明日、東日本大震災から3度目の3月11日を迎えます。 ご家族や親しい方を亡くされた皆様の悲しみは癒えることがないと思います。改めてお悔やみ申し上げます。 本日の復興推進会議、原子力災害対策本部では、福島県田村市への避難指示を来月1日から解除することを決定しました。しかし、これはゴールではありません。ふるさとを取り戻すスタートです。 これからの1年、被災地の皆さんが、復興を「実感できる1年」にしていきたいと思います。 https://www.facebook.com/sourikantei |
東日本大震災の発災からまる3年。今日は、政府主催の追悼式に参列しました。運命の午後2時46分、3年前のこの時、私は参議院の決算委員会の審議に経済産業大臣として出席していました。1分間の黙とうの中で、当時のことをあれこれ思い出し、亡くなった方々へのご冥福を祈りました。 天皇陛下のおことばはいつもながら被災者への真心のこもったものでした。続いて衆・参議長と最高裁判所長官が追悼の辞を述べました。伊吹衆議院議長が「将来の脱原発を見据えて・・・」と発言したことが、私は気になりました。この種の原稿は、事務方が書いたものを読むのが通例ですが、このくだりは伊吹議長が直接筆を入れたのではないだろうかと推測しました。 ご遺族代表として、岩手県からは陸前高田の浅沼さんがご子息を津波で亡くした悲しみを切々と訴えていました。宮城県代表は東松島の和泉さん。奥様とお母様を同時に失って、一人で残された寂しさを朴訥に語りました。最後の福島県双葉町の田中さんは、津波にさらわれた父上を、原発事故の避難指示で探しに行けなかった悔しさを述べていました。 昨日、今日と新聞やテレビで東日本大震災3周年の特集が組まれていますが、忘れてはならないことは大震災と原発事故の悲惨さを語り継いでいくことです。自分自身、事故発生時の経済産業大臣でしたから、事実が風化する前に、記録に残しておかなければと思い、当時の政府と東京電力の統合本部の対応を自分が記録したメモに基き、2012年に本を出版しました。その後、明らかになったデータなども含めて改めて記録を集めておくことの必要性を感じています。 https://www.facebook.com/banri.kaieda |
私はあの瞬間、自民党本部4階の総裁室で谷垣総裁懇談中。当時菅内閣は国民の信を失い、政権維持が厳しい状況になっていた。大地震の直後、谷垣総裁は「これは国家的危機だ。政治休戦だ。民主党にそれを伝えろ」と国対委員長の私に指示。私は安住民主党国対委員長と会談。協力体制をスタートさせた。
— あいさわ一郎 (@ichiroaisawa) 2014, 3月 11
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