世界の隅々や秘境にすら訪ねることができる現在ですが、
絶対に訪れては行けない危険な都市はいっぱいあります。そのトップ10を紹介。
http://news.livedoor.com/article/detail/8589773/
【閲覧注意】不思議な集落~閉ざされた村~
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4611555.html
危険


第10位:ベネズエラの都市はどこも犯罪率が高いのですが、特に首都カラカスは、近年麻薬ギャングによる犯罪や路上強盗、スリが非常に多くなっています。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/カラカス



弟9位:メキシコのシウダー・フアレス市、麻薬密輸業で悪名高き都市。警察もギャングから賄賂をもらっているので、犯罪者が処罰を受けないケースばかり。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/シウダー・フアレス



弟8位:南アフリカのケープタウンは、貧困と社会不安から犯罪率が異常に高い都市。自然美にあふれ、自然保護区に近いこともあり人気ある観光地ですが、危険な地区は近寄らないこと。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/ケープタウン



第7位:次期オリンピック開催地のブラジル、リオデジャネイロであり、十年前に比べれば、治安は良くなったといわれていますが、まだまだ注意が必要です。リゾート地やビーチを除いて、路上犯罪は日常茶飯事。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/リオデジャネイロ



第6位:グアテマラ市にはたくさんの観光名所がありますが、政府は麻薬犯罪に悩まされています。路上強盗、バスや車のハイジャックなどによる死亡率が増加しています。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/グアテマラ



第5位:メキシコ、アカプルコは、リッチで安全なリゾート地でありました。今でも旅行客に人気は高いのですが、世界でも高い殺人発生率の高さはトップクラス。滞在しているリゾート地から決して外に出ないようにしてください。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/アカプルコ



第4位:爆弾、銃撃が頻繁に起こっているイラク、バグダードは、戦火に引き裂かれている街。将来の見通しもなく、いつテロによる襲撃が起こるかわからない土地。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/バグダード



第3位:アフガニスタン、カブールは、やはり紛争地帯の真っただ中。テロによる爆弾襲撃が普通に起きている恐怖の都市です。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/カーブル



第2位:政治の不安定さから、パキスタンのカラチは、テロ行為がまん延、暗殺、自爆テロ、ギャングの抗争は当たり前の日々。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/カラチ



弟1位:中米に位置するホンジュラス共和国のサン・ペドロ・スーラ市は、ここ数年つづけて世界で最も危険な都市の弟1位にあげられています。殺人発生率は、もちろん世界で弟1位、武器密輸が大きな問題であり、不法な拳銃が広く行き渡り、観光客は行くべきではありません。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/サン・ペドロ・スーラ



全体的に南米や中南米の都市は危険であり、また、内戦が起こっている国は近寄るべきではないと言えます。平和な日本からは想像もできないことが現実に起きているということをお忘れなく。





世界の危険な道
エルカ
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エル・カミニート・デル・レイ
断崖絶壁の峡谷沿いに、広いところでも道幅1mに満たない小道と桟道が、全長3kmほどに渡って続いている。

王の小道は1901年、周辺の治水工事のための資材と人員の移動を目的として、チョロ滝とガイタネーホ滝の間に建設が開始され、4年後の1905年に完成する。1921年に当時のスペイン国王アルフォンソ13世が上流に完成したグアダルオルセ伯爵ダム完成式典に出席する際にこの道を通行したため、その後「王の小道」という通称で呼ばれることになった。しかし、ダムが完成してからは用途がほとんどなくなり、長年に渡って放置された状態が続いている。その後に事故が相次ぎ、1999年と2000年に起きた2件の事故で計4人が死亡してからは入り口に柵が設けられ原則として立ち入り禁止となっているが、現在もトレッキングやクライミング目的の観光客が多く訪れる。

道の大部分は鉄の支柱と梁の上に板状のコンクリートを成形した簡単な桟道から成るが、その幅は非常に狭く、安全柵はほとんど失われている。そのため、通行者は安全ロープを身に付け、岩肌に沿って渡された鎖やワイヤーを伝って歩く必要がある。土台となるべき薄いコンクリート面は至る所で穴が空き、いつ崩落してもおかしくない。また、中には完全に崩落している部分もある。そういったところでは、残った細い鉄の梁を伝って歩かねばならない。そのため、一歩足を踏み外せば最高230m(700ft)から谷底まで真っ逆さまに転落してしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エル・カミニート・デル・レイ

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ユンガス1

ユンガスの道
この道路は標高3,600mのラパスから国道3号線(ドイツ語版)として標高4,650mのクンブレ峠(La Cumbre Pass)を越えた後、ウンドゥアビ(ドイツ語版)で南部ユンガスへ向かう国道25号線(ドイツ語版)(南ユンガスの道、西: Sur Carretera de Los Yungas)として分岐。さらにチュルマニ(Churumani)へ向かう国道25号線から国道40号線(ドイツ語版)(北ユンガスの道、西: Norte Carretera de Los Yungas)として分岐後、海抜1,500mほどのコロイコ(英語版)(Coroico)へ至る[1]。このうち死の道路として知られるのは国道25号線から国道40号線の部分である。


1930年代のチャコ戦争中にパラグアイ人捕虜によって開設されて以来、1990年代までの長きにわたってボリビア北部のアマゾン森林地帯と大都市ラパスを結ぶ数少ない道の一つであり、ユンガスの農産物をラパスに運ぶトラックや、ユンガスにある保養地に向かうバスなどの往来が激しかった。

幅員は車1台分程度(場所によっては3m程度)しか無く、ガードレールが無いため、現在でも極めて危険な状態にある。さらに、この地域は雨や霧が多い多雨林にあり、視界が著しく失われる事もしばしばで、泥状になった路面に山肌からの落石もある。つづら折れになった道路はほとんどの場所で崖っぷちになっており、垂直に800mも切り立っている箇所もある。このため事故による死者の数が多い事でよく知られている(年平均209回の事故が起こり96人が死亡している)。米州開発銀行は1995年に「世界でもっとも危険な道路」と呼称している。

1983年7月24日にはバスがこの道路から谷底に転落し、100人以上の死者を出す大事故があった。これはボリビアの交通事故としては最悪のものである。

ボリビアの自動車道路は右側通行であるが、この道路を運転する際には例外的に左側を通行しなければいけない。左側通行の道路はボリビアではここだけである。これは車がすれ違う際に、左側の運転席に座るドライバーが、左側にある路肩を確実に確認できるようにするためである。また法令により、上り方向(ラパスに向かう方向)の車は下り方向(ユンガスに向かう方向)よりも優先されることとなっている。つまり、下る車は上る車に道を譲らなければいけない。