
もしれないんだ」

「そんなの無理だよ」

 ずいぶんと非現実的な考えに思える。現実主義者のお兄ちゃんがそんな夢のようなこと
を本当に考えているのだろうか。

「無理じゃないよ。妹ちゃんはファミコンかもしれないけど、あいつだって自分の娘のこ
とが大好きだって言ってたじゃないか」

「それは本当みたい。お兄さんもそんなことを言ってたし」

 妹ちゃんのパパが何よりも大切なものは妹ちゃんらしかった。多分、あたしのママを愛
するよりももっと深く。パパは妹ちゃんのママよりもあたしのママを選んだのかもしれな
いけど、それでも彼にとって一番大切なのは妹ちゃんであることをあたしは疑っていなか
った。

「だったら僕が悪者になって、母さんを奪い家庭を壊したあんたへの復讐のために、あん
たの娘を弄んで傷つけるぞって言ったらどうなる?」

「妹ちゃんにお兄ちゃんと別れるように言うだけだと思う」

「そんなこと言えるかよ。そしたら僕が不倫のことを妹ちゃんにばらすってわかってるの
にさ」

 意外と現実的にありえる話なのだろうか。少なくともお兄ちゃんは自身ありげだ。

「じゃあどうなるのよ」

「妹ちゃんのためなら浮気な恋愛遊びなんか諦めるだろうさ。そしてその方が母さんにと
ってもいい。あんな男に弄ばれて家庭を壊すような馬鹿なことをしでかすより」

「妹ちゃんのパパがお兄ちゃんの言うとおりにしたら。そしたらお兄ちゃんは妹ちゃんの
ことはどうするのよ」

「それは・・・・・・」

 お兄ちゃんが目を逸らした。そのときあたしはお兄ちゃんの考えていることが全て理解
できた。あたしが目を逸らしていただけだ。そんなことはお兄ちゃんに片想いしていた頃
からわかっていたことだったのに。

 お兄ちゃんはやっぱり妹ちゃんのことが好きじゃないのだ。お兄ちゃんが救いたいのは
本当は妹ちゃんじゃない。





868:NIPPER:2013/11/27(水) 22:28:50.00 ID:cHjlU9dDo

 もう無理だった。今までは意識して考えないようにもし、口に出すなんてもってのほか
だと思って自分の中に封じ込めていたこと。

「お兄ちゃんの初恋の人ってママだったよね?」

 いつも自信に満ちていたお兄ちゃんがうろたえたところを見たのは初めてだったかもし
れない。

「・・・・・・何言ってるんだ。おまえは」

「ようやくわかったよ。普段ならお兄ちゃんはこんなひどいことを考える人じゃなかった
もん」

「おまえの言っていることは意味わかんないよ」

「普段のお兄ちゃんなら妹ちゃんを利用して使い捨てるようなことはしないでしょ」

「今の俺だって使い捨てるとか利用するとか考えているわけじゃない」

 あたしはお兄ちゃんの弁解に構わず話しを続けた。もう今まで自分に課してきたたがが
はずれたのだ。

「お兄ちゃんが我が家を守ろうとしてくれたことは確かだと思うけど。でもお兄ちゃんが
本当にしたいのはママをお兄ちゃんの元に取り戻すことでしょ」

「僕の元じゃない。僕たちの元、僕たちの家族に母さんを取り戻したいだけだよ」

「・・・・・・それって違うよね? あたしとかパパなんてお兄ちゃんにとってはどうでもいい
んだよね。ママがお兄ちゃんのところにいればそれでいいんでしょ」

「おまえ。何の根拠があって」

「パパとママは今回のことが起きる前だってあまり仲がよくなかったでしょ。あたしはそ
のことが悲しかったけど、お兄ちゃんはそのことには全然悩んでいなかった」

 お兄ちゃんは再び黙ってしまった。

「お兄ちゃんが悩みだしたのは、ママに好きな人ができてからじゃん」

「黙れ」

「これ以上、お兄ちゃんのすることには協力できない。妹ちゃんはあたしの親友なの」

「おまえはお兄さんが好きなんだろ? お兄さんと付き合いたいんだろう」

「だから?」

「そのためにはあの度を越えたブラコンの妹ちゃんの気持を僕に向けないと、おまえはお
兄さんとは付き合えないよ」

 あたしは不意を打たれて黙ってしまった。お兄ちゃんは妹ちゃんの気持を楽観的に捉え
ているのだと思っていたけど、実はそうではなく妹ちゃんが好きなのはお兄さんだと最初
から見抜いていたのだろうか。

「もうすぐシャチのショーが始まるんだ」

 自分を取り戻したらしいお兄ちゃんが冷静に言った。「見に行くぞ」

「シャチなんか見たくない」

「いいから行くぞ。あそこで妹ちゃんたちを捕まえる」

 お兄ちゃんはもうあたしの方を気にせずに歩み去ってしまった。





877:NIPPER:2013/11/30(土) 23:00:56.43 ID:50yeFttko

<いさかい>




 後ろの方の席にあたしたちが会話も交わさずに座ったときにはもうシャチのショーは始
まっていて、彼らは派手な水音を立てて空中からプールにその巨体を投げ込んでいた。そ
のとき周囲の観客の歓声の渦の向こうに寄り添ってはしゃいでいる一組の仲の良さそうな
カップルが目に入った。遠目に見えたお兄さんと妹ちゃんの姿は急にクローズアップされ
て見えた。

 二人は最前列から数列下がった席に座っていた。多分並んだ列の最初の方には間に合わ
なかったのだろう。そのためシャチが作る水しぶきが前列の観客を直撃したときも、二人
はそのしぶきの直撃を受けずにすんだようだった。

 妹ちゃんがお兄さんに寄り添うように、寄りかかるように甘えている。その姿は妹ちゃ
んを信じ始めていたあたしを動揺させた。それは付き合い出したばかりの初々しい様子で
もなく、お互いに慣れきってしまった恋人同士でもなく、一番お互いに傾倒しているとき
の恋人同士の親密さを思わせるような様子だった。

「あいつら。ふざけやがって」

 隣を見るとお兄ちゃんが険しい様子で向かいの席の方を睨んでいた。お兄ちゃんもあの
二人の様子に気がついていたようだった。

「落ち着きなよ」

「僕は落ち着いているよ」

「嫉妬したの? 妹ちゃんとお兄さんの仲のいい様子に」

「ばか言え」

「そうだよね。お兄ちゃんは妹ちゃんじゃなくてママのことが大好きなマザコンだもんね」

「黙れ。誰がマザコンだよ」

「誰って。知り合いにはお兄ちゃん以外にマザコンなんかいないし」

「いい加減にしろよ。何でおまえはあれを見て落ち着いていられるんだよ。あのばか兄貴
のことが好きなんだろ」

「お兄さんのこと、ばか兄貴なんて言わないでよ」

「悪かったよ。そうだな。お兄さんにはおまえが一番似合っているよ」

「そ、そんなこと言ってない」

「とにかく、あれはないだろ。あいいつらは実の兄妹なのに、何であんなにベタベタして
るんだよ」

「妹ちゃんたちは仲良しだからね」

「限度ってものがあるだろ。仲良しの兄妹にしたって」





878:NIPPER:2013/11/30(土) 23:02:32.63 ID:50yeFttko

 正直に言えばあたしもお兄ちゃんと同じ想いを抱いていたのだ。それでも今はママだけ
を大切に思いママだけを求めているであろうお兄ちゃんへの反発だけがあたしの心を支配
した。本当はお兄ちゃんだけではなくあたしだって妹ちゃんがお兄さんにしなだれかかっ
ている仲睦まじい様子に動揺していたのに。

「残念だったね。あたしが邪魔するまでもなくお兄ちゃんなんか妹ちゃんには全然相手に
されてなかったみたいじゃない。まあマザコンの男の子なら女の子を口説いったってこん
なものか」

 突然、左頬に痛みを感じたあたしは驚いてお兄ちゃんを見た。

「あ・・・・・・。悪い。そんなつもりじゃ」

「お兄ちゃんぶったね。あたしのこと」

「違う。っていうかぶったかもしれないけど違うんだ」

「ごめん。てかそうじゃないんだ。思わず手が出て」

「もういい。お兄ちゃんがあたしや家族のことをどう思っていたのかよくわかった」

「悪かったって。たださ、家族のためにしているのに何でおまえはわかってくれないんだ
よ」

「ママさえ一緒にいればいいんでしょ? お兄ちゃんは」

 その後、しばらく不毛な兄妹喧嘩が続いた。

「もういい」

 あたしはシャチのショーが行われている会場から抜け出した。こんなやつと一緒にいた
くない。あたしはそのときそう思ったのだ。

 しばらく行く末もなく、周囲の水槽を飾っている珍しい魚類も目に入らないまま水族館
の中を徘徊していた。頭の中をかき回すような感情が少し収まってくると、あたしは現実
的な心配を考えるようになった。

 どこかで妹ちゃんたちと落ち合わなければならない。昼食やこの後に行くところを考え
るといつまでも別行動というわけには行かないのだ。とはいえ全員で集まるどころかあた
しは今では一人でいる。こんな状態でいったいどうすればいいのだろう。後ろからお兄ち
ゃんが付いてきていないことを確かめてから、あたしは小さなカニとか小エビとかがいる
人気のない地味な水槽の前のベンチに腰を下ろした。電話するしかないか。そう思ってス
マホを取り出したとき、不在着信が入っていることに気がついた。妹ちゃんからだ。





879:NIPPER:2013/11/30(土) 23:03:45.16 ID:50yeFttko

 かけなおすとすぐに妹ちゃんが出た。

「うん、あたし。もう、さっき電話したのに出ないんだもん」

「ごめん。気がつかなかった。お兄さんは一緒にいるの?」

「うん、そうだよ。シャチのショーをお兄ちゃんと二人で見てたの。妹友ちゃんは?」

「あたしもシャチのショーを見てた」

「え。会場にいたんだ。わからなかったよ」

「まあすごく混んでたから」

「でさ。そろそろ爬虫類パークに移動したいんで、出口で待ち合わせしようよ」

「うん・・・・・・。でもお兄ちゃんがどこにいるかわからない」

「へ。彼氏君と一緒じゃなかったの?」

「まあそうかな」

「じゃあ、彼氏君に電話して。どこかでお昼食べてから爬虫類パークに行くから」

「ええとね。あの」

「よろしくね」

 あたしがお兄ちゃんと喧嘩したことを伝えようとする前に、妹ちゃんは電話を切ってし
まった。とりあえず妹ちゃんたちと合流するほかに選択肢はなかった。あたしはシャチのショーの
看板が飾られていた入り口の方に向った。

「やっと会えました」

 妹ちゃんがあたしの微笑みかけた。それは何の後ろめたいこともない素直な表情だった。
それはさっきお兄さんとはぐれてパニックになった妹ちゃんとは思えないほど、いつもど
おりの態度だ。

「ごめん。ちょっとトラブってて」

「何かあったの」

 ここで嘘を言ってもしかたがない。お兄ちゃんと合流すればお互いの態度でばれてしま
うだろうから。

「ああ、別にたいしたことじゃないんだけどさ。ちょっとつまらないことでお兄ちゃんと
喧嘩しちゃって」

「何で喧嘩なんかしたの? いつもは仲がすごくいいのに」

 妹ちゃんには言われたくなかった。たとえ彼女がお兄ちゃんに狙われている犠牲者だと
しても。お兄さんの前ではそういうことを言われたくない。

「・・・・・・別に」

「妹友ちゃん?」

「別に妹ちゃんが心配することじゃないよ」

 思ったより温度が低い声になってしまったかもしれない。





880:NIPPER:2013/11/30(土) 23:05:09.70 ID:50yeFttko

<妹への不信>




「それにしても今はぐれてるのはまずいよな。ただでさえ混み合ってるんだしさ。さっさ
とここを出て昼飯食って、爬虫類何ちゃらとかに行かないと。まあ、爬虫類を諦めるなら
別に急ぐ必要はないけど」

「そんなわけないでしょ!」

 思わず口に出した言葉に妹ちゃんの声が重なった。昔から妹ちゃんとは趣味が被ってい
て、それがあたしと彼女を親友にした一因だったのだ。

「・・・・・・こわ。つうかそれなら誰か彼氏君と連絡を取れよ」

 お兄さんが呆れたように言った。

「あたしはお兄ちゃんと喧嘩しちゃって気まずいから。妹ちゃんお願い」

「あ・・・・・・。ごめん妹友ちゃん。あたし彼氏君の携番もメアドも知らないの」

「え? 何で」

 嘘付け。あたしは共通の趣味のことを一瞬で忘れるくらい腹が立った。そもそも登校
デートとか図書館デートのときに二人はメアドを交換し合っていたはずじゃない。何で今
さらそんな嘘をつく必要があるのだろう。お兄さんにを使ったのだろうか? いや。それ
ならこの旅行の前半にお兄ちゃんといちゃいちゃするところをお兄さんに見せ付けること
自体がおかしい。あたしには妹ちゃんが何を考えているのかわからなくなってしまってい
た。

「何でって・・・・・・」

 妹ちゃんは追い詰められたように口ごもった。

「付き合ってるのに何でそんなことも知らなかったの?」

「うん」

「何でよ?」

「別に理由はないけど。何となく」

「・・・・・・よくそれで今までお付き合いできてたね」

「それは・・・・・・」

「信じられない。お兄ちゃんの彼女なのにお兄ちゃんと連絡手段さえないなんて」

 あたしは間違っている。いくら姑息な嘘を言っているにしても、この鬱憤は妹ちゃんに
ではなくお兄ちゃんに晴らすべきなのだ。でもお兄さんを前にして今さら取り繕う妹ちゃ
んの姿にあたしは失望していたのだ。

「多分、彼氏君のほうも同じじゃねえか」

 お兄さんが少し気まずそうに間に入って言った。

「そんなはずないです。お兄ちゃんに限って」

「姫さあ。おまえ彼氏君に携番とかメアド教えたの」

「教えてない。妹友ちゃんが教えてなければ多分彼氏君もあたしの連絡先は知らないと思
う」

「あたしが勝手に教えるわけないでしょ」

 妹ちゃんの自分勝手な憶測にあたしはむっとした。

「じゃあ彼氏君も妹の連絡先を知らないんだな。仕方ない。妹友、おまえが彼氏君に電話
しろよ」

「あたしはお兄ちゃんと喧嘩して」

「このまま彼氏君を放置して出発するわけにもいかねえだろ」

「・・・・・・それはそうです」

 現実的に考えればそれは正論だった。こんなところでどんなに待っていたとしてもお兄
ちゃんと出会えるとは思えないし、いくら喧嘩をしたとしてもお兄ちゃんだけここに置い
ていくわけにはいかない。





881:NIPPER:2013/11/30(土) 23:05:43.13 ID:50yeFttko

「じゃあ頼むから彼氏君に連絡して出口で待っていると伝えてくれ」

「わかりました。お兄さんの頼みならしかたないです」

 妙な沈黙の中、あたしはお兄ちゃんに電話した。数コール後にお兄ちゃんが電話口に出
た。

「お兄ちゃん?」

 お兄ちゃんは何も言わなかった。とにかく用件を言わなければ。

「電話切らないで。お兄さんと妹ちゃんと合流したからお兄ちゃんもすぐに出口に来て」

「だから。あたしたちの喧嘩で妹ちゃんたちに迷惑はかけられないでしょ。とにかくすぐ
に来て。食事して爬虫類パークに行くんだって」

「爬虫類か。そこに行くのか」

 お兄ちゃんの声が耳に響いた。

「うん、そう。喧嘩の相手は夜になったらまたしてあげるから」

「何だって?」

「すぐに来るそうです」

「おまえら。何で喧嘩なんかしたの?」

「それはお兄さんにだけは言われたくないです」

 妹ちゃんはさっきから関心がない風だ。

「何でだよ」

「言いたくありません」

 少ししてお兄ちゃんが姿を見せた。気後れしている様子さえ見せずに。

「彼氏君」

「妹ちゃん、遅れてごめん」

「それは別にいいけど」

「じゃあ、行きましょう。誰かさんが遅れたせいでだいぶ時間を食ってしまいました」

「・・・・・・うるせえ」

 お兄ちゃんがあたしの方を見ずにそう言った。





882:NIPPER:2013/11/30(土) 23:06:57.74 ID:50yeFttko

 その後の妹ちゃんはうざいくらいにお兄さん大好きモードに突入っしてしまっていて、
お兄ちゃんの自分勝手な行動や目的には賛同できないあたしも少しお兄ちゃんがかわいそ
うになったくらいだった。水族館以降、お兄さんの車の助手席には妹ちゃんが当然のよう
に座った。喧嘩したあたしとお兄ちゃんを並べて後部座席に座らせることに対して、妹ち
ゃんは気を遣う気すらまるでないようだった。その座席順は妹ちゃんだけが盛り上がって
お兄さんが当惑した様子で、あたしとお兄ちゃんが沈んできたばかりだった食事を終えて
も変わらなかった。

 当然ながらあたしとお兄ちゃんは後部座席ではお互いに目も合わず、なるべくお互いか
ら離れて座るようにしていた。

「遅くなったけど爬虫類パークに行こう」

「ああ」

 お兄さんが答えた。

「妹友ちゃん、そろそろ出発しようよ」

「うん。イグアナ楽しみだなあ」

 あたしは平静を装って言った。

「理解できん」

「何でよ?」

「お兄さんも実際に見ればあの可愛らしさがわかりますよ」

「ヘビの仲間の可愛さなどわかりたくもないわ」

「・・・・・・絶対に爬虫類好きにさせてやるから」

 このときのあたしの心境は複雑だった。お兄ちゃんの身勝手な行動を擁護することはで
きない。でも、それは妹ちゃんが本心ではお兄ちゃんのことを好きであるということが前
提になる話だ。お兄さんと妹ちゃんは共依存だとあたしは思っていた。お兄さんは妹ちゃ
んのことを愛していると自分では思い込んでいたかもしれないけど、それは共依存の関係
がお兄さんの思考を歪めていただけなのだ。

 お兄さんの告白を拒否した妹ちゃんは自分の拒絶により大切な兄を失ったと思い込み、
そのことに後悔と責任を感じている。それも共依存のなせる業だ。

 両親が留守がちな家庭で二人きりで育った兄妹がお互いへの依存を深めて行くこといつ
いては、あたしが一番よく知っている。そしてそういう心の傾斜は往々にして対象への愛
情と間違えることになるのだ。あたしはそれを克服した。でも妹ちゃんがまだそのことを
克服できずにいるとしたら。

 お兄ちゃんの計画なんて成り立たない。成り立たないこと自体は別に構わないというか
望ましいことなのだけど、あたしのお兄さんへの愛もまた報われないことになるのだろう
か。

 さっきのお兄ちゃんの言葉が頭に浮かんだ。



『おまえはお兄さんが好きなんだろ? お兄さんと付き合いたいんだろう』

『そのためにはあの度を越えたブラコンの妹ちゃんの気持を僕に向けないと、おまえはお
兄さんとは付き合えないよ』





883:NIPPER:2013/11/30(土) 23:07:27.99 ID:50yeFttko

<あたしではだめですか>




 爬虫類パークは大混雑していた。そもそもチケット売り場に並ぶ以前に、駐車場に入る
のを待つ車の長い列ができていた。

 さっきからイグアナを楽しみにしてる妹ちゃんに話しをあわせていたものの、今のあた
しの関心事は決して爬虫類の類いなどではなかったから、あたしはこの長い車列を見ても
別にどうとも思わなかった。結局、時間節約のために駐車場待ちをしている間に平行して
チケット売り場に並ぶことになり、妹ちゃんとあえて志願したお兄ちゃんが車を降りて行
った。

 お兄さんと車内に取り残されたあたしは後部座席から助手席に移りたかった。でも夜明
けの海岸では何でもできたはずのあたしは、今では何もできなかった。妹ちゃんのお兄さ
んへの好意がより明白になった今では。その代わりにあたしはお兄さんに共依存の説明を
した。冷静に話しているつもりだったけど途中から思い入れも入って相当失礼なこと言っ
てしまったと思う。でもお兄さんは真面目に聞いてくれた。



「薬物依存みたいな悲惨な例とはちがうでしょうけど。根本的には同じじゃないですか」

「それだけの関係なら、何で妹ちゃんはさっきあたしたちが姿を消しただけでパニックに
なったんですかね」

「両親が不在がちな環境。寂しがり屋で家族大好きな妹ちゃん。そんな妹ちゃんが側にい
てくれる唯一の肉親であるお兄さんに依存したって別に変な話じゃないですよね」

「そして。お兄さんも妹ちゃんが大好きだった。それが妹への肉親的な感情なのか男女間
の愛情なのかは別として」

「それでも、お兄さんにとっては妹ちゃんのそんな依存が嬉しかったんでしょ? それが
唯一の生き甲斐になるくらいに」

「そうしてお兄さんと妹ちゃんの共依存の関係が始まった。妹ちゃんはお兄さんに依存し
て心の平穏を得た。お兄さんは妹ちゃんの心の平穏を保つことに自分の生き甲斐を感じて
きた」

「ね? 見事に教科書どおりの共依存関係が成立しているじゃないですか」

「さっきも言いましたけど。共依存は決して精神的に健全な状態ではないと言われています」



「おまえの言うとおりだとしてさ。俺はどうすればいいんだよ」

 お兄さんが打ちのめされたような暗い表情で言った。

「お兄さんも彼女を作ればいいんじゃないですか」

「何でそんな極端な話になるんだ」

「一生独身で妹の幸せを見守るなんて真顔で言っていること自体が共依存の典型的な状じ
ゃないですか。妹ちゃんにはお兄ちゃんがいます。お兄さんもいっそ女さんと復縁したら
どうでしょう」

「・・・・・・女のことは自分でもどうしたらいいのかわからん」

「じゃあ、あたしでは駄目ですか?」

 そのとき、あたしがようやく勇気を振り絞ったその問いに対する答を聞くことはできな
かった。妹ちゃんとお兄ちゃんがチケットを入手して帰ってきたのだ。





884:NIPPER:2013/11/30(土) 23:08:08.99 ID:50yeFttko

 普段なら本気ではしゃいでいたはずだったけど、実物のイグアナを見ても少しも心がと
きめかなかった。爬虫類パークではあたしは爬虫類を眺めるのに夢中な妹ちゃんと行動を
共にしていたから、あたしは無理に喜んでいる様子を装うことが精一杯だった。

 妹ちゃんが土産物屋でガラパゴスオオトカゲのぬいぐるみを前に唸って悩んでいたので、
少し休もうと思って自販機の前の休憩スペースに行くと、ベンチにお兄さんが腰かけてい
た。さっきの答が聞きたかったけどこんなところで催促するわけにもいかない。

「おう。おまえお土産買ったの?」

「ええ、まあ」

「ガラパゴスなんちゃらか」

「あれは大き過ぎます。何せ等身大だそうですから」

「そうか」

「あたしは諦めましたけど、妹ちゃんはまだ悩んでましたよ」

「あんなでかいぬいぐるみ、そもそも車に乗せられないだろうが」

 お兄さんのあたしに対する気持は聞けないので、あたしはさっきから心の片隅に引っか
かっていた小さな疑問をお兄さんにぶつけた。

「さっきは妹ちゃん、何でお兄ちゃんに電話しなかったんでしょうね」

「番号を知らなかったからだろ」

「そんな訳ないです。妹ちゃんはお兄ちゃんの携番とメアドは登録していますよ」

 知らないわけがない。二人は登校デートとか図書館デートのときだってお互いにメール
で打ち合わせをしていたはずだ。

「どういうこと?」

「さあ? 共依存にしても行き過ぎてますよね」

「何であそこまでお兄ちゃんに拒否反応を示すんでしょうね」

「さあ?」

「お兄ちゃんのことが嫌いなのかな」

「でもさ。図書館デートのときなんて彼氏君と妹は恋人つなぎして寄り添ってたし」

「結局、お兄さんがいない場合に限って、妹ちゃんはお兄ちゃんに素直に寄り添えるんで
すよね」

 思わずそう口に出したあたしは、喋ってしまってから改めてはっとした。意外にこれが

正しいのかもしれない。

「何だよそれ」

「いったいどっちが妹ちゃんにとって正しい姿なんでしょうね。お兄さんに依存している
妹ちゃんか。お兄ちゃんと普通に恋人同士ができている妹ちゃんか」

「何かよくわからんけど」

「わからないじゃなくてそろそろ考えた方がよくないですか? どっちが妹ちゃんにとっ
て幸せなのか」

 それは不公平でありよけいなことだった。今となっては本当はこの言葉はお兄さんに言
うのではなく妹ちゃんの方に言うべきなのだから。でもお兄さんは意外な言葉を口にした。

「あのさ。おまえ本当に俺のこと好きなの?」

「好きですよ」

 あたしは迷わず即答した。自分からは言うまいと思っていたけどお兄さんの方から口に
するなら話は別だ。





885:NIPPER:2013/11/30(土) 23:09:19.02 ID:50yeFttko

「即答かよ」

「常にそのことだけを考え続けてましたから」

「嘘付け」

「まあ嘘ですけど。でもイグアナのことを考える合間にお兄さんのことも考えてました。
これは本当です」

「俺はイグアナの次かよ」

「あたしがあんまり思いつめちゃったらお兄さんだって嫌でしょ」

「・・・・・・おまえ思ってたより気を遣えるやつなんだな」

「何ですかいきなり」

 何だか少しだけ心が温まった。少なくともお兄さんはあたしの告白を茶化さずに真剣に
考えてくれているようだったから。それだけでもあたしには収穫だった。共依存について
は多分これ以上お兄さんに話しをする必要はないのだろう。むしろ、それは妹ちゃんに話
すべきなのだ。もちろん、実際にそんなことをできる勇気は持ち合わせていなかったけど。

 次の瞬間、少しだけリラックスした時間をお兄さんが台無しにした。

「まあ、でもさ。兄貴のことを忘れるために次の恋を見つけようとしてるんだったら考え
直した方がいいぞ」

「え」

「実際にそれをやってさらに傷口を深くした俺が言うんだから間違いない」

「・・・・・・お兄さんのばか」

 何を言ってるの。何でわかってもらえないのだろう。

「ばかって」

「クズ、鈍感、ロリコン、シスコン! もう知らない」

 あたしはパニックになりお兄さんに考え得る限りの罵倒を投げつけ、そしてあたしはそ
の場を逃げ出した。





890:NIPPER:2013/12/03(火) 22:25:41.88 ID:C4ok9ZQlo

<妹の怒り>




拗ねていたあたしはさっきとは逆にお兄ちゃんからの電話で呼び戻された。逃げ出した
ことに後悔し始めていたこともあったし、集団行動を乱すわけにはいかないこともわかっ
ていた。さっきもお兄ちゃんにはそう言った手前もあったし。

 妹ちゃんは何の気まぐれかわからないけどお兄ちゃんが座っていた後部座席に入ってい
た。何でそうなんだろう。妹ちゃんは自分の行動がお兄さんとお兄ちゃんを惑わせている
と考えたことはもないのだろうか。彼女はあたしの唯一の親友だった。でも今の妹ちゃん
が自分の感情だけを優先していて、他者の感情を慮っていないことを認めないわけにはい
かなくなってきた。

 お兄さんとお兄ちゃんを競わせ自分への愛情を試しているかのような彼女の行動。

 お兄ちゃんについては自業自得とも言える。ママへの思慕から妹ちゃんを利用しようと
しているのだから。でもお兄さんはどうなるのだ。以前はともかく今のお兄さんは純粋に
妹ちゃんを家族として慈しもうとしているのだけど、妹ちゃんの行動はそう決心したお兄
さんをいたずらに刺激するだけだ。わざとしているのだとするとたちが悪い。

 それでもお兄さんの隣に座れたことは幸運だった。あたしはお兄さんに謝罪しお兄さん
は苦笑した。あんなことくらいで動揺してはいけなかったのだ。お兄さんにとってはさっ
きの発言は無理もないとあたしは思えるようになってきた。妹ちゃんに振られ実際につら
い思いをしたことは確かだったのだから。

「さっきはごめんな。勝手におまえの行動の意味を決め付けるようなこと言って」

 お兄さんが車を運転すながらそう言った。

「あたしこそひどいことを言ってごめんなさい。それに出会い方がああだったからお兄さ
んには誤解されてもしかたないです」

「悪い」

「でも今朝、夜明けの海岸で話したことは嘘じゃないです。それだけは信じて欲しかっ
た」

「今さらだけどわかったよ」

「よかった」

 あたしは勇気を出して片手ハンドルで運転していたお兄さんの左手に手を重ねた。

「ちょっとさあ」

「大丈夫です。妹ちゃんからは見えません」

「・・・・・・うん」

「大丈夫ですよ。こんなことでお兄さんに選んでもらおうなんて考えていませんから」

「別にそんなこと考えてたわけじゃねえよ」

「何か急がなくてもいいような気がしてきました。妹ちゃんとの関係とか女さんとかお兄
さんはゆっくり考えたらいいんじゃないかと思います」

 半ば自分に言っていたのかもしれないけど、あたしの言葉にお兄さんは素直に納得して
くれたようだった。

「そうだな」

 お兄さんが前を見つめながらそう言った。

「それで少しでもいいからあたしのことも候補に入れておいてください」

「・・・・・・わかった」

「お兄さんと仲直りできてよかった」

「やっと笑ったな」

 前方を見つめて運転しながらお兄さんが言ったその言葉にあたしは何でかほっとした。

「へへ。あまり顔を見ないでください。さっき少し泣いちゃったから変な顔してるでし
ょ」

「全然変じゃねえよ。むしろ可愛い」





891:NIPPER:2013/12/03(火) 22:26:23.95 ID:C4ok9ZQlo

 あたしの顔は赤くなっていたと思う。

「いやそのだな」

「でも、前向いてください。よそ見運転はだめです」

「確かに」

もう時間的には熱帯植物園を回る時間はなさそうだった。既に夕食の心配をしなければ
ならない時間だ。

「妹ちゃん。これからどうする? 熱帯植物園に行くのは無理っぽいって」

 お兄さんが無理だと言っているのだから無理なのだろう。それでもあたしは念のために
妹ちゃんに声をかけた。妹ちゃんは返事をしなかったのであたしの言葉は宙に浮いたまま
だった。そのとき、妹ちゃんの態度にお兄さんが少し顔をしかめたようだった。

「妹ちゃん、呼んでるよ」

 お兄ちゃんが妹ちゃんに声をかけたけど、妹ちゃんはそれを無視した。続いてお兄さん
もたしなめるように妹ちゃんの名前を呼んだ。お兄さんの言葉に初めて妹ちゃんは反応し
た。

「・・・・・・あたしのこと、もう姫って呼ぶのやめたんだ」

 車内の空気が凍りついた。でも、それであたしは自分が本当に恐れ心配していたことが
何なのかはっきりと思い知らされた。それは知らないほうが心穏かだったことだたろう。
妹ちゃんの声を聞いたとき、あたしの胃がきりきりと痛み、あたしの足は意思に反して震
えた。

 妹ちゃんの心をお兄ちゃんに向けようと足掻いていた頃からあたしの目標はお兄さんだ
った。お兄さんが妹ちゃんを一方的に好きで、そのお兄さんの好意により妹ちゃんは心を
乱されているのだとあたしはずっと考えてきた。お兄さんが身を引けば妹ちゃんは自然と
落ち着きを取り戻し、側にいるお兄ちゃんのことを見るようになるだろうと。

 ただし、妹ちゃんは自他共に認めるほどのファミコンだった。だからお兄さんの自分へ
の恋愛感情を退けた彼女は、そのことに拗ねたお兄さんが兄貴として振る舞うことさえ放
棄して突然一人暮らしを初めて連絡を絶ったことにすごくショックを受けていたことは間
違いなかった。

 だからあたしは、お兄さんに接近してお兄さんに妹ちゃんへの恋愛を諦めさせ、かつ良
い兄として振舞うよう働きかけたのだ。そのためにはなりふり構わずに。その甲斐あって
か、お兄さんは良い兄としてだけ妹ちゃんを悲しませないように振る舞うと約束してくれ
て、実際にそれを実行してくれた。彼女まで作ってしまったののは少し誤算ではあったけ
ど、当時のあたしは別に本気でお兄さんに惚れていたわけではなかったから、それは正直
どうでもよかった。

 でも、お兄さんのことが気になるようになり、やがて自分の中の恋心をはっきりと自覚
してからのあたしは、以前にましてお兄さんだけを見るようになった。お兄さんのあたし
への態度や妹ちゃんへの態度に一喜一憂するようになっていたのだ。さっきのお兄さんの
言葉に過剰に反応してお兄さんの前から逃げ出したのだってそれが理由だった。





892:NIPPER:2013/12/03(火) 22:26:56.13 ID:C4ok9ZQlo

 でもあたしは間違えていたのだ。今この耳に届いた妹ちゃんの言葉を聞くともうそうと
しか考えられなかった。あたしが自分の恋を成就するに当たって警戒すべきはもうお兄さ
んの気持ではなく妹ちゃんの気持なのだろう。

『・・・・・・あたしのこと、もう姫って呼ぶのやめたんだ』

 自分の兄貴から姫って呼ばれることを妹ちゃんは嫌がっていたはずだ。少なくとも人前
でそう呼ばれることに抵抗があるのだとあたしは思い込んでいたのだけど、その思い込み
は一瞬で吹き飛んでしまった。

 もう認めざるを得なかった。この兄妹は兄が妹を溺愛しているのではなく妹が兄を求め
ているのだ。それも男女的な恋愛的な意味で。

 はっきりとそう悟ったそのとき胃のむかつきとがくがくしていた足の震えが止まった。

 考えてみれば今のあたしは今までで一番自由だった。もうマザコンのお兄ちゃんに手を
貸す必要はない。そして既にお兄さんは恋愛的な意味では妹ちゃんを諦めている。それな
ら話は簡単なことじゃないか。妹ちゃんは確かに可愛いし、こういう一見清楚に見える女
の子を好きな男の子には魅力的かもしれない。でもそういう意味ならあたしだって負けて
はいないはずだ。少なくともこれまで男の子に声をかけられ告白された人数を考えれば。

 それにお兄さんが妹ちゃんのことを諦めている以上、多分妹ちゃんはもうあたしの敵で
はないのだ。



「ファミレスにでも寄って行くか」

 それきり妹ちゃんが黙ってしまったので、お兄さんがそう提案したけど、妹ちゃんの言
葉のショックから立ち直りだ出していたあたしはとっさに提案した。

「・・・・・・いえ。スーパーに行きましょう」

「だって」

「ちゃんと妹ちゃんと話してみます。最悪の場合でも、あたしが一人で料理しますから」

 もうちゃんと話なんかできなくてもいいのだ。

「・・・・・・いいのか」

「ええ。あたし、こう見えても料理得意なんですよ」

「そうなん?」

「うちもお兄さんのお家と一緒で両親は共働きですし、料理は慣れてますから」

「じゃあ。おまえがいいならスーパーに行くか。最悪の場合は俺も手伝うから」





893:NIPPER:2013/12/03(火) 22:27:26.37 ID:C4ok9ZQlo

<あたしはもうお兄さんのことだけを考えるようにした>




 スーパーであたしはお兄さんと二人で買物をした。それは妹ちゃんが拗ねてさっさとど
こかに消えてしまったおかげだった。予想どおりお兄さんも妹ちゃんの後を着いていって
しまった。さっき妹ちゃんの言葉にショックを受けたあたしには、お兄さんと二人きりの
買物は時宜を得たプレゼントだった。まるで新婚の夫婦のように軽口を叩きあいながら
カートを押して夕食の食材を買って歩けたのだから。

「お兄さんと一緒にお買物とかって、何か新婚の夫婦みたい」

「・・・・・・変なこと言うなよ」

「そうですよね。ごめんなさい」

 全然すまなそうに見えなかっただろうけど、あたしは一応そう言ってみた。

「これにしようか」

「それはアジの開きです。でも、明日の朝ご飯用に買っておきましょうか」

「朝食に?」

「ええ。お兄さんは朝は和食派でしょ?」

「朝もおまえが作ってくれるの」

「はい。妹ちゃん次第ですけど」

「悪いな」

「ううん。今朝は妹ちゃんに作ってもらっちゃったし、お料理は好きですから」

 そうやってスーパー内をうろうろしていると、お菓子売り場の隅で何やら言い合ってい
るお兄ちゃんと妹ちゃんを見かけてしまった。せっかくあの二人のことは忘れていたのに。
再び胃の底が重くなっていく。でも次の瞬間、お兄さんの言葉を聞いたあたしはその憂鬱
から解放された。

「お兄ちゃんと妹ちゃんが何か言い合ってますね」

「どう考えても喧嘩だな」

「止めますか」

「・・・・・・いや。放っておこう」

「お兄さんが妹ちゃんのこと放っておくなんて珍しい」

「痴話喧嘩に兄貴が入ってもな」

「まあそうですけど・・・・・・」

「兄貴のことが心配か?」

「・・・・・・そうじゃないですけど。まあ、でもそうですね。心配したってしかたないか」

「行こうぜ」

 お兄さんに促されたあたしは再び軽い気持ちになって、カートを押すお兄さんの片腕に
掴まりながらレジに向った。





894:NIPPER:2013/12/03(火) 22:28:16.55 ID:C4ok9ZQlo

 あたしの用意した穴子丼がお兄さんには好評だったことと、どういうわけか妹ちゃんが
あたしに歩み寄ってきて仲直りしたことでより気軽になったあたしだったけど、就寝の時
間になりお兄ちゃんと二人きりになると、再びあの嫌なストレスに包まれた。今まで以上
にお兄ちゃんは負のオーラをまとっているように見える。

「電気消していい?」

 お兄ちゃんは答えなかった。

「ねえ? 聞いてるの」

 お兄ちゃんは隣の布団に仰向けに横になって天井を見つめていた。

「・・・・・・うるさいなあ。消したきゃ勝手に消せよ」

「じゃあ消すね。おやすみなさい」

「なあ」

 でもお兄ちゃんはあたしをそのまま寝かせてくれるつもりはないようだった。

「・・・・・・どうしたの」

「妹ってやっぱり兄貴のことが好きなのかな」

 それはそうかもしれない。でもあたしは黙っていた。正直、もうお兄ちゃんのマザコン
故の卑劣な企みになんか加担したくなかった。あたしがこれまで妹ちゃんをたきつけてま
でお兄ちゃんの味方をしていたのは、お兄ちゃんが純粋に妹ちゃんに恋焦がれていると考
えたからなのだ。今では全く状況が違うし、そもそもあたしにだって優先すべきことがで
きたのだし。

「さっきスーパーで妹ちゃんと喧嘩しちゃったよ」

「喧嘩って?」

 関わるべきではないと思ったけど、妹ちゃんが何でお兄ちゃんを怒ったのか知りたくな
ったあたしは返事をしてしまった。

「約束を破るなんて最低だって言われたよ。兄貴の前だけでは付き合っている振りはしな
いって約束したでしょって」

「それはおかしいでしょ。旅行が始まってからは妹ちゃんの方からお兄ちゃんに近づいて
いたのに」

「僕もそう思ってたよ。それで有頂天になっていた。やっぱり付き合う振りをしているん
じゃなくて、本当は僕のことが好きなんじゃないいかってさ」

 付き合う振り。

 あたしがお兄さんの気持を計りかねていた妹ちゃんに勧めたことがそれだった。お兄ち
ゃんと付き合う振りをしてお兄さんが嫉妬するか確かめてみればいいじゃないって、そう
勧めたのは確かにあたしだ。でも、そのことはお兄ちゃんには秘密にしていたはずなのに。
妹ちゃんがお兄ちゃんにばらしてしまったのだろうか。





895:NIPPER:2013/12/03(火) 22:30:00.91 ID:C4ok9ZQlo

 でも、そういうことではなさそうだった。

「今までおまえには黙ってたんだけどさ。僕が妹ちゃんに頼んだんだよ。僕の彼女の振り
をしてくれって」

「え? いったい何でそんなことをしたの」

「おまえがセッティングしてくれて一緒に登校したり休日に図書館に行ったりするように
なったけどさ、何というかそういうことをしてても全然妹ちゃんとの距離が近づかないん
だよね。それで、振りでもいいから恋人っぽく過ごしていたらそのうち何とかなるんじゃ
ないかって思ってさ」

「んなわけないでしょ。だいたいどういう理由で付き合う振りをしてくれって頼んだの
よ」

「それは言いたくない」

 お兄ちゃんが言った。

「言いたくないなら無理には聞かないけど。それで? そのときに妹ちゃんと約束したっ
てこと? お兄さんの前では誤解されるような行動はしないって」

「うん。そういう約束した」

「だから図書館で出会ったときに妹ちゃんが切れてたのか」

「・・・・・・うん。だからあれは僕の方が悪かったんだ」

「そうやって反省しているわりには、お兄ちゃんは旅行中妹ちゃんとべたべたしてたよ
ね」

「そこなんだよ。僕は約束を守ってそういうことはしないようにしようと思ったんだけ
ど、言い訳じゃないけど今回は妹ちゃんの方から僕に接近してきたんだよね。だから、妹
ちゃんが僕に対する気持を変えたんだと思って嬉しくてさ。妹ちゃんに応えようと思って
行動してたらこれだよ。いきなり約束が違うとかって言われるなんて」

 お兄ちゃんにとっては妹ちゃんの行動は不可解で理不尽なように見えているみたいだっ
たけど、あたしにはもうわかっていた。難しく考えるほどのことではないのだ。

「おまけにばか兄貴から怒られるしさ。妹を泣かせたらマジ殺すとかってさ。俺の方が泣
かされてるのに」

 謎に包まれていたように考え過ぎていただけだ。妹ちゃんの行動は恋する女の子の行動
の典型的な例というだけのことなのだ。

 お兄ちゃんとべたべたしていた理由は、お兄さんに嫉妬させるため。そして妹ちゃんが
お兄ちゃんに対して切れたのは単なる逆切れに過ぎない。自分に嫉妬させようとしたお兄
さんが自分の思いどおりにならずあたしと一緒に行動して満足しているらしいことに、妹
ちゃんは逆に自分の方が嫉妬してしまったというだけのことだ。

 自分の行動を棚に上げて自分にべたべたと擦り寄ったお兄ちゃんを憎むようになったの
だろう。お兄ちゃんと妹ちゃん。その行動の自分勝手さはどっちもどっちだ。こんなこと
に巻き込まれる必要はない。

 もうこれからはお兄さんのことだけを考えるようにしよう。あたしはそう思った。





896:NIPPER:2013/12/03(火) 22:30:53.92 ID:C4ok9ZQlo

<自棄>




 あたしが起きてキッチンに行くと妹ちゃんがちょうど朝食の支度を始めたところだった。

「おはよう」

 妹ちゃんがあたしに気づいて言った。

「おはよ。遅れてごめん」

「ううん。あたしも今起きたところだから。朝ごはんの支度、手伝ってもらっていい?」

「もちろん。そのつもりで来たんだよ」

「妹友ちゃん、料理上手だもんね。昨日の穴子丼、お兄ちゃんなんか夢中になって食べて
たし」

「・・・・・・そんなことはないけど」

 お兄さんに恋焦がれているはずの妹ちゃんにしては余裕の態度だった。昨晩、お兄さん
と妹ちゃんに何かあったのだろうか。一瞬嫌な想像が頭をよぎった。

 いや。それはいくら何でも考えすぎだろう。妹ちゃんとあたしは仲直りしたから妹ちゃ
んはあたしにフレンドリーなだけだ。

「それでさ。今日の予定なんだけど」

「あ、うん」

「ほら。あたしたちって無駄だと思いながら持ってきたじゃん」

「・・・・・・水着のこと?」

「そう。昨日スマホでこの辺りの観光施設を見てたらさ。ドームの温水プールがあるの
よ」

「本当?」

「うん。ほら見て」

 あたしたちは朝食の用意を放置して温水プールの情報を集めた。そうしていると何とな
く嫌な想像も消え去って行ってしまうようだった。

 あたしと妹ちゃんは朝食の席で予定変更を宣言した。植物園に行くと思い込んでいて、
突然予定が変更になったことで最初は渋っていたお兄さんとお兄ちゃんも最後にはしぶし
ぶ温水プールに行くことに同意した。





897:NIPPER:2013/12/03(火) 22:31:43.02 ID:C4ok9ZQlo

 温水プールまでの車内の席順は再びシャッフルされた。妹ちゃんが迷わずお兄さんの隣
の助手席に座ったからだ。でもせっかく持参した新しい水着を披露できることに興奮した
あたしにはそのことは思ったより気にならなかった。

 お兄ちゃんと二人で後部座席に座ったあたしたちは、昨夜の続きを話すわけにもいかず
に、結局車の単調な振動に誘われて、あたしたちはいつのまにか寝入ってしまった。昨夜、
お兄ちゃんと話していてあまり寝られなかったからだろう。

 ふと意識が覚醒した。隣を見るとお兄ちゃんが目を瞑っている。あたしはあとどれくら
いで到着するのか聞こうと思った。そのとき妹ちゃんとお兄さんの話し声がまだ半ば寝入
ってる状態のあたしの耳に入った。

「後ろの二人は?」

「寝てるよ。昨日よく眠れなかったのかな」

「じゃあ、言うね」

「言うって何を」

「お兄ちゃんの告白に対する返事」

「それはもう聞いた」

「前のは取り消し。あとお兄ちゃんにも彼女を作って欲しいというのも取り消し」

「お兄ちゃん。返事をやり直すね」

「おまえは何を言って」

「お兄ちゃん。あたしを好きになって告白してくれてありがとう」

「ちょ、おま」

「返事はもちろんイエスだよ。喜んでお兄ちゃんの彼女になるね」



「着いたよ。妹友ちゃん起きて」

「ああ、うん。ごめん寝ちゃってた」

「爆睡してたよ妹友ちゃん」

「ごめんね」

「別にいいって。それよかチケット買ってきたから行こう」

「・・・・・・うん」

「じゃあねお兄ちゃん。更衣室出たところで集合ね」

「ああ。わかった。彼氏君行こうぜ」

「はい」

 お兄ちゃんはさっきの会話を聞いていたのだろうか。それともあれは夢だったのだろう
か。

「行こ」

 妹ちゃんが明るく行った。なんだか彼女のテンションがやたら高い。泳げることに興奮
しているだけとは思えない。

「・・・・・・うん」

 あれが夢でなかったとしたらあたしはどうすればいいのだろうか。それに肝心のお兄さ
んの返事は聞こえなかったのだ。





898:NIPPER:2013/12/03(火) 22:32:16.99 ID:C4ok9ZQlo

 それでも妹ちゃんのはしゃぐ様子を見ていると、あの会話が夢でなかったとしたらお兄
さんは妹ちゃんにとって望ましい返事をしたとしか思えない。仮にお兄さんが妹ちゃんを
拒絶していたら妹ちゃんのテンションがこんなに高いわけがないのだ。

 そう考えるとあたしは再び暗い気持ちになったけど、それでもまだ決まったわけではな
い。そもそもあれは夢かもしれない。とりあえずあたしは精一杯お兄さんにアピールする
ことにした。それが無駄かもしれないことを必死で考えないようにして。

「お兄さん、あっちにウォータースライダーがありますよ」

「そうだね」

「一人じゃ恐いので付き合ってください」

「ええと。妹も行く?」

 お兄さんが妹ちゃんを誘った言葉を聞いてあたしはまた暗い考えに押しつぶされそうに
なった。

「あたしはいいや。流れるプールでぷかぷか浮いてるから」

「そう?」

 ここでほっとするべき何だろうけど、逆に仲が固まった彼女の余裕のようなものを感じ
たあたしはほっとするどころではなかった。あたしはもう自棄になっていたのかもしれな
い。自虐的にお兄さんをからかう言葉まで口をついた。

「お兄さん。ちょっと妹ちゃんをガン見し過ぎです」

「ち、違うって」

「お兄ちゃんは昔からエッチだからね。妹友ちゃんも気をつけてね」

「え?」

 え? じゃない。妹ちゃんをガン見し過ぎと言われたお兄さんは今明らかに動揺してい
たのではないか。

「ちょっと、あまりじろじろ見ないでください」

「見てねえよ」

 妹ちゃんの水着姿を見たと言われたときと違いそれは冷静な口調に聞こえた。

「早く行っておいで。戻ったらお昼にしよ」

 妹ちゃんがすまし顔で言った。





905:NIPPER:2013/12/07(土) 23:35:46.10 ID:aAj+iwHSo

<でもまあ、あの兄貴も偉いよな>




妹ちゃんとそれから多分お兄ちゃんを救おうと走り去って行ったお兄さんの後を追おう
としたあたしは、寸前で思いとどまった。お兄さんはあまり喧嘩をするような人には見え
ないし、何といっても相手は柄の悪そうな人たちで人数も多い。妹ちゃんを大切にしてい
るお兄さんならどんな不利な状況下にも飛び込んでいくだろう。でも結果がついてくるか
どうかは別だ。妹ちゃんとお兄さんとあたしのお兄ちゃんが危険な状況にあるのは確かだ。

 あたしはお兄さんとは別な方向へ、プールの管理事務所の方に駆け出した。そこに行け
ば係りの人がいるに違いない。もう大人を呼んで解決するくらいしか手はないとあたしは
とっさに判断した。

 係員以外立ち入り禁止と書かれたドアをあたしは思い切り引いて事務所の中に飛び込ん
だ。運のいいことに、そこには制服を着た警備員の人やたくましい体格をした監視員の人
たちがたむろしていた。驚いてあたしを見たその人たちにあたしは事情を話した。

 後で聞いた話だけど、お兄さんは妹ちゃんを抱きかかえている男を妹ちゃんから引きは
がしてプールに投げ込んだそうだ。かなり一方的な戦いで一見強面に見えた男はお兄さん
に対して手も足も出なかったらしい。一方、お兄ちゃんも妹ちゃんを庇って殴られていた。
いろいろあたしに理解できない行動を取っているお兄ちゃんも現実的な妹ちゃんの危機を
目の前にしたとき、いつものお兄ちゃんならするであろう利害の計算をすることもなく、
愚直に妹ちゃんを助けようとして殴られたのだ。

 妹ちゃんを救ったお兄さんは次にお兄ちゃんを取り囲んでいる連中を相手にしようとし
たらしいけど、さすがに多勢に無勢だった。四人がかりでお兄さんを床に倒した彼らがお
兄さんに対して殴る蹴るの暴行を加え始めたとき、あたしが呼んできた警備員と監視員の
人たちがその四人を取り押さえた。制服を着た警備員の人は年配の人であまり頼りにはな
らなかったけど、水着姿の監視員の男の人たちがその四人を取り押さえてくれた。

 ここまで興奮からくるアドレナリンの放出のおかげで行動できていたあたしは、急に緊
張の糸が切れてその場にへなへなと座り込んでしまった。情けないことに視界までがぼや
けていく。そのぼやけて紗がかかった視界の中で、床に倒れたお兄さんに必死でしがみつ
いている妹ちゃんの姿が見えた。





906:NIPPER:2013/12/07(土) 23:36:18.51 ID:aAj+iwHSo

 やがて警察が来て騒ぎを起こした人たちを連れ去って行った。お兄さんは妹ちゃんに付
き添われながら担架に乗せられ医務室に連れて行かれたようだ。床にへたり込んだままの
あたしの肩を誰かが抱いてくれた。

「お兄ちゃん」

「大丈夫か?」

「うん。大丈夫」

 あたしはよろけながらも何とか立ち上がった。

「無理しないで座ってればいいのに」

「お兄ちゃんこそ、殴られたんでしょ。医務室に行かないで大丈夫なの」

「僕のは怪我ってほどじゃないし。ボコボコにされてたのはバカ兄貴の方だよ」

 相変わらずお兄さんのことを小ばかにしたようにお兄ちゃんが言った。でもどういうわ
けかこのときのあたしはその言葉に悪意を感じなかった。それはあえて言えば偽悪のよう
なものだ。口で言っているほどお兄ちゃんはお兄さんをバカになどしていない。そしてお
兄ちゃんは妹ちゃんを庇って殴られた。それは本能的な行動だったのだろう。あたしが好
きだった頃のお兄ちゃんは消えていなかったのだ。

「お兄ちゃん、すごく格好よかったよ」

「やられて殴り倒されたのにか」

 お兄ちゃんは目を逸らして言った。あたしは思わず微笑んだ。

「それでも格好よかった。お兄ちゃんのこと見直しちゃった」

「それならよかったけどな。でも係員を呼びに言ったおまえの行動の方が正しかった
よ。そういう意味じゃ僕もバカ兄貴も全然駄目だな。結局妹ちゃんを助けたのは監視員の
人だしさ。つまりは人を呼びに行ったおまえが妹ちゃんを助けたようなもんだ」

「あたしは人頼みしただけだよ。お兄ちゃんたちは夢中で自ら妹ちゃんを救おうとしたん
でしょ? そっちの方が全然格好いいよ」

「ああいうときは冷静な反応ができなきゃいけないんだよ。おまえはそれができた。僕と
バカ兄貴は頭を使わないで突入して自爆したんだ。おまえの行動の方が正しい」

「お兄ちゃん」

 不意にお兄ちゃんが笑った。最近見慣れている自嘲的で暗い笑いではなく、昔あたしが
好きだったお兄ちゃんの屈託のない笑い方で。

「でもまあ、あの兄貴も偉いよな。とりあえず妹ちゃんを抱きかかえていたやつを投げ倒
して妹ちゃんを解放したんだもんな」

「お兄ちゃん?」

「・・・・・・何だよ」

 昔のお兄ちゃんがそこに帰って来たようだった。あたしはこの旅行中で初めて素直にお
兄ちゃんに向って微笑んだ。





907:NIPPER:2013/12/07(土) 23:36:59.71 ID:aAj+iwHSo

 医務室にお兄さんを見に行こうとお兄ちゃんを誘ってみたけど、お兄ちゃんはそれを拒
否した。

「ちょっといろいろ考えたくてな。おまえ行ってきなよ」

「考えるって?」

「いろいろだよ。いろいろ。いいからさっさと行け。ついでに今日この先どうするのかも
打ち合わせてきなよ」

「・・・・・・わかった」

 お兄ちゃんにもいろいろと心境の変化が訪れているのだろう。それは望ましい方向への
変化だと感じたあたしはそれ以上無理にお兄ちゃんを誘わなかった。

「じゃあ、医務室に行って来るけど。お兄ちゃんは本当に平気なの」

「ああ。放っておけば直るだろ、こんなの」

「じゃあ、ちょっと待っててね」

「わかった」

 お兄ちゃんと別れたあたしは係員の人に医務室の場所を聞いた。そのドアの前であたし
は医務室のドアをノックした。返事はない。治療中ならまずいと思ってあたしはしばらく
待ったけど、中からは何の物音もしなかった。

「お兄さん? 入りますよ」

 あたしはドアを開けた。



「うん? もう帰って来たのか」

 以前のお兄ちゃんを取り戻して心安らかだったときはほんの一瞬で粉々になり、あたし
の感情はさっきとは間逆の方向に暗転していた。

「顔色悪いぞ。何かあったのか」

 お兄ちゃんがあたしに問いかけた。

「行こうお兄ちゃん」

「行こうってどこに。妹ちゃんたちはどうするんだよ」

「ここから出ようよ。お兄ちゃんお願い」

 お兄ちゃんは鈍い人ではない。それどころか人の感情を読み取る点では鋭すぎるところ
がある。だからこのときお兄ちゃんは既に何事かを察していたのかもしれない。でも、こ
のときのあたしはお兄ちゃんの気持を察するどころではなかった。

「・・・・・・わかった。着替えたら出口で会おう」

 抱き合っていた。水着姿のままで。妹ちゃんの水着はワンピースでそれほど肌が露出し
ているわけではない。でも、妹ちゃんを抱きしめたお兄さんの手が、妹ちゃんのむき出し
の肩を撫でている様子ははっきりと目に焼きついている。深く重ねた二人のキスの様子と
ともに。





908:NIPPER:2013/12/07(土) 23:37:29.92 ID:aAj+iwHSo

<熱帯植物園>




 どうやって着替えたのか記憶がない。ふらふらと温水プールの出口に辿り着いたあたし
をお兄ちゃんが迎えてくれた。もうお兄ちゃんは何も聞かなかった。あたしも何も言わず、
歩いていくお兄ちゃんの後を黙って着いて行った。

 バス乗り場に止っていいたバスの中に無言のままお兄ちゃんがあたしを導いた。あたし
は何も考えられずにバスに乗って座席に座った。隣にもう何も聞こうとしないお兄ちゃん
が座って、しばらくするとバスが動き始めた。昼時の時間のバスは結構混みあっていて発
車する頃になると席に座れなかった人で車内は一杯になっていた。

 海辺の半島の景色はこんな心境でなければすごく綺麗で目を楽しませてくれたのだろう
けど、今のあたしには何も見えない。

「どうぞ」

 お兄ちゃんの声が聞こえる。

「すみません。いいんですか」

「はい。よかったら」

「ありがとうございます」

 お兄ちゃんが誰かに席を譲ったようだ。

「ありがとうね」

 あたしの隣に座った老婦人らしい女の人の声が聞こえた。

「いえ」

「どこに行きなさるの」

「はい。妹と一緒に熱帯植物園に」

「ああ。あそこはいいところですよ。次の次の停留所でだからすぐに着くわね」

「そうですか」

 ではお兄ちゃんは熱帯植物園に向っているのだ。車窓に海辺の景色が崩れて後方に流れ
て攪拌されていく。最初からわかっていたのかもしれない。この小旅行には主人公と脇役
が出演している。お兄さんとあたしはその主役になれそうな気がしてそのことに酔ってい
た。偉そうにお兄ちゃんの行動を非難して切捨ててでも、ヒロインの座を手に入れるつも
りだった。

 でもそうじゃなかった。そこには主人公と脇役すらいない。王子様とお姫様は存在して
いる。プールの医務室で抱き合い求め合っていた二人が。そのほかにその場にいたのは脇
役ですらない。引き立て役のピエロが二人。お兄さんと妹ちゃんに振り回されて喜劇を演
じたあたしとお兄ちゃんがいただけ。

 あたしはようやくそのことをさとったのだ。妹ちゃんにとって、あたしとお兄ちゃんが
この場に必要だったことは確かだろう。別に自分の恋愛の成就に邪魔なあたしたちをあえ
てこの旅行に呼んだわけではない。あたしにはもうわかっていた。

 妹ちゃんが考えたのはきっと、もっとひどいことだったのだ。





909:NIPPER:2013/12/07(土) 23:38:00.32 ID:aAj+iwHSo

 被害妄想かもしれないけど、ここまで来るとそうとしか考えようがない。

 わざとお兄さんを避けお兄ちゃんと一緒に行動していた妹ちゃん。

 思い通りにならず、あたしと一緒に行動したお兄さんに嫉妬してお兄さんに対して嫌味
な言葉を連発していた妹ちゃん。自分のことを姫と呼ばないお兄さんに対して苛立ちをぶ
つけた妹ちゃん。

 そして。

 妹ちゃんは知らない男の人たちに襲われた自分を身を張って助けたお兄さんに対して、
この旅行中で初めて素直な行動に出た。それはお兄さんに抱きついてキスすること。

 よく考えるとあたしがショックなのは妹ちゃんの行動にではなく、お兄さんがそれを受
け入れたことなかもしれない。妹ちゃんがファミコンやブラコンなのは十分に承知してい
た。でも、お兄さんはそれを克服していい兄になるって言っていたのだ。そのお兄さんが
がほんの短い間で豹変した。妹ちゃんの抱擁と愛撫と口付けによって。

 あたしにはもう喪失感以外の何も感じられなかった。

「次で降りるぞ」

 呆けたように脱力したまま腰かけていたあたしに、お兄ちゃんが声をかけた。

「おまえ、それしか食べないの」

 お兄ちゃんとあたしは、三十分くらい並んで入場券を入手してから、植物に入場した。
今となっては並んでまでここに入って食虫植物を見たいとは全く思わなかったけど、それ
でも何かしなければ時間が潰せないことも確かだった。

 お兄ちゃんも熱帯の植物には何の興味もないようだったから、あたしたちは入園してす
ぐに植物園内のレストランに入った。食欲は全くなかったけど。

「うん。お腹すいてない」

「・・・・・・おまえが医務室で何を見たのかは想像がつくよ」

 プールから出て以来何も核心に迫るようなことは何も言わなかったお兄ちゃんが、よう
やくあたしを見つめて話し出した。

「え」

「まあ、僕が言うのも何だけどさ。あまり気を落とすな」

「何でわかるの」

「妹ちゃってファミコンなんだろ? 身を張って自分を助けた兄貴にべたべたするくらい
は当然だろ。でもさ。おまえもそれくらいわかっていて兄貴のことを好きになったんだ
ろ」

「それは・・・・・・まあそうだけど」

「だったらあまり慌てるな。僕はまだ妹ちゃんを諦めてないよ」





910:NIPPER:2013/12/07(土) 23:38:42.66 ID:aAj+iwHSo

 思わずお兄ちゃんの身勝手な発想に怒りが沸いてしまった。身勝手という意味では妹ち
ゃんも同じだったのだけど。

「それはお兄ちゃんが妹ちゃんのことを、ママを取り戻すための手段だと思っているから
だよ。だからそんなに平気な顔をしていられるんでしょ」

「何だって」

「あたしは違う。最初はともかく、あたしは今では本当にお兄さんのことが好きで、だか
らこんなにつらいんじゃないの」

「だから落ち着けって。あいつらは普段は両親が忙しくていつも二人きりだったんだろ」

「そうだけど」

「共依存だよ。あいつらは本当に愛し合っているわけじゃない」

 ここでお兄ちゃんの口から共依存という単語が出てくるとは思わなかったけど、それで
も今のあたしにはお兄ちゃんへの反発心しか感じない。

「何でそう言い切れるの」

「実の兄妹だからさ。これが幼馴染とかだったら僕だって少しは焦るけどさ」

 もう我慢できない。お兄ちゃんは頭がいいくせに真相を悟ることができない。それはき
っと自分に自信がありすぎて真実をそのままに受け取れないからだろう。正直、今はお兄
ちゃんのことどころじゃなかったけど、こんな楽天的な誤解をそのままにしておくわけに
はいかなかった。

「あたしたちってさ」

 あたしはお兄ちゃんに話し始めた。

「うん?」

「そもそも何で妹ちゃんからこの旅行に誘われたんだと思う?」

「それは親友のおまえと一緒に来たかったからじゃ」

「そうじゃないよ。妹ちゃんは本当はお兄さんと二人で来たかったんだと思うな」

「それならわざわざ直前になって僕たちを誘うことなんかないだろ」

「そのときの妹ちゃんはお兄さんからいい兄貴になる宣言をされてたからね」

「はあ?」

「妹ちゃんはきっとお兄さんと恋人になりなかったんだよ。でも、お兄さんがいい兄貴に
なるって頑なに言い張ってたからさ」

「どういうこと?」

「嫉妬させたかったんでしょ。お兄ちゃんとベタベタしているところをお兄さんに見せ
て」

 お兄ちゃんが俯いた。やがて顔を上げたときのお兄ちゃんの表情はさっきまでと全く異
なるものだった。





911:NIPPER:2013/12/07(土) 23:39:19.88 ID:aAj+iwHSo

<せめて妹のおまえのことだけは>




「思い知らされたよ」

 やがてお兄ちゃんがはっきりとした声で言った。

「何を」

 お兄さんへの想いを断ち切られたあたしはお兄ちゃんのことなど構っている余裕はなか
ったはずなのに。それでも思わずあたしは声を出して聞き返してしまった。

「おまえの言うとおりだ。多分僕は妹ちゃんのことなんか好きじゃなかったんだと思う
よ」

 やはりそうなんだ。前から疑っていたこととはいえはっきりと口にされると結構ショッ
クを受けるものだ。

「お兄ちゃんの好きな人ってやっぱり」

「待て。それは違うぞ。兄妹だってどうかと思うのに、自分の母親のことがどうこうなん
て考えるわけないだろ」

「・・・・・・ママだなんて一言も言ってないじゃん」

「おまえは」

「もういいよ。どうせうちの家庭なんか壊れてるんだし。でもさ、お兄ちゃんには大好き
なママと暮らしたいって言う目標があるんでしょ? あたしはどうすればいいの。お兄さ
んと付き合うこともできず、家族も壊れちゃってさ」

「壊れてないよ。つうか、僕が壊させない」

「どうやって? もうお兄ちゃんの穴だらけの計画なんて考える価値すらないじゃん。そ
もそも妹ちゃんに相手にされてないんだから」

 お兄ちゃんは俯いて黙ってしまった。

「・・・・・・・ごめん」

 言い過ぎた。あたしはお兄ちゃんに謝った。

「あのさあ」

「・・・・・・何」

「僕は確かに考えが甘かったかもしれないけど、せめて妹のおまえのことだけは守るよ」

 この人は何を言っているのだ。自分の母親に恋焦がれた挙句結果的に頭の悪い作戦を立
てて盛大に自爆しているくせに。この人はもうあたしが好きだった頃のお兄ちゃんではな
い。あたしはそう思った。あたしが口を開こうとしたとき、妹ちゃんからのメールを受信
した携帯が鳴った。



from:妹ちゃん
to:妹友ちゃん
sub:無題
『そろそろご飯食べに行くよ〜。今どこ? 出口で集合だから彼氏君と一緒にすぐに来て
ね』



 これだけ無神経なメールも珍しい。あたしは無気力にそのメールに返信した。





912:NIPPER:2013/12/07(土) 23:39:51.12 ID:aAj+iwHSo

from:妹友
to:妹ちゃん
sub:無題
『ごめんなさい。ちょっとお兄ちゃんと話もあったので勝手にバスで別荘に帰ってきてい
ます。連絡もしないで本当にすいません。お兄さんと妹ちゃんは予定どおりプールで一日
過ごしてから帰ってきてください』

『お昼も夕食も勝手に済ませますからお兄さんたちもそうしてください』



 メールを終えてスマホをテーブルの上に置いたとき、あたしはお兄ちゃんが何か言いた
気な様子でいることにきがついた。

「妹ちゃんから。お昼の時間だから早くおいでって。ふざけてるよね」

「ふざけてるかどうかはわからないけど。もう別行動になってるしな」

「うん。だから夕食まで勝手に過ごしてって返信しておいた」

「それでいいの? おまえはバカ兄貴のことが好きなんだろ」

「もうどうしようもないじゃん。そんなこと一々言わないでよ」

 するとお兄ちゃんが珍しくあたしを正面から見つめた。

「何よ」

「あのさ。僕は妹ちゃんに付き合う振りをしてくれって頼んだ話をしただろ」

「聞いたよ。本当にばかみたい」

「その理由を知りたいか」

「・・・・・・別に」

 今さらどうでもいい話だった。

「教えてあげるよ。僕は妹ちゃんに言ったんだ」



『うちの妹のことなんだけど』

『すごく言いづらいんだけど。何かさ、あいつ僕のことを好きみたいで』

『最近、朝起きるといつも妹が僕のベッドで一緒に寝ている』

『二人で外出するとやたらに僕と手をつなごうとしたり、抱きついてきたりする』

『びっくりしたでしょ。僕だってそうだよ。最近じゃあ、両親までおまえたち兄妹は
ちょっと仲良くしすぎだとか真顔で注意するようになったし』

『あり得ないでしょ? 実の兄貴のベッドに潜り込んだり実の兄貴と外出中に抱きつ
いてきたりとか』

『ごめん。そうじゃないんだ。僕は妹の僕への不毛な恋愛感情を諦めさせたい』

『僕の彼女の振りをしてくれないかな』





913:NIPPER:2013/12/07(土) 23:42:12.86 ID:aAj+iwHSo

 あたしは唖然とした。

「ふざけんな」

 何とか声を振り絞ったけど、お兄ちゃんは動じなかった。

「だっておまえ、僕のこと好きだったろ」

 確かにそうだけどそれは以前の話だしもうあたしはブラコンを克服している。このバカ
兄貴は言うに事欠いてあたしのお兄ちゃんへの想いまでも妹ちゃんへの恋の成就に利用し
たのだ。

「何でそんなこと妹ちゃんに言ったのよ。あたし、もう妹ちゃんの顔を見れないよ」

「どうでもいいだろ? あいつらが近親相姦の仲に踏み込んでいくなら、もう僕たちはあ
いつらに関わらない方がいい」

 事実かもしれないけど、それはお兄ちゃんにだけは言われたくないとあたしは思った。



 結局どこを回ってもつまらない思いをするだけだった。あたしたちは混んだ路線バスで
早めに別荘に帰ってきた。合鍵を預かっていたからお兄さんと妹ちゃんが不在でも中に入
ることはできた。

「なあ」

 何もする気力もなくリビングのソファに座り込んだあたしの目の前に立ってお兄ちゃん
が言った。

「何よいったい」

「さっきの話だけど。僕はおまえのことは守るよ」

「・・・・・・できもしないことを適当に言わないでよ」

 お兄ちゃんは動じなかった。

「おまえ、僕のこと好きだったんだろ」

 何を言っている。確かにそうだったけど。

 いきなりかがんだお兄ちゃんがあたしの頬を両手で挟んだ。

「前から知ってたよ。だから妹ちゃんに頼んだんだ。おまえ、僕のこと好きだろ」

「お兄ちゃんにはママがいるでしょ。マザコンのお兄ちゃんなんか大嫌い」

 あたしは思わずそう叫んだ。でもあたしの叫び声を聞いてお兄ちゃんは笑った。

「初めて気がついたよ。おまえって母さん似だったんだな」

 あたしは生まれて初めて自分の身体を抱きすくめられて愛撫されたことに狼狽した。

「ちょっと。やだよ、やめてよ・・・・・・お兄ちゃんやめて」

 あたしは生まれて初めてお兄ちゃんに抱きすくめられたのだ。





921:NIPPER:2013/12/10(火) 23:41:11.22 ID:G+tSV9VVo

<周りにとっては結構いい迷惑だよな>




「何かすげえ久し振りっつう感じ? 妹友ちゃんに会えて嬉しいぜ」

「あたしは別に嬉しくないですけど」

「またまたあ。会いたかったんでしょ? 俺と。そうじゃないなら連休の最終日にわざわ
ざ俺を呼び出したりしないでしょうが」

「・・・・・・それにしても電話一本で突然の呼び出しに応えるなんて、兄友さんはさぞかし連
休中はお暇だったんでしょうね」

「何でわかるの? 妹友ちゃんマジエスパーじゃん」

「こんなことをわかるのに超能力なんて必要ないです」

「そうかもだけどさ。今日だって妹友ちゃんの方が俺を呼び出したんじゃん。何で俺の方
が立場が下なのよ」

「嫌でしたか?」

「別に嫌じゃねえけど」

「じゃあ、いいじゃないですか」

「まあいいけどさ。で? 連休中はどうしてた?」

「好きな人と、片想いの人と一緒に海に旅行してました。二人きりじゃないですけどね」

「・・・・・・そ、そう。よかったね。楽しかったでしょ」

「ええ、本当に楽しかったですよ。彼と初チューもしましたし」

「よかったじゃん。妹友ちゃんおめでとう」

「・・・・・」

「兄友さんて無神経ですよね」

「・・・・・・それは認めるけど、無神経なのは君の方じゃない?」

「何でそうなるんです?」

「いや、別に。それより好きな男と結ばれたんだろ。おめでとう」

「好きな人にキスしたけど、結局失恋したみたい」

「あ〜」

「あ〜って何ですか」

「いやその」

「失恋して帰ってきました。ショックを受けるようなシーンも目撃しました。これでいい
でしょ」

「いやさ。俺別に君には何も要求してないし、今日も呼ばれたから来ただけなんだけど」

「・・・・・・」

「いやあの」

「わかってますよそんなこと。呼び出しちゃってごめんなさい」

「まじめに謝られると対応に困るんだけど」

「兄友さんは休み中は何をしてたんですか」

「何もしてないよ」

「そんなわけないでしょう。人間が行きていく上で何もしていないなんて有り得ないで
す。最低でも栄養を摂取したり睡眠を取ったりはしていたはず」





922:NIPPER:2013/12/10(火) 23:42:49.90 ID:G+tSV9VVo

「妹友ちゃんいったい何言ってるの?」

「で。休み中は何をしてたんですか」

「俺のことなんか興味ないでしょう。何でそんなにこだわるの」

「・・・・・・別に」

「まあ君の言うとおりかな。食って寝て、妄想してを繰返してたら連休なんかすぐに終っ
ちゃったよ」

「いったい何を妄想してたんです?」

「君のことかな」

「・・・・・・あたしをからかってるつもりですか」

「いや、本当。君と恋人同士になってデートしたりプレゼント交換したりとかさ。何かそ
ういう妄想を繰り広げていた。最初はそれだけで幸せだったんだけど、そのうちむなしく
なってやめちゃったけどね」

「いい加減にあたしをからかうのはやめてください」

「正直に言ったんだけどな」

「・・・・・・ばか」

「ばかなのは十分承知してるよ。それで君は? 何で兄とチューまでしたのに失恋したの
さ」

「だ、誰がお兄さんと一緒だったなんて言いました」

「そんなのわかるよ」

「何でよ」

「妹友ちゃんのことが好きだから。んで、君は兄のことが好きだったんでしょ」

 どういうわけかそう断言した兄友さんに対してあたしは何も言い返せなかった。それに
しても兄友さんは、何でわざわざ好きだったという過去形を使ったのだろう。

「やっぱりか」

「何がやっぱりなんです?」

「いや。やっぱりあいつら兄妹ってお互いに好き会ってたのか」

「・・・・・・何であなたにそんなことが断言できるんです」

「わかるよ。俺だって高校時代からあいつらとの付き合いはそれなりに深かったしさ」

 そんなことは前からわかっていた。あたしだって妹ちゃんの親友だったのだから。お兄
さんと妹ちゃん、兄友さんと女さん。そしてあたしとお兄ちゃん。

 その全員の最近の関係がお兄さんと妹ちゃんの関係に振り回されていただけだとしたら、
そんなのはあまりにも惨めすぎる。男たちが妹ちゃんを求め、あたしを含めた女たちがお
兄さんを求めた。でも、二人は互いに互いしか求めていなかったとしたら、そんなことは
ひどすぎる。





923:NIPPER:2013/12/10(火) 23:44:31.08 ID:G+tSV9VVo

「兄と妹ちゃんってさ。本人たちは意識していないのかもしれないけど、周りにとって
は結構いい迷惑だよな」

「迷惑って?」

「あいつらさ。一人一人はいいやつなんだと思うけど、一緒にいると周りに害しか及ぼさ
ないじゃん」

「そうですか。あたしにはよくわからないけど」

「いーや。君にだってよくわかってると思うけどな」

「わかりません」

「現に一緒に旅行に行った妹友ちゃんが傷付いているでしょ。女だってそうだし、それ
に新ネタだけど女友も兄に告って振られたらしいよ」

「・・・・・・誰です?」

「女の親友。何か飲み会で男に絡まれていたところを兄に助けられて惚れちゃったんだ
と。ヘブンティーンの表紙を飾るモデルとかまでしてる子なんだけどね」

「ああ。前にあなたが可愛いから何とかしたいって言っていた人ですね」

「・・・・・・よく覚えてるね。だけど何なんだろうなあ。別に兄なんか格好いいわけでも何で
もないのに、何でこんなにもてるのかな。そしてどんなにもてても自分の妹がいいとか俺
には理解できん」

「あなたは妹ちゃんが好きだったんですよね」

「ああ。昔妹ちゃんに告って玉砕したぜ」

「あなたはあたしが好きなのではなかったんですか」

「昔の話だって。俺が今好きなのは君だけだけどさ」

「・・・・・・・すごく迷惑だから本気でやめてください」

「君が話を振ったんでしょ。まあいいや。妹ちゃんについては君のほうがよく知ってるで
しょ」

「確かに彼女はもててたし、そのわりには特定の彼氏を作ったことは一度もないですね」

「好きな男がいたからだろ」

「・・・・・・それがお兄さんだと言いたいんですか」

「うん」

どう反応すればいいかわからなかったからあたしは黙った。





924:NIPPER:2013/12/10(火) 23:47:10.11 ID:G+tSV9VVo

<兄と妹を別れさせる会>




「とにかく女が兄を好きならって思って身を引いた俺は全くのピエロだよ」

「あなたの場合は後輩を妊娠させたんだから自業自得でしょう」

「妊娠してないって。でもまあそうだな」

「あの。実の兄と妹の恋愛とかって本当に成り立つものなんでしょうか」

「さあ。俺には弟しかいないしよくわかんないな。君の方こそ兄貴がいるんでしょ? 兄
貴のことを彼氏として見れるの?」

 あたしは沈黙した。昨夜の恐かったお兄ちゃんの行動を思い出したからだ。

 兄貴のことを彼氏として見れるの? その応えはイエスでもありノーでもある。あたし
はかつてお兄ちゃんに恋していてお兄ちゃんを恋愛対象としか見れなかった時期がある。
でも、そんな関係はありえないと自分で納得してからは、お兄ちゃんから距離を置き、そ
してお兄ちゃんの妹ちゃんへの恋愛を手伝おうと思った。

 でも今ではどうなんだろう。お兄ちゃんの恋愛を手伝う気なんかさらさらない。マザコ
ンのお兄ちゃんは妹ちゃんを手段としてしか見ていないことがわかったからだ。

 無理矢理素肌に残されたお兄ちゃんの手の感覚がまだ残っている。その手はあたしが恋
しているお兄さんのものではなく、恐い実の兄の手の感覚だ。ただ、あたしは一時期その
手の持ち主に恋していたことも事実だったのだ。

 そういうことを踏まえてもなお、あの場をお兄さんと妹ちゃんが邪魔してくれたことは
よかったのだと思う。仮にお兄さんへの恋を諦めなければいけないとしても、それはお兄
ちゃんへの恋を復活させることと同義ではないのだから。

「どうなんでしょうね。二人がお互いを好きなら有りなのかもしれませんね」

「自分が振られたのにずいぶん冷静だな。やっぱり君も兄貴のことが気になるんじゃ」

「あ、違いますよ? 妹ちゃんたちのことなら有りなのかもしれないけど、自分とお兄ち
ゃんなんて有りえないですから」

 少なくともマザコンのお兄ちゃんとは。あたしは心の中でそう付け加えた。

「・・・・・・やべえ。そろそろ時間だ」

「何か用事があるんですか」

「まあね。つうか君も一緒に行かね?」

「はあ」

「この後女と女友と会うんだ。前から約束させられててさ」

「何であたしが一緒に?」

「さあ。でもテーマが兄と妹のカップルのことらしいんだよな。どうせ俺は尋問を受ける
んだろけどさ」

「繰返しちゃって悪いんですけど、何であたしが一緒に行く必要があるんですか」

「兄の被害者の会設立かもしれねえじゃん。それなら妹友ちゃんにも参加資格はあるし
な」

「あたしは別に被害者では」

「いいから付き合ってよ。俺だってたまには君とデートしたいしさ」

 兄友さんはそう言ってにかっと笑った。

 この人はどこまで打たれ強いんだろう。少なくとも今まであたしの周りにはいなかった
タイプの人だった。どうせすることもないのだ。家に帰ってお兄ちゃんと気まずく顔をあ
わせるよりは、いいのかもしれない。結局あたしは兄友さんに着いていくことに決めた。





925:NIPPER:2013/12/10(火) 23:48:09.44 ID:G+tSV9VVo

女友「それでは第一回兄と妹ちゃんを別れさせる会を開催します」

兄友「・・・・・・そういうのマジでよそうぜ」

女「うん。周囲が介入しない方がいいと思う」

妹友「何なんですかこれ。兄友さんあたし帰ります」

女友「まあみんな。少し落ち着きなさい」

女「もうよそうよ」

女友「そういやさ。兄友、紹介しなさいよ。その可愛い女子高生は誰?」

兄友「ああ、彼女は妹友ちゃん。兄と妹ちゃんの知り合い」

女友「ああ。兄と妹ちゃんと一緒に旅行に行ったと言う。ふ〜ん。で?」

兄友「でって何だよ」

女友「何で兄と妹ちゃんを別れさせる会に彼女が参加しているわけ?」

兄友「別れさせる会なんて聞いてないぞ」

妹友「あたしやっぱり帰ります」

女友「何でよ」

妹友「こんなの卑怯ですよ。お兄さんと妹ちゃんがいないところで勝手に別れさせると
か」

女「そうだよね。あたしもそう思うかも」

女友「これは彼らを救うためじゃない。どう考えたって先には不幸しか見えてないんだ
よ。友だちのあたしたちが目を覚まさせてあげようよ」

女「・・・・・・兄に告ったくせに。よく言うよ」

女友「振られたんだからあんたを裏切ったことにはならないでしょ。未遂じゃん」

女「全くもう。あんたはあたしの心配をしてくれているのかと思ったのに」

女友「心配はしてたよ。お友だちからやり直しているはずのあんたが兄のこと避けてた
し」

女「それは・・・・・」

兄友「とにかくよそうぜ。たとえ不幸なことになるにしたって、周囲がお節介を焼いてい
いことじゃないと思う」

女友「あんたはもう兄から絶好されてるかもしれないけど、あたしと女はまだ兄の友だち
だからさ。みすみす不幸になるのは見過ごせないよ」

兄友「そもそもあいつらが付き合っているって言う証拠はあんのかよ」

女友「決定的な証拠はないが限りなく黒だと思う」

兄友「証拠なしかよ。まあ俺も二人は好き合っているとは思うけどな。ね妹友ちゃん」





926:NIPPER:2013/12/10(火) 23:50:19.54 ID:G+tSV9VVo

妹友「・・・・・・」

兄友「妹友ちゃん?」

妹友「旅行中、抱き合ってキスしてましたよ」

女友「・・・・・・マジで?」

女「うそ」

兄友「・・・・・・言っちゃったよ。女友が止められなくなるぞ」

妹友「無理に別れさせるとかはどうかと思いますけど、事実は事実ですし。それに」

兄友「それに?」

妹友「お二人もお兄さんことを好きなのだとしたら、事実を知る権利はあるんじゃないか
と思って」

女友「お二人も? あなたも兄のことが好きなの」

妹友「あ・・・・・・」

兄友「自爆かよ」

女友「そうか。あなたも仲間か。じゃあ詳しく話してもらおうかな」

兄友「もうよそうぜ」

妹友「二人とも水着姿で、ベッドに仰向けになったお兄さんに妹ちゃんが上から抱きつい
てました」

女友「キスしてた?」

妹友「ええ。お兄さんが妹ちゃんの背中を抱きしめてて、妹ちゃんもお兄さんの首に両手
で抱きついてて。その状態で二人はキスを」

女友「これはもう確定だね。やっぱり実の兄妹同士でできてたか。最初から怪しいとは思
ってたけど」

女「もうやだ」

女友「泣くなよ。それより復讐だ」

兄友「復讐っておまえ。最初に言ってたことと違うじゃねえか」

女友「うるさいなあ。復讐でもあり兄たちを救うことでもあるんだってば」

兄友「何か相当無理がある気がする」

女友「一石二鳥だって」

妹友「本気で二人を別れさせる気なんですか。何だか大きなお世話だって気がしますけ
ど」

兄友「そうだよ。妹友ちゃんの言うとおりだ。もうそっとしておいてやろうぜ」

女友「友だちだからね。二人が不幸になるのは放っておけないしさ。それに第一このまま
じゃ悔しいじゃん。あたしたちがバカみたいで」

妹友(・・・・・・確かにそうだ。振り回されるだけ振り回された感じがするし。最初は不純な
動機からお兄さんに接近したあたしの場合はともかく、女さんと女友さんは犠牲者といっ
てもいいかもしれない)

妹友(それにあたしの今の感情だって行き場がない。無理矢理別れさせるとか無茶な話じ
ゃないんだったらあたしも協力して・・・・・・)

妹友(それにあの二人はきっと妹ちゃんの方がお兄さんに執着しているはず。お兄さんは
一度はいい兄貴になるって決めてくれたんだし)

妹友「とりあえず何をする気なのか、お話を伺いましょうか」

兄友「マジかよ」





927:NIPPER:2013/12/10(火) 23:51:39.76 ID:G+tSV9VVo

<新しい生活>




妹「お兄ちゃん」

兄「何だよ」

妹「浴室から出る前に身体を拭いてって言ったじゃん。何で毎日バスマットを濡らすの
よ」

兄「一応、バスルームの中で身体を拭いてはいるんだけど」

妹「だってバスマットが濡れてるじゃん。次に入る人の身になりなよ」

兄「そんなに濡らしてるかあ」

妹「濡れてますぅ。ほら」

兄「ば、ばか。顔に濡れたマットをくっつけるな」

妹「・・・・・・ふふ」

兄「・・・・・・何だよ」

妹「冷たかった?」

兄「冷めてえよ」

妹「ようやく思い知ったか」

兄「何なんだよいったい」

妹「ほら。濡れたとこと拭いてあげる」

兄「こらよせ! くすぐったいだろうが」

妹「じっとしててよ」

兄「・・・・・・・おまえなあ」

妹「気持よかったでしょ」

兄「全く」

妹「ほら。テーブル片付けて。夕ご飯の準備ができないじゃん」

兄「夕飯何?」

妹「見ればわかるでしょ」

兄(これは。俺の好物のさわらの西京漬けと。あと、オムライス?)

兄(何この記念日的メニュー)

兄(さわらとオムライスって食い合わせはどうよ)

妹「じゃあ食べようか」

兄「(共通点は俺の好物ってだけだな)おう。いただきます」

妹「いっぱい食べてね」

兄「なあ」

妹「なあに」

兄「・・・・・・そのさ」

妹「何よ」

兄「あのさ。その。俺は・・・・・・。おまえのこと愛してる」

妹「へ?」

兄「父さんたちの離婚とかいろいろあったけど、今こうしておまえと一緒に暮らせて、お
まえが料理してくれて。俺、本当に幸せだわ」

妹「お兄ちゃん・・・・・・」





928:NIPPER:2013/12/10(火) 23:53:29.18 ID:G+tSV9VVo

兄「ずっとこうして俺と一緒にいてくれるか」

妹「・・・・・・」

兄「・・・・・」

妹「・・・・・・・はい」

 今まで妹の姿はいろいろと見てきたのだけど、うっすらと浮かぶ涙で目をうるませた妹
を見るのは初めてだったかもしれない。

妹「お兄ちゃん」

兄「うん?」

妹「ママがね。この先はあたしたち二人に任せるけど、いろいろと計画的に生活しなさい
って」

兄「そうだな。お金の使い方とかもそうだし、毎日の生活のルールとか将来の目標とかも
決めておくべきだし」

妹「・・・・・・もちろんそういうのも決めておかなきゃだけど」

兄「他に何かあるの」

妹「・・・・・・えと」

兄「何だ?」

妹「ママがね。その・・・・・・きちんと避妊できないならそういうことはしちゃ駄目って」

兄「あ、ああ」

妹「・・・・・・うん」

兄「それはそうだよな。当然だよな。旅行の時はごめん」

妹「生理がきたからあれはもういいけど」

兄「わかった。ちゃんとするから」

妹「勘違いしないでね? あたしは後悔はしていないんだから」

兄「何だよ」





929:NIPPER:2013/12/10(火) 23:54:00.69 ID:G+tSV9VVo

妹「後悔はしてないけど。でもママがあたしから目を逸らしながら避妊しなさいって言っ
たのを聞いて、あたし思わず泣いちゃった。こんなことをママに言わせたのはあたしなん
だって思って」

兄「姫・・・・・・(泣いてる)」

妹「ごめんね。もう言わないから」

兄「いや。姫のいうとおりだと思うよ。それに姫と暮らせるのだって火事場泥棒みたいな
もんで、父さんたちが離婚しなければ母さんだって絶対に許してくれなかったろうし」

妹「うん。でも、あたしはこれでよかったって思ってる。好きな人と、お兄ちゃんとずっ
と一緒に暮らせるんだもん」

兄「うん。せめてこれ以上は母さんを心配させないようにしないとな」

妹「そうだね。あたしも頑張る。絶対にお兄ちゃんと同じ大学に合格してみせるから」

兄「おう。俺も勉強してちゃんと就職するからな」

妹「・・・・・・お兄ちゃん」

兄「こら。まだゴム買ってないんだしあまり抱きつくな」

妹「そこは理性で抑えないと」

兄「俺の理性にだって限界があるの」

妹「ふふ」

兄「だからよせって」

妹「計画的に生きるんでしょ?」

兄「・・・・・・コンビニ行って来てもいい?」

妹「あたしも行く。プリン買いたい」

兄「・・・・・・」

妹「冗談だよ。一緒に行こ」





930:NIPPER:2013/12/10(火) 23:55:38.33 ID:G+tSV9VVo

「何かどきどきしてきた」

 女友さんがそう言って落ち着かない様子でスタバの店内を見回した。

「今になって何言ってるんですか」

「だってさ。まさかもう来てたりしないよね」

「いませんよ。あたしは妹ちゃんのお母さんの顔を知ってますから」

「何と言って兄のお母さんを呼び出したんだっけ」

「それ、もう何回も説明したじゃないですか」

「今は頭の中が真っ白なんだよ。全然思い出せないから予習的な意味で教えて」

「お兄さんの大学での生活態度についてお話したいことがありますって。妹ちゃんのお母
さんの会社に電話してそう話しました」

「そうだったっけ。でも、それってどういう意味なの」

「簡単に言えばモデルとかしているような尻軽な女の子に騙されて相当貢がされてるみた
いです。放って置けないのでご相談したいんですけどって言いました」

「なるほど。それなら母親は食いついてくるよね。って、モデル? 尻軽?」

「はい」

「まさかあたしのことじゃないでしょうね。つうかあたしがいつ兄に貢がせた?」

「そんなことはどうでもいいんですよ。普通に相談があるって言っただけでは警戒される
でしょうし、かといって最初からお兄さんと妹ちゃんのことで相談があるなんて言ったら、
話しを見透かされて事前に二人を問い詰めちゃうかもしれませんし。とにかく今日来てく
れればそれでいいんですから」

「それはそうだけど。妹友ちゃんあたしのことをそういう目で見ての?」

「さあ? でもいいじゃないですか。お母さんが来たら本当のことを話すだけなんだか
ら」

「何か納得できない。でも今は妹友ちゃんを問い詰めている心の余裕はないわ。やばい。
何だかどきどきして来た」

「意外とメンタル弱いんですね。自分で言い出したことなのに」

「妹友ちゃんは最初は反対してたけど、その気になったら容赦ないのね。迷いが全くない
っていうか」

「決めるまでは迷いますよ。でも、決めてまで迷うのは愚者の逡巡にすぎません」

「あなた本当に高校二年?」

「そうですけど・・・・・・あ、お母さんが店に入ってきました」

「うう。お腹痛い」

「もう覚悟を決めてください。あ、こっちです。お呼び立てしてすいません」

「妹友ちゃん。久し振りね」

 妹ちゃんのお母さんはスーツ姿でとても若く見えた。この人も妹ちゃんのパパとうちの
ママの犠牲者なのだと思うと気が重くなった。そのうえ、更にショックなことを言わなけ
ればいけないのだし。でも、決めた以上もう迷っているわけにはいかない。





937:NIPPER:2013/12/14(土) 22:12:35.78 ID:z+bJyO34o

<密告>




「妹友ちゃんってうちのバカ息子と仲良かったんだっけ? 全然知らなかったわ」

 おばさんがあたしに微笑みかけながら言った。

「えと。どうぞ」

 あたしは少し席をずれておばさんの座る場所を空けた。

「ありがと」

 おばさんがドリンクをテーブルに置いて腰掛けた。

「そちらは?」

 女友さんを見ておばさんがあたしに聞いた。

「女友さんです。お兄さんの大学のお友だちで、女さんの親友です」

「は、初めまして」

 まだ緊張しているらしく硬い表情と声で女友さんがあいさつした。

「こんにちは。まあ、女ちゃんのお友達なのね。女ちゃんはお元気?」

「あ、はい。元気です」

「最近会ってないのよね。いつからだろう。ああ、女ちゃんに彼氏が出来てからだ。ふ
ふ。あのときはうちのバカ息子は女ちゃんに失恋したんでしょうねえ」

「いえいえ。そうじゃないと思いますよ」

 てんぱっていた女友さんがよけいなことを言いそうだったので、あたしは慌てて口を挟
んだ。

「あの。お礼が遅れましたけど別荘に誘っていただいてありがとうございました」

「あ、ああ。そうか。そうだよね。一緒に旅行に行ったんだっけ。だから兄のことを知っ
ていたのね」

 おばさんが今までそのことを忘れていたことが不思議だった。子どもたちが連休中に誰
と過ごしていたかも覚えていないほど、子どもたちに興味がないのだろうか。妹ちゃんの
家は家族全員がすごく仲がいいのだと、妹ちゃん本人から何度も聞かされていたあたしは
おばさんの様子に疑問を感じた。

 でもおばさんはそんなあたしの疑問なんかおかまいなしに話を続けた。

「ごめんね。仕事の途中だからあまり時間がないの。だから早速聞かせてもらおうかな」

「あ、はい」

「うちのバカ息子が性悪女に騙されてるって? まあ自業自得って気もするし、いい勉強
だっていう気もするんだけどね」





938:NIPPER:2013/12/14(土) 22:13:05.50 ID:z+bJyO34o

「あ、いえ。それは違うんです」

 ようやく気を取り直したあたしは本題に入った。それにしてもこの人は自分の子どもた
ちを大事にしているようには見えない。妹ちゃんの大好きだった家庭って何だったんだろ
う。何だか少し薄ら寒い思いが一瞬あたしの脳裏をよぎった。

「違うの? 電話では妹友ちゃんからそう聞いたんだけど」

「ごめんなさい。電話では本当のことを話すなんてとてもできなくて」

「・・・・・・どういうこと?」

 ここまで作戦立案者である女友さんは黙って様子を伺っているだけだった。何であたし
が正面に立たされるのよ。あたしはそう思ったけどもう後戻りはできない。

「お兄さんのことなんですけど」

「それはわかってるけど。いったいあのバカに何があったの?」

 もう後戻りはできない。あたしは大きく息を呑んだ。

「妹ちゃんのことでもあるんですけど」

「妹? バカ息子のことじゃないの」

「いえ。そうなんですけど。」

「どういうこと」

 あたしは言うべき言葉を口に出す前に一度胸の中で復唱した。

「本当はそうじゃないんです。お兄さんと妹ちゃんのことをお話したくて」

「兄と妹のこと?」

 一瞬で叔母さんの表情が険しくなった。

「はい。嘘を言ってごめんなさい。でも聞いてください」

「聞くよ。だから早く教えて」

「お兄さんと妹ちゃんは恋人同士として付き合い出したみたいです」

「・・・・・・それで」

 天晴れと言うべきか、おばさんはショックに耐えて表情を変えなかった。でも、実は相
当に衝撃を受けたはずだ。あたしは次の言葉を口にした。





939:NIPPER:2013/12/14(土) 22:13:37.27 ID:z+bJyO34o

「旅行中に二人が抱き合ってキスしていたところを見ました。水着姿なんでほとんど裸の
状態でした」

「そうか」

 しばらくの沈黙のあとにおばさんが言った。

「それだけです。それがいいとか悪いとかはあたしたちには判断できないんで。でも、一
応ご両親には伝えておいた方がいいかと思って」

 おばさんがあたしを見た。表情からはおばさんがショックを受けていたかどうかなんて
伺えない。

「そうね。聞かせてくれてありがとう」
 おばさんは飲み物に手を付けずに立ち上がった。「教えてくれてありがとう」

 おばさんの表情からは何を考えているのか本当にわからなかった。

「じゃあね。妹友ちゃんまたね。女友さんさよなら」

「はい」

 異口同音にあたしと女友さんが答えた。



「うまくいったのかなあ」

 おばさんがいなくなると急に元気が出たようでな女友さんがはしゃぎ気味に言った。

「どうでしょうか。いまいち反応に乏しかったですね」

 自制したんだと思うけど、ひょっとしたらあたしが考えるほど妹ちゃんとお兄さんのこ
となんか気にしていないのかもしれない。そして、そうだとしたらその理由は一つだった。

 自分の夫の浮気。自分の夫のあたしのママとの不倫。でも、そのことを誰がどこまで知
っているのかはあたしにだってわからない。不用意におばさんに言っていいわけはないし、
まして女友さんなんかに話すべきことではない。

「多分、目的は達成したんじゃないでしょうか」

 確信なんかなかったけど、そのときあたしは女友さんにそう答えた。





940:NIPPER:2013/12/14(土) 22:15:39.74 ID:z+bJyO34o

 それから二週間ほどたったころ、例の何とかという会の集まりがあった。何となく集ま
ろうという話が緩く持ち上がり、あたしは兄友さんに誘われてその集まりに参加した。

 あたしたちの作戦が成功していたことはもうみんな知っていた。

 おばさんに告げ口した後、突然妹ちゃんは校内にある学生寮に入寮することになった。
旅行以来学校でも妹ちゃんと全く口を聞いていなかったあたしは、その理由を直接聞くこ
とはできなかったけど、それを推察することは難しいことではなかった。

 あたしはそのことを別れさせる会のメンバーに伝えていた。

「死にたい」

 女友さんが言った。それを聞いた女さんも彼女から目を逸らして俯いてしまった。

「おまえら今さら何言ってるんだよ。自信をもって始めたことなんじゃなかったのかよ」

「だって」

「だってじゃねえよ。これじゃあ、おまえに乗せられて一緒に動いた妹友ちゃんがバカみ
たいじゃねえか」

「決行してから後悔するって、それは最悪の選択肢ですよ」

 あたしも女友さんに言った。

「違うのよ。兄君と妹ちゃんを別れさせたことじゃなくて」

「あれよりひどいことしたの? おまえ」

「黙っているのも何か気持悪いから言うけどさ」

「どしたの」

 女さんが顔を上げた。

「兄君がさ。校内で寂しそうだったから、ちょっと声をかけちゃってさ」

「声って?」

 兄友さんが聞いた。

「いやさ。あたしたちのせいで兄君につらくて寂しい思いをさせちゃったとしたら申し訳
ないし。兄君、明らかに寂しそうにしてたから」

「はい? 何言っちゃってるのおまえ。おとなしい俺でもいい加減怒るぞ」

「何であんたが怒る必要あるのよ」

「おまえ、いったい兄に何したんだよ」

 兄友さんと女さんが同時に言った。

「ロケに誘った。そんで飲みに言った。そしたら大学の変なやつらに絡まれたんだけど、
兄君が助けてくれた。彼、やっぱ格好いいよね。あの良さをわからない大学の女たちがバ
カなだけで」

「・・・・・・それで何で死にたいとか言うの」

 元気のない声で女さんが言った。兄と妹を別れさせる会の中で、恐らくニ番目に罪がな
いのが女さんだったろう。そして一番罪がないのが兄友さん。

 結果としてお兄さんと妹ちゃんの仲をおばさんに密告したあたしと女友さんが一番罪が
重いはずだ。でも、このときあたしはまだその罪の本質的な重さに気がついていなかった
のだ。そして、何だか落ち込んでいるらしい女友さんもその罪悪に気がついてはいないの
だろう。女友さんの死にたいと言う言葉から始まった懺悔は、とても重い内容だったのに
その口調はとても軽いものだったのだ。





941:NIPPER:2013/12/14(土) 22:16:58.46 ID:z+bJyO34o

「もうやだ」

 女友さんが繰返した。

「だからやだって何がよ」

 女さんが食いついた。彼女の気持を考えると無理もないとあたしは思った。

「助けてくれた兄君が格好よかったからさ。次の日に思わず」

「もったいぶるなよ。思わずどうしたんだよ」

 兄友さんが聞いた。

「兄君に告ちゃった」

「だってあんた、もう兄君に告白して断られたんでしょ」

「・・・・・・嘘なの」

 あたしたちは唖然として女さんを見つめていた。お兄さんと妹ちゃんを別れさせる作戦
は、二人を不幸から救うためだと女さんは言っていた。でもそんなことは誰も信じていな
かった。女さんが口を滑らせたようにそれは復讐でもあり、また、リベンジの機会を得る
ための自分勝手な行動に過ぎない。それを承知であたしはその行動に手を貸し、女さんは
積極的には加わらなかったけど、結局それを黙認した。

「じゃあ、いったい何で・・・・・・」

 あたしと女さんの声が期せずして交錯した。

「好きは好きだったのよ。でも兄君と妹ちゃんを見ているととても勝てる気がしなくて
さ。モデルって言ったって兄君は全然そういうことに関心がないみたいだし。だから、二
人を別れさせてから告ればいいかなって思って」

 そのためにみんなを集めたのか。あまりの身勝手さにあたしは言葉すら出なかった。

「それで?」

 この場にいて唯一冷静だったのは兄友さんかもしれない。

「・・・・・・目的どおり兄君は家を追い出されて一人暮らしを始めたでしょ? それで学内で
も寂しそうにしてたから。慰めてあげようと思ってお弁当を作ったりしてね」

 あたしも女さんも何となく不戦同盟を結んでいた錯覚を覚えていたのかもしれない。冷
静に考えればこんなにお節介でひどいことを共同でした以上、そこには暗黙の了解があっ
たはずだった。それはお兄さんに関しては、妹ちゃんと引きはがされたお兄さんがどんな
に弱っていようと、勝手に手出しをしないということだ。そうしないと、あたしたちのし
たことは単純に妹ちゃんからお兄さんを自分に奪い取るための行為となってしまう。

 女友さんはあたしの考えが揺れていることなんかに構わずに話を続けた。何か一刻も早
く悩みを吐き出して楽になりたいかのように。

「そんで思わず告ちゃったの。前に言ってたのは嘘。でもそう言わないとみんな協力して
くれないでしょ?」

 もう言葉すら出ない。さすがの女友さんもその場の雰囲気に何か感じるところがあった
のか、今さらながら言いわけを始めた。

「嘘言ってごめん。でも振られたわけだし結果的には嘘じゃなくなっちゃったから」

 彼女はあたしたちに微笑みかけた。





942:NIPPER:2013/12/14(土) 22:17:49.17 ID:z+bJyO34o

『あの・・・・・・さ』

『うん』

『昨日はその。ありがとね』

『何が? ああ。撮影に付き合ったことか。別に気にしなくっていいよ、どうせ暇だっ
たし』

『違うよ。あたしを助けてくれたこと』

『ああ。別に。つうかあれは俺の方が絡まれていたっぽいし』

『そんなことないよ。あたしがあいつらに手を掴まれたときあたしのこと助けてくれ
たじゃない』

『さっきから何考えてるの?』

『別に』

『冷たいなあ。友だちでしょ? あたしたち』

『まあそうだな』

『何か悩みでもある?』

『ねえよ』

『嘘つけ。あたしの勘は結構当たるんだって』

『だから今まで一度だって当たってねえだろ』

『おまえ、ひょっとして俺のこと好きなの?』

『一緒に来て』

『いや。悪い。俺、ちょっと考えなきゃいけないし。本当に悪いな』

『・・・・・・何でよ』

『え?』

『あたしが誘ってるのに何で来てくれないのよ』

『おまえさ。いくら女の親友だからって俺に弁当作る必要はないだろうが』

『・・・・・・わざと言ってる?』

『いや』

『俺のこと好きなのって聞いたよね? 答えるよ。その図々しい質問に。そうよ。君みた
いな持てない冴えない男のことが好きになったの。そうよ、あたしは君が好き。悪い?
何か文句あるの。何とか言え。売り出し中の若手ファッションモデルに告られたんだよ。
喜んで付き合うよって言えよ』

『そう』

『・・・・・・嬉しいでしょ? ねえ嬉しいって言ってよ『』

『・・・・・・すまん』

『すまんじゃないでしょ。嬉しいよって言って』





943:NIPPER:2013/12/14(土) 22:19:11.75 ID:z+bJyO34o

<暖かい腕>




 女友さんの告白に続く重苦しい沈黙をあたしは破った。

「女友さんが綺麗で陽気な人なのにこれまでお友だちが少なかった理由がよくわかるお話
でしたね」

 女友さんが驚いたようにあたしを見た。きっと自分の嘘を優しくたしなめられつつ、軽
く慰められるくらいに思っていたのだろう。女友さんの当てがはずれたのだ。

「・・・・・・悪いけどあたしもそう思う」

 女友さんと大学で知り合い、彼女の親友になったという女さんもあたしに同調した。こ
の場で黙っているのは兄友さんだけだった。

「それってどう考えても卑劣な嘘じゃないですか。いくら振られて自爆しているにして
も」

「何だよ。兄のためとか言いながら結局は自分のためじゃねえか」

 兄友さんが静かに言った。

「あんたには言われたくない」

「兄友には言う権利があると思う」

 そのとき女さんが顔を上げはっきりと言った。

「何でよ。こいつはあんたを裏切ったんだよ。何で庇うの。女ってまさか兄じゃなくてま
だこいつのことを」

「今は兄友よりもあんたの方がむかつく」

 これまで女さんのほかには親友ができなかったという女友さんが呆然として傷付いた表
情を見せた。お兄さんに振られる以上の衝撃を受けていたのかもしれない。それでもあた
しはもう彼女に同情する気にはならなかった。

「何でよ。あたしたち親友でしょ? あんたの好きな男に告ったのは謝るけど振られたん
だからチャラでしょうが」

 女さんが答えるより前に兄友さんが声を出した。

「おまえバカか」

「な、何よ」

「結果じゃねえだろ。親友の彼氏に恋するなとは言わねえけど,告るならせめて筋通せよ。
女にそう言ってから告りゃいいだろうが。それに騙してあの二人を別れさせるようなこと
までしやがって。何が売り出し中のモデルだよ。ファンが知ったら悲しむぞ」

「脅迫する気なの」

「しねえよ。そんな価値すらおまえにはねえよ」

 筋を通せか。あたしはぼんやりと考えた。兄友さんはああは言ったけど、女さんのショ
ックはそういう理由じゃない。むしろ、女友さんがその秘密を黙って墓場までもっていっ
てくれた方が女さんにとっては気が楽だったろう。女さんは、平然とその卑劣な行動をみ
んなにカミングアウトして慰めてもらおうとした女友さんのメンタリティにショックを受
けたのだ。一時は親友だと思っていた女友さんが異星人のようにコミュニケーションでき
ない相手だったことの方が、実際に裏切られたことよりもショックだったのだろう。

 あたしはそう思った。

「女はともかく妹友ちゃんは実際に手を汚したんだぞ。二人のためだっていうおまえの言
葉を信じてよ」

 兄友さんが言った。それから彼はあたしを見た。

「もう女友と話してもしかたないな。解散。もう行こうぜ、妹友ちゃん」

 あたしは黙って彼の後について行った。





944:NIPPER:2013/12/14(土) 22:23:53.23 ID:z+bJyO34o

 翌日、あたしはまた兄友さんを呼び出した。兄友さんはまるであたしの精神安定剤みた
いだ。

 このときのあたしは女友さんの告白に受けたショックなんかどうでもいいくらいのひど
い出来事に遭遇していた。そんなときに相談できる相手をあたしは本能的に考えた。妹ち
ゃんには会わせる顔がない。お兄さんにも。

 お兄ちゃんは利害関係が複雑でとても相談できない。第一、あの出来事の後では親密に
お兄ちゃんと話せば自分の身が危険かもしれない。あたしは消去法でいつのまにか兄友さ
んに電話をかけていた。

「今日はずいぶん早いんだね。つうかさ、授業さぼったんじゃ」

「してません。今日はオープンスクールだったんで役員以外は午前中で下校だったんです
よ」

「そう。妹友ちゃんさ、昨日のこと気にしてるだろ」

「してません」

「嘘付け。じゃなかったら昨日の今日で俺を呼び出したりしないでしょ」

「もともと人間性なんかに過度の信頼を置いていなかったですから、女友さんの抜け駆け
くらいじゃ動揺したりしないですよ」

 兄友さんのくせに。兄友さんごときが何を偉そうに。

「今日は相談があって」

「相談って俺に?」

「あなたに相談がないなら呼び出したりしないでしょ。どこまで頭が」

「頭が悪いとか言うなよ。俺って意外と繊細で傷付きやすいんだから」

「・・・・・・」

「お願いだから何か突っ込んで。黙られるとつらい」

「・・・・・・ママの浮気相手と話しちゃった」

「何だって」





945:NIPPER:2013/12/14(土) 22:24:23.97 ID:z+bJyO34o

「意外と冷静に話せるものなんですね。我ながらびっくりしました」

「妹友ちゃん・・・・・・」

「ふふ。家族以外にこんなこと初めて話しちゃった」

「泣いてるの」

「泣いてない」

「泣いてるじゃんか」

「うっさい。黙れ」

 泣き出したあたしを、兄友さんは最初はおどろいたように眺めていただけだったけど、
しばらくしてあたしは自分の肩に暖かい手が置かれたことを意識した。そういう優しい経
験はお兄ちゃんやお兄さんを考慮するまでもなく、あたしにとっては初めての経験だった。

「何なんですか。いったい」

 あたしらしくもなく兄友さんに肩を抱かれたままかろうじて声を出した。

 少し落ち着くとあたしは急に恥かしくなった。あたしは無意識のうちに兄友さんの胸に
顔を押し付けて泣いていた。我に帰って顔を離すと彼のシャツに涙の跡がくっきりと残っ
てしまっていた。

「ごめんなさい」

「いいよ。こんなときに不謹慎かもだけど嬉しいから」

「嬉しいって?」

「初めて君が俺を頼ってくれた」

「ば、ばかじゃないんですか。いつあたしが」

「わかってるよ。俺の勘違いだよな」

「・・・・・・本当にバカなんだから」

 兄友さんがまた少しだけ笑った。それから彼は真面目な表情になりあたしを見た。

 涙とかで顔がぐちゃぐちゃになっていないだろうか。あたしは少し慌てたけど、そのこ
とによってあのときから胸を繰り返し苛んでいたあの重苦しい痛みから一瞬だけ開放され
たのだ。

「実は」

 あたしはもう肩を抱く兄友さんの手に逆らわず素直に話し始めた。





954:NIPPER:2013/12/23(月) 23:46:03.84 ID:9s/yvZpko

<慰め>




 いい加減、女友さんのことと自分のしでかしてしまったことに動転していたあたしは、
ママに会って更に動揺していたけど、兄友さんに慰めてもらっているうちにだんだんと落
ち着いてきた。彼はずいぶんと遠回りしてあたしを自宅まで送ってくれた。

「じゃあね」

「あ・・・・・・。あの」

「どうしたの」

「・・・・・・何でもないです。今日はありがとうございました」

「・・・・・・どうしたの」

「兄友さんって失礼ですね。何でわざわざそんなこと聞くんですか」

「いや。君がしおらしく俺にお礼を言うなんて何か恐い」

「どこまで失礼なんですか。あたしを何だと思っているんです? 感謝しているときはあ
たしだってお礼を言います」

「いやいや」

「いやいやってあたしのことは全否定ですか」

「否定とかしてないから。つうか感謝されるようなことはまだ何もしてねえし」

「まだ?」

「いや。まだっつうか・・・・・。妹友ちゃんは深読みしすぎだっつうの。とにかく俺は君に
感謝されるいわれはない。以上」

「・・・・・・」

「・・・・・・何だよ」

「本当にありがとう」

「何なんだよいったい。後輩を妊娠させて女を振っておきながら復縁しようと画策するよ
うなクズだぞ、俺は。礼なんか言われても戸惑うよ」

「あたしも人のことは言えないですけど、兄友さんって不器用ですね」

「・・・・・・わかったようなことを言うなよ。俺はただのクズだよ。君に何がわかるんだ」

「わかりますよ。とにかく話を聞いていただいてありがとうございました」

「ああ。それは別にいいけどさ。あまり考えすぎない方がいいぜ。兄の親父のことを見直
しているようだけど、しょせん浮気するような男はクズなんだから」

「・・・・・・あなたがそれを言いますか」

「自分がやらかしてきたからわかるんだよ。兄の親父のことは信用するな」

「よく考えてみます。じゃあ、お休みなさい」

「お休み」





955:NIPPER:2013/12/23(月) 23:46:42.20 ID:9s/yvZpko

 この日、あたしが兄友さんに相談したのは、お兄さんと妹ちゃんのことではなかった。

 兄と妹を別れさせる会の会合のあと、あたしは兄友さんと一緒にその場を後にした。駅
前で自分で期待していたよりもずいぶんとあっさりと兄友さんはあたしをリリースした。

 その直後、あたしの携帯が鳴った。ママからだ。

「ママ?」

「もう学校終った?」

「今日はオープンスクールだったから。午前中で」

「今から会える?」

『別にいいけど。どうしたの』

 何か嫌な予感がする。

「じゃあ、駅前のスタバでね」

「わかった」



 ママと待ち合わせしたファミレスでママと向かい合って座ると、急に緊張があたしを襲
った。本当はお兄さんと妹ちゃんとのことなんかのんびりと話し合っている場合じゃない
んだ。今さらだけどあたしはそのことを思い出した。愛とか恋とか以前に自分の家庭が危
ういんだった。海辺への旅行やお兄ちゃんに襲われかけたことでいろいろと自分を失って
いたけど、自分にとって今の最大の危機はママの浮気だろう。

 こんなことを今まで忘れていた自分に呆れるとともに、正面に座っているママの表情に
びくびくするほどの違和感とストレスを感じる。

「ごめんね突然」

「・・・・・・どうしたの」

 ママがこんな時期にあたしを呼び出す理由は一つしかない。あたしは暗い思いでそう考
えながら返事した。

「うん・・・・・・。あ、そうだ。あなたお昼まだでしょ。ドリンクだけじゃなくて何か食べれ
ば」

 ママが突然名案を思いついたように言った。あたしは緊張していたのだけど、ママの言
葉にイライラした。

「お腹すいてないし。それよか用事があるんでしょ」

「あ、うん」

「・・・・・・どうしたの」

「あのね。あなたとお兄ちゃんには本当に悪いんだけどね」

 ママが俯いて言った。やっぱりその話か。あたしは覚悟を決めた。でも、言い難いのか
ママはなかなか本題に入ろうとしなかった。





956:NIPPER:2013/12/23(月) 23:47:14.53 ID:9s/yvZpko

「いったい何? 用事があるなら早く言って」

「うん」

「・・・・・・何か大事な話なんでしょ。わざわざ呼び出したんだし」

 あたしは意地悪だ。でも家庭を壊す話をしようとしているママにならこれくらいのこと
はしてもいいだろう。

「そうね。あのね、あたしとパパは離婚するの。それをあなたに言いたかったの」

 ストレートにきた。回りくどい言いわけなんか望んでたわけじゃない。

「・・・・・・本気で言ってるの」

「うん、ごめん。だけど本気。もうパパとは一緒に暮らせないから」

「最初から話して。本当にパパのせいなの?」

 気のせいかママは少し怯んだようだったけど、見た目は強気のまま話を続けた。

「ママはね。結婚してすぐに後悔したの。何でこんなに理解のない人と結婚したんだろう
って。でも、結婚してすぐにお兄ちゃんが生まれたし、続いてあなたが生まれたんでママ
は育児に必死だったのね。パパなんか仕事ばかりい夢中で全然役に立たなかった。けど、
ママはあなたたちのことで精一杯で、その頃からパパとはもうやっていけないって思って
たけど子どもたちのためなら我慢しようって思ってた」

 あたしは最初に覚悟していたほど慌てなかった。というか、目の前にいる女性が何か奇
妙な動物のような気がして、辛いと思うことすらなかった。この人はあたしとお兄ちゃん
の育って来た家庭を全否定しているのだ。

「一度妥協するとどこまでもずるずるとしちゃうのね。出産直後から育児に興味ないパパ
には未練なんかなかったけど、保育園の卒園までとか小学校卒業までとか考えているうち
にここまで来ちゃった」

「・・・・・・ママは何が言いたいの?」

「ずっとつらかったの。もちろん、あなたとお兄ちゃんはあたしの生き甲斐だったけど、
それ以外はつらいことだけだった」

「それで」

「でも、あたしにもようやく本当に信頼できる人が見つかったの。本当に偶然の出会いだ
ったのだけど」

「ようやく浮気相手が見つかったってことね。よかったね」

「そんなこと言わないで。彼は浮気相手なんかじゃない」

「ママはどうしたいの」

「うん。ごめんね。あたしは彼ともう一度人生をやり直したいの。パパとじゃなくて彼と
一緒に」

「ママとパパが喧嘩ばっかりしてたことは知ってるよ。だからといってパパを裏切って浮
気するなんて最低じゃん」

「・・・・・・・あたしだってずいぶん我慢したのよ」

 浮気して離婚したい人の言いわけとしてはそれはデフォルトの言葉なのだろう。あたし
はもう冷静になっていたから、そんなママの言葉はスルーした。





957:NIPPER:2013/12/23(月) 23:48:32.66 ID:9s/yvZpko

<浮気相手>




「ママのしたことって浮気だし不倫じゃない。パパが嫌だったけど我慢したのはあたした
ちのせいだなんて。そんなの責任転嫁じゃない」

「だって、ママが離婚したらあなたたちが悲しむと思って」

「そう思うなら何で今離婚するの? もう高校生だから悲しまないとでも思っているの」

「それは」

「結局、好きな男ができたからその人と暮らしたいだけじゃない。順序が違うでしょ?」

 そのときママの目が泳いだ。あたしはママの視線の先を追った。やっぱりか。

 以前、妹ちゃんの家に遊びに行ったときあたしは偶然にその人に会いあいさつしたこと
があった。妹ちゃんはお兄さんがいる時はあたしを自宅に招こうとしなかったけど、それ
以外の家族がいることは全く気にしていなかったから。

 ママの視線の先にはそのとき会った人が座っていた。二人の視線が交錯し、その人は黙
って頷いて席を立った。

 最初からママはそのつもりだったのだ。あたしは席を立とうとした。

「待って。騙すようになっちゃったのは謝るから彼に会って。話さえすればどういう人な
のかわかるから」

 ママはあたしが妹ちゃんのパパと会っていることを知らない。でも、妹ちゃんのパパは
どうなのだろう。自分の不倫相手の娘であるあたしが、最愛の娘の親友であることを知っ
ているのだろうか。

「こんにちは」

 穏かで深みのある低音の声がして、目の前にその人が立った。

「お久し振りです。いつも妹ちゃんには仲良くしてもらってます」

 男の人とママは驚いたようだった。

「あれ? 君ってたまにうちに遊びに来ていたね」

「はい。妹ちゃんとは親友です」

「そうか。君だったんだ」

 ママとこの人は富士峰の授業参観や保護者会で親しくなったということだから、ママの
娘が妹ちゃんの友だちであることは承知していたのだろうけど、そのあたしが実際にあの
とき家で会った子だとは思わなかったようだ。





958:NIPPER:2013/12/23(月) 23:50:41.61 ID:9s/yvZpko

「君だったんだね。初対面かと思っていたのに」

 妹ちゃんのパパは動揺する様子もなくそう言ってさりげなくママの隣に座った。

「紹介する必要なくなっちゃったね」

 ママが隣に座った彼を見て微笑んだ。

「でも一応言っておこうかな。この人は池山さん。あなたのお友だちの妹さんのお父さん
なの」

「・・・・・・知ってる」

「改めて今日は。妹友ちゃん」

 こんな人にちゃん付けなんかされたくない。あたしはむすっとして軽く頭を下げた。

 しばらく奇妙な沈黙の間があいた。

「あなた。あの話をしないと」

 あなたか。思い返せばずいぶん前からママはパパに対しては人称がない。あなたとも君
とも、名前ですら呼んでいない。人称がなくても不便でないのはきっとママがパパに対し
てあまり話をしないからなのだろう。ママにとってのあなたはこの人なのだ。

「いや、その前に」

 池山さんがあたしの方を見た。

「この間は息子と娘の情けない関係を教えてくれてありがとう」

 すっかり忘れていた。あたしは妹ちゃんのママを呼び出して二人の関係をちくったのだ
った。ママの不倫のことしか頭になかったあたしは完全に不意を突かれた。

「あ、あの」

 情けない。不倫男相手にどもってどうするのだ。

「妻から聞いたよ。一緒に旅行にも行ってくれたんだってね。あのバカ二人のせいで嫌な
思いをしたでしょう」

 あたしは黙っていた。

「教えてくれてありがとう。バカ兄貴は家を追い出したし、娘の方は寄宿舎に入れた
よ。ちょっと手遅れっぽいけど何とか引きはがせてよかったよ。妹友ちゃんのおかげだ」

「妹ちゃん、何か言ってませんでしたか」

 ママの不倫相手と話をするのは嫌だったけど、純粋な好奇心に負けてあたしはつい聞い
てしまった。

「正直に言うと修羅場だった」

 ちょっと辛そうな表情だ。妹ちゃんを溺愛しているこの人なら妹ちゃんの悲嘆はつらい
出来事だったのかもしれない。

「娘は兄に抱きついて泣いてたよ。こっちの方がおかしくなりそうなほど悲し気に」

「そうでしょうね」

「それに比べて兄の方は落ち着いてたな。本当に妹のことが好きならもっと取り乱しても
いいはずなんだ。その様子を見て私は思ったんだ。兄は妹のことは本気で好きになったん
じゃないって。きっとあの年頃にありがちな恋愛欲求を手近な妹ですませようとしたんじ
ゃないかって」

「そんなわけないでしょ」

 あたしは思わずため口で池山さんに反論してしまっていた。

「そうとしか思えない」

 池山さんが言い切った。





959:NIPPER:2013/12/23(月) 23:52:09.68 ID:9s/yvZpko

「だいたい妹の方が昔からもてていたのに比べて兄の方はさっぱり女っ気がなかったから
ね。情けないことに」

「あら。ご自分の若い頃はさぞかしおもてになったのかしら」

 ママが微笑んでいった。

「そうじゃないけど。とにかく兄が本気ならあのときもっと私に反発したはずなんだ。そ
うされてれば私だって」

 そうされていれば二人の仲を許したとでも言いたいんだろうか。

「お兄さんは女の子にすごく人気がありますよ。昔から仲のいい女さんとか大学の友人
でモデルをやっている女友さんとかがお兄さんのことを好きみたいですし」

「本当か」

 池山さんが驚いたように言った。妹ちゃんとお兄さんの仲を邪魔したあたしにとっては、
論理的な思考ではなかったけど、なんだかお兄さんがバカにされているのが嫌であたしは
このとき少し興奮していたみたいだ。

「お兄さんの取り合いみたいになっているし。妹ちゃんの仲をご両親に告げ口しようとい
う話だって、どうもお兄さんを妹ちゃんと別れさせたいからみたいだし」

「うーん。ちょっと早まったかな」

 池山さんが苦い顔で呟いた。

「早まったもいいところでしょ。本当に愛し合っていたかもしれないですよ」

 あたしはいったい何がしたいのか。計画どおりに二人を別れさせたのはあたしの方じゃ
ないか。何を今さら池山さんを責めているんだろう。このとき、ママは黙ってあたしと池
山さんのやりとりを聞いていた。その様子は嬉しそうだった。どうも、その話題が何であ
れあたしと池山さんが親しい口調で話をしていることが嬉しいようだ。

「だったら何で黙って家を出て一人暮らしを始めたんだろう。妹に泣きながら抱き着かれ
ていたのに」

「妹ちゃんが好きだったから無理に添い遂げて不幸にさせなくなかったんじゃないです
か」

「そうかな。私たちにばれて自棄になって諦めたんじゃないかな」

「自分の息子のことなのにそんな感想しか持てないの? あなたは妹ちゃんだけが唯一の
大切な子どもなんですか。お兄さんのことは理解しようともしないの?」

 あたしはいつの間にか目に涙を浮かべてなかば叫ぶように言っていた。恥かしい。こん
なに感情的になるなんて。





960:NIPPER:2013/12/23(月) 23:54:28.61 ID:9s/yvZpko

<君みたいな子が兄と付き合ってくれたらいいのにね>




「・・・・・・君はなんで妻に兄妹の仲を教えてくれたのかな」

 池山さんとママはきっとこのときのあたしの剣幕に驚いたに違いない。そのせいか彼は
しごく穏かにあたしに問いかけた。

「どんなに真剣に愛し合っていたとしてもその関係には将来がないから。多分、いつかは
ふたりとも不幸になると思ったから」

「そうだね。君は正しいと思うよ」

「でもやり方ってあるでしょ。いきなり二人を引き裂く必要なんかないでしょ。あなたは
ひょっとして妹ちゃんのことでお兄さんに嫉妬でもしていたのかしら。自分の娘をお兄さ
んに取られた気がしたんですか」

「いい加減に言葉を慎みなさい」

 ママが口を挟んだ。この人にはそんなことを言う権利はない。

「へ〜。家族を裏切ったママがそんなことを言えるんだ」

 ママは赤くなって俯いてしまった。一応、羞恥心という概念はを理解できていたらしい。

 しばらく訪れた沈黙を携帯が鳴る音が破った。ママの携帯だ。

「はい。ええ・・・・・・あたし。これから? 何があったの」

 ママは眼前のあたしを忘れて電話に集中していた。いつもそうだった。パパもママも携
帯が鳴った瞬間に家族のことに興味をなくすのだ。ママの好きな男がパパじゃなくて池山
さんになってもそれは変わらないらしい。池山さんの方はあまりママの様子を気にしてい
ないようだったけど。

「ごめん。中東のツアーがトラブってるみたい。あたし社に戻らないと」

「そうか。大変だね」

「何か空港がデモで閉鎖されちゃってツアーのお客さんが帰国できなくて足止めされてる
みたい」

「それは大事だね。すぐ戻った方がいいいよ」

「呼び出したのにごめんなさい」

「話はどうする?」

「あなたに任せてもいい? この子もあなたには心を開いているみたいだし」

「わかった」

「また連絡するね」

 ここまで話を理解できないでいるあたしにママが言った。

「悪いけど仕事なんで社に戻るね。あとは彼から聞いて」

 ママはそそくさと店を出て行ってしまった。





961:NIPPER:2013/12/23(月) 23:55:58.64 ID:9s/yvZpko

「兄と妹のことを心配してくれたんだね」

 ママが出て行くと池山さんが言った。

「ええ、まあ」

「君みたいな子が兄と付き合ってくれたらいいのにね」

 あたしは池山さんの言葉に意表をつかれた。それは突然にあたしの胸に入り込み、あた
しを貫いた。

「な、何言ってるの」

「私が自分の子どものうち妹姫のことだけを愛していると思ってるでしょ」

 姫か。この人もお兄さんと一緒で妹ちゃんのことを姫と呼ぶ。いったい妹ちゃんはどん
んだけ家族からお姫様扱いされているのだろう。別に自分の家族のことではないのだけれ
ど、あたしはなぜかこのとき妹ちゃんに嫉妬してしまったようだった。

「兄が生まれたとき、私も妻もすごく喜んだんだよ。私と妻の間にはもはや愛情なんかな
いけど、それでも兄のことを気にして大切に考えているのは二人とも同じだと思うよ」

「信じられません。あなたは妹ちゃんだけを贔屓にしているとしか思えません」

「そう見えるかもしれないとは私も思うよ。でも兄だって大切な息子なんだ。問題は兄が
姫を抱いたということだ。いくら兄も姫も大事だとはいえそんなことは絶対に許せな
い」

 何を言っているのだ、この人は。お兄さんと妹ちゃんは確かに水着姿で抱き合ってキス
していた。そこまでは事実だけど、お兄さんが妹ちゃんを抱いたって。池山さんが言う抱
いたという意味は抱きしめたとかそっちの意味とは思えない。

「少しかまをかけたら二人は白状したよ。肉体関係があることを」

 あたしは凍りついた。





962:NIPPER:2013/12/24(火) 00:00:43.79 ID:Egf394k3o

「君のママに託された伝言を伝えるよ」

 あたしは何も言えなかった。もう遅いのだ。お兄さんと妹ちゃんはついに一線を越えて
しまったのだ。

「私は妻と離婚するし、君のママも君のパパと離婚する。民法で定めがあるのですぐにで
はないけど、半年後には私は君のママと再婚することになる」

「それで、できれば君と君のお兄さんには私と君のママと一緒に暮らして欲しい。私は妹
も引き取るつもりだから」

「ずいぶん都合よく考えているんですね。妹ちゃんのママだって妹ちゃんを手放すとは思
えませんけど」

 池山さんの次の言葉はあたしを驚かせた。ここまで厚顔無恥なことを言える人がこの世
の中にいるなんて。

「だから君には一緒に暮らしてもらいたいんだ。姫だって親友の君と暮らすことを喜ぶだ
ろうし。そうしてもらえれば姫の親権を取るのに有利になる」

「そんなわけないでしょ。両親の離婚で親友と姉妹になるなんて、妹ちゃんが喜ぶわけな
いないよ。それにお兄さんはどうなるんですか」

 池山さんはにっこりと笑った。

「兄の親権は私でも妻でもどっちでもいいよ。妻との間に兄の親権については争いはない
んだ。どうせあと数年したら成人するんだしね」

 やはりこの夫婦は妹ちゃんだけを優先している。お兄さんのことはどうでもいいのだ。

「でもね。さっきも言ったけど私は兄のことを心配している。自分の息子だもんね」

 池山さんが突然あたしの手を握った。

「頼むよ」

「え」

「君が兄と付き合ってくれたら私も安心だ。君のママもそれがいいと言ってくれているし。
君は兄のことは嫌いか」

「・・・・・・あたしは」

 突然の甘い誘惑にあたしは戸惑った。池山さんとママの公認でお兄さんと付き合える道
が、半ばお兄さんのことは諦めていたあたしに訪れたのだ。

「私と君のママと一緒に暮らして欲しい。それで兄と付き合って兄と姫をを救ってやって
くれないか」

 池山さんのその表情はどうやら冗談ではなさそうだった。





970:NIPPER:2013/12/29(日) 23:30:01.46 ID:n+EZ0SdMo

<お兄さん起きてください>




「初めて会った女の子に自分の息子と付き合うように勧めることなのかあるのかな。たと
え好きな女の娘だとしてもさ」

 兄友さんはあたしの話を聞いたとき、疑わしそうな声を出した。それは普通に考えれば
もっともな疑問だった。でもあたしは兄友さんの言葉を無視した。自分の信じたいことを
信じようという衝動が働いたのだ。

 兄友さんはあたしのことが好きなのだろう。池山さんの容認の下であたしがお兄さんと
結ばれるのを阻止したいと思ったのかもしれない。たとえ意識したのではなくても無意識
のうちに。あたしは何も見えなくなっていたのだ。



『そのうち君にお父さんと呼んでもらいたいな』

 あのとき池山さんはそう言った。

『何か勘違いしませんか。あたしはあなたとママの関係を認めたわけじゃない』

『ああ、それはそうだろうね。そんなに簡単に割り切れることじゃないだろうし』

 池山さんが笑った。

『そうじゃないんだ。つまり君が兄の彼女とかお嫁さんになってくれれば、君は私のこと
をお父さんと呼ぶようになるだろ? そっちの意味なんだ』

『・・・・・・何言ってるの』

『君みたいな子が兄の彼女ならいいなって』

 冷静に考えれば兄友さんの言うとおりだったろう。あたしのことなんか何も知らない池
山さんがお兄さんの彼女にあたしがふさわしいなんて判断できる材料なんか何もない。

 ママとの再婚に際してあたしを味方に使用と知っていると考えるのが妥当だ。それでも
あたしは池山さんの言葉に乗ろうと思った。お互い様だ。どうせママと彼との仲は既定事
項で今さらどうしようもない。それならせめてこの動きに乗じて自分の望みをかなえても
いいのではないか。あたしはそう考えたのだ。





971:NIPPER:2013/12/29(日) 23:30:40.48 ID:n+EZ0SdMo

「私と君のママと一緒に暮らす件に関してはよく考えて欲しいな」

「そうですね。よく考えます。パパと一緒に暮らすのかあなたたちと一緒に暮らすのか」

 心が揺らいだせいか今でより穏かな口調になってしまた。こんな人相手に。

「君が私たちと一緒に暮らしてくれて、そして兄と仲良くなってくれると嬉しいと、私は
本当にそう願っているんだよ」

「・・・・・・あたしが誰と暮らすことになるのかはまだわかりませんけど、それとお兄さんと
のことは全然別な話でしょ」

 池山さんはにっこりと笑った。あたしは自分の願望を読み取られているようで狼狽した。

「明日の夜は君のママと一緒に君を予備校に迎えに行くように頼まれているんだけど、い
いいかな」

 彼はそう言った。

「お迎えなんていりません」

「まあ、そうかもしれないけど。私も君のママに頼まれたんでね」

「今までだって一人で帰ってたんだから。何でママがそんなことを言うのかわかんない」

 池山さんとあたしを親しくさせるためとしか思えない。

「いろいろ君のママと話し合っているんだ」

 埒が明かないと思ったのか池山さんが話を変えた。

「いろいろって?」

「もう一つ別な考え方がある」

「何ですか」

「妹姫が私のことを嫌悪して君と君のママと一緒に暮らすことを拒否することもありえ
る」

 ありえるって。それ以外は考えられないじゃない。

「その場合だけど。妹姫を私の妻に渡すことだけは避けたい」

 この人は本当は妹ちゃんのことが好きなのではないんじゃないいいいいだろうか。あた
しは直感でそう感じた。子どもがお気に入りのおもちゃを取り合っているのと同じだ。こ
の人は自分の奥さんにお気に入りの妹ちゃんの親権を渡したくないだけではないのか

「その場合、姫には引き続き寮生活を続けさせる。もちろん、親権は私だけど」

 池山さんはにっこりと笑ってあたしを見た。

「これは君のママの提案なんだけどね。その場合、君と君のお兄さん、そして兄も一緒に
暮らしてもいいかなって思ってるんだ」

「お兄さん? お兄さんには一人暮らしさせるんじゃ」

「姫とは一緒に暮らさせないというだけだよ。姫が寮にいるなら私たちと兄が一緒に暮ら
しても問題はない。その方が君だって嬉しいでしょ」





972:NIPPER:2013/12/29(日) 23:31:33.88 ID:n+EZ0SdMo

 この人はクズだ。自分の大切なはずの子どもたちまで、ママとの新しい生活を始めるた
めの道具としてしか考えていない。妹ちゃんの切実なファミコンは全く実体を伴わない幻
想であり彼女の空回りに過ぎなかったのだ。

 今のあたしは妹ちゃんと仲違いをしている。旅行のときの彼女の振る舞いや態度は最悪
だった。それでも池山さんの言動を聞かされていると、妹ちゃんが可哀そうに思えてくる。

「君と兄が一緒に暮らせばいろいろ楽しいだろうな。兄はいいやつだけどだらしないとこ
ろがある。君みたいな子が兄を世話してくれたら、あいつも目が覚めるだろう」

「いい加減に」

「一緒に暮らすことで芽生える感情もあるだろうし。今にして思えば姫と兄の間違いだっ
てきっかけは些細なことだろうしね」

 二つの家庭を壊すための策略であることは十分にわかっていた。ただ、そのときあたし
の脳裏に池山さんが囁きかけていた新生活の幻影がよぎったのだ。



 新しい家の朝。あたしは隣の部屋でなかなか起きてこないお兄さんを起こすため、お兄
さんの部屋に入る。声をかけてもお兄さんは起きてくれない。このままだと大学に遅刻し
てしまう。しかたなくあたしはお兄さんに手を触れる。そうしないとお兄さんが遅刻して
しまうから。

『お兄さん起きてください』

『うるさいな。邪魔するなよ』

 寝ぼけているお兄さんの声。しかたなくあたしはお兄さんに手を触れる。もう時間がな
いからだ。ベッドの中で温まって寝ているお兄さんの体は暖かい。もう少し寝かせてあげ
たいという自分の心を鬼にしてお兄さんの身体を揺さぶる。お兄さんはぶつぶつ文句を言
いながら目を開ける。

『おはようお兄さん』

『妹友か。おはよ』

 お兄さんが眠そうにあたしに答える。

 これは今まで妹ちゃんが毎日繰返してきたことにすぎない。でも、その役目があたしの
ものになるのかもしれないのだ。





973:NIPPER:2013/12/29(日) 23:32:33.11 ID:n+EZ0SdMo

<じゃあ、帰るね。兄友さんはそう言った>




「変な夢を見て惑わされない方がいいと思うけどな」

 兄友さんがあたしの回想を遮った。口にしたわけではなかったけど思考というかこの妄
想はだだ漏れだったらしい。

「そんなことはあたしにだってわかってます」

 情けなく兄友さんの胸に自分の顔を擦りつけながらあたしは弱々しく言った。

「まあ混乱するのも無理ないか。でも自分の両親の離婚と兄への気持はいったん切り離し
て考えた方がいいかもな」

「わかってるよそんなこと」

 本当にわかっているのだ。ママやママと再婚するという池山さんを拒絶し、傷付いてい
るであろうパパやお兄ちゃんの助けに専念するべきだということは。

「何かなあ。なし崩しに兄の親父さんと君の母親の手の内に落ちちゃいそうだな」

「・・・・・・そんなこと」

「ないって言い切れる? 君の望みが叶うんだよ」

「・・・・・・何でそんなに意地悪するの」

 肩を抱いてくれていても兄友の言葉は今のあたしにとって辛らつなものだった。

「意地悪するつもりじゃないんだけど」

「ひどいよ。兄友さんがあたしのことが好きだからって、そんなに責めることはないでし
ょ。あたしとお兄さんを仲良くさせたくないだけじゃないんですか」

 兄友さんは黙ってしまった。

 これは考え得る限り最悪の言葉だ。好きだという気持をこんな風に非難される材料にさ
れたら、あたしだったら本当に屈辱で悲しいだろう。そんなことはわかっているのにあた
しはそういうひどい言葉を兄友さんに向って口にしたのだ。さっきまで抱きついて兄友さ
んの優しさに慰めを求めていたくせに。





974:NIPPER:2013/12/29(日) 23:33:08.56 ID:n+EZ0SdMo

 しばらく沈黙が続いた。

「ごめんなさい」

「そうだな」

 あたしたちは同時に声を出した。

「妹友ちゃの言うとおりかもな」

 あたしの謝罪に押しかぶせるようにして兄友さんが言った。同時に彼はそっと自分の胸
からあたしを遠ざけた。

「悪かったよ。君が決めることなのに余計なことを言って。嫉妬丸出しでみっともないだ
ろ?」

 あたしから身を離して彼は立ち上がった。目すら合わせてくれない。「じゃあ、帰る
ね」

「・・・・・・別にそういう意味じゃなくて」

 彼はもうあたしの言いわけを聞く気はないみたいだった。

「さよなら」



 それから何度か塾の帰りに池山さんに車で送ってもらうようになった。ママと一緒に送
ると言われていたのだけど、いつもママに急用ができてしまうみたいで、塾の帰りは池山
さんと二人きりで車で送られることがいつのまにか習慣のようになってしまった。

 この頃になると、あたしはだいぶ池山さんに気を許すようになっていた。もちろん、マ
マの浮気や離婚を心から許したわけではないけど、これだけまめに送りをしてもらい車内
でいつでも親身に相談に乗るよ的な態度を見せられると、やはり仕事だけが大切で滅多に
家に帰って来ないパパよりも信頼できるような気がして来ていた。

 冷静に考えればこういう大事なときだから、池山さんも無理によい大人をアピールした
だけだろうと理解できたはずだった。妹ちゃんの話でも池山さんは滅多に家に帰ってこな
かったはずだったから。それでもそのときのあたしは盲目だった。お兄ちゃんと気まずく
なり妹ちゃんとも喧嘩状態だったあたし。唯一親身になってくれた兄友さんからはあの日
以来何の連絡もない。一度自分から兄友さんにメールをしたけど、彼は返事をしてくれな
かった。兄友さんと知り合って無視されたのは初めてだった。





975:NIPPER:2013/12/29(日) 23:33:37.21 ID:n+EZ0SdMo

 池山さんは親身にあたしの話を聞こうとしてくれていただけではなかった。その日が近
づいてくると彼はあたしに柔らかくだけど決断を迫るようになってきた。

「私と君のママのせいで二つの家族が壊れようとしていることは理解しているつもりだ」

 彼はハンドルを握って夜の通りを真っ直ぐに見つめながら言った。

「それは本当に申し訳ないと思っている。でももう自分の気持に嘘はつけないんだ」

「また自分勝手なことを言うのね」

「それも承知している。その十字架は一生背負っていうつもりだ。でも、それでも君のマ
マを愛しているし、一緒に暮らしたいんだ」

「あなたの大事な大事なお姫さまを傷つけることになるのにね」

 一瞬池山さんの表情が暗くなった。それでもその後に続けた言葉はしっかりとしていた。
「それでもだ。四人の子どもたちには本当に申し訳ないと思っているよ。でも、だからこ
そチャンスが欲しい。君たちを幸せにするチャンスをもらいたいんだ。私たちと一緒に暮
らしてほしい。大切にすると誓うよ」

 あたしは初めて池山さんと会ったときから真面目に考えていた。

 お兄さんとのことはひとまず置いておくとして、現実的に考えれば実はパパと一緒に暮
らすという選択肢は全く現実的ではなかった。あの会社人間のパパと暮らすということは、
実質的には子どもたちだけで暮らすというのと同じことだった。これまでだってどうして
も避けることができない行事とかの際は、パパとママがそれぞれ何とか都合をつけて対応
してくれていた。それをパパ単独でできるとは思えない。

 あるいは親権はどっちになるにせよ、寮に入って一人で暮らすかだ。寮に入った後の妹
ちゃんの落ち込みようを見るまではそういう選択肢もあったけど、あのひどい様子を見た
後ではとてもそんな気にはなれない。あたしは妹ちゃんほど家族命のファミコンではない
にしても。

「あなたは自分の子どもたちとお兄ちゃんとあたしの両方を引き取りたいの?」

「兄はともかく、姫と君、そして君のお兄さんの三人とは一緒に暮らしたい。でも、場合
によっては姫には寮生活を続けてもらって、兄と君たち兄妹の三人でもいいと思っている
よ」

「何で」

「親権争いは男親に不利だから。妻は姫の親権を主張しているし形式上は私が有責配偶者
ってやつらしいから、争っても難しいと弁護士に言われているんだ」

「弁護士って・・・・・・そんなにどろどろしてるの」

「そうでもない。妻とはもう夫婦としては一緒には暮らしていけない。あっちにも男がい
るしね。でもね、それでも私と妻が姫の両親であることには変りはない。姫の幸せを一番
に考えることに妻とは同意しているんだ」

「じゃあどうやってどっちが妹ちゃんを引き取るのかを決めるんですか」

「君たちと一緒。姫の意向に任せるということで妻とは合意している」

 家族のことが大好きな妹ちゃんにはつらい選択になるだろう。あるいは、お兄さんと一
緒に二人で暮らすという選択肢があれば妹ちゃんも救われるのだけど、そんなことをこの
人が許すはずはない。





976:NIPPER:2013/12/29(日) 23:34:28.59 ID:n+EZ0SdMo

<疑惑>




「信じてもらえないかもしれないけど、私には兄だって大切な息子だ」

「じゃあ何で」

 二人を引きはがしたのか。

「必ずしも姫のためにだけじゃない。兄のためでもあるんだ」

 嘘を言っている表情でも声音でもないとあたしは思った。

「君も考えているとおり、兄と姫の恋愛なんて将来なんか何もないんだ。姫にとってもそ
うだけれども、それは兄にとっても同じなんだよ。兄は中途半端にだけど頭はいい方だ。
親としてはこのまま順調に自分の人生を進んで行って欲しいという気持には嘘はないん
だ」

「・・・・・・妹ちゃんたちはそれを承知でお互いを選んだんだと思いますけど」

「それを止めるのが親の権利でもあり義務でもあると私は思うよ。妻も同じ考えだろう」

「二人は納得しないと思うな」

「兄に彼女ができれば姫だって納得するんじゃないかな」

「・・・・・・」

「妹友ちゃんみたいな子が兄の彼女になってくれれば自然に問題は解決すると思うよ」

「その話はともかく、妹ちゃんを一人で寮生活をさせている時点でお兄さんがあたしたち
と一緒に暮らそうと思ってくれるわけないじゃないですか」

 池山さんは前方の暗い道を見つめながら笑った。

「あたしたちって言ってくれたね。ありがとう」

「今のはそういう意味じゃなく」

「あとは君のお兄さんが一緒に暮らしてくれればそれでいい。兄のことなら任しておいて
くれ。最悪は仕送りを止めるとか脅してでも説得するから」

「・・・・・・・お兄ちゃんはあなたのことを恨んでいますよ」

「わかってる。それは妹友ちゃんだって同じでしょ。それでもここまで心を開いてくれた
んだし」

「それに」

 池山さんが自信ありげに続けた。

「君のママに言われたんだ。あの子はあたしが大好きだから、どっちかを選べって言われ
れば必ずあたしの方を選ぶってね」

 確かにお兄ちゃんはマザコンだ。何せ初恋の相手はママだというくらいの。でもそれは
家庭的なママのことで、不倫して他の男のものになろうとしているママをお兄ちゃんが選
ぶだろうか。





977:NIPPER:2013/12/29(日) 23:35:45.37 ID:n+EZ0SdMo

「じゃあ本音では妹ちゃんの親権とか一緒に暮らすことは諦めているということですね」

「まだわからないと思っているよ。私には姫に好かれているという自信もある」

 それは家庭を大切にしていた頃のあなたでしょ。あたしは思った。妹ちゃんもお兄ちゃ
んも同じだ。自分の家族を裏切って崩壊させた池山さんやママと一緒に暮らすことを選ぶ
のだろうか。

 それに妹ちゃんと一つの家族として一緒に暮らすことをあたしは本当に望んでいるのだ
ろうか。本音で言えば、前に夢想したようにお兄さんと一緒に暮らすことに対しては期待
があることは否定できない。でもお兄さんと一緒に暮らすことは保証されているわけでは
なく、池山さんはあたしとお兄さんを付き合わせたがってはいるけど、本音では妹ちゃん
と一緒に暮らしたいという気持の方を優先しているとしか思えない。

「着いたよ」

「ありがとう」

「いや。また迎えに行くよ」

「・・・・・・別にいいのに」

「いや。私の役目を兄に譲るまでは、仕事の都合がつく限り送らせてもらうから」

「おやすみなさい」

「おやすみ」



 自宅は暗かった。誰もいないようだ。迎えに来なかったくらいだからママが会社にいる
ことはわかっていたし、パパがいないことも意外ではない。それにお兄ちゃんも最近は帰
宅時間が遅いようだった。あたしどころではなく予備校で受験勉強をしているのだろう。

 学校でも妹ちゃんには無視されていたし、家庭にも話し相手がいない。いったいいつか
らこんなに孤独になってしまったのだろう。そう思うとママの浮気相手、再婚相手の池山
さんとの会話だって、今のあたしには貴重なコミュニケーションになっていたのだった。





978:NIPPER:2013/12/29(日) 23:38:13.22 ID:n+EZ0SdMo

 一月後に結論は出たけど、その結果は散々なものだった。

 お兄ちゃんは浮気して家庭を壊したママと一緒に暮らすことを冷たく拒否した。自業自
得ではあったけど、そのときのママの傷付き狼狽した姿を見るのは結構つらかった。お兄
ちゃんはこのままこの家でパパと暮らすそうだ。実際にはパパはほとんど不在なのにも関
わらず。それでもママに裏切られたパパにはお兄ちゃんの選択はせめてもの救いのようだ
った。

 あたしはママと暮らす方を選んだ。心の中にお兄さんとのことが燻っていたことは正直
否定できないけど、それでもほとんど家にいないパパより浮気して家庭を壊したにしても、
パパよりは家にいてくれたママを選んだのだ。

 池山さんの方はもっと悲惨だった。妹ちゃんは池山さんに引き取られるのを拒否し、マ
マの方を選んだ。どっちも選べないようならそのまま寮生活になったはずだけど、彼女は
はっきりと自分のママの方を選んだのだった。ファミコンの妹ちゃんにしてはよく決断し
たものだと思う。彼女ならどちらも選べず一人で悩み傷付いて、最悪の場合はそのまま壊
れて行くのだと思っていたから。

 とにかく彼女は母親を選んだ。

 そして、池山さんのシナリオの破綻はそれに留まらなかった。お兄さんは両親のどちら
からも望まれていなかった。それでも池山さんは妹ちゃんが自分と暮らさない場合は、お
兄さんを自分と一緒に暮らさせるようにすると言っていたのに。別に池山さんのその約束
を過度に期待していたわけではないけれど、結局それが実現しないと知ったとき、あたし
は深いため息をついた。夢は夢に過ぎない。あたしはそれを思い知らされた。結局兄友さ
んの言うとおりになってしまったではないか。池山さんのことを信頼しすぎたのだ。

 お兄さんはこれまでどおり一人暮らしを続けたがった。池山さんが兵糧攻めを匂わせて
説得したけど、お兄さんのママが彼を救った。

『兄があなたや私と暮らすことを拒否している以上、強制する理由はないでしょ』

 お兄さんのママは池山さんにそう言ったそうだ。『あなたがそういうことを言うなら兄
は成人するまであたしの戸籍に入れます。それで兄の望みどおり一人で暮らさせるから』

 新しいマンションは富士峰に通学するのに便利な場所だったし、部屋数も多かった。そ
の広いマンションで結局あたしはママと池山さんと三人だけで暮らすことになってしまっ
たのだった。それも最初の一月がたつと、二人は仕事で帰宅しないようになったため、以
降はあたしは一人暮らしをしているのと同じだった。





979:NIPPER:2013/12/29(日) 23:40:30.97 ID:n+EZ0SdMo

 あたしが新しいマンションに引越す前日の金曜日。下校しようとしていたあたしは、校
門の前で妹ちゃんを見かけた。彼女は大きなバッグを抱えたまま寮の同室の子と抱き合っ
ていた。何をしているんだろう。あたしは何となく校門前の木陰に隠れて二人の会話を盗
み聞きした。

『いろいろありがとう。これからも友だちでいてね』

『よかったね。約束どおり友だちだよ?』

『うん。もちろん・・・・・・泣かないでよ』

『妹ちゃんと一緒に暮らせなくなるのが寂しい』

『ごめんね』

『こっちこそごめん。でも、本当は喜んでいるんだ。妹ちゃんがようやくお兄さんと二人
きりで暮らせるんだし』

『・・・・・・うん』

『頑張ってね。寮で辛い思いをした分幸せになってね。応援してるから』

『ありがと。でも大袈裟だよ。また学校で会えるじゃん』

『うん』



 あたしは呆然としてその会話を聞いていた。



『こっちこそごめん。でも、本当は喜んでいるんだ。妹ちゃんがようやくお兄さんと二人
きりで暮らせるんだし』



 妹ちゃんはママと暮らすのではなかったのか。お兄さんは一人暮らしを続けるのではな
かったのか。

 やがて妹ちゃんが同室の子と名残惜しげに別れを告げて歩き出した。あたしは思わず彼
女の後を追った。





985:NIPPER:2014/01/02(木) 22:19:51.58 ID:VuCMeMxFo

<妹不在の休日>




兄(あれ? 姫が横にいない)

兄(何時だろう? もう朝か。姫は先に起きたのかな。今日は休みなんだから弁当とかい
らないのに)

兄(ベッドで一緒にゆっくりしたかったな)

兄(姫と二人きりの生活は良くも悪くも落ち着いてきた。最初は夢みたいでお互いに数分
毎に愛してると言い合いながらいつも一緒にくっついていたけど、それは一緒にいないと
何か不安だったからで)

兄(お互いの覚悟とか父さんにばれたらどうなるだろうとか、一人でいるとそんなことば
かり考えちゃうんだよな。きっと姫もそうだったと思うし)

兄(でもお互いの気持は十分に理解できたし、それにまだ安心できるというほどではない
けど、父さんが俺と姫の秘密の二人暮らしに気がつく様子もない)

兄(妹も学校では俺と二人で暮らしていることは信頼している寮で同室だった子以外には、
誰にも話してないと言っていたし)

兄(そうして何となくお互いに気持の余裕ができてからは、姫も異常なほどいつも俺にく
っついてこなくなった。それはそれで寂しいけど、別に喧嘩したわけじゃないし。落ち着
いた愛情って言うのか? そういう感じに落ち着いた。それでも夜はいつも同じベッドで
寝ているし)

兄(・・・・・・)

兄(それにしても・・・・・・。同居しだしてから一度も姫とああいうことしてないなあ)

兄(最初のうちはそんなことはどうでもよかったからだけどな。一緒にいるだけで幸せだ
ったし)

兄(最近はどういうわけか落ち着きすぎちゃって、以前の仲のいい兄妹関係まで戻ってし
まったし)

兄(それはそれで居心地はいいんだけど)

兄(でも、それでもいい。俺は一生姫を守るんだ。そのために一緒に暮らすことを選んだ
んだから)

兄(それはそれでいいんだ。それでいいんだけど・・・・・・。だが最近じゃキスすらしてねえ
なあ。つうか手を繋ぐ頻度すら減ったかもしれん)

兄(それでもいいんだけど・・・・・・姫が俺のことをどう考えているのかは知りたい。直接聞
く勇気はないけど)





986:NIPPER:2014/01/02(木) 22:20:25.90 ID:VuCMeMxFo

妹「あ。やっと起きた」

兄「うん。つうか休みなのに姫の方が早起きなんだよ」

妹「おはよ。おにいちゃん」

兄「おはよう。あれ? どっか行くの(何か着替えてるし)」

妹「忘れちゃった? 前に話したでしょ」

兄「ごめん、忘れた。何かあるんだっけ」

妹「・・・・・・今日は最初の面会日だから」

兄「あ(そうだった。今日は離婚してから姫と父さんが最初に面会する日じゃんか)」

妹「やっぱり忘れてたのね」

兄「うん、悪い。そうか今日だったのか」

妹「行きたくないけど約束だからね」

兄「そうだな(そのわりには何か服とか気合入ってる気がする。つうか薄く化粧してる
し。俺とデートするときより姫が綺麗だとか・・・・・・複雑な気分)」

妹「もう出かけるね」

兄「うん。何時ごろ帰る?(まあ、裏切られたとはいえもともとこいつは父さんが大好き
だったしな。久し振りに会えるのが嬉しいんんだろうな)」

妹「多分、そんなに夜遅くならないと思う」

兄「え? 夜って。まだ午前中じゃんか。面会って、一日中一緒に過ごすもんなの?」

兄(・・・・・・何か納得できねえ。それに父さんと長く一緒にいると秘密はばれる可能性も大
きくなるし)

妹「お兄ちゃん?」

兄「俺の食事は?(何言ってるんだ俺。姫は俺の母親でも家政婦でもないのに)」

妹「あ、ごめん。支度してないから適当にお願いしていい?」

兄「わかった」

妹「ごめんね」

兄「別にいいけど。それよかうっかり俺と一緒に暮らしていることを漏らすなよ」

妹「わかってる。なるべく早く帰るから」

兄「・・・・・・別にゆっくりしてくればいいんじゃねえの」

妹「・・・・・・行って来る」

兄「ああ(俺の態度、嫉妬出まくりだ。最悪)」





987:NIPPER:2014/01/02(木) 22:21:06.50 ID:VuCMeMxFo

兄(つまらん)

兄(飯の支度をするのも面倒で外出してはみたものの)

兄(ファミレスで飯を終えてしまえばもうやることは何もない。時間がたつのがやたらノ
ロノロとしている感じだ)

兄(姫と一緒だと休みの日なんかあっという間に終っちゃうのにな。それも何をしている
でもなく二人で話をしているだけですぐにニ、三時間は経ってしまう)

兄(不思議だ。生まれてからほぼずっと一緒にいるのに姫との間で話題が尽きたことなん
か一度もないもんな)

兄(姫の話を聞いているのも好きだし、姫に話しかけるのも好きだ。要するに姫が好きっ
てことになるんだけど)

兄(あ〜あ。これじゃ共依存じゃなくて俺の方が一方的に姫に依存しているみたいじゃね
えか。何が姫を守るだよ)

兄(・・・・・・まだ午後一時か)

兄(いつまでもファミレスにいてもしかたない。とにかく外に出るか)

兄(さて。どうしたもんか。家に帰ろうか)

兄(・・・・・・却下。夜まで一人とか気が滅入るわ)

兄(ついこないだまで一人暮らしをしていたわけだが、そんときは姫を恋しく思ったりは
したけど、ここまで寂しくは感じなかったな)

兄(まあ、あのときはどちらかというと一人で寂しいというよりは、失恋してつらいって
いう感情の方が大きかったからな)

兄(しかし情けない。姫がいないと時間を潰すことすらできなくなってしまうとは)

兄(これじゃ本当に依存症だ。まじでメンタルクリニックとかに行くレベルかもしれん)

兄(こんなことが姫に知られたら確実に引かれるな。というより姫のことだから責任を感
じかねない)

兄(思ったけど姫って学校とかで、友だちとかとどういう距離感なんだろう。二人きりで
生きて行くしかないと決心してからは、俺は友だちとかどうでもよくて必死に勉強とバイ
トだけしてたけど。姫は学校で俺と一緒じゃないときは普通に交友関係とかあるのかな)

兄(俺も少しは姫以外の友だちとかと過ごすようにしないといけないのかもしれない
な。そうしないとかえって姫に精神的負担をかけてしまう)

兄(それに家事だってそうだ。俺の飯は? とかでかける姫に平気で訪ねる自分の神経を
疑うわ)

兄(よし。少しづつでもいいからいろいろ改善してみよう。長く姫と一緒に暮らすためで
もあるんだ)

兄(そうと決まればさっそく夕食は自分で作ってみよう)



「兄?」

兄(やることができたぞ。スーパーに行って食材を、ってえ?)

女友「やっぱ兄じゃん。こんなとこで何やってるの」

兄「女友? え? 何々。何でおまえら一緒に・・・・・・」





988:NIPPER:2014/01/02(木) 22:21:49.43 ID:VuCMeMxFo

<だってそれじゃあたしが兄に嫌われちゃう>




女「・・・・・・久し振りだね」

兄「おう。つうか何で」

兄友「よう」

兄「(ようじゃねえだろ)女と兄友ってやっぱり・・・・・・」

女「違うよ。違うって」

女友「やっぱりって何が?」

兄友「久し振りだな。元気か」

兄「・・・・・・まあな」

女「いろいろ誤解なの」

女友「そういうことはもういいじゃん。話し出すと面倒くさくなるしさ」

女「あんたはもう。いい加減にしてよ」

兄友「おいおい。一度仲違いしてようやく元通りに仲直りしなのにもう破綻か?」

女「そんなんじゃない!」

女友「そうそう。あんたらって深刻に考え過ぎだって。あはは」

兄(何だよ。結局こいつらつるんでんじゃんか)

兄友「あははじゃねえよ。いつまで間違いを繰返すつもりなんだよ」

兄(何言ってるんだこいつ)

女「あのさ。全部誤解だったっていうか、本当兄友は悪くないの」

兄「はあ?」

女友「それじゃわかんないでしょ」

女「あとさ。あたしはあんたのことも勘違いしてたんだけど、今さらもう遅いよね」

兄「(何言ってるだっこいつ)何だかよくわかんねえけど」

女友「わかんなくていいって。そんで? 相変わらず妹姫とは仲良くやってんの?」

兄友「よせよ」

女友「何でよ」

兄「まあ、そこそこな」

女「・・・・・・」

女友「そ、そか」

兄友「ダメージ受けるくらいなら最初からそういう話は振るなよ」

女友「うっさいなあ」





989:NIPPER:2014/01/02(木) 22:22:41.59 ID:VuCMeMxFo

女友「あたしたちお昼食べるところなんだけど、兄も一緒にどう」

兄「(何で兄友とこいつらが一緒に行動してるんだろうな)俺はもう食べ終わって帰ると
こ」

女友「いいじゃん。お茶くらい付き合ってよ」

兄「悪い。ちょっと行くところあるから」

女友「ああそうか。ひょっとしてあんたの大切なお姫様と待ち合わせかな」

兄(・・・・・・女友を振ったのは悪かったけど、それにしてもこいつうぜえ。さっぱりしてい
いと思ってたけど、考えてみれば女友にはいろいろ振り回されてきたんだっけ。それに兄
友と女てどうなってるんだ。いや、女に関しては今さらどうでもいいんだけどさ)

兄友「だからもうそういうのよせって」

兄(兄友ってちょっと感じが変ったかな。何か兄友のくせに常識的なことを言ってる)

女「そうだよ」

女友「何よ。あんたたちだって気になるくせに」

兄「俺、用事があるから帰るわ。またな」

女友「そう? まあ大事なお姫様と待ち合わせなら邪魔しても悪いよね」

兄「そうじゃねえよ。買物だって(こいつに言い訳しなくたっていいのに)」

女「じゃ、じゃあね。また」

兄(またなんてねえよ。俺はもうおまえらとは縁を切って姫とだけ)

兄(あれ?)

兄(姫への依存をやめるんじゃなかったっけ。そしたらこいつらと仲良くした方がいいん
じゃないか)

兄友「じゃあな」

兄(そうだよ。このままじゃ妹にだって負担になるから、姫と二人だけで行きて行くって
いうのを少しだけ修正するんだった)

兄(これは姫からの自立の一歩でもあるのかもな。よりによってこいつらじゃなくてもい
い気はするけど、俺には他に友だちはいないし)

女友「どうした? 帰らないの」

兄「よく考えたら俺って今日は暇なんだった。ちょっとだけ付き合おうかな」

女友「やった。それでこそ兄だね」

女「・・・・・・」





990:NIPPER:2014/01/02(木) 22:23:51.29 ID:VuCMeMxFo

女友「そういやさ。何っていっていいのかわからないんだけど」

兄「何?」

女友「・・・・・・お父様たちの離婚、残念だったね」

兄「え?(何でこいつらが知ってるんだ)」

女「よしなよ。そんなことわざわざ言うことないじゃん」

女友「そうだね。よけいなこと言っちゃった。周りからこんなこと言われたっていい気持
ちしないよね。ごめん、忘れて」

兄「いやちょっと待て。離婚自体はもう自分の中では整理できてるんで、別に気にしてく
れなくてもいいんだけどさ」

女友「そっか。ならよかった。つらかったね」

兄「いや、それはいいって。それより俺、両親の離婚のことは誰にも話してねえんだけ
ど」

女友「・・・・・・あ」

女「ばか」

兄「何でおまえが知ってるの? 誰から聞いた?」

女友「誰って・・・・・・それはさ。つまりその」

兄「教えてくれよ。それとも何か言えない事情でもあるのか」

女友「女?」

女「どうしてあたしに振るのよ。この間から全部あんたの自業自得つうか自爆じゃない
の」

兄友「これ以上はもうやめようぜ」

兄(何言ってるんだこいつ)

女友「ちょ、ちょっと兄友」

兄友「もう兄に隠れてこそこそするのはやめよう。もちろん俺も含めてだけど。もともと
兄と妹ちゃんの生活に口を突っ込む権利なんか、俺たちにはこれっぽっちもないんだから
さ」

女「・・・・・・そうだね。あたしも兄友に賛成」

女友「でも、でもさ。だってそれじゃ」

兄友「もういいだろ。今日偶然兄に会ったのはいい機会じゃんか。全部話そうぜ」

女友「・・・・・・だってそれじゃあたしが兄に嫌われちゃう。チャンスがなくなっちゃうじゃ
ん」

兄(何だって)

兄友「おまえ、まだそんなこと言ってるのかよ」

兄(・・・・・・いったい何なんだろ)





991:NIPPER:2014/01/02(木) 22:24:27.79 ID:VuCMeMxFo

<あたしは今ではお兄さんと同じ池山姓を名乗っている>




 それから数日後、朝目覚めて階下のリビングに下りていくと、珍しくこんなに早い時間
なのに、池山さんがそこにいて迎えてくれた。休日でも普段は朝早く出勤で家にいないの
が普通だったのに。

「おはよう妹友ちゃん」

「・・・・・・おはようございます。って、どうしてこんな時間に家にいるの?」

 驚いた様子を見せないように冷静さを装って聞いたけど、内心では嬉しかった。

 別にこの人に心を開いたわけではない。自分の選択の結果とはいえ、この家庭を選んだ
ことで結果的にあたしは孤独になったのだから。結局、この人が唆したようなあたしとお
兄さんが一緒に仲良く暮らす生活は手に入らなかった。それどころかお兄さんと妹ちゃん
は一緒に暮らしている。妹ちゃんは学校であたしを無視しているし、お兄ちゃんからも連
絡はない。そして兄友さんは何度メールしても返事をくれない。そういう原因を作ったの
はこの人とママだ。

 それでもあたしは久し振りにこの家に人がいることが嬉しかった。

「もう少ししたら出かけるところだよ。朝食を用意しておいた。よかったら食べてくれ
る?」

「うん。ありがとう」

「君には父親らしいことをしてやれないから、たまにはこれくらいはしないとね」

 池山さんが用意してくれた朝食を取りながらあたしは不思議だった。父親らしくも何も、
この人は自ら破綻させた元の家庭で父親役を演ずる上で朝食の支度はおろか父親らしいこ
とは何もしてこなかったはずだった。妹ちゃんを溺愛することを除いては。そのことは仲
違いする前の妹ちゃんからずいぶんと詳しく聞かされていたことだから、あたしの思い違
いではないと思う。



『パパって家事は何もできないんだ。食事の支度もお掃除も』

『ふーん。じゃあママが全部してるんだ』

『まさか。ママは何でもできるけど、パパと同じでお仕事が忙しいからね』

『もしかしてそれで妹ちゃんって料理部に入ったの?』

『それもある。せめてあたしが家の中のことを手伝おうかと思ってさ』

『妹ちゃんって偉いね。そんなパパじゃ家にいてもしかたないもんね』

『そうでもないよ。パパが家にいるとあたしは嬉しいし』

『・・・・・・何で?』





992:NIPPER:2014/01/02(木) 22:24:59.34 ID:VuCMeMxFo

『パパはあたしのことが大好きだし、普段は家にいないけどいつもあたしに優しいの』

『そうなんだ』

『うん。それにママだって家にいる時は仕事で疲れていてもご飯の用意をしてくれるし』

『本当に妹ちゃんって家族のことが好きなんだね』

『うん』

『ご両親がいないときは妹ちゃんが料理しているの?』

『う〜ん。最近は慣れてきたからなるべくそうしてるんだけど。それでも出前とかコンビ
ニのときもあるかなあ』

『お兄さんはあんまりそういうこときにしなさそうだね』

『え? 妹友ちゃん、うちのお兄ちゃんと話したことあったっけ』

『あ、ごめん。ないよない。何となく男の人は気にしないかなって』

『そうか。でも違うんだ。お兄ちゃんって朝は和食がいいとか焼き魚は西京焼きがいいと
か好みが面倒くさくてさ。そのわりにオムライスとかお子様味覚なとこもあるし。作るの
大変なの』

『まさか、そんなの登校前に用意してるの? お兄さんのために』

『あ、いや。そうじゃなくて。ママがそう嘆いていたってこと。あたしは西京焼きもオム
ライスも作ったことなんかないよ』

『何で? お兄さんの好物なら作ってあげたらいいのに。あたしだったらお兄ちゃんが好
きなら作ってあげるけどなあ』

『妹友ちゃんのブラコン』

『違うよ。そうじゃないって』



 今にして思えばこのときの妹ちゃんは兄ラブ全開だったのだけど、そういうことは今は
どうでもいい。むしろ、これだけ自分勝手に仕事一筋に生きていたにも関わらず、池山さ
んは妹ちゃんに嫌らわれていないということの方が重要な情報だった。





993:NIPPER:2014/01/02(木) 22:28:25.73 ID:VuCMeMxFo

「どうかな。久し振りに作ったんだけど」

 さわらの西京焼き。赤味噌のお味噌汁。

「料理上手なんだね」

 見た目はすごくおいしそうだし、一から作ったとすれば多忙なこの人にしてはたいした
ものだ。あたしは素直にそう思った。

 池山さんは照れたように顔を背けた。

「そんなことないよ。昔を思い出して何とか作ってみただけで。まずかったら無理に食べ
なくてもいいからね」

 実際に食べてみると、さわらは焼きすぎで西京味噌が焦げて黒くなっていたし、味噌汁
は赤味噌はいいけど出汁が取れていないため辛いだけだ。

「こんなのいつ覚えたの」

 味に関する評価はさておきあたしはそう尋ねた。このメニューはお兄さんの好物だった
はず。

「昔のことだけどね。前の妻が姫を出産するために入院したとき、兄の好きなものを必死
に作ったことがあってね。あの頃は私も若かったな」

「・・・・・・お兄さんのこと本当は大好きなのね」

「さあどうだろう。姫を傷物にした兄のことは一生許せないと思うよ。でもまあ、姫は母
親と一緒に暮らすことになったし、兄は一人で反省しているだろうし。このままま二人が
冷静になったら、兄のことも許せるようになるのかもな」

 二人は一緒に暮らしているのよ。あたしは思わずそう言いかけた。お兄さんへの愛情や
執着やみっともない未練はまだあたしの胸の中で燃えさかっていた。それでも、あたしが
言いつけていいことじゃない。





994:NIPPER:2014/01/02(木) 22:29:59.76 ID:VuCMeMxFo

「よく覚えていましたね。そんなに昔に作っただけの料理のレシピを」

 あたしは無理に兄妹の消息から話をそらした。

「こういうのって意外と忘れないものだよ。大事な人にはこれくらいはしてあげたいとい
つも思っているから」

「そうなんだ。やっぱり池山さんってお兄さんが大切なんですね」

「それは息子のことだからね。私は姫が好きで好きでしようがなかったし、前の妻ともそ
の気持だけは共有していたんだ」

 池山さんは笑った。

「どうしたの」

「その気持を込めた料理を久し振りに大事な人に作れて嬉しいよ。妹友ちゃんはもう僕の
大事な娘だから」

「あ、どうも」

「・・・・・・君はどうなの?」

「はい?」

「君は僕のことを人称抜きで呼んでるでしょ。一緒に暮らす前は池山さんだったけど、暮
らし始めてからは、池山さんともあなたとも君とも言わない。もちろん、パパとかお父さ
んとかもね」

「・・・・・・」

 最近はこの人のことは嫌いじゃない。でも、パパとかお父さんという呼び方は今はお兄
ちゃんと二人暮らしをしている本当のパパのためのものだ。かと言って池山さんと呼ぶの
は既におかしい。あたしは彼の籍に入って名前は池山となっていたからだ。皮肉にも、あ
たしは今ではお兄さんと同じ池山姓を名乗っている。そして妹ちゃんは今では学校の名簿
には結城妹と記されていた。それは妹ちゃんのママの旧姓ではないようだから、新しい父
親の姓なのだろう。

「変なことを言ったね。悪い。そろそろ私は出かけるよ」

 池山さんが立ち上がって上着を取り上げた。

「今日もお仕事なの?」

 相変わらず人称を省略してあたしは彼に聞いた。

「いや。今日は姫との面会日なんだ。楽しみすぎて今朝は早く起きすぎたよ。妹友ちゃん
に朝ご飯を作れたから結果オーライだけどね」

「・・・・・・そう」

「じゃあ、行って来るよ。姫と一緒に夕食をとってから帰るからね」

「行ってらっしゃい」

 池山さんが出掛けたあと、あたしは彼の整えてくれた朝食を食べることを諦めてシンク
の隅に捨てた。





8:NIPPER:2014/01/05(日) 23:44:03.70 ID:xuQUAg08o

<真実>




兄「ちょっと待て。別れさせる会って・・・・・・。何言ってんだおまえら」

女「本当にごめん。みんなで集まったとき、何となくそういう話になって」

兄「よくわかんねえけどさ。俺と妹の仲のことでさ、俺たち一度だって誰かに迷惑かけた
ことあったか?」

女「・・・・・・ない」

兄「みんなってこの面子?」

女友「あと妹友ちゃんもね」

兄「妹友が?(結構ショックだけど無理はないかもしれない。俺ってあいつに告られてた
し、しかもその気持に応えないでうやむやに妹と・・・・・・)」

兄友「妹友は関係ねえだろ。言いつけるような真似はよせ」

女友「関係なくないじゃん。実行犯は妹友ちゃんじゃないの」

兄「・・・・・・実行犯? 何のことだよ」

女「妹友ちゃんは反対してたじゃない」

女友「だから?」

女「だからって・・・・・・」

女友「最終的には同意して、しかも実際に作戦まで立てて実行したんだもん。責任は全部
妹友ちゃんにあると言っても過言じゃないと思うけど」

兄友「おまえだって妹友と一緒に手を下したんだろうが」

女友「あたしはその場で躊躇したの。今さらだと思われるかもしれないけど、人としてこ
んなことをしていいのかって悩んだの。でももうそれは後の祭りで、妹友ちゃんは冷静に
兄のお母さんに兄妹が近親相姦してるって告げ口したのよ。全くそれこそ何のためらいも
せずにね」

兄友「てめえ。兄の前だからって都合よく記憶を改竄しやがって」

女友「あたしが嘘を言ってる証拠があるなら出してみなさいよ。その場にいなかったくせ
に」

女「でもさ。兄と妹を別れさせる会を作ろうって言い出したのは女友じゃない」

女友「・・・・・・今では後悔してるよ。それだけあたしは兄が好きになって追い詰められてた
んだけど、もちろんそのことを言いわけしようとは思わない。兄、本当にごめん。でもさ、
実際に君と妹さんの仲をお母さんに言いつけたのはあたしじゃない。妹友ちゃんなの。そ
れだけは信じて」





9:NIPPER:2014/01/05(日) 23:45:51.55 ID:xuQUAg08o

兄(何が何だかわからねえ。両親に俺と姫の仲をばらしたのが妹友だったってこと? )

兄友「自己弁護もいい加減にしろよ。自分から言い出したくせに。もうおまえは黙って
ろ」

兄(兄友?)

兄友「悪かったな兄。つうか俺の話なんか聞きたくもないだろうけど、女友に喋らせてお
くと自分に都合のいい話しかしないからな。俺が説明させてもらう」

女友「都合のいい話なんかしてないよ」

女「してるじゃない。さっきからずっと妹友ちゃんだけを悪者にして」

女友「だって、妹友ちゃんは妹ちゃんから兄を奪うために」

兄友「だからおまえは黙れ。全部話すよ。兄、聞いてくれるか」

兄「(だから何なんだ)聞くから内輪もめしてないでさっさと話せよ」

兄友「わかった。そもそもは、女と女友がおまえを好きになったことから始まったんだ」

兄「・・・・・・ああ」

兄友「まあ、それだけならよくある話だ。同じ男を取り合う親友同士ってな」

女「兄友・・・・・・」

兄友「もう全部話した方がいいって。その方がおまえだって楽になる」

女「わかった」

兄友「おまえはこの二人を振ったよな」

兄「ちょっと待て。俺は女のことは振ってない。つうか逆に振られたんだぜ」

兄友「言いたいことはあると思うけど、結果的にはおまえは女を振ったんだよ。俺のせい
でもあることはわかってはいるけど」

兄(・・・・・・何なんだ)

兄友「振られたこいつらには納得のできないことがあった。それはおまえの相手だ」

兄「姫のことか」

兄友「自分の妹を姫って呼ぶなよ。二人きりのときだけにしろ」

兄「・・・・・・別にいいだろ。誰にも迷惑はかけてないし」

兄友「そこが問題なんだよ」





10:NIPPER:2014/01/05(日) 23:48:06.43 ID:xuQUAg08o

兄「どういう意味だよ」

兄友「恋愛なんか基本的には自由だ。俺だって女と付き合っていながら後輩ちゃんと浮気
してたんだからよ。そのことは本気でそう思うよ。だけどよ、おまえのことが好きすぎて、
おまえには不幸な恋愛はしてほしくないって思った女の子がいたとしたら、おまえはその
子を責められるか?」

兄「意味がわからん」

兄友「確かに余計なお世話だろうさ。おまえと関係のないやつがそう言ったのなら。でも
よ、女も妹友ちゃんも、それにこんなバカな女友だっておまえが妹ちゃんと付き合うこと
によって不幸になることを見過ごせなかったんだ」

兄「大きなお世話だよ。俺と姫のことは放っておいてくれ。不幸になったとしても俺たち
二人の問題だ」

兄友「そうじゃねえって・・・・・・。まあ、とりあえず話を続けるけど。それで妹友ちゃんを
含めた俺たちはおまえと妹ちゃんを別れさせる会を作った。それが『兄と妹を別れさせる
会』だ」

兄「やっぱりおまえらが」

兄友「ああ。実際におまえの母親に言いつけたのは、女と妹友ちゃんだ。妹友ちゃんは最
後まで反対してたけど、一度決めたら全く迷いを見せなかった」

兄(あいつは最初から言ってたもんな)



妹友『その関係には将来があるんですか』



兄友「もちろん、みんなにはエゴもあったと思うよ。でも将来の見えない関係からおまえ
と妹ちゃんを救いたいという気持だって、あながち嘘じゃねえと思うんだ」

兄「・・・・・・そうか」

兄友「だからさ。少なくとも妹友ちゃんと女の気持だけはわかってやってくれ。許してや
れとは言わねえけど」

女友「ちょっと。あたしは?」

兄友「おまえは自分勝手な動機しか持ち合わせてねえだろ」

女友「ひどいよ」





11:NIPPER:2014/01/05(日) 23:50:53.60 ID:xuQUAg08o

<妹友ちゃん、あんたの腕の中で泣いたのか>




兄友「妹友ちゃんからおまえ達たちの両親が離婚したって聞いた」

兄「今度はその話かよ。おまえらどんだけ俺たちのことに興味あるんだよ」

兄友「好奇心だけで聞くわけじゃねえんだけどさ。迷惑じゃなかったら教えてくれよ。お
まえと妹ちゃんは今どういう状況なんだ」

兄「迷惑だ(・・・・・・母さんのおかげで姫と一緒に暮らしていることは、こいつらにだって
秘密にしとくべきだ)」

兄友「おまえ、姓は変ってないんだろ?」

兄「(これくらいならいいか)ああ。最初は俺の一人暮らしに親父が反対して揉めてさ。
母さんの方の籍に入りそうだったんだけど、結局親父が折れて一人暮らしを認めてくれて
な。その条件として親父の方に親権が行くことになった。あと数年間だけの話だけどな」

兄友「じゃあ池山って姓は変わってねえんだ」

兄「ああ」

女「あんた、今はどこで暮らしてるの」

兄「それは秘密。悪いけどもうお前らには関係ない」

女「・・・・・・」

女友「妹ちゃんはどうなったの?」

兄友「だからそういうことを聞かれるのは兄は迷惑だって言ってんだろ」

兄「・・・・・・(ここはフェイクをかましておくか。黙ってると変に勘ぐられないとも限らな
いし)姫はおふくろと暮らすことになったよ。新しい姓は結城だってさ」

兄友「結城って・・・・・・。おまえの母ちゃんの旧姓か?」

兄「いや。おふくろの再婚相手の姓だよ。厳密に言うとまだ入籍していないらしいか
ら、今はおふくろの旧姓なんだけど」

女友「何で?」

兄友「離婚したら女性の方は半年経過しないと再婚できないんの。そんなことも知らない
なら黙ってろよ」

女友「あんたさ。いくら何でもさっきからあたしに厳しすぎじゃないの?」

兄友「自覚しろ。おまえはそれだけのことやらかしてるんだぞ」

女友「・・・・・・」





12:NIPPER:2014/01/05(日) 23:53:32.90 ID:xuQUAg08o

兄(しかし、告げ口したあと俺と姫がどうなったかは誰も聞かないんだな。さすがの女友
も聞きづらいのかな。まあ、聞かれたら別れさせられたことにするだけだけど)

女「あれ?」

兄友「どうした?」

女「兄友の話だとさ。妹友ちゃんはママの方と一緒に暮らしてるんでしょ?」

兄友「そうみたいだな」

女「ってことはさ。半年して兄のお父さんと妹友ちゃんのママが結婚したら」

兄友「・・・・・・あ」

兄(あ)

女「兄と妹友ちゃんって兄妹になるんだよね。同じ戸籍に入って」

兄(げ。今まで全然気がつかなかった。姫は気がついていたのかな。つうか、姫と俺って
同じ戸籍じゃないんだな。別にどうでもいいっていやどうでもいいことだけど)

兄友「兄が親父さんの説得に応じて一人暮らしを諦めていたら、妹友ちゃんと同じ家で暮
らしていたってことかよ」

女友「兄友、何でそこで嫌そうな顔するのよ」

兄友「してねえよ」

女友「嘘付け。あんたは単純だからすぐに感情が表面に出るからね」

女「もしかして兄友って・・・・・・」

兄友「ち、違えよ。何勝手に想像してるんだよ」

女友「やっぱり妹友ちゃんって頭いいよね」

兄友「・・・・・・どういう意味だよ」

女友「だってそうじゃん。別れさせる会を作ったときにはきっともう離婚のこともお母さ
んの再婚相手のことも知ってたんじゃないかな。それで渋る振りをしながら兄と妹ちゃん
の関係を打ち明けて二人を別れさせた。で、その後はなし崩しに兄と同居して兄に迫るつ
もりだったんでしょ。まあ、兄が一人暮らしを選んで当てがはずれたんだろうけどさ。そ
れでも戸籍上は兄妹だし、これまでよかお兄さんとの接点は増えるよね」





13:NIPPER:2014/01/05(日) 23:55:50.16 ID:xuQUAg08o

兄友「妹友はそんなことを計算する子じゃねえよ」

女「それはそうだけど」

兄友「おまえまで何だよ」

女「でも妹友ちゃんってすごく頭のいい子だし」

兄友「おまえらいい加減に」

女友「惚れた弱みで現実が見えなくなっているのかな。兄友君は」

兄(何さっきからどうでもいいことで盛り上がってるんだ。俺と姫は別れてないし、今で
もそしてこれからもずっと一緒だっつうの。妹友には悪いけど今さらもう後戻りはでき
ん)

兄(それに俺と姫のことをチクったのが本当に妹友だったとしたら、俺の彼女への罪悪感
はだいぶ軽くなる)

兄友「とにかく妹友ちゃんだって計算づくでしたことじゃない。その証拠に最後に会った
とき、妹友ちゃんは泣いてたし」

女友「あんたの腕の中で? したたかな女は違うわ。さすがのあたしでもそこまでは真似
できないな。兄友なんか一発で騙せちゃうのね」

兄友「何だと」

女「ちょっと。やめなよ二人とも」

兄(俺、もう帰っていいよな。これ以上こいつらの内輪もめに付き合う義理はないし。何
より今日から姫の手を煩わせず夕飯くらいは自分で作るって決めたばかりだしな)

兄「俺、帰るわ」

女「兄、いろいろとごめんね」

兄「うん」

兄友「おい」

兄「許すとか許さないとかどうでもいい。別に恨んじゃいないよ」

兄友「・・・・・・そうか」

兄「正しいかどうかはわからないけど、俺たちはずっと一緒にいるって決めたんだ。恋人
同士じゃないとしても、単に兄妹の関係だとしても」

兄友「・・・・・・一緒って。妹ちゃんはおふくろさんと住んでるんじゃねえの」

兄「(やべ)比喩的な意味でだよ。離れてても心は繋がっている的な」

女友「なんか怪しいなあ」

兄「(これ以上ぼろが出る前にさっさと帰ろう)じゃあな」

兄友「おう。また大学であったら相手してくれよな」

兄「・・・・・・うん(遺恨を残してもしかたないし、姫から自立する必要もある。こいつらと
も仲直りするか)」





14:NIPPER:2014/01/05(日) 23:59:34.09 ID:xuQUAg08o

<神の与えたもうた挽回のチャンスなのかも>




「おかえりなさい」

 あたしは夜遅く帰宅した池山さんに声をかけた。

「ただいま。まだ、ママは帰ってないの」

「うん。つうかこんなに早くには帰って来ないでしょ」

「休日だというのにね。妹友ちゃんも寂しいでしょ」

 あなたが言うか。たまたま今この人が帰宅したのは、今日は仕事をしないで妹ちゃんと
面会していたからだ。それももう夜の十一時近い。本当にあたしが寂しく過ごしているこ
とが心配ならさっさと妹ちゃんとの面会を切り上げて帰ってきてくれればいい。夕食の時
間を一緒に過ごすだけならこんなに遅くなるわけがない。食事の後も池山さんは妹ちゃん
とどこかで一緒に過ごしていたのだろう。彼女だってまだ未成年なのにこんなに遅くなる
まで引き止めて。

「妹ちゃん元気だった?」

「あ、う〜ん。元気は元気なんだけどね」

「元気なのに何か問題があるの」

「元気すぎるというか。何だか心配でいろいろ聞き出そうと粘ったんだけど、なかなかう
まくいかなくてね」

 池山さんが遅くなったのはそのせいなのだろうか。自分の大切な「姫」のことが心配で、
彼は妹ちゃんを引き止めていたようだ。比較する必要なんかないけど、あたしは妹ちゃん
と自分の境遇を比べて悲しくなる気持を抑えられなかった。

 妹ちゃんには何の責任もないことはわかっているけど、それでもあたしは今置かれてい
る立場を考えてしまう。

 選択を誤ったのかもしれない。あたしは家族を失った。今ではあたしはほぼ毎日この広
い新居で一人ぼっちだ。学校だってそうだ。妹ちゃんはあたしと距離を置いているし、彼
女以外の友人はいないわけではないけれどあれだけ親しくできる友だちはいない。お兄ち
ゃんとパパからも何の連絡もないし最近では唯一あたしの慰めだった兄友さんは、あたし
のひどい言葉以来連絡がつかない。

 それに比べて妹ちゃんはどうだ。あたしのパパがあたしに面会しようとすらしないのに、
彼女は池山さんから熱望されて面会に呼び出されこんな時間まで引き止められるほど池山
さんに溺愛されている。

 学校では寮で同室だった地味で目立たなかった地方出身者の子と毎日仲良くつるんでい
る。まるで親友同士のように。この間の旅行までは彼女の代わりにあたしが妹友ちゃんの
隣にいたというのに。

 何よりも妹友ちゃんはお兄さんと一緒に暮らしている。あたしがどんなに望んでも手に
入れられない位置を平然として占めているのだ。ただ、実の兄妹だというアドバンテージ
を最大限に活用し、あたしやお兄ちゃんをだしにしてお兄さんの嫉妬を煽るような卑怯な
手法を使って。





15:NIPPER:2014/01/06(月) 00:02:40.20 ID:yXYrD5zco

 いろいろあたしの考えや詰めが甘かったことは認めざるを得なかった。あたしはあまり
にも場当たりすぎたのだ。旅行中にチャンスはあった。夜明けの海岸でお兄さんにキスし
たこともそうだ。お兄さんは驚いてはいたけどあたしを拒否していなかった。その後あた
しは間違えた。お兄さんの言葉にほだされ、パニックになった妹ちゃんを可愛そうに思っ
てお兄さんが妹ちゃんの所に向うのを許容してしまった。妹ちゃんが手段を選ばなかった
ようにあたしもあのとき心を鬼にすべきだったのだ。

 兄と妹を別れさせる会のときだってそうだ。あたしのしたことは中途半端だ。決めたら
迷わないとか偉そうなことを女友さんには言ったけど、結局あたしの密告は一時的には兄
妹を別れさせたけどわずかな間にあの二人は同居を果たした。どう考えても妹ちゃんのマ
マがお兄さんと妹ちゃんの味方に付いたとしか思えない。

 ここまで来たらもう自分勝手になってもいいのかもしれない。ある意味、女友さんは潔
い。自分の願望だけを原動力にして突き進んでいたのだから。あたしとお兄ちゃん、兄友
さんと女さんは負け組みなのかもしれない。中途半端にモラルに囚われ、そのわりには嫉
妬心を原動力にその場しのぎの行動に組して。

 池山さんは妹ちゃんが彼女のママとそのお相手の男性と三人で暮らしていると信じてい
る。前の奥さんと兄妹がそう信じ込ませたのだ。あたしは自分がそのことを池山さんに密
告していいとは思っていなかった。それは正々堂々とお兄さんを争う姿勢にもとると思っ
ていたからだ。

 でもこれはそもそもフェアな勝負じゃない。妹ちゃんのお兄さんに嫉妬させる作戦の時
点でなんでもありの乱戦になっているのだ。モデルを稼業として厳しい世界で活躍してい
る女友さんにはそれがわかっていたのだろう。だから彼女は手段を選ばなかった。華やか
な世界にいる人が何でお兄さんを好きになったのかは知らないし興味もないけど、そうい
う意味では女友さんは妹ちゃんとは似た者同士なのかもしれなかった。

 もう変な遠慮はしない方がいい。もう手遅れかもしれないけど、こんな寂しい状況で
悶々として悩んでいるよりはできることをした方がいいのだ。

 お兄さんと妹ちゃんが二人きりで暮らしていることを池山さんに教えたらどうなるのだ
ろう。一人娘を姫と呼んで溺愛してきた彼ならそんなことを許しておくはずはない。きっ
と何らかの手を打つだろう。妹ちゃんの親権も監護権も失った彼だけど、すくなくとも未
成年であるお兄さんについては、口を出す権利はあるのだから。

 そう。離婚から半年たてばあたしの姓は正式に池山となる。お兄さんと同じ戸籍に入る
のだ。あたしたちはまだ若い。今までの妹ちゃんのアドバンテージを超える年月をあたし
はお兄さんと兄妹として過ごすことってできるのだ。妹ちゃんがお兄さんと一緒に暮らし
ている生活さえ阻止することができたならば。

「そういや、妹友ちゃんは来週の土曜日は何か用事が入っているかい」

 池山さんが言った。

「いえ。別にないですけど」

「それはよかった。君のママに言われたんだけど、兄はまだママと会ったことすらないん
だよね。一人暮らしをしているとはいえ同じ家族なのにこれは確かに変だよね。ママもそ
れをだいぶ気にしていてね」

「はあ」

「兄を土曜日にこの家に呼んでママに紹介するよ。君も兄の妹になるんだ。初対面じゃな
いだろうけど一緒にいてくれるかな」

 ちょとだけ驚いたあたしはすぐに自分を取り戻した。

「もちろんです。久し振りにお兄さんに会えるのがすごく楽しみだよ」

「よかった。じゃあ早速兄にメールしよう」

 とりあえずあたしは兄妹の同居を池山さんにチクることを延期した。お兄さんにうらま
れることなく挽回することができるかもしれない。家族の絆って意外と影響力があるもの
だ。それは急ごしらえの家族であっても。これは神があたしに与えてくれた挽回のチャン
スなのかもしれない。





16:NIPPER:2014/01/06(月) 00:05:05.24 ID:yXYrD5zco

兄(自立への第一歩として自分で夕飯を作ったぜ。まあ、米を炊いてスーパーのお惣菜と
インスタントの味噌汁を作ったくらいだけど。少なくとも外食じゃないし、姫からの自立
の第一歩ってことで)

兄(いろいろ微妙ではあったけどあいつらとも普通に話せるようにはなったみたいだし)

兄(これなら依存しすぎて姫にうざがられて嫌われることもないいはず)

兄(・・・・・・)

兄(急ぐことはないんだ。自分に自信がないからつい姫に保障を求める意味で過剰な反応
をしている俺だけど)

兄(原点は姫を守る、見守ることなんだから。姫とキスできなくても手をつなげなくても、
エッチできなくてもそれはそれでいいと思わなければいかん)

兄(一時期は一生童貞のまま独身で姫の幸せを見守る覚悟をしてたんだ。それに比べれば
今は幸せすぎて恐いくらいじゃねえか)

兄(姫と結ばれたことは事実なんだし、姫と同棲までしている。これ以上高望みをしてど
うする)

兄(・・・・・・姫があまりにも可愛らし過ぎて手を出せないことは確かにつらい。つらいけど、
姫の気がすすまないことを無理強いするなんてもってのほかじゃねえか)

兄(とにかく今が幸せなんだ。こんな幸運を逃がさないようにしないとな)

兄(・・・・・・)

兄(今何時だろう。十時半か)

兄(いくら何でも遅すぎねえか)

兄(夕食はしょうがないけど。それでもなるべく早く帰って来るって姫は言ってたのに)

兄(いや。そんな嫉妬じみたことは考えちゃいかん。それは姫を束縛することになるんだ
からな。俺には姫を束縛したり嫉妬したりする権利なんかないんだから)

兄(姫が俺なんかと一緒に暮らしてくれるだけで奇蹟なんだ。このうえあれこれ文句を付
けたら姫に本当に嫌われてしまう)

兄(だけどそれにしても遅いな。父さんは姫を送って来てくれるんだろうな)

兄(いや。そんなわけねえだろ。父さんがそう言い出したとしても姫は絶対に断るはずだ。
俺と一緒に暮らしていることがばれちまうもんな)

兄(つうことは駅から徒歩で帰る気か。姫は)

兄(それは危険だ)

兄(・・・・・・姫を束縛する気はないけど、姫の安全には変えられん。その辺まで迎えに行っ
てみよう)

兄(よし)





24:NIPPER:2014/01/07(火) 23:12:46.37 ID:YQZC+XBmo

<姫の様子がおかしい>




兄(さて。ここでずっと待っていてもいいんだけど、もうこんな時間だからメールしても
許されるだろう)

兄(いや。この間姫とLINEのIDを登録し合ったことだし、こっちで)

兄(トーク画面で迷うほど登録している友だちの数が少ないから便利でいいな)

兄(登録しているとき姫のトーク画面をチラッと見たら画面が友だちで埋め尽くされてい
たけど、何でこんなに友だちの数が違うんだろうな。ははは)

兄(・・・・・・まあいいや。大切な人は自分の実の妹だけだけど、もう少し外に目を向けて姫
にうざがられないようにしよう。とりあえず、今日会ったあいつらを今度登録させてもら
おう。メアドは知っているからメール出せばいいんだよな、たしか)

兄(って今はそんなことはどうでもいい。姫にメッセージを)

妹「お兄ちゃん?」

兄「姫。LINEでメッセージを送るまでもなく会えてしまったな」

妹「何々? いったいどうしたの」

兄「いや。遅かったから姫のこと迎えに来た。駅から家までって結構暗いし」

妹「そか。ありがと。遅くなってごめんね」

兄「いやいや。勝手に迎えに来たりしてうざかったか?」

妹「そんなことないよ。来てくれて嬉しい」

兄「(何かちょっと元気ないな)それならよかったよ。帰ろうか」

妹「うん」

兄「え」

妹「・・・・・・どしたの」

兄「いや。帰ろう(何だろう。別にいつものことではあるんだけど、久し振りに姫の方か
ら手を繋いでくれた。嬉しいけど、何だろうこの違和感は)」

妹「お兄ちゃん、夕ご飯はどうしたの」

兄「もちろん作ったよ。ご飯も炊いたんだぞ」

妹「そか。ごめんね」

兄「ごめんって。姫は俺の食事係じゃないんだし。何謝ってるんだ」

妹「そうだね。変なこと言ったかな」

兄「別に変じゃねえけど」

兄(何か姫の様子がおかしいような。どこがって聞かれてもはっきりとはわかんないけど、
いうもと様子が違うっていうか)

兄(父さんと何かあったのかな)

兄(・・・・・・)





25:NIPPER:2014/01/07(火) 23:13:17.89 ID:YQZC+XBmo

妹「やっと帰れた。やっぱあたしは自分の家にいるのが一番好きだな」

兄「うん(姫の好きな自分の家って離婚前の家のことなのかもな)」

妹「あたし、先にお風呂入っていい?」

兄「いいよ(そういや、姫と二人で暮らせることになってあまり考えなかったけど)」

妹「じゃあ先に入るね」

兄「うん(この間までみんなで一緒に暮らしていたあの家、今じゃ誰も住んでないんだよ
な)」

妹「・・・・・・覗いたり入って来たりしないでね」

兄「しねえって(いつもの冗談なのに。何か無理に明るく振る舞っている感じがする
な)」

兄(あの家、売りに出しているって母さんが言ってたな。母さんは同じ会社の男の家に行
ったし、父さんは妹友のお母さんと新しくマンションを買ってそこに住んでる)

兄(姫が好きだったあの家の中に入ることはもう二度とない)

兄(母さんには約束したけど、姫はここでの暮らしで満足できるのかな。最初のうちは目
新しかったし、寮で住むより嬉しいと感じてくれたんだろうけど)



『お兄さんと妹ちゃんの関係に将来ってあるんですか』



兄(何でこんなときに妹友の言葉が思い浮ぶんだろう)

兄(日常に追われて流されて暮らしていれば、そのうちに二人だけで暮らして行くことに
姫が閉塞感を感じたとしても無理はないよな。何せこの先にはこの暮らしがずっと同じよ
うに続いていくだけで、目新しいイベントなんか何も起こらないだもんな)

兄(姫と俺が血の繋がっていない恋人同士だとしたら。大学で知り合ってお互いに恋に落
ちて同棲したカップルだったとしたら)

兄(プロポーズしたりお互いの両親にあいさつしたり、婚約して結婚があって。そのうち
子どもができて姫が仕事を止めて専業主婦になって)

兄(子どもが成長して育児の悩みもあって)

兄(そういうことがこの先には何もないんだもんな。俺たちって)





26:NIPPER:2014/01/07(火) 23:14:05.06 ID:YQZC+XBmo

兄(いや。そんなことは承知のうえで一緒に暮らしてるんじゃないか。姫は俺と付き合っ
ていくことを後悔しないって言ってくれた。たとえ大好きな両親を失ったとしてももう迷
わないって)

兄(俺が迷ってどうする)

兄(あのとき・・・・・・)



妹『パパとママには悪いとは思うけど、でももうそれは覚悟したの。最悪、勘当されたと
してもお兄ちゃんと引き離されなければいいって』

妹『あたしの不安はね。お兄ちゃんがパパとママのことを気にしてあたしから離れて行っ
たらどうしようってこと』

妹『まあでも。お兄ちゃんとはもう結ばれちゃったんだから絶対に逃がさないけどね』

妹『ちゃんと責任取ってね、お兄ちゃん』



兄(あれは姫と結ばれたあとの車内でのことだったよな)

兄(姫にあそこまで言わせてるんだ。俺が今さら迷ってどうする)

兄(・・・・・・姫の気持が変わっていなければだけど)

兄(まあ姫だって父さんと何時間も会っていれば混乱するだろうし、いつもと様子が違っ
ていても無理はないか。こいつは本当に家族が大好きだったしな)

兄(それに。二人きりで暮らし始めた夜)



兄『なあ』

妹『なあに』

兄『・・・・・・そのさ』

妹『何よ』

兄『あのさ。その。俺は・・・・・・。おまえのこと愛してる』

妹『へ?』

兄『父さんたちの離婚とかいろいろあったけど、今こうしておまえと一緒に暮らせて、お
まえが料理してくれて。俺、本当に幸せだわ』

妹『お兄ちゃん・・・・・・』

兄『ずっとこうして俺と一緒にいてくれるか』

妹『・・・・・・』

兄『・・・・・』

妹『・・・・・・・はい』





27:NIPPER:2014/01/07(火) 23:15:39.53 ID:YQZC+XBmo

<今日はちょっと変じゃないか>




兄(いかん。思い出したら泣けてきた)

兄(人間って贅沢なものなんだなきっと。両親に引きはがされていたときは、お互いに一
緒に暮らせるだけで幸せを感じていたんだ)

兄(それが日常になっちゃうといろいろ不安や不満が生まれてくるものなのかもしれな
い。でも原点に立てば迷うまでもない。将来がない? あのときは再び二人で一緒に暮ら
せるだけであんなに幸せだったじゃんか)

兄(少なくとも俺は迷っちゃいけないんだ)

兄(・・・・・・そろそろ姫がお風呂から出てくるかな。軽口を叩いていつもどおりに姫と接し
よう)

兄(あれ? 携帯か)

兄(メール? げ。父さんからじゃんか)

兄(いったい何なんだよ)

兄(・・・・・・)



妹「お風呂出たよ。お兄ちゃんもまだなら早く入っちゃって」

兄「うん」

妹「どうかした」

兄「父さんからメール」

妹「パパ? 何だって?」

兄「明日、再婚相手に紹介したいから家に来いって」

妹「そうか」

兄「父さん今日は何かそういうこと言ってた?」

妹「ううん。お兄ちゃんのことは全然話題にしなかった。・・・・・・多分わざとそうしてたん
だと思う」

兄「まあ、そうだよな。どうしようかな」

妹「行ってくれば?」

兄「でも俺、正直父さんの不倫相手にあいさつなんかしたくねえんだよな」

妹「でもお兄ちゃんは池山の籍に入ってるんだし、しかたないんじゃない?」

兄「そんなの形だけだ。俺は一人暮らしを父さんに認めてもらってるんだから」

妹「それでもさ。休みとかにはお兄ちゃんはパパたちの家に帰って来るって期待されてる
と思うよ」

兄「そんなつもりはないけど」

妹「いいじゃない。久し振りに妹友ちゃんとも再会できるし」





28:NIPPER:2014/01/07(火) 23:17:04.09 ID:YQZC+XBmo

兄「・・・・・・姫さ。今日はちょっと変じゃない?(やべ。こんなこと言うつもりはなかった
のに)」

妹「別に変じゃないよ」

兄「それならいいけど。俺、別に父さんの籍に残りたくって残った訳じゃないし」

妹「世間からはそうは見えないでしょ。お兄ちゃんはパパと妹友ちゃんと妹友ちゃんのマ
マと四人家族なんだよ」

兄「俺はおまえと二人家族だよ。今はもう他に家族なんかいらない」

妹「そんなことはわかってるよ。そういう意味じゃなくて」

兄「・・・・・・うん(落ち着け俺)」

妹「とにかく割り切って一度会ってきたら?」

兄「そういやおまえは? おまえだって母さんと相手の男の家にあいさつとかしてないだ
ろ」

妹「ママはあたしたちのことを、一応は応援してくれているから。あまり無理は言わない
ようにしてくれているみたい」

兄「夏休みとかどうすんの」

妹「どうもしないよ。ここで暮らす」

兄「だったら俺だけ父さんのとこに帰るっておかしくない?」

妹「あたしたちのことを秘密にするためにはそれしかないと思う。一人暮らしの学生が長
期休暇に実家に帰らないって不自然じゃん」

兄「姫をここに一人には絶対にしないからな」

妹「長く一緒に暮らすためじゃない。子どもじゃないんだから駄々をこねないでよ」

兄「だってよ(こういう態度が姫にとってうざいのかもしれないな)」

妹「とにかく明日は行ってきなよ。日曜日だし断る理由なんかないでしょ」

兄「まあ姫がそう言うなら」

妹「でも気をつけてね。あたしたちのこと気がつかれないようにしてよ」

兄「それはわかってる。へまはしないよ」

妹「じゃあパパに返事したら?」

兄「・・・・・・わかった」

兄(何だろう。姫のいうことは正論だけど。正論過ぎて違和感がある。これまではわがま
まなくらいにもっと普通に甘えてきてくれてたのに)

兄(考えすぎかな。メールに返事するか)





29:NIPPER:2014/01/07(火) 23:18:14.68 ID:YQZC+XBmo

兄「じゃあ行って来る」

妹「行ってらっしゃい。あ、ちょっと待って」

兄「何?」

妹「襟が曲がってる。はい、これで大丈夫だよ」

兄「なるべく早く帰って来るから」

妹「疑われるかもしれないし、ゆっくりしてきなよ」

兄(またこれだ。何か姫が達観しているというか。だいたい妹友とだって顔を会わせるん
だぞ。少しは不安に思ったり嫉妬したりしねえのかな)

兄「疑われない程度に早く帰って来るよ」

妹「・・・・・・うん」

兄「姫は今日はどうするの」

妹「お部屋の掃除したり勉強したりしているよ。あたしのことは気にしなくていいって」

兄「じゃあな」

妹「あ、そうだ。夕ご飯をあっちで食べてくるようならメッセージ入れといて。支度の都
合もあるから」

兄「そんなもん、ここで食うに決まってるだろ」

妹「・・・・・・お兄ちゃんは本当にやさしいね」

兄「え?」

妹「何でもないよ。万一食べてくるなら連絡してね」

兄「・・・・・・ああ」



兄(何が変だとかはっきりとはわからないけど)

兄(何か変だなという感じはする)

兄(これは感情の問題だからいくら理詰めに冷静に考えても納得できないんだよね)

兄(考えすぎなののはわかってるけどさ)

兄(とにかく最低限の義務を果たしたらなるべく帰ろう)

兄(妹の言うことも一理ある。あまり連れなくして疑われたら元も子もない。せっかく奇
蹟的に母さんが俺と姫の同居に理解を示してくれたんだし)

兄(考えてみれば母さんだって危ない橋を渡ってくれてるんだ。俺と姫のためにも母さん
の足を引っ張るわけにはいかないしな)

兄(・・・・・・ここか。結構いいマンションに住んでるんだな)

兄(俺と姫のアパートとは偉い違いだ)

兄(どうすりゃいいんだ? このインターフォンで部屋の番号を呼び出せばいいんだな)

兄(・・・・・・)

妹友『はい』

兄「えと。その(いきなり妹友かよ)兄ですけど」

妹友『お兄さん・・・・・・。お待ちしてました。今開けますね』

兄(待ってたって。やっぱ俺を? 昨日のあいつらの会話が蘇ってくるじゃねえか)





30:NIPPER:2014/01/07(火) 23:19:38.87 ID:YQZC+XBmo

<もう一人ぼっちは嫌です>




女友『やっぱり妹友ちゃんって頭いいよね』

兄友『・・・・・・どういう意味だよ』

女友『だってそうじゃん。別れさせる会を作ったときにはきっともう離婚のこともお母さ
んの再婚相手のことも知ってたんじゃないかな。それで渋る振りをしながら兄と妹ちゃん
の関係を打ち明けて二人を別れさせた。で、その後はなし崩しに兄と同居して兄に迫るつ
もりだったんでしょ。まあ、兄が一人暮らしを選んで当てがはずれたんだろうけどさ。そ
れでも戸籍上は兄妹だし、これまでよかお兄さんとの接点は増えるよね』



妹友『どうぞ。三十五階の部屋ですよ』

兄「あ、ああ。どうも」

兄(あれってマジなのかなあ。でも兄友は違うって言ってたし)

兄(今さら兄友のことを信用するのもなんだけど)

兄(あいつ、妹友ちゃんのことが好きなのか。まあ、節操もない惚れっぽいやつだから別
に不思議はねえけど)

兄(湾岸のマンションの三十五階? 何か腹立つな)

兄(ロビーもやたらぴかぴかで豪華だし。エレベーターってこれか。特急って何だよ。エ
レベーターじゃなくて鉄道かよ)

兄(・・・・・・三十五階だっけ。何でこんなに不自然な高度で暮らしたがるんだろうな。窓か
ら都会の夜景が見えるとかって父さんから自慢されるんだろうか)

兄(これなら売りに出ている前の家の方が全然居心地がいいのに)



兄(ここか)

妹友「いらっしゃい。お久し振りです」

兄「(いきなりドアが開いた。びっくりしたあ)や、やあ。ご無沙汰」

妹友「どうぞ」

兄「お邪魔します」

妹友「・・・・・・そのあいさつは間違っています」

兄「はい?」

妹友「ここはお兄さんの実家ですし、一人暮らしをしている兄が実家に帰ってきたという
だけですから、お兄さんはただいまと言うべきです」

兄「いやそんなこと言われても。ここに来るのは初めてだしおまえの母さんとも初対面だ
し」

妹友「そんなこと。すぐに仲良くなれますよ。あたしだってお兄さんたちのお父さんとは
すぐに親しくなったくらいですから」

兄「いやそういう問題じゃ」

妹友「ともかくこんなところで立ち話をしている場合じゃないです。リビングに行きまし
ょう」

兄「お、おう(いよいよ対面か。柄にもなく緊張するな。とにかく姫との同居のことだけ
は勘付かれないようしよう。その他のことはもうどうでもいいから)」





31:NIPPER:2014/01/07(火) 23:20:40.07 ID:YQZC+XBmo

兄「すごい景色だな」

妹友「ええ。高いところから街中を一望できます。夜はもっと綺麗ですよ」

兄「そうか(この部屋には誰もいねえ)」

妹友「ほら。あそこの丘の上に立っているのが富士峰です」

兄「おまえの学校が見えるんだな」

妹友「はい。それから、あっちには小さくだけどお兄さんの母校も見えるんですよ」

兄「ああ。それよかさ」

妹友「いけない。お茶も出していませんでした」

兄「お構いなく。それよか父さ」

妹友「その言葉も誤用です。どこの世界に妹に向ってお構いなくという兄がいるんです
か」

兄「いやそれはいても不思議じゃないだろう。つうか兄妹って」

妹友「あたしとお兄さんは家族ですから。なのでもうあまりあたしに遠慮しないでくださ
いね」

兄「(何だか埒があかん。この際ストレートに)父さんはどこかな。ひょっとしてまだ寝
てる?」

妹友「・・・・・・・まさか。寝ているどころかあたしとお兄さんを養うために一生懸命働いて
いると思います」

兄「・・・・・・また急な仕事かよ。人のこと呼び出しておいてそれはねえだろう」

妹友「ごめんなさい」

兄「いや。妹友が謝ることじゃねえけど。じゃあ、おまえのお母さんは」

妹友「あたしたちに不自由させないために」

兄「ひょっとしてこの家にはおまえしかいないの」

妹友「厳密に言うとあたしとお兄さんの二人きりです」

兄「・・・・・・俺帰るわ」

妹友「待ってください。お兄さんへの伝言があります」

兄「伝言?」

妹友「なるべく早く帰るからそれまで家でくつろいでいてくれ」





32:NIPPER:2014/01/07(火) 23:23:03.58 ID:YQZC+XBmo

兄「父さんがそう言ったのか」

妹友「お兄さんに伝えるように頼まれました」

兄「・・・・・・(何なんだよいったい)」

妹友「コーヒーがいいですか? お兄さんの好きなほうじ茶もありますけど」

兄「いやいいや。のど渇いてねえし(とりあえず今日のところはさっさと逃げ出そう)」

妹友「じゃあ、お兄さんのお部屋に案内しますね。家具は全部前の家から持ってきたそう
ですから、住み慣れた感じがすると思いますよ」

兄「部屋? そんなもんまであるのか」

妹友「それはお兄さんもこの家族の一員ですから。別に不思議なことじゃないでしょ」

兄(父さんのやつ。まさかまだ一人暮らしを解消させようと狙ってるわけじゃねえよ
な。仮にそうだとしたらまだしも母さんに親権が行ってた方がましだった)

妹友「こっちですよお兄さん」

兄「・・・・・・」

妹友「どうですか。このお部屋も景色がいいでしょ」

兄「まあな」

妹友「よくベッドが変わると眠れないとか聞きますけど、このベッドはお兄さんがずっと
使っていたものだそうですね」

兄「うん」

妹友「これなら今のアパートのベッドよりもよく眠れると思います」

兄「なあ。今日のところは俺、そろそろ」

妹友「あ、あと。これ」

兄「これって。俺の漫画とアニメのコレクションじゃん」

妹友「あと段ボール箱に入っていたのも一応本棚に並べておきました」

兄「おい!(エロゲじゃねえか。しかも妹物の)」

妹友「・・・・・・何だかお兄さんの妹なのに、お兄さんの妹物のエッチなゲームを整理するの
は少し恥かしかったですけど」

兄「すまん(何謝っているんだ俺)」

妹友「でももう平気です。むしろお互いに隠し事が減ったようで嬉しいです」

兄「・・・・・・」

妹友「ねえ」

兄「何だよ」

妹友「あたしだって両親が離婚してパパともお兄ちゃんとも一緒に住めなくなったんです
よ」

兄「え」

妹友「お兄さん、そんなにあたしと二人でいることが嫌なんですか」

兄「そういうわけじゃないけど」

妹友「あたしだって笑顔を見せているけどつらいんです」

兄「それはまあ、おまえもいろいろ大変だったとは思うよ」

妹友「そう思ってくれているなら、ここに一緒にいてください。二人が帰って来るまで。
もう一人ぼっちは嫌です」

兄「・・・・・・泣いてるのか」





38:NIPPER:2014/01/08(水) 09:39:30.45 ID:g5art0y40

妹は父の相手が妹友の母だと知らないはずだと思っていたんだが……違ったっけ?





45:NIPPER:2014/01/09(木) 22:56:29.81 ID:BWF0UUGxo

短いけど切りがいいので今日はここまで
次回からエンディングに入ります

>>38
指摘のとおりです。設定を忘れて勢いで進めてしまいました
すまん





39:NIPPER:2014/01/09(木) 22:51:42.22 ID:BWF0UUGxo

<はっきり言わないとわかってもらえないの?>




妹友「泣いてないよ」

兄「どう見たって泣いてるだろ、おまえ」

妹友「泣いてたらどうだっていうの? 肩を抱いて慰めてくれるともで言うつもりなの」

兄「え」

妹友「もういい。同情されたってしかたなかったのに。変なこと言っちゃった」

兄「いや。大丈夫かおまえ」

妹友「帰って」

兄「あのさ」

妹友「帰りたいんでしょ。さっさと帰ればいいじゃん」

兄(かわいそうとは思うけど俺だって姫だって被害者なんだぜ)

妹友「帰んないの? さっきまでずっと帰りたがっていたくせに」

兄(正直うぜえ。こいつに罪悪感があるのも事実だけどよ)

妹友「・・・・・・同情でいてもらって嬉しくないよ」

兄(声に元気がなくなった)

妹友「・・・・・・ずっと夜明けの海が続いていたならよかった」

兄「それって」

妹友「もういい」

兄「おい。どこ行く」

妹友「・・・・・・」



兄「(この部屋に。こいつの部屋かな)なあ」

妹友「・・・・・・放っておいて」

兄「悪かったよ。父親に会いたくなかったから早く帰ろうとしてたけど、妹友と一緒にい
るのは別に嫌じゃねえよ」

妹友「・・・・・・」

兄「嘘じゃねえって」

妹友「・・・・・・」

兄「本当に悪かったって。おまえだって両親が離婚して彼氏君とも別居になってつらかっ
たのに」

妹友「・・・・・・」

兄(やべ。何か急にこいつにひどいことしちまったような気がしていた。さっきまでうざ
いとか思ってたし)

妹友「・・・・・・ごめんなさい」

兄「え」

妹友「ごめんなさい。お兄さんに八つ当たりしてしまいました」

兄「いや。俺の方こそ」





40:NIPPER:2014/01/09(木) 22:52:13.50 ID:BWF0UUGxo

妹友「・・・・・・あの」

兄「うん」

妹友「今日は本当にごめんなさい」

兄「何で妹友が謝る」

妹友「池山さんに」

兄「え」

妹友「・・・・・お兄さんのお父さんとママにあたしが頼んだんです」

兄「頼んだって何を」

妹友「最初だけでもお兄さんと二人きりにしてって」

兄「え」

妹友「大丈夫です。あたしが連絡するまでは二人ともここには帰ってきません」

兄「そういうことか」

妹友「はい・・・・・・。二人ともあたしが連絡したら仕事から帰って来ることになっていま
す」

兄「何でこんなこと」

妹友「はっきり言わないとわかってもらえないの?」

兄「いや」

妹友「それならよかった」

兄「・・・・・・うん」

妹友「・・・・・・あの」

兄「何だよ」

妹友「・・・・・・もう決めちゃったんですか」

兄「何を」

妹友「いい兄貴になるって言ってたじゃないですか」

兄「あ、ああ」





41:NIPPER:2014/01/09(木) 22:52:42.34 ID:BWF0UUGxo

妹友「もうあれは撤回しちゃったんですか」

兄(ここは正直に言わないと妹友ちゃんがかわいそうすぎる。変に期待を持たせちまうか
もしれないし)

兄(いや。でも姫と約束したんだ。ずっと一緒にいるって)

兄(・・・・・・どうすりゃいい? でも妹友ならつらくても理解してくれて、秘密にしておい
てくれるかもしれないし)

妹友「本当のことを教えて。でないとあたしいつまでも先に行けないの」

兄(まずい。本当にやばい。姫が好きと言うだけなら簡単だけど、俺と姫は別れさせられ
たことになっているし、そもそもそれを仕掛けたのは妹友だって話だ)

兄(それならこいつのことなんか放って置けばいいんだけど、やっぱり傷付いている妹友
を見ていると・・・・・・)

兄(それにこいつからははっきりと告られてたのに、俺はそれうやむやにして姫と)

兄(部屋から出てきた)

妹友「・・・・・・リビングに戻りましょう」

兄「う、うん」

妹友「大丈夫です。連絡するまでは池山さんもママも帰ってきませんから」

兄「それは聞いたけど」

妹友「座ってお話しましょう。もう泣きませんから」

兄「別にいいけど(どうしよう。姫にLINEで相談するか)」

妹友「座っててください。お茶をいれてきます」

兄「うん」

兄(今のうちに)

兄『妹友が悩んでるみたいでさ。その、はっきりと振ったほうが妹友のためじゃないかと
思うんだけど。やっぱり姫との同棲のことは妹友にも話したらまずいかな』

兄(何やってるんだ。これじゃ全然意味わかんないだろ。姫に切迫感も伝わらねえだろう
し)

兄(・・・・・・)

兄(既読になんねえ。掃除でもしてて気がつかねえのかな)





42:NIPPER:2014/01/09(木) 22:53:15.60 ID:BWF0UUGxo

<もう帰って>




兄(返事こねえ。妹友が帰ってきちゃうだろ)

兄(・・・・・・)

兄(つうか。こんなことまで姫に尋ねないと決断できないなんて)

兄(もう決めたんだろ。姫に依存しないって。お互いの人格を尊重しあうんだ。自分で決
めるときは自分で決めないと、それこそ依存症から抜け出せないじゃん)

兄(まだ既読にならない)

兄(どうする? 妹友を信用して全部打ち明けるか)

兄(こいつは姫の親友だ。今は仲違いしてしまっているけど、本気で姫が不幸になること
まではしないと思いたい)

兄(・・・・・・俺と姫の関係をチクったのにか。あれは嘘じゃないよな)

兄(でも、今泣いていたのは本当だ。きっと、今妹友がつらい思いをしているのも嘘じゃ
ねえだろう)

兄(人間って面倒くさいな。いいやつとか悪いやつとか簡単には判断できねえもんな)

兄(姫だってきっとそうだよな。女とか女友とかから見れば、とんでもない悪女に見えて
るのかもしれないし)

兄(いや。俺だってどんな目で見られているか)

兄(そんなことはどうでもいいんだよ。それよか妹友に真実を告げるべきか告げざるべき
か。そっちの方が問題だから)

兄(あれ)

兄(メッセージ来た)



『意味わかんないよ。よくわからないけどお兄ちゃんに任せる』



兄(姫の方が意味わからん・・・・・・)

兄(いや。わかってるだろう。いつもいつも決断を姫に任せるなってことだな、うん)

兄(人は単純にいいやつとか悪いやつとかは決められん。そうでないなら兄友なんかに女
とか妹友が今になって心を許すわけはないんだ)

兄(よし決めた)





43:NIPPER:2014/01/09(木) 22:53:46.73 ID:BWF0UUGxo

妹友「お待たせしました」

兄「ああ」

妹友「どうぞ」

兄「うん」

妹友「あの」

兄「・・・・・・」

妹友「ごめんなさい」

兄(え?)

妹友「さっきからのあたしって、好きな人に対する態度じゃないですよね」

兄「何言ってるんだ」

妹友「忘れてください。あたし、お兄さんを試すような真似をしちゃった」

兄「試すって?(何が何だか)」

妹友「本当は聞くまでもないのに。もうわかってたことなのに。こんなことすれば、お兄
さんと二人きりになって自分の寂しさをアピールすれば何とか気持が取り戻せるかもなん
て思って」

兄「・・・・・・妹友」

妹友「ごめん」

兄「わかんねえだけど」

妹友「・・・・・・はい」

兄「何でいきなり後悔して謝ったりした(実際、俺はこいつに全てを話す気になっていた。
姫と別れてこいつと付き合うとかありえないけど、それでも正直にこいつに向き合う気に
なっていたのに)」

妹友「もともとぎりぎりでやってたことだし。キッチンから戻ってお兄さんの顔を見た
ら」

兄「見たら?」

妹友「ごめんなさい。でもすごく追い詰められた表情だった」

兄「・・・・・・」

妹友「好きな人を追い詰めてまで自分の気持を優先するなんてやっぱり間違っているっ
て」

兄「おまえ」

妹友「もう諦めました。もういいんです」

兄「(・・・・・・姫。俺は自分で決めるよ)あのさ。実は俺と姫は」

妹友「わかってます。二人で一緒に暮らしているんですよね」





44:NIPPER:2014/01/09(木) 22:54:18.08 ID:BWF0UUGxo

兄(!)

兄「な、何でそれを(何で知ってる。誰がこのことを知っているんだ)」

妹友「ふふ」

兄(泣きながら笑ってる)

妹友「ふふふ・・・・・・ふふ」

兄「どうした」

妹友「前に妹ちゃんが寮の同室の子と話しているのを聞いちゃったの」

兄「おまえ」

妹友「安心して。誰にも話してません。池山さんにもあなたのお母さんにも」

兄「・・・・・・」

妹友「どうせ知ってるんでしょ? お兄さんと妹ちゃんが抱き合ってキスしてたことをあ
なたちのお母さんに知らせたのがあたしだってこと」

兄「兄友たちから聞いたけど」

妹友「あたし一人が悪者にされてたんでしょ。どうせ」

兄「兄友はおまえを庇ってたよ」

妹友「・・・・・・そう」

兄「・・・・・・」

妹友「さっきお兄さんの表情を見てもう止めようと思ったのは本当」

兄「別に疑ってねえけど」

妹友「でもね。お兄さんを見てたらわかちゃった。さっきお兄さんが悩んでたのはあたし
の気持に応えようかどうか悩んでたんじゃない」

兄「・・・・・・何だって」

妹友「お兄さんが悩んでたのはあたしを選ぶか妹ちゃんを選ぶかなんてことじゃ全然ない
のね」

兄「・・・・・・」

妹友「お兄さんはあたしを誤魔化して振り切るか、あたしに正直に妹ちゃんとの関係を告
白してあたしを振るかどっちにするかを悩んでただけなんでしょ」

兄「・・・・・・ごめん」

妹友「しかもその程度の選択すらお兄さんの大事なお姫様に指示を仰ごうとしてた。だっ
ていらいらしながら何度もスマホを眺めてたもんね」

兄「そうじゃねえって(・・・・・・だめだ。全部ばれてるし)」

妹友「もう帰って。お兄さんと妹ちゃんのことは誰にも言わないから」

兄「いや(しかも俺が都合よく考えていたとおりになんか全然行きそうもない)」

妹友「バカな期待をしてたあたしをかわいそうだと思うならもう帰ってください」

兄「・・・・・・わかった」





49:NIPPER:2014/01/14(火) 23:39:35.50 ID:2yN0kNhlo

<二年後>




 その日あたしは学内にあるコンビニの前で待ち合わせをしていた。入学式から一週間が
過ぎて、キャンパス内の部活やサークルの勧誘もだいぶ落ち着いてきていて、入学直後の
ような喧騒はもう見られない。歩いていてもサークルの勧誘の先輩に声をかけられること
も少なくなっていた。

 既にオリエンテーションも履修登録を済ましてはいたものの、今週はまだほとんどの講
義が始まっていなかったので、あたしは主に入会したサークルの部屋で先輩たちにいろい
ろと大学のことや近くのお店のことなどを教わりながら過ごしていた。あたしと同じ新入
生の友だちも結構できたので、そこで過ごす時間を退屈することはなかった。

 待ち合わせの時間が近づいていたので、あたしはそろそろ部室を出なければならなかっ
た。

「あれ。妹友ってもう帰っちゃうの」

 立ち上がったあたしに三回生の女の先輩が話しかけた。

「すいません。待ち合わせをしているので」

 あたしたちのことはもうサークル内では知れわたってしまっているので、ここで誤魔化
す必要な何もなかった。

「いいなあ。入学時にもう彼がいるなんてさ」

「って言うより彼のあとを追ってうちの大学に来たんだもんね、妹友ちゃん」

 別な先輩が笑いながら口を挟んだけど、二人とも別に嫌がらせで言っているわけではな
いことはわかっていたから、からかわれても別に不快にはならない。それにこの大学に彼
を追い駆けてきたことは事実だった。それでもこういう形で新入生が目立つことに少しだ
けストレスを感じる。

「はい。合格できてよかったです。でももう行きますね」

「またね」

 先輩たちと親しくなった同期の子が大きな声であいさつしてくれたせいで、周囲にいた
他の部員たちの注目まで集めてしまった。

 もう行こう。あたしは何となく周囲の人にあいさつして部室を出た。少しだけ暗い部室
から外に出ると外は明るかった。キャンパス内に植えられている桜がまだ少し残っていて、
何となくだけど華やかな雰囲気が漂っている。あたしはその雰囲気に包まれてだんだんと
気分がよくなってきた。考えてみればあたしはもっとリラックスしていいのだ。受験生な
らみんな同じだろうけど、大変だった受験生活も無事に終了した。第一志望の国立大学に
現役入学という結果を残して。

 両親も喜んでくれたし、富士峰の先生方も祝福してくれた。そして何よりも、受験中に
あたしを支えてきてくれた彼氏と同じ大学で一緒に過ごせる日が来た。多少のやっかみ半
分のからかいくらい何でもない。それに先輩たちには悪気はないのだし。





50:NIPPER:2014/01/14(火) 23:40:28.74 ID:2yN0kNhlo

 コンビニの前まで行くと彼が先に来ていた。もう見慣れたはずの彼の横顔だけど、キャ
ンパス内で見ると少しどきっとする。年上の彼氏なのだけど、出合ったころからどちから
かというとあたしの方が彼を振り回してきた。生意気な言葉も口にしたしバカにしたよう
な態度を取ったこともあった。付き合い始めてからもそれは変わらなかったのだけど、最
近ようやく本当の意味で彼に対して素直になれるようになってきた。そうなって彼を見る
と、この人は今まで思っていたよりずっと大人だった。もちろん大学でもサークルでも彼
は先輩なのだから、そういう意味であたしが彼を見直すのは自然だったけど、それだけで
はない。今まで上から目線のあたしをずっと包容してくれていたのは彼の大人としての余
裕だったのだ。

 昨日今日付き合った関係ではないけど、どうも最近ではあたしが一方的にかれにベタ惚
れしている状態かもしれない。昔のあたしならプライドが許さなかっただろうけど、今の
あたしにとってはそんなことはどうでもいい。何よりも彼のことが好きで彼もそれを受け
止めている関係がすごく心地いい。

「だーれだ」

 あたしは気がつかれないように何だか物思いに耽っている彼の後ろからそっと抱きつい
て言った。

「また子どもみたいな真似をして」

 両目を後ろからあたしに塞がれながら彼はそっと笑った。

「遅えよ。妹友」

「ごめんね、お兄さん」

 あたしは手を離し、自分の大切な彼氏、親友だった妹ちゃんを失ってまで手に入れたお
兄さんの顔に微笑みかけた。

「まあ、そういうところも可愛いからいいんだけどさ」

 お兄さんが苦笑してあたしの手をそっと離してあたしの方に向き直った。

「サークルに顔出してたの?」

「うん。先輩とかみんなにお兄さんとのことからかわれちゃった」

 あたしは微笑んで言った。

「あそこには変なやつはいないけど、あまり新入生が目立たない方がいいんじゃね?」

 お兄さんが苦笑して言った。

「あたしが言い触らしてるわけじゃありません」

「・・・・・・怒るなよ」

「知らない。お兄さんのばか」

 拗ねたあたしを見てお兄さんが慌てたように抱き寄せた。あたしは少しだけ抵抗して見
せた。





51:NIPPER:2014/01/14(火) 23:41:00.57 ID:2yN0kNhlo

「いい加減に機嫌直そうぜ。飯おごるからさ」

「・・・・・・」

「謝るって。ようやく一緒の大学で過ごせるようになったんだ。仲直りしようよ」

「・・・・・・デザートもありですか」

「もちろん」

「じゃあ、特別に許してあげます。お兄さん?」

「ありがと。って何?」

「噂になったっていいの。というか噂になってほしい。お兄さんとあたしが付き合ってい
るって、学内の全員に知ってほしい。お兄さんには迷惑かもしれないけど」

 お兄さんは黙ってあたしを抱き寄せた。

「お兄さん?」

「別に迷惑じゃねえよ。俺だって隠す気なんか全然ないんだぜ」

「うん」

 あたしは背伸びしてお兄さんの首に両手を巻きつけてキスした。普段はお兄さんの方か
ら背を屈めてくれる。そのときのキスはあの日、早朝の海辺でお兄さんにキスしたときみ
たいだ。

「何か懐かしい感じだな」

 お兄さんもそのことを考えていたようだった。

「キスなんか何百回ってしてるでしょ」

 内心嬉しかったあたしだけどあたしはわざとそういう言い方をした。たまに二人の出会
いを思い出して感傷的になってくれるのも嬉しいけど、キスなんかもう慣れてしまい新鮮
でも何でもない関係、そう例えて言えば何十年も一緒に暮らしてきた夫婦の関係を気取る
のもまたあたしにとっては嬉しいのだ。





52:NIPPER:2014/01/14(火) 23:41:31.88 ID:2yN0kNhlo

<兄と妹と妹友を救う会>




女友「こっちだよ兄友」

兄友「おう。お待たせ」

女「・・・・・・大丈夫? すごい顔してるよ」

兄友「顔に出てる? いや、大丈夫だけどよ」

女「つらい役目をさせられているんだから、せめてあたしたちにだけは愚痴を言いなよ」

兄友「いや本当に平気だから」

女友「まあ、惚れた女のためだもんね」

女「またあんたはそういうことを言う。ちょっとは人の身になって考えなよ」

女友「なってるよ。なってるから兄と妹ちゃんを救おうとしてるんでしょ。別に自分の得
にも何にもならないのにさ」

女「罪悪感を感じてるくせに」

女友「それは確かにそうだけど。でも、正直ここニ年間は池山兄妹のことも、妹友ちゃん
のことも忘れてたんだよね。ほら、あたしってば専属契約切れてフリーになったじゃん。
そしたらすごく忙しくなっちゃってさ。まじで単位ヤバイくらい」

女「だから協力してあげてるでしょ」

女友「感謝してるって」

兄友「それで今日は何の打ち合わせ? 妹友ちゃんのことなら相変わらずで何の進展もな
いぞ」

女「うん。今日は情報が入手できたんで二人に教えようと思ってさ」

女友「情報って・・・・・・え? まさかマジ?」

兄友「・・・・・・おい」

女「苦労したけど、今年富士峰に年の離れた従姉妹が入学したんだよね」

女友「それは聞いた。でも中坊だし情報を得るのは難しいんじゃなかった?」

女「期待しないで頼んでたんだけどさ。その子が妹ちゃんの進学先を噂で聞いたんだっ
て」

兄友「うちの大学じゃないよな? 散々探しても見つからなかったもんな」

女「うん。富士峰女学院大学だって。内部進学したみたいだよ」





53:NIPPER:2014/01/14(火) 23:42:04.35 ID:2yN0kNhlo

女友「・・・・・・妹ちゃん、うちの大学が第一志望だったのに」

兄友「あそこって、富士峰からはほとんど内部進学しないんだろ」

女「富士峰は進学校だからね。併設の大学は偏差値も低いしほとんどが外部からの受験組
らしいよ」

兄友「やっぱり兄とのことで進路を変えたのか」

女「まあ、そう考えるのが妥当かもね」

女友「よし。今までは妹ちゃんの進路を探ることに全力を傾けていたけど、これからは今
後の作戦方針を立てよう」

女「作戦って。目標は何なのよ」

女友「そんなの会の名称が物語っているでしょうが。あの三人を救うのよ」

兄友「いやそれはわかってるよ。具体的にどうするのかって聞いてんだろ」

女友「それをこれから決めるのよ」

女「根本的な話としては、どういう状態を実現すれば三人が幸せになるかってことを考え
る必要があるよね」

女友「それだ。まず兄と妹は現在お互いに二年間会ってもいない。当然、付き合ってもい
ないわけだけど。まず考える必要があるのは二人を復縁させるかどうかね」

女「それが二人を救うことになるの」

女友「仮にそれができればなると思うよ。もともと別れたくて別れたんじゃないんだか
ら」

兄友「そもそも最初に兄妹を別れさせたのはおまえだろうが」

女友「わかってるよ。だから罪滅ぼしにこんな自分にとっては何の得にもならないことを
してるんじゃないの。本当ならお仕事と講義でこんなことをしている場合じゃないのに」

女「兄と妹ちゃんがわだかまりなく仲直りしたら、二人を救うことにはなるかもしれない
けど。でも、妹友ちゃんを救うことになるのかな」

女友「それは・・・・・・」

兄友「・・・・・・」





54:NIPPER:2014/01/14(火) 23:42:54.74 ID:2yN0kNhlo

女友「それでもこのままじゃ兄だって壊れちゃうよ。あいつ、相変わらず学校に顔出さな
いんでしょ?」

兄友「ああ。メールしたり電話したり、あいつのアパートに押しかけたりしてるんだけ
ど。何か人生そのものに興味がないような感じでさ。この二年間、バイトしてるか部屋に
閉じこもってゲームしてるかどっちかだ」

女「ゲームってあれ?」

兄友「うん。実妹物のエロゲだな」

女友「やっぱり少なくとも兄妹を再開させるところまではお節介を焼いてもいいと思うな。
その先は彼らに任せるにしてもさ」

女「じゃあ妹友ちゃんは」

女友「妹友担当の兄友としてはどう思う?」

兄友「わからん。家族が崩壊して兄貴と別れさせられたという意味なら妹友だって妹ちゃ
んと同じ状況だしな。そのうえ好きだった兄を再び妹ちゃんに盗られたと知ったらどうな
るか」

女友「特に妹友ちゃんは今だって半分壊れてるようなものだしね」

女「そういう言い方やめなよ」

兄友「妹友は普通だよ。講義にも出ているしサークルにも入ったし。それに・・・・・・・好き
だった男と結ばれてデートだってしているしな。あいつの心の中では」

女「あんたもつらいね」

女友「よく頑張ってるよ。兄友は。精神疾患の症状が出ている子の恋人ごっこに付き合う
なんて、あたしだったら耐えられないな」

女「だからよしなって。言葉に出すほどの悪意があんたの心の中にないことはわかってい
るけど、それにしても不用意すぎるってば」

女友「わかったよ。ごめん兄友」

兄友「いや。俺が勝手に好きでやってることだしな」

女「じゃあどうするよ。兄妹のために二人を再会させるのか。それとも妹友ちゃんの心の
ケアを優先するか」

友友「妹友ちゃんを優先した場合、あたしたちはどうするの」

女「どうもしないんじゃない? 兄友の妹友ちゃんへのケアをそれとなく手伝うくらい
で」





55:NIPPER:2014/01/14(火) 23:44:10.29 ID:2yN0kNhlo

<行動開始>




女友「あれは正直きついわ。何でこんなやつのことを兄君とか呼ばなきゃいけないのよ」

女「そうしないと妹友ちゃんが混乱するからね」

兄友「俺だっておまえらに兄なんて呼ばれたくねえよ」

女友「妹友ちゃんにそう呼ばれるのは平気なのかよ」

兄友「・・・・・・平気なわけねえだろ。毎日甘えられてキスまでされるんだぞ。『お兄さん』
って呼ばれながら」

女「あんたは頑張ってるよ。いつか妹友ちゃんにわかってもらえる日が来るって」

女友「問題はそれまでこの浮気男のメンタルがもつかどうかだよね」

兄友「正直そろそろ自信ないわ。俺」

女友「やっぱりこんなのいつまでも続けられるもんじゃないね。あたしたちが兄友を炊き
つけて妹友ちゃんの面倒を見させてからもう一年以上たつけどさ。そろそろ限界かもしれ
ないね」

兄友「今まではよかったんだけど、大学で一緒にいるだろ? 俺の友だちの前で俺のこと
を『お兄さん』って呼ぶんだよな。俺が近親相姦の疑惑をかけられてるよ」

女「しかたないか。とりあえず妹ちゃんの意向を探る?」

女友「そうだね。今のままじゃよくないことは確かだし、どうするにしてもそれはしてお
かないといけないのかも」

兄友「おまえらが妹ちゃんに会いに行くのか?」

女友「今、思い出したけどさ。富士峰女学院大に知り合いがいたわ。昔のモデル仲間、て
かその子読モしてるんだけど。その子に連絡とってみる。小さな大学だから調べてもらえ
るかも。少なくともその子に会いに行くことはできるし、そこで妹ちゃんを探せるかもし
れないし」

女「そうだね。それしかないか」

女友「じゃあ、あたしはお仕事だから。ついでにその子の連絡先をスタッフの人に聞いて
みるわ」

女「よろしく」

女友「あんたは出席票とノートをお願いね」

女「しかたない。引き受けてやるよ」

女友「じゃあね。また連絡するよ、『兄と妹と妹友を救う会』の諸君」





56:NIPPER:2014/01/14(火) 23:45:34.17 ID:2yN0kNhlo

女「これでいいのかなあ」

兄友「まだどうするか決まったわけじゃないだろ。それにとにかく兄のやつが何も語ろう
としない以上、妹ちゃんに接触できれば何があったのかわかるだろうし」

女「そうだね。実際、あのときに何が起こっていたのかあたしたち三人の誰も知らないん
だもんね」

兄友「俺たちのうちの誰かが嘘をついていない限りはな」

女「それはないでしょ。確かに最初に兄と妹ちゃんのことを密告したのはあたしたちだよ。
別れさせる会なんか作ってさ。でも、それであの二人の仲は終ったと思っていたんだもん。
それにご両親の離婚だってあったじゃん。兄は妹ちゃんとは戸籍が別れたって言ってた
し」

兄友「結局、二人は一緒に暮してたんだよな。妹友が壊れるわけだよ」

女「問題は二度目にあの兄妹を別れさせたのは何が原因なのか、てか誰なのかってことじ
ゃん」

兄友「両親のどっちかにばれたんじゃね」

女「そうならいいと思うけど・・・・・・」

兄友「何が言いたいんだよ」

女「妹友ちゃんはきっと知ってたんだよね。兄と妹ちゃんが両親の離婚後に二人で同棲し
てたって」

兄友「そんな証拠はねえだろ。妹友だって何も言わないし」

女「あんたも一時期は妹友ちゃんと距離を置いていたじゃんか。だから知らないだけかも
よ」

兄友「どうしても妹友のせいにしたいのかよ」

女「そうじゃないけど。でも、妹友ちゃんがこんな状態になったのが、自分が二度にわた
って兄と妹ちゃんの関係を壊した罪悪感が原因だとしたらさ。いろいろ納得できるってい
うか」

兄友「・・・・・・まあいいよ。おまえらが妹ちゃんと再会できればわかるだろ」

女「そうだね」

兄友「じゃあ俺もそろそろ行くわ。妹友とコンビニ前で待ち合わせなんだ」

女「あんたもつらいね」

兄友「言うなよ。自分で決めたことだから。じゃあな」

女「また連絡するよ」





57:NIPPER:2014/01/14(火) 23:46:56.92 ID:2yN0kNhlo

妹友「だーれだ」

兄友「また子どもみたいな真似をして」

兄友「遅えよ。妹友」

妹友「ごめんね、『お兄さん』」

兄友「・・・・・・(耐えるんだ俺。こいつの心の平安のためだ)まあ、そういうところも可愛
いからいいんだけどさ」

兄友「サークルに顔出してたの?」

妹友「うん。先輩とかみんなに『お兄さん』とのことからかわれちゃった」

兄友「(幸せそうに笑ってる)あそこには変なやつはいないけど、あまり新入生が目立た
ない方がいいんじゃね?」

妹友「あたしが言い触らしてるわけじゃありません」

兄友「・・・・・・怒るなよ」

妹友「知らない。『お兄さん』のばか」

兄友「(拗ねている妹友って可愛いな。これが俺に対する態度だったらどんなに幸せか)
いい加減に機嫌直そうぜ。飯おごるからさ」

妹友「・・・・・・」

兄友「謝るって。ようやく一緒の大学で過ごせるようになったんだ。仲直りしようよ」

妹友「・・・・・・デザートもありですか」

兄友「もちろん」

妹友「じゃあ、特別に許してあげます。『お兄さん』?」

兄友「ありがと。って何?」

妹友「噂になったっていいの。というか噂になってほしい。『お兄さん』とあたしが付き
合っているって、学内の全員に知ってほしい。『お兄さん』には迷惑かもしれないけど」

妹友「『お兄さん』?」

兄友「別に迷惑じゃねえよ。俺だって隠す気なんか全然ないんだぜ」

妹友「うん」

兄友「何か懐かしい感じだな(俺にはそのときの記憶はないけど。こいつは前から兄とド
ライブしたときのキスのことを何度も話してたもんな)」

妹友「行きましょ。いつものカフェでしょ?」

兄友「うん。いい?(・・・・・・神様)」

妹友「いいですよ。っていうか『お兄さん』と一緒ならどこでもいいです」

兄友「じゃあ行こう(顔を赤らめている。こいつが妹ちゃんと再会したらどうなっちゃう
んだろ)」

兄友(本当に妹友が二度目に兄と妹ちゃんを別れさせた犯人なんだろうか)

妹友「『お兄さん』、その手の繋ぎ方は違うでしょ」

兄友「ああ。恋人繋ぎね」

妹友「そうですよ。『お兄さん』はいつまでたっても奥手なんですから」

兄友(・・・・・・神様。もうそろそろ許してくれよ)





65:NIPPER:2014/01/16(木) 23:00:25.25 ID:q2jAFJCPo

<妹を待ちながら>




女「何か小さな大学だね」

女友「生徒数も少ないみたいだね。十年前くらいまでは短大だったらしいよ」

女「何かそんな感じはするね」

女友「学内の案内があるな。どれどれ。幼児教育学科、保育学科、栄養学科、あと看護学
科・・・・・・そんだけか」

女「妹ちゃんってどの学科なんだろう」

女友「そこまではわかんないや。でも友だちに聞いたら併設の高校から二人だけここに進
学したみたいって言ってたよ」

女「そんだけしかわからなかったの」

女友「うん。友だちもモデルが忙しくてあまり学校に行ってないんだって。不真面目だよ
な」

女「あんたと一緒じゃん」

女友「うるさいよ。さて、来たのはいいけどどうしたもんか」

女「いくら小さな学校つっても歩いていて発見できるとも思えないよね」

女友「人もあまりいないな。講義中だからか」

女「とにかくこうなったら地道に張ってるしかないよ。何日か通えば見つかるんじゃない
かな」

女友「無理だって。仕事もあるしそんなに抜けられないよ」

女「じゃあどうする」

女友「あんた頼むよ」

女「おい」

女友「だってしかたないじゃん。講義は抜けられても仕事に穴は開けられないよ」

女「まあ、あんた一応プロだしね」

女友「一応は余計だよ。兄友にも応援頼むか」

女「それは無理でしょ。あいつは今は妹友ちゃんのケアで精一杯だと思うよ」

女友「そうだよね。妹友ゃんとなまじ同じ大学になっちゃったから一緒にいる時間が増え
ちゃったんだよなあ」

女「とりあえず今日だけでも一緒に探そうよ」

女友「そうだね。どっかでお茶でもしながら」

女「あそこにカフェテリアって書いてあるよ」

女友「こんなところで立っていてもしかたない。そこに行くか」





66:NIPPER:2014/01/16(木) 23:03:36.24 ID:q2jAFJCPo

女友「もうすぐお昼だね」

女「うん。妹ちゃん、ここにお昼食べに来ないかな」

女友「カフェっていうかここ学食じゃん。来る確率は高いんじゃないかな」

女「これくらいの広さならそんなにいっぱいは学生も来ないだろうし。入り口を見張って
れば妹ちゃんに気づけるかもね」

女友「あたしたちもここで食事しちゃわない?」

女「あんた食べなよ。あたしは食欲ない」

女友「珍しいじゃん」

女「これから妹ちゃんと会うかもしれないと思うと、とても落ち着いて食事する気にはな
れないよ」

女友「ああ。まあそうだね。二年前に妹ちゃんのママと待ち合わせしたときも緊張したも
んね」

女「それはそうでしょ」

女友「あたし一人じゃ絶対無理だったよ。あのときは妹友ちゃんが冷静だったからちゃん
と話ができたんだよ」

女「妹友ちゃんは一度決めちゃうと迷わないからね。彼女は強い子だから」

女友「・・・・・・」

女「何よ」

女友「あたしもそう思ってたんだけどさ。本当に強い子だったらこんなことにはならない
と思う」

女「それは・・・・・・そうかも」

女友「あの子ってさ。昔はもっと人を少しだけバカにしたような言い回しつうか言葉をよ
く使ってたけど、最近は全然そんなことないしね」

女「うん。それはそうだけど」

女友「兄友のことをお兄さんと呼ぶことよりも、あたしにはそっちの方が気になるよ」

女「確かに妹友ちゃんらしくはないけど」

女友「きっといろいろ無理してたんだろうな。それでぷつんと切れちゃったんだよ。きっ
と」

女「でもさ。兄友とのことを除けば、あの子は外から見て全然おかしくないし、普通じゃ
ない? それは少しは性格が丸くなったかもしれないけど」

女友「だから性質が悪いよね。あれじゃ両親だって妹友ちゃんがおかしいなんて思わない
だろうし、現にサークルの連中にだって普通に人気あるじゃん」

女「やっぱり何かあったんだろうなあ」

女友「それも兄と妹ちゃんと関係することがね」





67:NIPPER:2014/01/16(木) 23:05:32.38 ID:q2jAFJCPo

女「しかし兄友も思ったより尽くすタイプだったのね」

女友「お・・・・・・見直した?」

女「少しはね」

女友「よりを戻したくなってきたとか?」

女「冗談言わないでよ」

女友「結構本気で聞いてるんだけどね」

女「見直したというかさ。ほら、あいつが高校の部活の後輩の子を妊娠させたとかって言
ってたことがあったじゃん」

女友「あったね。懐かしい」

女「それであたしはあいつに振られたんだけど、あれだって妊娠した後輩の子を見捨てら
れなかったからだったしさ。だから見直したというか、あいつって前からそういうところ
はあったよ」

女友「あのときはやることはやってたんでしょ? 責任とって当たり前じゃん」

女「まあ、そうだけど」

女友「何? あんた本気であいつとやり直したいの」

女「まさか。それに今の妹友ちゃんから兄友まで取り上げたら彼女がどうなっちゃうこと
か」

女友「そらそうだ」

女「それにさ。今の兄友には妹友ちゃんしか見えてないと思う」

女友「それにしても何で兄友が妹友ちゃんに対して責任とか感じなきゃなんないわけ?」

女「妹友ちゃんは両親の離婚のとき、お母さんと兄のお父さんとの家庭の方を選んだでし
ょ」

女友「うん」

女「あのとき、兄のお父さんに言われたんだって。ぜひうちの家庭を選んで、それで兄と
付き合ってくれって」

女友「何それ? 無茶苦茶じゃん」

女「兄が妹ちゃんと付き合うのが許せなかったんでしょうね。それに、兄のお父さんも妹
友ちゃんが兄のことを好きなのもうすうす感じていたんじゃないかな」

女友「兄の気持なんかガン無視じゃん。そんな言葉に乗せられたのか」

女「兄友もそう言って諌めたみたい。それで妹友ちゃんと気まずくなったらしい」

女友「それって妹友ちゃんの自業自得で兄友が責任を感じるとこなんかないじゃないじゃ
ん」

女「自分があのとき妹ちゃんをもっとうまく引き止めていたらって言ってたよ。兄友は」

女友「・・・・・・あほか」





68:NIPPER:2014/01/16(木) 23:07:45.58 ID:q2jAFJCPo

<パンドラの箱>




女「そうなんだけどね。結局兄友は妹友ちゃんのことが好きになっていたからね」

女友「惚れっぽいやつだなあ。あんた、後輩ときて妹友ちゃんか」

女「みんな人のことは言えないでしょ。あんただって」

女友「あたしは兄一筋だったよ。そんで振られたからもう当分は男はいいやって」

女「仕事が恋人ってわけ?」

女友「まあね」

女「・・・・・・」

女友「・・・・・・」

女「ねえ?」

女友「うん」

女「妹ちゃんにさ、まだ兄のことが好き? って聞くんでしょ」

女友「とりあえず妹ちゃんの気持を確かめることになったしね」

女「本当にそれいいのかな。もうお節介焼かないで放っておいてあげる方が親切なのかも
よ」

女友「誰にとっての親切なのかが問題でしょ」

女「・・・・・・どういうこと?」

女友「あたしさ。昨日も撮影の最中ずっと考えてたんだよね」

女「うん」

女友「ちなみに撮影中に写真撮られることに集中しないでほかのことを考えていた方がカ
メラマンに誉められることがわかった。いい表情だよって三回くらい言われたし」

女「それが言いたかったのかよ」

女友「いや。つまりさ『兄と妹と妹友を救う会』なんて言ってるけど、よく考えるとあた
したちにはその全員は救えないと思ったの。少なくともこのやり方じゃ」

女「どういうこと?」

女友「ゼロサムゲームじゃん。兄と妹ちゃんが復縁したら、妹友ちゃんはひょっとした
ら今以上に壊れちゃうかもしれない」

女「・・・・・・」

女友「かと言ってこのまま放っておいたら三人とも不幸になるかもしれない。まあ、妹ち
ゃんはもう立ち直っている可能性はあるけど」

女「それは確かに。少なくとも兄と妹友ちゃんはどうなっちゃうかわからないよね」

女友「もう一つの選択肢としては、行方の知れない妹ちゃんを放っておいてさ。兄と妹友
ちゃんをくっつけちゃうっていうのもある」

女「・・・・・・それは思いつかなかったよ。それならひょっとしたら兄と妹友ちゃんは救える
かもしれないけど」

女友「そうでしょ? 妹ちゃんが現状維持って感じになるだけだしさ」

女「でも。そしたら兄友が・・・・・・」

女友「そうなんだよね。今度は兄友が壊れちゃうかも」

女「・・・・・・どれを取っても誰かが泣くのか。まさにゼロサムだね」

女友「もうごちゃごちゃでしょ。だからさ、初心に帰ってとりあえず妹ちゃんが今どんな
状況か、何を望んでいるかを確かめるのよ。もうそれしかない」





69:NIPPER:2014/01/16(木) 23:09:50.73 ID:q2jAFJCPo

女「妹ちゃんは何と言うかなあ」

女友「パンドラの箱」

女「え?」

女友「いろいろな不幸の種を妹ちゃんが一人で抱え込んでいてくれているとしたらさ。あ
たしたちはその箱を開こうとしているんだよね。いったい何が出てくることか」

女「ギリシャ神話だっけ?」

女友「そうだよ。神話のように最後に希望が残っていることを期待するしかないよね」

女「本気で胃が痛くなってきた」

女友「気持ちはわかる。かと言って何も注文しないでここにいるのも気が引けるな」

女「コーヒーでも注文してこようか」

女友「あたしが行って来る。あんたはこの場所を取っておいて。すぐに混み出すと思うか
ら」

女「わかった」

女(女友も意外と考えてたんだなあ)

女(それにしても救いようのない話になってきちゃった。結局どううまく言っても誰かが
今より更につらい思いをするだけなんて)

女(妹友ちゃんが兄友のことを、兄友本人と認識して好きになってくれれば)

女(・・・・・・女友は触れなかったけど。結論がどう出てもきっとあたしも女友もダメージを
受けることになる)

女(あたしも彼女もまだ兄のことを)

女(・・・・・・)

女(いや。でも兄友に比べたらあたしのつらさなんて)



『兄友って妹いなかったよな。その子って彼女? 何でおまえのことお兄さんって呼んで
るの』

『兄友さあ。おまえ彼女に自分のことお兄さんって呼ばせてるのかよ。趣味わりいの』

『兄友ってさ。近親相姦物の深夜アニメとか見すぎなんじゃね?』

『可愛い子なのになあ。彼氏の言うとおりお兄さんなんて呼ぶとこ見るとちょっとひく
わ』



女(あいつは笑っているだけで何も反論しない。できないんだろう。これ以上、妹友ちゃ
んを混乱させたくないんだろうし)

女(このまま何もしなければいつかは妹友ちゃんも兄友のことを兄友本人と認識する日が
来るのかなあ)

女(そして真実に気がついた妹友ちゃんはどうするのだろう。お兄さんではなく兄友だと
知ってあいつから距離をとるか。それとも兄友自身を好きになってくれるか)

女(なんかいつの間にか混んできたな。女友遅い)

女(・・・・・・)

女(あ・・・・・・。あの子)





70:NIPPER:2014/01/16(木) 23:11:19.85 ID:q2jAFJCPo

女(間違いない。妹ちゃんだ。友だちと一緒みたい)

女(久し振りだからかな。妹ちゃん、何だかすごく大人びたなあ。すらっとして綺麗にな
ったかも。まるでモデルみたい)

女(女友にだって負けてないかな)

女(それどころじゃない。ど、どうしよう。声をかけなくちゃ)

女(こんなときに限って女友はいなし)

女(・・・・・・)

女(今さらためらっていてもしかたないよね)

女(よし)



『今日いつもより混んでない?』

『ちょっとね。でもまだ席空いてるよ』

『注文するより先に席を確保しとこうよ』

『うん。看護学科の人たちが実習で抜けるから今週は空いてるって先輩に聞いてたのに
ね』

『あたしが注文しに行くから、妹は席を取っておいてよ』

『わかった。あたしはいつものランチでいいや』

『じゃあね』

『うん』



女(席なんかどうでもいい。妹ちゃんに接近して)

女(しかし本当に綺麗になったなあ。昔から美少女だとは思っていたけど、前はもう少し
可愛らしいって感じだったのに)

女(入学したばっかなのにもうちゃんと女子大生してるのね)

女(こんな子とずっと一緒に暮してきたらそれは妹だとしてもね)

女(何か妹ちゃんには全然勝てる気がしない)

女(・・・・・・)

女(てか、勝てる気がしないって何よ。勝つ必要なんてないじゃん。今はそういうことじ
ゃなくて妹ちゃんの気持ちを)

女(こんだけ綺麗なら男の一人や二人はいそうだなあ。そしたらどうすればいんだろ)

女(・・・・・・どうしよう。何か声をかける勇気がない)

女(女友を呼んでくるか。連帯責任ということで)

女(妹ちゃんがどこに座るかだけ確かめて・・・・・・て。え?)

妹「え?」

女「・・・・・・あ」

妹「もしかして女さんですか」





71:NIPPER:2014/01/16(木) 23:12:45.07 ID:q2jAFJCPo

<再会>




妹「どうしたんですか。こんなとこで」

女「(妹友を連れてくる前に見つかっちゃった。どうしよう)こ、こんにちは」

妹「何でここにあなたがいるんですか」

女「あのね。あたしたち妹ちゃんに話しがあって。ここにくれば会えると思って」

妹「あたしたちって」

女「女友も一緒なの。ちょっと今は席はずしているけど」

妹「話・・・・・・ですか。っていうより何であたしがここに進学したって知ってるんですか」

女「うん。知り合いに聞いて知ったんだけど」

妹「・・・・・・兄から聞いたんですか」

女「(兄・・・・・・お兄ちゃんって呼ぶのやめたのかな)違うよ。兄とはそういう話はできな
いし」

妹「じゃあ誰に聞いたんですか」

女「あたしの従姉妹から。その子、今年富士峰に入学したんだ」

妹「ああ。それで」

女「いきなり尋ねてきて迷惑だった?」

妹「・・・・・・ちょっと待っててください」

女(え)

女(ああ、お友だちのところに行ったのか)

女(このすきに女友を見つけて)

女(いないなあ。たかがコーヒーを注文するだけのためにどこまで行ったのよ、あいつ
は)

女(あ、妹ちゃん戻ってきちゃった)

妹「すいません。友だちに用事ができたと断わってきました」

女「あ、そう? 何か悪いね」

妹「じゃあここじゃなんですから場所を変えましょう」

女「(え? 女友抜きであたし一人で対応するの?)別にここでもいいんじゃないかな」

妹「ここはお昼はすごく混むので話ができる環境じゃないですから」

女「えーと(女友出て来い)」

妹「話があるんでしょ」

女(えい。もう覚悟を決めるか)

女「わかった。案内してくれる?」

妹「・・・・・・こっちです」





72:NIPPER:2014/01/16(木) 23:13:55.10 ID:q2jAFJCPo

女「静かな場所だね」

妹「ここは女さんたちの学校みたいに大きくはないんですけど、生徒数も少ないのでわり
とこういう人気のない場所も多いんです」

女「そうか。緑が多くて気持いいね」

妹「・・・・・・そのベンチでいいですか」

女「うん(いよいよ)」

妹「・・・・・・」

女「・・・・・・」

妹「・・・・・・話があるんじゃないんですか」

女「そうそう。話があるんだった」

妹「・・・・・・には」

女「はい?」

妹「兄はどうしてますか」

女「妹ちゃん」

妹「兄とはそういう話はできないって言ってましたよね」

女「あ、うん」

妹「兄は今どうしてるんですか」

女(やっぱり兄のこと気になるのか。つうか思ったとおり兄とは全然連絡を取ってないの
か)

女「うん。それは全部話すよ。だから妹ちゃんの話も聞かせてくれる?」

妹「・・・・・・」

女「お節介なのはよくわかってるって。でもさ、兄はあんな状態だし妹友ちゃんは精神に
異常をきたしちゃうし。こっちはこっちで大変なんだ。だから教えてくれるかな」

妹「兄と妹友ちゃんがどうかしたんですか」

女「本当に知らないの?」

妹「もう二年近く二人とは会っていないし話もしてませんから」

女「・・・・・・じゃあ、こっちの近況から話そうか」

妹「お願いします」

女「そのかわりその後であたしからの質問にも答えてくれる?」

妹「・・・・・・わかりました」





73:NIPPER:2014/01/16(木) 23:19:33.76 ID:q2jAFJCPo

 実際、あの当時何が起きたのかあたしたちには全くわからなかったのだ。兄と妹ちゃん
は、別れさせる会の密告をきっかけとして両親によって別れさせられていたはずだけど、
あたしたちはそのとき実際に二人ふたりがどうなっているのかよくわからなかった。わか
っていたのは二人の両親が離婚したこと、そしてその原因となった二人のお父さんの不倫
相手が妹友ちゃんのお母さんだったことと、結局兄と妹はそれぞれ別々な家に引き取られ
たことくらいだった。

 そのことをあたしと女友は兄友から聞かされた。兄友の情報源は妹友ちゃん自身だった
から、そのこと自体には疑う余地はなかった。

 わからなかったのは兄と妹ちゃんが本当に別れたのかどうかということだった。一度フ
ァミレスで偶然に兄と会ったことがあった。場の雰囲気を読まない女友はそのときスト
レートに兄に聞いたのだ。



『わかんなくていいって。そんで? 相変わらず妹姫とは仲良くやってんの?』

『まあ、そこそこな』



 あのとき兄は妹ちゃんとの交際が続いていることを否定しなかった。だから、あたした
ちは複雑な想いを抱えつつも自分たちのしでかしたことが結局不発に終ったことに対して
内心少しだけほっとしていたのだ。これで兄と妹ちゃんに対して罪の意識を抱かずに済む。
あれだけ二人の幸せのために別れさせるとか息巻いておきながら、結局自分たちのエゴだ
けがあの行動の理由であることは、実際には内心わかっていたのだ。

 それでも後で知って意外だったことに。二人は交際を続けていただけではなく、両親の
離婚後一緒に暮していたのだ。ファミレスであった兄が両親の離婚後なのにそれなりに落
ち着いていたのは、妹ちゃんと一緒に暮していたからだったのだろう。でもその安堵心は
すぐに打ち砕かれた。

 妹友ちゃんの様子がおかしいと最初に言ってきたのは兄友だった。それまで疎遠だった
兄友はすっかり妹友ちゃんに嫌われているものだと思い込んでいたのだけど、その妹友ち
ゃんがどういうわけか積極的に兄友に声をかけ一緒に過ごしたいと言うようになったのだ。

 妹友ちゃんは兄友に告白し恋人同士になった。ただし、その後の妹友ちゃんは彼のこと
を『お兄さん』としか呼ばなくなったのだ。

 あたしたちと一緒にいる時でさえそうなのだ。最初は困惑し、いちいち訂正しようとし
ていたあたしと女友は、すぐにそれを諦めた。兄友のことを兄友と呼ぶだけで妹友ちゃん
が不安定になったからだ。それ以降今に至るまで二人が一緒にいるときは、あたしたちは
兄友を兄と呼ぶことになった。

 それだけではなく兄の方も大学に顔を見せなくなった。それまでの兄は真面目に単位を
取得しようと努力していたのに、バイトか部屋に引きこもってゲームをするか以外の行動
をしなくなった。これは兄友から聞いた話だった。兄友は兄と仲直りしていたから、兄の
新しい部屋にも招かれたらしいのだけど、一人暮らしにしては広すぎるそのアパートには
妹ちゃんの暮した痕跡は一切残っていなかったという。

 兄は妹ちゃんと二度目の別れを経験して変ってしまったのだ。それがあたしたちが「救
う会」を設立した理由だ。



妹「そうですか。兄は大学に来ていないんですか」

女「うん。正直単位がヤバイと思う。うちの学部は四回生までは留年ってないから三回生
にはなれてはいるけど、このままだと確実に卒業できないと思うよ」

妹「・・・・・・あたし、兄は妹友ちゃんと恋人同士として付き合って、普通に心穏かな日常を
送っているんだと思っていました」

女「何ですって」

妹「それなのに。兄ばかりか妹友ちゃんまでそんな状態になっていたなんて」

女「・・・・・・今度はあたしが質問する番よね」

女(誰かがミスリードしたんだ。正直、妹友ちゃんだと思っていたけど。でも妹ちゃんが
兄と妹友が普通に付き合っていると思っていたのが本当だとしたら)

妹「わかりました。約束だから話します」

女(・・・・・・この子。泣きそうじゃない)





79:NIPPER:2014/01/23(木) 21:48:54.58 ID:6Le/Iu3uo

<真実>




妹「・・・・・・」

女「・・・・・・(何か予想どおり空気が重い)」

妹「何から話せばいいでしょうか」

女「ご両親の離婚後、兄とあんたが同棲していたことまでは知っている。それで。何で別
れちゃったの?」

妹「一緒に暮していたことはママ以外には秘密にしてたんですけどね。妹友ちゃんにはば
れてたみたいですね」

 もう二年も前のことなんですけど。正直記憶もだんだんあやふやになっているんですよ
ね。

 妹ちゃんはそう前置きをして話し始めた。一度話し出すと彼女は考えずにすらすらと話
し出した。多分、記憶が曖昧だというのは嘘で全ての出来事がまだ真新しいままで彼女の
心にしまいこまれているのだろう。妹ちゃんはもう何も隠すつもりもないようだ。あた
しは何となくそう思った。



 あのときは本気でもうお兄ちゃんとの記憶以外の過去のことは全て捨ててもいいと思っ
てたんです。これまで本気で女さんたちの質問に答えてこなかったけど、本当はあたしは
昔からお兄ちゃんのことが好きでした。男性として。初恋もお兄ちゃんだったし、それか
ら今までお兄ちゃん以外に好きになった男の人なんかいなかったんです。



 妹ちゃんが俯きがちに話し始めた。その態度こそ殊勝で可憐ささえ漂っていたけど、そ
の言葉には迷いの欠片さえ伺えない。今度こそ本当に妹ちゃんは自分の本当の心情を吐露
し始めたのだ。あたしはそう思って少し緊張しながら彼女の言葉の続きを待った。



 本当はわかっていました。妹友ちゃんにも彼氏君にもひ