0 :名無しカオスちゃん 2014年3月14日 00:00 ID:chaosch

教えて

■王、皇帝


アレクサンドロス3世


http://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドロス3世

アレクサンドロス3世はアルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物である。

ハンニバル、カエサル、ナポレオン、といった古今東西、後世に名を残し、影響を与えた英雄たちから英雄視されている、英雄の中の英雄である。
現在でも知名度は抜群で、アレクサンドロスの名に関する名をつける人は多い。

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チンギス・カン


http://ja.wikipedia.org/wiki/チンギス・カン

チンギス・カンは、モンゴル帝国の初代皇帝。
大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、
中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、
最終的には当時の世界人口の半数以上を支配するに致る
人類史上最大規模の世界帝国、『モンゴル帝国』の基盤を築き上げた。

死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、
遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。
特に故国モンゴルにおいては神となり、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。

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光武帝


http://ja.wikipedia.org/wiki/光武帝

光武帝は後漢王朝の初代皇帝。南陽蔡陽の人。
王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。
諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。

「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」などの言葉を残している。

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■軍人



ハンス・ウルリッヒ・ルーデル


http://ja.uncyclopedia.info/wiki/ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

ハンス=ウルリッヒ・ルーデルは、第二次世界大戦中のドイツ空軍の軍人(航空機操縦員、幕僚将校)。
ヨーロッパ東部戦線において、ソ連戦車500両以上と800台以上の車両を撃破する戦果を挙げた。また、9機を撃墜し、地上砲火で30回撃墜された。
これらの戦功から、騎士鉄十字章の最高位の「黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章」を授けられた。

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・朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して夜飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか戦車519両以上、トラック800台以上火砲150門以上その他もろもろを撃破(成敗)していた。

・出撃厨で、休暇を減らして出撃回数を増やすために書類を偽造した。

・何度も対空砲で撃墜されて敵地に放り出されたが、その度にスネークばりのスニーキング技術で戻ってきた。

・ちなみに被撃墜数は(おそらく)世界一位の30回である。

・対空砲に撃墜されたことはあっても、一度も戦闘機に撃墜されたことは無い

・対空砲で右足が吹っ飛んだ時、病院で「足はまだ1本残ってるからいいとして、祖国の危機にしばらく戦車を攻撃できない事が一番悔しい」と涙する。

・そんな有様にもかかわらず、6週間後に義足を着けてこっそり復帰。言うまでも無く、現在入院中と偽装していた。

・あまりにもチートすぎて、あのスターリンが名指しで批判し、さらに賞金までかけた。

・その額およそ10万ルーブル、なお当時のソ連の労働者の平均年収は600ルーブルである。

・あまりにもチートすぎて、あのヒトラーが気を使って安全な勤務に移らせようとしたのに断った。

・もう与える勲章が無くなったので、ルーデルのために勲章を作った。

・勲章を受け取る条件は「もう二度と後方勤務しろとか言うな」だった。

・勲章は12個作っといたけど、やっぱり人外のルーデル以外誰も貰えないまま終戦。

・1度目は幼馴染と結婚し、2度目は20歳以上年下の女性と結婚。なにこのギャルゲー設定。


シモ・ヘイヘ


http://ja.wikipedia.org/wiki/シモ・ヘイヘ

シモ・ヘイヘは、フィンランドの軍人。フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ恐れられた。スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。

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・わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された
全盛期のシモ・ヘイヘ

・シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した
・攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた
・気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた
・スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる
・いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した
・野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死
・戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済みだった
・赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者、
  しかも白い死神という伝説から「積雪期や夜間ほど危ない」
・「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が
  1日で全員死体になって発見された
・「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が
  穴だらけの原型を止めない状態で発見された
・5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」
・コラー河付近はシモヘイヘに殺される確率が150%。
  一度狙撃されて負傷すると確実に凍死する確率が50%の意味
・シモヘイヘが狙撃で殺害した数は505人、
  他にサブマシンガンで倒した数は正式なものだけで200名以上




舩坂弘


http://ja.wikipedia.org/wiki/舩坂弘

舩坂 弘は、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。
その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。
特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。

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・「不死身の分隊長」と呼ばれる
・米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。
・軍医が助からないと判断して自決用の手榴弾を手渡される程の瀕死の重傷。
・ちなみに軍医が来るまでの間、米軍の銃火の中に数時間放置される。
・しかし、日章旗で縛ることで止血し「夜通し這う」ことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復。
・その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、不思議と翌日には回復している。
・「生まれつき傷が治りやすい体質」と、本人談。
・鬼神の如き奮戦の記録。
・アンガウルの戦いにて擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷。
・絶望的な戦況でも、拳銃の3連射で3人の米兵を倒す。
・米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に倒す。
・左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺。
・その銃剣を「短機関銃」を手にしていた敵兵に投げ、顎部に突き刺して殺す。
・腹部に重傷を負ってついに「這うこと」しか出来なくなり、「もはやこれまで」と自決用手榴弾の信管を抜くも
 不発。
・戦友も次々と倒れ部隊壊滅するが、死ぬ前にせめて敵将に一矢報いんと
 重傷なのに米軍司令部への単身斬り込み(10000人vs1人)、肉弾自爆を決意する。
・その前に自分の傷口に群がる蛆虫を拳銃の火薬で殺すが、あまりの激痛に失神。
 半日間死線を彷徨うが後に復活。
・手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持って重傷なのに数夜這い続ける
・重傷なのに前哨陣地を突破。4日目には米軍指揮所テント群に20メートルの地点にまで潜入していた。
・ちなみにこの時までの負傷は大小24箇所。
・左大腿部裂傷・左上膊部貫通銃創2箇所
・頭部打撲傷・左腹部盲貫銃創
さらに
・右肩捻挫・右足首脱臼・火傷
・全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片

・でも敵を目の前にして「立ち上がり」、発見した米軍は激しく動揺。
・手榴弾片手に米軍に向かって全力疾走。
・残念ながら首を銃撃されて昏倒する。もちろん米軍は戦死と判断。
・一応は野戦病院に担ぎ込まれ、「これが日本のサムライだけが出来る勇敢な死に様」と評価される。
・そんな船坂は3日後に米軍の野戦病院で生き返る。
・素早く周囲の医療器具を叩き壊し、駆けつけた鬼より怖いMPに「俺を早く撃ち殺せ!」と無理を言う。
・その後も顔面蒼白の米兵を尻目に暴れまわる。
・戦地アウンガルにいる米兵の間で「伝説」と化した。
・敵ながら勇気を称えられ「勇敢なる兵士」の名を贈られる。
・数日後、ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移される。
・船坂の最強伝説はペリリュー島まで伝わっており、要注意人物の筆頭に挙げられる。
・瀕死の重傷なのに収容所から抜け出すことに成功。
・この時、極度の栄養失調に加え出血多量により、両目はほとんど見えていない。
・なのに1000メートルも潜んで行って日本兵の遺体から抜き取った火薬によって、米軍弾薬庫を爆破。
・爆破後に収容所に戻り、何食わぬ顔で翌朝の点呼に参加。
・もちろん米軍は徹底的な捜査をしたが、弾薬庫が吹き飛んだ原因は判明しなかった。
・仕方がないので米軍の公式記録には「原因不明の爆発」と記される。
・耐えかねた米側に捕虜収容所を追い出され、各地の捕虜収容所を転々として1946年に無事帰国。
・実家に帰ってきたが、すでに死亡したとされ位牌まであった。
・村の人々は幽霊ではないかと噂し、しばらくの間疑いの目で見られる。
・個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられている。

■学者


アルベルト・アインシュタイン


http://ja.wikipedia.org/wiki/アルベルト・アインシュタイン

特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、
ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、
光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、
アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、
半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮
などを提唱した業績により、20世紀最大の物理学者とも、
現代物理学の父とも呼ばれる。特に彼の特殊相対性理論と
一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく
光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。

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ジョン・フォン・ノイマン


http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・フォン・ノイマン

20世紀科学史における最重要人物の一人。
数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・
心理学・政治学に影響を与えた。
第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、
その後の核政策への関与でも知られる。

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至上最強の天才 ジョン・フォン・ノイマン
あまりの頭の良さに火星人、悪魔の頭脳を持つ男と言われた

数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学
とあらゆる分野で天才的な才能を発揮

・子供の頃に遊びで分厚い電話帳を完全に暗記してみせる
・今のPCはノイマン型コンピューターと言われノイマンが作ったのが元
・6歳のとき、8桁の割り算を暗算で計算することができた
・8歳の時には『微積分法』をマスター、12歳の頃には『関数論』を読破した。
 ちなみに『関数論』は、大学の理工系の学生が1、2年次に学ぶ数学で、
 高校時代に数学が得意で鳴らした学生でも、完全に理解できる者は少ない。
・数学者が3ヶ月の苦心惨憺の末、ついに解いた問題をノイマンは脳内だけで一瞬で解いた
・一度見聞きしたら、決して忘れない写真のような超記憶力
・コンピュータ並みの計算速度 実際、
ノイマンは、自らが発明したコンピュータと競争し、勝利している
・ノーベル賞受賞者ですらついていけない頭の回転
・「なかよしイケメン」が口癖
・脳内には装着された面積1ヘクタールほどもあるバーチャル ホワイトボードがあり
 ノイマンは、紙と鉛筆を使わず、この脳キャンパスだけで、
人間が及びもつかない複雑で込みいった思考をすることができた
・あまりの人間離れした思考に人間ではないと疑われた
・水爆の効率概算のためにフェルミは大型計算尺で、ファインマンは卓上計算機で、
 ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。
・一日4時間の睡眠時間以外は常に思考

セクハラ魔で有名で秘書のスカートの中を覗くが趣味で
その振る舞い方は下品そのものだった
推定IQは300、仮に東大の医学部を目指せば1週間で入れるレベル
天才といわれる学者の中でもかなり異質である
一度見たものは決して忘れない、計算はコンピューターより速い
彼には何の努力も必要ないのである



カール・フリードリヒ・ガウス


http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・フリードリヒ・ガウス

ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは
ドイツの数学者、天文学者、物理学者である。
彼の研究は広範囲におよんでおり、特に近代数学の
ほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。
数学や磁気学の各分野には彼の名が付いた
法則、手法等が数多く存在する。

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全盛期のガウス伝説

・「整数論」の最初の方はフェルマー、オイラー、ルジャンドルらの数論史まとめ。
ただしガウスに言わせると「ほとんどの定理は少年時代に自力で見つけた(キリッ 」

・リアル中二時代のガウスは素数で一山当てようと頑張るも成果が上がらない。
面倒になったので「素数の分布を確率的に統計処理して大体の傾向をつかめばいんじゃね?」
と考えて素数定理を発見。計算は一日十五分。俺そんな暇じゃないし(キリッ

・高校生ぐらいの歳に初めてオイラーを読んで、自分の発見を
ほとんど先取りされていたことに大ショック。
しかしオイラーがやっていない定理もあったことに自信を持つ。

・楕円関数では三十年後に後輩のアーベル、ヤコビに追い抜かれた。
何故なら楕円関数を見つけた一月後にモジュラー関数まで進んで放ったらかしにしたから。
モジュラー関数が世に出てくるのはアーベル達からさらに二十年後。

・ある時、数値計算で約4.81048という極限値を得る。
これを見たガウス:「自然対数を取ると1.5708...=π/2?」と即座に予想。

・非ユークリッド幾何学を提唱したヤノーシュ・ボヤイは、
父がガウスの親友だった事からガウスに論文の批評を依頼。
帰ってきた返事は「良くできてるけど褒めると自画自賛になっちゃうんだよね。
二十年以上前に同じ結果出てたから。周りがうるさいから発表しなかったけど(キリッ 」。
ヤノーシュはヤケになって以後人生を投げてしまう。

・コンピュータ時代に発展する高速フーリエ変換アルゴリズムを何故か知ってた。
ちなみに、ガウスはごく普通の煉瓦職人の息子であり、両親の家系を追っても
学術的才能を示した人物など全くいない。
天才数学者は数おれど、ここまで極端な突然変異はガウスぐらいのものである。



レオンハルト・オイラー


http://ja.wikipedia.org/wiki/レオンハルト・オイラー

解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、
微分積分の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。
級数や連分数、母関数の方法、補間法や近似計算、特殊関数や微分方程式、
多重積分や偏微分法などなど、古典的な解析学のあらゆる部分に、
基本的なものから応用にいたるまでの業績があり、
自身の発見を教科書を通して広く一般に普及させた。

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全盛期のオイラー伝説

超人レベルの記憶力と計算力。2秒もあれば8桁×8桁とか楽勝

ある問題に数秒で解答。便利な定理を使ったかと思いきや「全パターン算出して足し合わせたんだが」
論文完成のスピードに印刷機が追いつかない

数式ひとつで無神論者を追っ払った

普通の数学者が数ヶ月かかるような問題を3日ぶっ通しで取り組んで解決

30分で論文1本とかザラ

片目を失い、その後両目の視力を失っても数学が止まらない、むしろ才能が加速
(上記のアルゴリズム的計算方法や月の運行の計算など、彼が盲目になってから考え出されたもの)

子供好きで生涯に13人の子をもうけ、膝に小さい子を乗せて論文を書いた

死を迎える当日まで研究に没頭し、なおかつ孫の面倒を見ていた



関孝和


http://ja.wikipedia.org/wiki/関孝和

関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。
特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。
延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、
点竄術すなわち筆算による代数の計算法を発明して、
和算が高等数学として発展するための基礎を作った。
世界で最も早い時期に行列式・終結式の概念を提案したことはよく知られる。
ヤコブ・ベルヌーイと同時期にベルヌーイ数を発見していたことも知られている。

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2. 名無しカオス 2014年03月14日 00:10


ルーデルって言おうと思ったら出てた





22. あ 2014年03月14日 01:00


ルーデルと舩坂とヘイへはチートすぎる






73. 名無しカオス 2014年03月14日 06:44


舩坂弘でくっそわらったwwww
これ誇大表現じゃないの?
さすがに人間やめてるわ






5. 名無しカオスブリザード 2014年03月14日 00:19


三国志の張飛とか関羽とかか?

すごい酒豪で戦も糞強いし



http://ja.wikipedia.org/wiki/張飛

張 飛は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍。
後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に、当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛は、下述の通り中華に轟いていた。その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられ、現在でも中国や日本を中心に大いに親しまれる。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/関羽

関 羽は、中国後漢末期の将軍。
蜀漢の創始者である劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじる人物は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。
悲劇的な死を遂げたが、後世の人間に神格化され関帝(関聖帝君・関帝聖君)となり、47人目の神とされた。信義に厚い事などから、現在では商売の神として世界中の中華街で祭られている。そろばんを発明したという伝説まである。

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11. 名無しカオス 2014年03月14日 00:26


三国志なら曹操だな



http://ja.wikipedia.org/wiki/曹操

曹 操は、中国後漢末の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。
後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。

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35. 名無しカオス 2014年03月14日 02:01


曹操は君主として以外の分野での功績もすごすぎる
漢詩、孫子の注釈と再編集、音曲など調べたらキリが無いくらい






14. ななし 2014年03月14日 00:42


三国志なら孔明だよ

お饅頭を作ったんだから偉い



http://ja.wikipedia.org/wiki/諸葛亮

諸葛 亮は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。
蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。

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16. 名無しカオスブリザード 2014年03月14日 00:49


※14
でも孔明は頭が良すぎるだくてなんだよなー
俺のチートってイメージはやっぱり強くてなんぼなんだよね、だから張飛と関羽みたいな奴のほうがチートっぽいよね






31. 名無しカオス 2014年03月14日 01:46


※16
強さだけなら呂布の方がチートくさい
アホだけど

で、考えてみたら近代は権力や武力より頭脳のチートの方が目立つね

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http://ja.wikipedia.org/wiki/呂布





38. 名無しカオス 2014年03月14日 02:06


三国志は、話盛られてる部分もあるかもなぁ。

孔明なんかは、政務官としては優秀だけど軍師としての腕には司馬懿の方が総じて上だっていう人も居るし。

脳筋武将では、関羽、張飛、趙雲、誰々…、が凄くてっていうエピソードもあるけど、そう言われる武将の中でも呂布が頭抜けて化け物クラスだったことは、恐らく間違いがないと思ってる。





67. 名無しカオス 2014年03月14日 05:22


三国志はだいぶ盛ってあるとは思うが
あのでかい大陸で名を挙げた武将ってのはチートって言えるよな
袁紹あたりも曹操に負けるまでは鬼チート
曹操の何がチートってこいつを負かしたこと






78. 名無しカオス 2014年03月14日 08:38


三国志なら
預言者レベルの郭嘉か
曹操に負けなしの賈?かね
この二人は孔明より上と評価する人もいるくらい
武なら単騎突破した趙雲かなあ

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http://ja.wikipedia.org/wiki/郭嘉




54. 名無しカオス 2014年03月14日 02:57


秦の始皇帝かな。


六国を制し、秦をまとめ上げた。
人を信じられず、一人で全部政務を行ったり、
当時、中国に浸透していた儒を排除し、法を敷いた。
ただ、焚書坑儒しかり、やり方が間違っていたね。



http://ja.wikipedia.org/wiki/始皇帝

始皇帝は、中国戦国時代の秦王。
紀元前221年に中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。
中国統一を成し遂げたのちに「始皇帝」と名乗った。歴史上の重要な人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。統一後は、重臣の李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行した。始皇帝は巨大プロジェクトを実行し、万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを、多くの人民が払う犠牲の上に行った。また、法による統治を敷き、焚書坑儒を実行したことでも知られる。

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8. ななし 2014年03月14日 00:23


もう出てるやつらと比べたら見劣りするけど
李牧とかどうよ
始皇帝の秦の攻撃を一人で防ぎ続けた
あの時代では間違いなくチートクラス

http://ja.wikipedia.org/wiki/李牧





27.   2014年03月14日 01:27


項羽の武力はチートすぎ


でもなんか納得しちまうから不思議だ
項羽は性格的に問題がありすぎるから、項羽自身が強くないと部下が纏められないだろうし
日本人で項羽に対抗できるのは鎮西八郎くらいかな



http://ja.wikipedia.org/wiki/項籍

項 籍は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。
その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが人心を得ず、次第に劣勢となって敗死した。

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30. あ 2014年03月14日 01:36


ハルトマンはそうでもない?



http://ja.wikipedia.org/wiki/エーリヒ・ハルトマン

エーリヒ・アルフレート・ハルトマンはドイツ空軍の軍人。第二次世界大戦時のドイツ空軍のエース・パイロットであり、空中戦での撃墜機数は戦史上最多である。
独ソ戦において、格闘戦を避ける一撃離脱戦法で撃墜スコアを重ね、1944年8月25日に前人未踏の300機撃墜を達成した。総出撃回数1405回、うち825回の戦闘機会において最終撃墜数352機、被撃墜16回。
乗機メッサーシュミット Bf109Gの機首に黒いチューリップ風のマーキングをしていたため、ソ連空軍から「黒い悪魔」と恐れられた。

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76. 名無しカオス 2014年03月14日 07:28


※30
数だけならハルトマン

質で言うならハンス・ヨアヒム・マルセイユ

英軍機レイプするとか頭おかしいから
こればかりはハルトマン自身が認めてるから覆らないよ



http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・ヨアヒム・マルセイユ

ハンス=ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユは第二次世界大戦のアフリカ戦線で活躍したドイツ空軍のエース・パイロット。“アフリカの星”Stern von Afrikaの通称で知られる。撃墜した158機は全て西側連合軍機である。

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7. 名無しカオス 2014年03月14日 00:21


スヴォーロフ



http://ja.wikipedia.org/wiki/スヴォーロフ

常勝不敗の指揮官としてその名声は確立している。
スヴォーロフの戦略、戦術の基本は機動と速攻、奇襲にあった。
ポーランド侵攻や露土戦争で見られるように、しばしば
少数精鋭の部隊を率いて速攻を仕掛け、成功を収めている。
スヴォーロフは著書の中で
「戦争において金銭は尊い。人命はより尊い。それよりもなお時間は尊い」
と述べている。

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63. 名無しカオス 2014年03月14日 04:15


ケマル・パシャ



http://ja.wikipedia.org/wiki/ムスタファ・ケマル・アタテュルク

ムスタファ・ケマル・アタテュルクは、オスマン帝国の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領。
トルコ独立戦争とトルコ革命を僚友たちとともに指導したことで知られる。
トルコは独裁政権下にありながら全体として国家の安定に成功した例となり、「成功した(正しい)独裁者」ムスタファ・ケマルはその死後も現在に至るまで国父としてトルコ国民の深い敬愛を受けつづけている。

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50. 名無しカオス 2014年03月14日 02:50


ケマル・パシャ/ケマル・アタテュルク。
リー・クアンユー。
この人達のカリスマ性とか、実行能力はすごい。
一代で国を立ち上げ、発展させる手腕。







53. 2014年03月14日 02:56


確かにカリスマ性で言ったら
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」を纏め上げるたティトーは凄い



チートっていうと同時代の人物に比べて傑出した能力を持った人物ってイメージ持ってるから

やっぱアレクサンドロスとかハンニバルだなぁ




http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンニバル

ハンニバル・バルカは、カルタゴの将軍。
第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも彼の戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど戦術家としての評価は非常に高い。

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17. 名無しカオス 2014年03月14日 00:50


そもそも歴史に名を残してる連中は
世襲制で君主になったとかを抜けば一般人からすりゃチートだろ
盧武鉉みたいな政治家としちゃ無能のドアホですら
貧農の家に生まれて日雇い労働しながらの苦学で司法試験に合格
その後司法の世界で活躍を重ねて最終的には
一国の指導者にまで上り詰めるとか十分チート





1. 名無しカオス 2014年03月14日 00:09


これは坂井三郎



http://ja.wikipedia.org/wiki/坂井三郎

坂井 三郎は、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員(パイロット)。太平洋終戦時は海軍少尉、最終階級は海軍中尉。終戦までに大小多数の撃墜スコアを残す日本のエース・パイロットとして知られる。

Sakai_as_young_pilot (1)







68. 名無し 2014年03月14日 05:57


「零戦虎徹」岩本徹三かな?
撃墜数では劣るけど「デストロイヤー」菅野直も好きだ。

旧日本軍は好きじゃないが、前線で戦ってた兵士のエピソード聞くとカッコ良いと思うわ。
チートとは話が違うけど。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/岩本徹三

200px-Naoshi_Kanno


http://ja.wikipedia.org/wiki/菅野直





18. 名無しカオス 2014年03月14日 00:54


戦国時代なら本多忠勝

生涯の戦で無傷



http://ja.wikipedia.org/wiki/本多忠勝

本多 忠勝は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名
生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及んだが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられている。

250px-Honda_Tadakatu








23. 名無しカオス 2014年03月14日 01:03


日本だと源為朝とかか

世界的に見りゃ小物かもしれんが



http://ja.wikipedia.org/wiki/源為朝

源 為朝は、平安時代末期の武将。
弓の名手で、鎮西を名目に九州で暴れ、鎮西八郎を称す。保元の乱では父・為義とともに崇徳上皇方に属して奮戦するが敗れ、伊豆大島へ流される。しかしそこでも暴れて国司に従わず、伊豆諸島を事実上支配したので、追討を受け自害した。切腹の、史上最初の例といわれる。

250px-Minamoto_Tametomo








24. 名無しカオス 2014年03月14日 01:17


天下取るまでの秀吉は戦国武将として異常なレベルのチート



http://ja.wikipedia.org/wiki/豐臣秀吉

豐臣 秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。
当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を表した。
墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。

250px-Toyotomi_hideyoshi








60. 名無しカオス 2014年03月14日 03:29


1582~1590年までの秀吉は確かに異次元のチート。
戦略的判断が神がかってて、信長生きてても秀吉より早く天下統一するのは不可能だったのではないかと疑うレベル。
にも関わらず実際は軍師でもなんでもなかった竹中半兵衛や黒田官兵衛のおかげで天下が取れたと思われてる日本一不憫な英雄や。
ついでに秀吉に一番重用された参謀で実際は知的インテリだったにも関わらず後世ではただ野武士の頭だと思われてる蜂須賀小六も不憫。






43. 名無しカオス 2014年03月14日 02:27


大村益次郎

本から得た洋学知識で、フランス士官を招いた本式の幕府歩兵を防ぎきった




http://ja.wikipedia.org/wiki/大村益次郎

大村 益次郎は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。

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74. 名無しカオス 2014年03月14日 06:55


ジョン万次郎



http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン万次郎

ジョン万次郎は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての人物。日米和親条約の締結に尽力し、その後通訳・教師などとして活躍した。




▼ジョン万次郎やれよ。こいつの人生は凄いぞ

土佐の漁民として少年時代を過ごす。ある日、漁に出たときに船が台風に巻き込まれ仲間と4人と漂流してしまう。

小さな船は運良く太平洋の孤島へ流れ着くが無人島。そこで雨水を飲み、鳥の卵を食べ、数ヶ月を生き延びた。

幸運なことに、アメリカの捕鯨船が無人島へ水の補給に立ち寄ってきた。その時にアメリカ船員に救助される。

鎖国中なので捕鯨船は日本へは行かず、ハワイへ向かう。万次郎は船上で捕鯨の仕事を手伝いながら英語を習得していく。

働き者の万次郎は船長や船員に気に入られる。ハワイで万次郎以外の3人は船を降りたが、万次郎はそのまま捕鯨船に残る。

万次郎を乗せた捕鯨船はアメリカ本土へ帰港。万次郎はアメリカ本土で船長の養子息子として学校へ通い出す。

万次郎、勉強しまくって成績優秀になる。しかも大学にも通う。船舶技師や捕鯨技師として一級の人材になる。

万次郎、アメリカで捕鯨船員をしながらアメリカ人として暮らす平和な数年間。アメリカでリア充生活を送る。

アメリカ人の彼女も作って結婚も考えたが、彼女が遠洋漁業に出ている間に病死してしまった。泣き叫ぶ万次郎。

ホームシックになった万次郎は日本帰国を決意。しかし資金がない。そこでゴールドラッシュにかけて金山へ。

奇跡的に万次郎の一団が大金鉱を掘り当てる。万次郎、超金持ちになる。運命のチート発動。

万次郎は大金をはたいて遠洋漁業船を購入。日本へ向け太平洋横断の大航海に出航する。

途中ハワイに寄って別れた日本人3人を拾いにいく。しかし一人は病死、一人は現地で結婚していていた。

万次郎はぼっちの日本人1人だけを連れて行く事にする。

いきなり土佐に行くと外国船は打ち払われるので、まずは琉球へと向かい、そこから日本へ戻ることにした。

船は無事に琉球に着くが、1年近く取り調べられ、やっとこさ土佐への帰郷を認められる。

この時、土佐漁民としての身分を剥奪される。出航禁止命令。以後は農民として陸で暮らす条件つきで帰郷する。

しかし時代は幕末、江戸にペリーが来航し黒船騒動。英語が出来ない幕府は交渉が出来ずに困り果てる。

アメリカ帰りの万次郎のうわさが幕府に流れる。農民で英語万能な万次郎は通訳として江戸城へ呼ばれる。

江戸城には武士しか上がれないので、万次郎は異例の身分昇格。なんと旗本にジョブチェンジ。万次郎は武士になった!

武士になった万次郎は通訳として大奮闘。アメリカの知識を求めて来る幕府の重鎮や維新志士は多く、どんどん仲良くなる。

やがて明治維新が始まる。日本大混乱。鳥羽伏見の戦いで幕軍敗走。江戸城無血開城。明治新政府誕生。日本開国へ。

ここでも万次郎の英語が大活躍。アメリカの現状、交渉術、船舶知識なども豊富な万次郎はそのまま新政府の役人になる。

その後も明治維新の一端を担う存在として日本に尽くす。晩年は土佐へ戻り、母や家族と静かに暮らしたとさ。





32. う 2014年03月14日 01:49


ジョン万次郎…。






36.   2014年03月14日 02:05


日本人だったら圧倒的に空海



http://ja.wikipedia.org/wiki/空海

空海は、平安時代初期の僧。弘法大師の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。
日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。

Kukai2








44. 名無しカオス 2014年03月14日 02:30


日蓮もチートだと思うが、

伝説の類が全て真実だったらという前提付き。
まぁ、うさん臭くて信じないわな、あんなの・・・。

Nichiren


http://ja.wikipedia.org/wiki/日蓮





77. 名無しA/f 2014年03月14日 08:29


細川幽斎

武将で秘書で剣士で歌人で格闘家で料理人で学者でエッセイストで愛妻家な人だからな(今風に言えば)



http://ja.wikipedia.org/wiki/細川幽斎

細川 幽斎こと細川 藤孝は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、歌人。
初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は15代将軍・足利義昭の擁立に尽力するが、後に織田信長に従い丹後宮津11万石の大名となる。後に豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名・肥後細川氏の祖となった。
また藤原定家の歌道を受け継ぐ二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。

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3. 名無しカオス 2014年03月14日 00:12


インドの魔術師ラマヌジャン



http://ja.wikipedia.org/wiki/ラマヌジャン

シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャンはインドの数学者。
極めて直感的、天才的な閃きにより「インドの魔術師」の異名を取った。
渡英後に発表したラマヌジャンの保型形式、それに関連した
ラマヌジャン予想は重要な未解決問題であった(1974年にドリーニュが解決)。
その他、ロジャース・ラマヌジャン恒等式の再発見や
確率論的整数論を創始した功績も高く評価されているが、
帰印後のハーディへの手紙に記された「擬テータ関数」の発見が
最高の仕事と評されている。
大学で系統的な数学教育を受けなかったため、
彼は「証明」という概念を持っておらず、
得た「定理」に関して彼なりの理由付けをするに留まっていた
(寝ている間にナマギーリ女神が教えてくれた、など)。

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15. 名無しカオス 2014年03月14日 00:43


ラマヌジャンに勝てるやついんの?






47. 2014年03月14日 02:36


数学でガウスとオイラーがいたので満足

ラマヌジャンをだすならポール・エルデシュの名も欲しいところ

あと現代ではテレンス・タオなんかは

かなりチートなのでググってみて下さい



http://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・エルデシュ

ポール・エルデシュ、エルデーシュ・パールはハンガリーのブダペスト出身の数学者。生涯に約1500篇もの論文(多くは共著)を発表しており、これ以上に多数の論文を発表した数学者は18世紀最高の数学者と呼ばれているレオンハルト・オイラーのみである。

Erdos_budapest_fall_1992





http://ja.wikipedia.org/wiki/テレンス・タオ

テレンス・タオは中国系オーストラリア人数学者。専門は実解析、調和解析、微分方程式、組合せ論、整数論、表現論。
2004年に長い間の整数論の難問(素数の集合の中には任意の長さの等差数列が存在すること)を解決し(ベン・グリーンとの共同研究)、その成果により2006年にフィールズ賞を受賞した。他に掛谷予想への貢献。KdV方程式が大域解を持つことを示した。表現論とシンプレクティック幾何学に組合せ論的手法を持ち込みエルミート計量に関するHorn予想を解決(Allen Knutsonとの共同研究)。

Ttao2006









71. 名無しカオス 2014年03月14日 06:05


※47
テレンス・タオ、チートすぎるんゴ…
つか、どの時代にも世界に一人は全ジャンルできる数学者いるって恐ろしいわ






41. 名無し カオス 2014年03月14日 02:13


やっぱ「万能の天才」ダ・ヴィンチかな


バカなんでどうすごいかとかあんま理解出来ないけど、あの絵画が特技の一つとか言うんだろ
頭のつくりがおかしいわ

レオナルド・ダ・ヴィンチ


http://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ

絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、
極めて広い分野に足跡を残している。
『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は
盛期ルネサンスを代表する作品になっている。
膨大な手稿を残しており、その中には当時としては
珍しい航空についての考察も含まれていた。

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