1::2006/02/16(木) 18:09:06
この4年間、一度も泣いておらず
ちと泣いてみたいです。

なんか泣ける話、
おしえてください。
何回見ても笑えるボケて(bokete)画像集めたよ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4636727.html
泣ける


15:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 14:55:56
思うんだ・・・。俺、死ぬ前に小学生の頃を
一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊んだ

空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり~」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって…


そして死にたい



18:地裁が泣いた:2006/05/12(金) 01:33:36
 もういきられへん。ここでおわりやで
 そうか。いっしょやで。わしの子や

 京都・認知症母殺人初公判
  ―― 地裁が泣いた ――
 介護疲れ54歳に「情状冒陳」

 認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、
K被告(54)の初公判が20日、京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。

 K被告が起訴事実を認めた後、検察側がK被告が献身的に介護をしながら失職などを経て追いつめられていく過程を詳述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性とK被告が倒れているのを通行人が発見。
女性は当時86歳だった母で死亡。K被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。

 検察側の冒頭陳述によると、K被告は両親と3人暮しだったが、95年に父が死亡。そのころからく母に認知症の症状が出始め、1人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。K被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。力ードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」。K被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。K被告が「すまんな」と謝ると、
母は「こっちに来い」と呼び、K被告が額を母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

 この言葉を聞いて、K被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

 冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を振るわせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

 自宅近くの理容店経宮、松村和彦さん(44)は、「(K被告は)母親と手をつないでよく散歩し、疲れて座り込むとおぶっていた。
(事件を聞いて)行政で何とかできないものかと思った」と語る。【太田裕之、石川勝義】『毎日新聞』2006/04/20 より



42:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 15:44:44
>>18
泣けたよ
行政はなんとかできなかったものかね



24:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:24:13
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。

そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。



188:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 13:08:33
>>24
たまらず泣けたぢゃねーか。
バカヤロゥ…グスン



25:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:26:44
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。



26:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:29:10
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。



28:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:34:58
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした。
トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、
こっそりジェリーの前から姿を消しました。
ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです。
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として
生きつづけたかったのです。
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみは
しませんでしたが、退屈になるなと思いました。
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。
胸の奥が不思議にチクチクはするのですが、それが何なのか、
ジェリーにはよくはわかりませんでした。トムの願い通り、
ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした。
そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました。トムよりのろまで
体も小さい猫です。喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは、
今度はこの猫を喧嘩相手にしようと考えました。そこでジェリーは、
穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを利用して、
その猫に罠をかけることにしました。いつもトムにしていたように。
ジェリーは物陰に隠れて、ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを
待っていました。そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます。
ジェリーはしめしめと思いました。いつものように、
自分がねずみ取りにひっかかるふりをして、逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ。
うふふ。手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です。
でも、その猫はトムではありません。猫はチーズの近くまで来たとき、
ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき、
目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました。
ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが、
トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい、
体をガブリと噛まれました。ジェリーも噛みつき返しましたが、
トムより体が小さいはずの猫は平気です。
血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で、本当は鼠が猫と喧嘩して
勝てるわけがないことと、いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして、
わざとジェリーを捕まえないでいたことを、そのとき始めて知ったのです。
トムの大きな優しさと友情に気づいたのです。
そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました。
かけがえのない友を無くした悲しみでした。
ジェリーの魂が体を抜けた時、
空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました。
「また喧嘩ができるね」
「のぞむところさ、今度こそは捕まえてやるぞ」



200:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 18:05:55
スケート板より転載。プロポーズのシーンはニュースでも出てたよね。

>>31 :氷上の名無しさん:2008/04/09(水) 20:30:38 ID:ZN3ctRpO0
>4月10日(木)
>19:30~20:00 NHK総合・東京 クローズアップ現代 がんに負けない・あきらめない 井上怜奈
>
>おまいらこれでも見てみれ。。。
>





40:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 03:43:01
・・・・昔々 ある所に一人の駄目人間がいました

そいつは大学を中退して社会に出るため職を転々と廻ったんだ
1社
2社
3社・・
ちょうど冬の寒さが身に沁みる時期でしょうか
12社目を受けた時です
「お前を雇う所なんてどこにも無い」
と面接官に言われました・・・・
それから 彼の引きこもり人生が始まったのです
当初はちょっとだけ休みを取って疲れた体を癒せればそれで良かった・・
両親は笑顔で「疲れたんだろ?少し休んでから頑張りなさい」
って言ってくれたんだ
俺はいつか絶対に両親を幸せにしてやろうと決心した・・・
でも そんな思いは長くは読かなかった
一度 ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう
自分が天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける
・・・・
ーそんなこんなで3年もの月日は流れたある日
彼はもうドア越しに話かけられても
会話できない程 アホ丸出しの引きこもりと化していた
母親「あなたに会いたいってお友達が来てくれたわよ・・」
震える声で言った
ドンドン!っとドアを叩いて 誰かが叫んでる
「おーい!俺ぇ~森本だよ、ちょっと話しないか~?!」
聞き覚えのある声・・・・それと同時に寒気が彼を襲った
高校時代彼をイジメていた不良グループの一人だ・・・
1~2時間くらいたってドアを叩く音が止んだ・・・
スーッとドアの下から手紙が入れられてきた
ソレを見ながら彼は体育座りのまま眠りについた
ーあの事件が起きて4日目
手紙を確認することにした・・
「同窓会のお知らせ」
引きこもりの彼にコレはきつかったのでしょう
物凄い勢いで破り捨てました
ソレと同時に涙と何とも言えない孤独感・・
そして怒りがこみ上げてきました・・・・
壁を殴りつけ 布団を蹴り上げ 
彼は叫び読けました
そこへ 彼の母親がやってきました
母親「どうしたの?!ねぇ、どうしたの??!!」
耳に聞こえてくる母親の声
彼はそれをかき消すように叫び読けた・・・・



41:名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 03:44:36
同窓会 前夜 母親がドアを3回叩いた
3回叩く時はご飯を運んできた合図だ
いつも通りにドアを少し開けごはんを取ろうとした時だった  
食器の横に黒い物が置いてあった
クリーニングに出したのだろうか 札が付いたままのスーツだった
このスーツは 大学を辞めた時に母親からプレゼントされたもので
チョット丈が短い 残念なスーツだ・・・
お坊ちゃま君みたいで着るのを嫌がったのを憶えている
それでも母さんはそんな彼を見て
「いいわよ!さすがお父さん、お母さんの子ねっ!!」
って自信満々に彼の就活を応援してくれた・・・・
そんなスーツだ・・・・
母親はこのスーツを着て同窓会に行ってほしかったのだろう・・・
だが彼にはそんなこと関係ない
人に会う? 馬鹿じゃないのか?!
ましてや昔の友達なんかには特にだ・・・・・
ーそれから 5ヶ月たった頃・・・・・
滅多にならない携帯に 電話がきた・・・
この携帯電話は彼が引きこもりになりかけの時に母親が渡したものだった
まあ・・・面倒なので電話にでないのは当たり前だろ・・・・・
気になって留守録を聞いてしまった
しかしそこに残っていたのは父親の声だった・・・
父「・・・・・・母さんが倒れた・・・今すぐ○×病院に来い・・
今夜が峠だ・・・そうだ・・」
全身に鳥肌が立った 怖いなんてものじゃない
だけどその時には何も考えずに走り出していた
彼が病院に着いた時にはもう母親の息はなかった・・・
実は父親が電話した時にはもう息はなかったらしい・・・
寝巻きにサンダル・・・伸びっぱなしのヒゲに壊れた眼鏡姿のままで・・
父親
「母さんはお前が自分の力で外に出てほしかったと言っていたんだ・・
お前が自分の意思でここまで来てくれることが 望みだったんだろうな・・」
彼は泣きながら母親の手を握り締めた
ー母親の葬式の日
彼はあのスーツを着た・・・
胸ポケットから1通の手紙とお守りが入っていた・・・
「国○ 先日お友達が来た時に同窓会があるって母さん聞いたの
   だからスーツ着て、皆に会ってきなさい
    せっかく久しぶりに皆に会えるチャンスなんだから、ね
    丈はね 直しておいてあげたから
    もう恥ずかしくないわね これで外出れるね

    ごめんね。                  」
そしてお守り 母さんも同じ物を持っていた・・・・
あの時 ごめんって言えたら・・・・
母さんは喜んでくれたのかな
彼は今でもそのスーツを着て一生懸命働いているそうです



47:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 03:45:58
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。



 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 

 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
 

 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。




53:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 10:50:46
大学中退
自分にできる微かな抵抗
ただ実家を継いで医者になるのに抵抗があった
フリーターをして食いつないでいた四年間
別にいつ死んでもいいとさえ思ってた
四年ぶりの親父との電話
「病院は経営難で畳むことにした。俺の考えを押し付けて悪かったな。母さんが心配してるいつでも帰ってこい」
声が震えていた
5年ぶりの帰郷
久しぶりに会った親父
なんでこんなに痩せてんだよ
あんなにデカかった背中は見る影も無くなってた
患者のいなくなった病院を寂しそうに見ていた
26歳医学部二回生
ただあんたが見てきた風景を見てみたくなっただけ



86:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:10:52
昔の話だがまぁ暇だったら見てくれ。

俺には幼稚園からの幼馴染の女の子がいた。
いつも彼女とはおしゃべりとか家も近かったかもしれないが
学校が終わると一緒に帰っていた。
ある日こんな話をした。
「ねぇ○○(俺の名前)ってさ、なんか夢とかあるの?」
「ん、なんだいきなりいつものお前らしくないな」
「なんとなくね、聞きたいなと思って」
もうすぐ道が違う所に入る前だった。
俺は、照れくさくって無言のまま家に帰った。
家に帰った俺は、彼女が聞いてた夢の問いかけに答えようとメールを送った。
打ち終わったあと疲れていたので風呂にはいって寝ようと思った。
体を洗い、お湯に入った。
やっぱり疲れていたためか、風呂にはいったまま寝てしまった。
今でもその夢は忘れられない。
彼女が突然煙の中から出てきて、俺にこう言う。
「○○の夢叶わないかもね。ごめんね。」
「でも、ありがとう。」
俺は何か言おうとしたが、そこで夢が覚めた。
なにかモヤモヤしたものが胸につっかかり、風呂を出て
彼女にメールをもう一回送った。

1999年2月4日
19:26

なんか悩み事でもあったら俺に言えよな。
さっきの夢のメールだけどさ、あれ気にしなくていいから
なんかごめんな。


そこで俺は寝た。



87:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:13:42
朝起きて学校に行こうと彼女の家に行くと
なにやらいつもの様子とは違っていた。
ここでいつも彼女の部屋の窓から
「ごめん。髪型が決まらなくて、あと5分待って」
と言う。

でも違っていた。

彼女の窓を見るとカーテンで閉まりきっていた。

チャイムを鳴らすと彼女の親が出た。
「○○君・・・。」
「あの、○○(彼女の名前)いますか?」
「あの・・・あのね」
おばさんの言葉がつまっていた。
「○○死んじゃったの・・・。夜・・・に・・・」
おばさんは泣き崩れた。
「え・・・あの・・・ ○○とは昨日一緒に帰って、無事にうちに・・」
「うちには帰ってきたんだけど、そのあとに・・・なにか慌ててうちをでて・・・」
「・・・すいません。どこで亡くなったんですか?教えてください」
俺は彼女が泣くなった場所に行った。
そこは、いつも彼女と俺が話していたコンビニ近くの公園だった。
道路には花束。まだ残っている血の痕跡。
俺は泣いた。
泣いてしまった。
皆が見てる中で泣いた。
恥ずかしいを通り越して彼女の痕跡を見て泣いた。
その時夢の事を思い出した。
夢叶わないね。俺は理解した。



88:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:29:53
彼女に送った夢の答え
俺はこう送った。

1999年2月4日
17:54

○○(彼女の名前)が聞いてた俺の夢だけどさ。
笑うなよ。というか笑えないかもな。

俺の夢は

いつもおてんばで、俺が落ち込んでる時励ましてくれるやつで、
なぜかしらないけど、俺がチョコレートもらえなかったって言うと
照れくさそうにくれるやつで、迎えに行くと待たせるやつで、
待ってもなぜかそいつにはイライラしないやつで、
そんなやつと

俺は

一生を共にしたいなと思う。

だから

付き合ってくれ。

○○(彼女の名前)

ごめん。好きなんだわ。

突然メールしてごめん。
答えはいつでもいいから。
迎えに行くときにまた笑いかけてくれ。

あ、でも苦笑はやめてくれよな。


こんな内容だった。



89:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:30:58
今では恥ずかしくなる。
なぜ、メールで告ったのかとか泣けてくる。

彼女の葬式に行った。

彼女の遺体はとても見るに耐え難いものだった。

でも、顔はキレイで、泣けてくる。

その日彼女は遺骨となって俺に触れた。
彼女のご両親には感謝してる。
遺骨を触らせることはなかなかしてもらえないから。

いつもの学校いつもの帰り道すべてが変わった。

身近にいる人ほど亡くなった時、大切さを知る。

それが好きな人であればあるこそ。

俺は後悔している。

俺がメールで夢を語ったから。あんなメールを送ったから彼女は・・・

と思う。

彼女は許してくれるだろうか、あの時の夢

あやまるなよ・・・ 俺があやまんなくっちゃな。

ごめんな。でも、もう泣かないぜ?

だっていつもお前は笑ってたから。



90:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:33:49
今まで見てくれた人ありがとう。
なんか文ヘタだけどさ。
彼女をネタにして悪いと思う。
でも、身近にいる人の大切さを知ってもらいたいから書いた。
荒らしとかさ、まぁその人の勝手だけど。
その人の気持ちすこしは考えような。
これで終わる。



106:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 01:47:10
830 :可愛い奥様 :2005/09/20(火) 09:24:49 ID:Io8/IeQg

ある漫画を見ていたら、
40の男と26の女の子が結婚したんだがその旦那さんが
「俺の持ってるもの、全部たかちゃんにやるよ」って言うのさ。

なんで?って聞くと、
自分は奥さんより年上で、絶対先に死んじゃうからって。
私が先に死ぬかもよ、って言うとそんな事想像したくないとか
私が先に死んだら意外とまた新しい奥さんもらっちゃうかもよ、
それでもいいけど幸せになってねとか、
たまには私のことも思い出してねって言うシーンがあって
それは私達が結婚した時と全く同じやりとりだった。

すごく切なかった。
やっぱり歳の差のある夫婦ってのはみんな同じことを考えてるんだろうか。
旦那は本当に高額な生命保険に入り、家のローンももうすぐ完済できるよう
返済を繰り上げて頑張ってる。

「俺が死んでも、困らないだけのものは遺してあげるから」
そんなのいいから長生きして。お願いだから無理しないで。



108:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 22:17:40
泣ける話かわからんが…

俺のオカンは左目が見えない。
なんか若い時に病気か怪我か何かで見えなくなったらしい。
聞きゃあ教えてくれると思うけど聞いたことはない。

幼稚園の頃に周りの園児に「お前のオカンは目が見えん」とかで俺はのけ者にされていた。
今、思うとこの頃から自分はオカンのせいでこんな目にあっているとオカンを恨んでいた。
小学校低学年の頃、オカンと買い物に行くのが周りでは当たり前だったが俺は1度も行ったことがない。
オカンに行こうと言われても絶対に行かなかった。
中学の頃の授業参観や体育祭にも1度もオカンを呼ばなかった。
人と違う母親が何か恥ずかしくて…周りに馬鹿にされるんじゃないかと思って。
高校の進路相談の時も別々に学校に行き、別々に教室に入った。
オカンは教室がわからなくて廊下をウロウロしてたらしい。
まぁ俺みたいなDQNはもちろん大学には行けず、ニート決定。

こんなクソみたいな俺に文句1つ言わないオカンの理由がこの頃にわかった。

アホな俺は親の部屋で、親の通帳を探していた時、タンスの中から日記らしきノートと俺名義の通帳を見つけた。
日記の内容はオカンの日記だった。

自分がこんなんだから俺がイジメられてないか。
自分がこんなんだから絶対に俺のいる学校に行ってはダメ。
自分がこんなんだから俺が自分のことを嫌いなんじゃないか
自分がこんなんだから俺の為に人1倍がんばらないと。

こんな感じのことがノート3冊くらい書いてあった。
オカンは俺じゃなくて自分を責めていた。
俺名義の通帳にはコツコツと貯められている結構な額があった。
俺は1円も貰う価値のない人間なのに。

どうしてあの時、一緒に買い物に行かなかったんだろう。
どうしてあの時、授業参観にオカンを連れていかなかったんだろう。
どうしてあの時、体育祭にオカンを連れていかなかったんだろう
どうしてあの時、あんな酷いことをゆったんだろう。
どうしてあの時、慰めてあげなかったんだろう。
どうしてこんなにオカンを不安な気持ちにさしてしまったんだろう。
どうして今までこんなに離れていたんだろう。

いろんな思いが溢れて来て俺は何年ぶりかわからないくらい久しぶりに泣いた。

俺はこの日、なぜか頭を丸めたのを覚えている…


5年経った今は安月給だけど就職もしてなんとか働いている。
ヒマな日とかにはオカンと買い物にも行ったりしてる。
失った時間は大きすぎるけど、少しずつでも取り戻していきたい。
今まで支えてくれたように、今度は支えて行こうと思う。
遅いかもしれないけどこれからは俺がオカンの左目になろうと思う。



169:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 00:49:42
太平洋戦争中に坂井三郎という名戦闘機乗りがいた。
坂井はジャワ島付近で発見した敵偵察機を攻撃するために味方編隊から離れた。
するとオランダ軍の大型輸送機に遭遇。
当該エリアで飛行する飛行機は軍民武装を問わずに撃墜命令が出ていた。容易く撃墜する事は可能だった。
坂井はこの機に敵の重要人物が乗っているのではないかと考え、生け捕りにしようと味方基地へ誘導するために輸送機の横に並んだ。
この時、坂井は輸送機の窓に震え慄く母娘と思われる乗客たちが見えることに気づいた。
これを見て「逃がそう」と思った坂井は手を振ってその場を離れ、帰投後上官には「雲中に見失う」と報告した。
終戦50年程経った頃当時機内から坂井機を見ていたオランダ人の元従軍看護婦が、「あのパイロットに会いたい」と赤十字等の団体を通じて照会したところ、
当該パイロットが有名な坂井三郎であることを知り、非常に驚いたようである。2人は再会し、互いの無事を喜び合った。



170:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/14(水) 22:35:11
>>169
ええ話や、ジーンときたでぇ。



217:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 00:34:11
以前、病院・医者板にあったスレなんだけど、
4歳位の女の子を遺して奥さんが亡くなり、お父さん(医者)はその娘を義父母に預け仕事を続けるも、
娘と生活する時間をつくるために美容外科に転科して…
って話、誰か知らないかな?
娘が義父母で生活してるくだりなんか号泣したんだけど、あれ以来どうしても見つかんないんだよねぇ。
誰かご存知ないですか?



220:1/3:2008/06/15(日) 15:38:41
>>217
216 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:28:33
もう十数年前になるけど、嫁が急逝してドロップアウトした。
赴任先の基幹病院のある地方都市。俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、
最後まで子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人で逝った。
3歳の娘一人残して。
葬式の時、娘は
「ママいつ来るの?ママいつ起きるの?いつ起きるの?」ってずっと泣いていた。
娘は嫁の実家で面倒みてもらいながら仕事に戻ったよ。忙しい病院だった事に加え、
いつも学会準備に追われていたので帰宅は毎日遅かった。それでも休みの日には
嫁の実家に泊まりにいって、少しでも娘と一緒にすごすようにした。
母親がいなくなった事も受け入れているようで、俺がいくといつも笑って走って
来て「パパー!!」って抱きついてきた。

嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽しく暮らしているように見えたよ。



217 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:29:24
嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、深夜にすすり泣くような声で目が覚めた。
俺が起きた事に気が付くと、一生懸命に寝た振りをしようとしていたけど、すすり泣く声が漏れる。
娘を抱き上げて、どうして泣くのを我慢するんだ?って聞いても黙っていた。
何度も何度も聞いたら、
「じいちゃんとばあちゃんに、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に
泣いたりして困らせちゃダメ!」って言われてそれを一生懸命まもっていたらしい。



221:2/3:2008/06/15(日) 15:40:07
218 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:30:22
嫁の実家の生活でも気をつかって、いい子でいなきゃいけないって頑張って、
3歳の子が泣きもせず、わがままも言わずに祖父母の言う事もよく聞いて、
毎晩ふとんの中で祖父母を起こさないように一人で声を殺して泣いていたらしい。
娘は嫁の実家に来て以来はじめて大声をあげて泣いた。

「ママんとこ行きたいー おうちに帰りたいー おうち帰るー」ってずっと叫んでいた。
娘にとっては大好きな母親と暮らしたあの家だけが「自分のおうち」だった。
今まで言えなかった思いが噴き出して狂ったように朝まで泣き叫んでいた。
驚いて起きてきた祖父母も悟ったらしく一緒に泣いていた。
娘に「もう頑張らなくていいんだよ。おうちに帰ろうね」と約束して抱きしめて一緒に泣いた。



219 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:31:55
医局を辞める決意をしたよ。
娘を連れ帰ると決めたので、少しでも娘と一緒にいる為に。
週休3日の自由診療のクリニックへの入職も決めた。
休みが多く早く帰宅できて、当直やオンコールのない職場ならなんでもよかった。
教授室のドアをたたき事情を説明した。
教授はドロップアウトする俺を、汚物でもみるような目でみて
「いいから早くここから出て行きなさい」と言ったのを最後に目もあわせてくれなかった。
上の先生達にも、数時間なじられた。赴任先の病院を急に辞める事で迷惑かけるので、
血の気の多い先輩には殴られた。

退局後、祖父母に心からのお礼を言って娘を連れ帰ってきた。小さな仏壇も用意して、
その前が娘のお気に入りの場所になった。
昼間は保育園にあずけたり、嫁の実家にあずけたりして新しい仕事を始めた。
早いと4時、遅くとも6時には帰る事ができるクリニックだったので、娘とすごす時間は
格段に増えた。

包茎手術から植毛、美容外科までなんでもやった。



222:3/3:2008/06/15(日) 15:41:09
220 名前:名無しゲノムのクローンさん[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 01:33:42
大学の同期の連中からは白い目で見られ続けた。
その手のクリニックが今よりはるかにあやしいイメージの時代だったので。

こんな医者として最下層までドロップアウトした俺を見て育ったのに、娘は医学部に
行きたいって言い出した。
正直、今の情勢で医者になるのは疑問だったけど、こんな俺を見ながらにして
同じ仕事を目指してくれたのが本当にうれしかった。

医学部に合格して、娘と二人で母親の墓前に報告にいった。
こんなにいい子に育ってくれたと胸をはって報告できた。
娘が社会にでて、幸せにしてくれる旦那をみつけたら俺はいつ死んでもいいな。

ちょっと疲れたよ^^;。
医局員が見たら誰の事か一目瞭然だな。その節は本当に御迷惑おかけしました。
娘と二人でなんとかやっています。



237:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:14:49
私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。

ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり半年もつか分からない状態でした。
彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりしたタレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは彼女もしっていました。けれど
絶対に笑顔をたやさない。人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、とっても優しい人でした。私と彼女は同い年で
した。私は彼女を尊敬しました。
彼女は上智大学の4年生でした。彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」
と言っていました。彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれてよく英語を教えていました。
彼女にはお母さんがいませんでした。彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。

彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、容態は悪くなる一方で
彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。
本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。
心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。

私は泣きました。ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートをみせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページにこう書いてあったのです。

ありがとう
ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男でひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。



彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。



それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは私の病院で入院しています。
おとうさんはがんになってしまいました。けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思ってあの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します。



247:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 06:08:50
両親は俺が中2の時、交通事故で死んだ。俺には4つ上の兄と5つ下の妹がいる。
両親の死後、俺は母方の親戚に、妹は父方にひきとられて、兄は母方の祖父母と住んでいた。
それから一年くらいたって、久しぶりに兄から電話があった。
そん時、高校を卒業して就職が見つかったから、兄弟3人で暮らさないかという旨を言われた。
俺はびっくりした。兄は俺とは違い昔から頭が良くて、当然1流の大学に行くんだろうと思ってたからだ。
俺は兄に大学はいいのか?と聞いたが、兄は「全滅やったから(笑)そこは触れんといて」なんて事を言ってた。
俺は中3だし、妹はまだ小3だったため当然、親戚中は反対してたが、俺も妹も、ホントはまた兄弟一緒に暮らしたいと思ってたから
頼み込んで許してもらい、晴れて兄弟3人一緒に住むことができるようになった。
それからというもの、兄は俺らの為に働きまくった。俺らが貧乏なんて感じることないようにと、
ずっと皆一緒に暮らすんだと、昼と夜も別々の仕事して稼ぎまくって俺らに小遣いまでくれてた。
そんな兄が先月、交通事故で逝ってしまった・・・

葬式で俺も妹も泣きじゃくった。。
葬式も一通り片付き皆が帰った後、別室にいた俺と妹のところに、
叔母が夕飯をもってきてくれて、その際、俺らは兄について衝撃の事実をしることになった。

両親の死後、兄が親戚中に土下座し、俺と妹の事よろしく頼むと言ってまわってたこと。
兄がバイト代を毎月送り、俺と妹の小遣いにしてやってくれと頼んでたこと。
京大を蹴って、俺らと一緒に住むために就職したこと。

・・・それきいた途端、もう分からんくらい泣いた。立てんかった・・・
色んな兄ちゃんとの思い出が駆け巡った。
小さい頃、俺の手をつないで、いっつも遊んでくれた・・・
強くておもろくてやさしかった・・・
自分の小遣いからお菓子買ってくれてた・・・
俺が高校行かんって言ったらぶち切れて殴ってでも行かせるって言った・・・
いつもボロボロで疲れてても、俺らに八つ当たりなんてしなかった・・・
自分の夢を捨てて、俺らのために必死やった・・・
おとん、おかんが死んだ時、泣きじゃくる俺と妹を抱いて、
がんばれって言って俺らの前では涙ひとつ見せんかった・・・俺ホントは兄ちゃんが夜中、泣き声をおしころして泣いてたの知ってたよ・・・

やべえ思い出して・・・もうこれ以上書けねえわ
何もできんかったわ・・・
ホントなんも・・・
最後に言わせて。
最強最高の兄ちゃん!!!あんたに負けんこと俺がんばるけん!
妹のことも心配せんでいいけんね。ありがとう。ありがとう!!!



250:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 20:03:28
>>247
本気で泣いてしまった
月並みで申し訳ないが
ご両親やお兄さんの分まで幸せになってください。
あなたと妹さんが幸せになることが恩返しだと思う



277:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 14:06:03
年明け直ぐに親父が死んだ。
くも膜下出血だった。
早番の親父が会社に出てこない、電話にも出ないと連絡を受けた妹が
丁度仕事が休みだったからと、朝から家に行ったら
リビングで、妹が飼っていたペットのウサギと猫を抱きしめたまま倒れていたそうだ。
慌てて救急車で運び、何とか手術も無事済んだものの、発見されたときに既に時間が経ちすぎていたのか
手術後、一度も目を醒ます事もなく、6日後に息を引き取った。

俺達の母親は、俺と妹が小学生の時、癌で死んだ。
以降、親父と俺と妹と3人で暮らした。
親父も仕事が忙しく、授業参観の日だの家庭訪問だの、休み前の懇談会だのには
なかなか来れないのを二人して怨んだりもした。
それでも、親父は懸命に俺達二人を育て上げてくれた。
バイクが大好きだった親父は、母が亡くなった直後から
バイクに乗るのを止めた。
「お前等二人が、一人前に社会に出たら又、お金貯めて今度はすんげぇバイク買うさ」と
中学・高校の頃は話してくれていたっけ。



278:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 14:07:27
地元では、無かったものの俺は無事大学を出て公務員
妹は、医療大出て看護師に
一昨年のお盆休み、3人が久しぶりに顔を合わせて
庭で焼き肉&ビールで盛り上がっていたとき
「俺達が、働き始めたらバイク乗るんじゃなかったの?」と聞いたら
「会社も景気悪いしなぁ、給料も下がる一方だし、まだまだ我慢だ。」と
行っていたっけ。
「15年以上バイク乗ってないから、先ずはお前等のお母さんと知り合った高校生頃に
乗っていたホンダのモンキーかゴリラからだな」と笑ってたっけ。
その夜、親父が酔っぱらって寝ちまったので妹と
「クリスマス辺りに、親父にバイクでも買ってやろうか?」と
妹も喜んで、とりあえず半分ずつ1ヶ月¥15000合計¥30000ずつ貯める事にした。

翌日、こっちへ帰る直前
親父の大親友で飲み友達で、「働きはじめの貧乏な若造だった頃、洗濯するのももったいないから
1枚のパンツをお前の親父が3日履いて裏返して3日俺が履いていた。」
と言うくらい仲良しの(どうたら飲み会ネタらしい)バイク屋をやっている人の所へ
「クリスマスにバイクを親父に送りたい、うんぬん」と伝えると
半分泣きながら「俺にまかせろ!」と言ってくれた。



279:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 14:08:54
余り順調とは言えないまでも、何とかクリスマスまでにお金も無事貯まり
お盆休み以来、久しぶりに休みとって3人で家でパーティした。
夏以来だから親父も嬉しかったのだろう、早々酔っぱらって寝ちまった。
翌日、早朝親父にはバイクの事は内緒で結局帰ってしまって
その日の夕方、親父から【ありがとう】とメールが来たけれど。

春には、親父はモンキーで、四国を1周したと聞いた。
秋には、親父はモンキーで、九州を廻ったと聞いた。
今は、親父は何処を走ってるのだろう。
バイク屋のおっちゃんが葬式の後話していたように
俺達の母親と、モンキー二人乗りして走ってるのだろうか
それとも、一度コケてから乗ってくれなくなった母親の
自転車と併走しているのだろうか。



333:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 00:54:16
361 名前:水先案名無い人  投稿日:03/07/08(火) 15:15 ID:waJ31Wmx
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。



334:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 01:03:48
97 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 00:41:23 ID:+CFygSOL
どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ
昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。

反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。


いや・・・一度だけあった。

クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。



335:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 01:11:31
98 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 00:42:49 ID:+CFygSOL
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。

俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ

「耕ちゃんへ
 小さいころはいつもお手伝いありがとう
 あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
 妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
 あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
 あなたのお嫁さんを見たかった

 梓へ
 女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
 いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
 あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
 そしてその人のために生きなさい



336:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 01:17:39
99 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 00:44:05 ID:+CFygSOL
死は誰にでも訪れるものです。
 悲しまないで
 あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね

 あなた達の母親で良かった
 また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
 それが私の唯一つの願いです
 体に気をつけて。
 寒いからあたたかかくして。
 それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
 たくさんたくさんありがとう」

お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。

お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・

まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド



転載元:http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/single/1140080946/
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