東日本大震災の津波で小学生が亡くなったのは学校側の安全配慮が欠けていたからだ

として、遺族提訴しました。

画像:【宮城県石巻市立大川小学校】
宮城県石巻市立大川小学校
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62594640.html

宮城県石巻市立大川小の児童・教職員計84人(児童は74人)が死亡や行方不明になった事故。

(同小学校の児童・教職員の在籍人数は全部で88人。生存者は4人のみ)

児童らの遺品

うち、23人の児童の遺族らは

「地震が来た後、学校側は津波が来ることが予見できたのに児童らを高台に避難させず、積極的に情報収集もしなかった。
津波が来るまでの50分間、児童らを校庭で待機させ続けたのは安全配慮義務に反する」

との理由で、遺族1人あたり1億円、計23億円の損害賠償を求めて、石巻市と宮城県を相手取り、仙台

地裁に提訴しました。

事故当日の様子

3/11東北地方太平洋沖地震発生直後、同校教諭は児童に校庭(北上川沿いにある海抜5mのこの地を自治体が避難場所指定)誘導で、点呼を行った。

その後、迎えに来た保護者に児童を引き渡している途中、津波の危険があると判断した。

しかし、裏山は足場が悪いとか、倒木が危険と判断。
地域住民と 教頭らが相談の上、高台となっている新北上大橋傍らの三角地帯に避難することを決めた。
午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃している。

「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」

その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。

男性は児童らとは逆方向に走り出した。
津波は三角地帯への移動中の児童や教職員を襲った。

堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。 住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。 列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

学校のすぐ裏に標高200mの山がある(地図では寺があり、道もあるはずだ)が、地震による 倒木の危険があるため、避難場所に適さないと判断されたという。

(引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/62594640.html)

津波の被害による管理者側への賠償請求訴訟では昨年9月、園児をバスに乗せて自宅へ帰らせようと

した日和幼稚園側に賠償が命じられ、今年2月には七十七銀行女川支店従業員ら遺族の訴えを棄却す

る判決が出ています。

動画:【石巻市立大川小学校の近くに押し寄せた津波】
動画:【裏山から大川小学校を望む】

津波による避難に過失があったのか、なかったのか・・

裁判を通じて、さらなる検証や事実が明らかになるかもしれません。