1:日本@名無史さん:2012/01/26(木) 18:43:06.66
鎌倉~江戸時代と主に歴史は武家によって作られました。
歴史に疎い人間の中では朝廷は無い物として認識されていますが
厳然として存在した公家、朝廷について何でも語り合いましょう^^
【閲覧注意】表に出てない、あなたの知ってる「ヤバイ」話『偽装食品』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4645205.html
麻呂


2:日本@名無史さん:2012/01/26(木) 22:36:42.57
室町末期はさておき、安土桃山あたりから、公家はどうやって銭儲けてたんだろうか?

天皇とか、その辺はさておき、下級公家なんて、収入ないでしょ?



3:日本@名無史さん:2012/01/26(木) 22:47:03.97
>>2
書や和歌、管弦の家本としての教授や免状発行だね。対象は大名。



4:日本@名無史さん:2012/01/27(金) 01:57:54.08
>>3
暮らしていけるほどの銭をくれたんですかね?
受取証みたいのあったら、見てみたいんですが。

でもって、下っ端の公家って、そんなのを発行する権利あったのかもようわかりません。



5:日本@名無史さん:2012/01/27(金) 11:48:41.92
そりゃあ大内とかは一流しか相手にしないでしょうけど、
受け手側もピンキリだから、三流どころにも需要はあったのでは?
都ではまがい物として通用しないかもしれないけど、
田舎では都の公家ってだけで、それなりの権威では。



6:日本@名無史さん:2012/01/28(土) 01:47:42.41
>>5
あー、それはそうですね。なるほど、納得。
そういや、田舎豪族に嫁ぐ公家娘も多かったんですもんね。
戦国の混乱期に、なくなっちゃった公家なんかもあったんでしょうし。

にしても、徳川時代に入ってからの、下っ端公家の生活とか、大変だったのだろうなー。
岩倉具視の話を聞くだけで、「おおう、ヤクザの末端じゃん」という感じが……。



8:日本@名無史さん:2012/02/04(土) 13:02:50.93
家業があった公家は上でも出てるような稼ぎはあったからまあ良かったね。
有名どころだと蹴鞠の飛鳥井家はいろんな大名のところに出張蹴鞠大会に赴いてがっつり稼いでる。

珍しいところでは久我家の按摩の免許とか五条家の横綱免許とか、
家業とは関係のない特権を持ってる家もあった。

応仁の乱以降は荘園を奪われて土地で生活はできなくなったから
それこそ公家だからこそ価値がある芸能や儀礼などで生きてたわけだ。

江戸時代に入ると下向して云々ということはなくなるから大名と姻戚関係を築いて上納金なんてのが一般的か。
禄高はたかが知れてるし、五摂家や一部の高級公卿以外はなかなか大変になってくる。
なもんで風俗店の呼び込みのバイトしたり、部屋貸ししたり、中には盗人になるような公卿もいた。一部だけど。



9:日本@名無史さん:2012/02/04(土) 18:45:45.94
蔵米取りの新家公家なんぞボロい長屋屋敷で下級武士並みの生活だったろうな。
五摂家の諸大夫・侍の方が地下だけどいい生活できていただろう・・・。



10:日本@名無史さん:2012/02/04(土) 19:10:17.28
切米取りの下層公家なんて100石にも満たないのいるからね。
しかもそういう新家は副収入得られるような家業がない場合も多いしそりゃ大変だったろう。



11:日本@名無史さん:2012/02/04(土) 19:41:57.55
堂上になると体面があるから、下手な副業もできないし。
その上に体面維持にかかる費用も大変。
と言うわけで、それなりに金になる本業の余録や副業がある地下は、
堂上になりたがらなかった家もあるとかどうとか。



12:日本@名無史さん:2012/02/04(土) 21:59:32.73
近衛家最強だね。縁戚の国持ち大大名や津軽家からの貢物、伊丹領からは
清酒でウハウハだろうし。そこらへんの貧乏旗本・大名よりよっぽど裕福。



15:日本@名無史さん:2012/02/05(日) 10:09:18.78
公家町絵図見ると九条や近衛などの御殿の広さに比べて30石平堂上のボロ屋敷の
狭さに笑ってしまう。
それにしても明治維新は日本を大きく前進させたけど、一方で旧来の城や寺や公家屋敷
など現代からみれば垂涎ものの建築物を破壊した。当時、後世に残る文化遺産として
保存しようという考えは皆無だったのかね?



16:日本@名無史さん:2012/02/05(日) 12:45:13.48
後世に残る文化遺産なんて考えが起きるのは時間が経たないと無理だろ
我々だってリアルタイムで生きている時はそのものの価値評価は難しい

明治時代ってのは旧時代の遺物=悪みたいな極端な考えもあったからね。
仰るとおり城郭や寺社でさえボコボコに破壊されたりただ当然で払い下げされたりしたわけだから
神社でさえ統廃合でかなり壊したからな



17:日本@名無史さん:2012/02/05(日) 12:47:18.76
ちなみに京都御苑に実際行くと分かるけど、地図上ではゴミクズみたいに見える公家屋敷も
実際はそこそこの敷地だったことが分かるよ。

もちろんかつての栄華やに比較したり、摂関家、市中の大店と比べたらそりゃ寂しいもんだけどさ。
摂関家は御所以外にも複数別邸持ってるしな。まあ別格だ。



18:日本@名無史さん:2012/02/05(日) 14:15:26.61
戦後復興期とか高度成長期とかバブルの頃に適当に作った手抜きビルでも、
何かの偶然で100年も残れば立派な文化遺産。
その時代に当たり前にあるものの価値は同時代人にはわからないよね。
って言うか時間が経過して当たり前でなくなって初めて価値が出る場合も多いか。



19:日本@名無史さん:2012/02/05(日) 14:18:37.12
姉歯マンションだって発覚せずに200年残ってたら、
その頃のドキュメントみたいなもので、
「見てください、実はこのように巧み設計されてるんですね」
「へー、さすが先人の知恵はすごいですねえ」
とか言われたりして。



22:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 05:17:02.01
江戸時代の公家って何やってたんだろう。禁裏御料や公家領の統治は幕府がやってたし、具体的な政務があったわけじゃなさそうだし。

組織だから総務とか会計とかの仕事はあったのかな。



23:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 09:03:05.08
関白、武家伝奏、議奏など幕府と絡む役職はそれなりに忙しい

それ以外は交代で御所の勤番(夜勤あり)
あとは儀礼的な出勤

出勤がなければ家業に勤しむ。もしくは写本。
もちろん内職をする者もあり。



25:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 10:35:10.47
あと全国各地の寺社伝奏というお役目もありますな。勅祭はもとより祭事には
勅使その他の差配の役目があった。
また参内はしなくても主従関係(門流)を結んでいる摂家への出仕や
宗家・縁家の葬祭法神事への参座もある。



32:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 15:10:34.47
江戸時代にこのままじゃ朝廷・公家はダメだって
武士の真似事した天皇いたよな
俺は嫌いじゃないぜ



39:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:15:50.99
>>32
後光明天皇のこと?
京都所司代の板倉重宗の「あなた様をお止めできなければこの重宗
切腹せねばなりません」の諫言に対して
「未だ武士の切腹を見たことがない、見ていてやるうえ切腹せい」
って言った人?



38:日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:22:55.00
公家領って一村に複数の領主がいる入組だし、公家の家政機構が脆弱だから
年貢徴収や裁判権は京都町奉行や幕府代官に頼らざるを得なかった。
しかし軽微な事案は公家側で処理していたみたいだね。公家側の雑掌と庄屋間の
手紙などが古文書として多く残っている。



50:日本@名無史さん:2012/02/09(木) 18:15:19.63
幕末、堤家(30石蔵米)の家臣団・使用人

雑掌・用人・番頭・近習(奥勤小侍)・中番・下部
年寄・側・乳人・黒歯・白歯・茶間・仲居 など男女約15名・・・。

けっこうな人数だな。



53:日本@名無史さん:2012/02/09(木) 18:43:57.31
>>50
30石で、そこまで!?



62:日本@名無史さん:2012/02/13(月) 10:11:27.58
>>50の例はたぶんなにか別途収入があったんだろうな。
それとも家臣の大半は無給、あるいは持ち出し有りとか、
じゃなきゃあどう考えても生活できないよ幕末頃だと。
江戸時代初期ならまだあり得たのかな?それでも非常にきつそう。
もしかして、なにかの行事の時の臨時雇いも含めた人数かな?



64:日本@名無史さん:2012/02/13(月) 12:58:25.57
女中は行儀見習いだから無給って場合もあったらしい。
逆に実家から付け届けとかもあったりとか。
有給でも男よりは安く上がるし、食い扶持も少ない。
だから江戸時代も進んでくるとどこの家でも男を減らして、
女を増やす傾向があったそうだ。
幕臣とか陪臣の話だけど、公家も傾向としては同じかな?
平和な時代なら、儀礼上どうしても必要な役目以外の、
単に家政で必要な人手は大概女で間に合うもんな。



65:日本@名無史さん:2012/02/14(火) 00:22:00.64
上野氏の論文によると家臣の給米だけで35石らしい。
分賜米のおかげで家臣を新規雇用したのか・・・というと
近習以下侍は譜代家臣もいるようだ。一代抱えもいてこれは新規かもしれんが
そこまで詳しくは書いていない。



67:日本@名無史さん:2012/02/19(日) 00:21:54.56
明治以降は立場逆転だな。旗本は威張っていても石高が高くても
士族。堂上は石高少なくても、30石でも子爵以上の華族さま。



68:日本@名無史さん:2012/02/19(日) 20:04:07.12
1851年の二条家諸大夫は筆頭が27両強・あとはほとんどが15両強、
子息で禄がないのは除き、なぜか一人だけ8両強。侍からの昇格組かも。
侍とか用人とかは、9両とか8両程度以下。
かならずしも家内の身分と禄の高低は連動してないようだ。
身分ごとに平均値はちゃんと身分順になってるようだけど。



78:日本@名無史さん:2012/03/03(土) 11:39:19.66
>>68
へえ、そうだったんですか。面白い。
何ていう本(論文?)に書いてありますかね?



79:日本@名無史さん:2012/03/03(土) 12:09:25.23
>>78
「近世の身分的周縁」とかってシリーズの「朝廷を取り巻く人々」とか言う題名の本に、
収録されていてた摂家家臣について書かれたもの。
題名はうろ覚えなので間違ってるかもしれない。



80:日本@名無史さん:2012/03/03(土) 21:16:02.15
>>79
78です。ありがとう御座います。
来週学校に行って図書館にあるか調べてみます。



81:日本@名無史さん:2012/03/03(土) 22:49:17.03
>>80
正しくは吉川弘文館 『身分的周縁と近世社会8 朝廷をとりまく人びと』

近世朝廷研究の第一人者、高埜利彦氏と高埜氏の門下生による共著の本。
地下官人や堂上家の部屋住みなどにも触れていてなかなか読み応えあるよ。



69:日本@名無史さん:2012/02/19(日) 22:01:35.53
二條家の諸大夫ともなれば北小路とか松波とかさすがに譜代でそれなりに
由緒ある家臣だなー。



70:日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:03:45.43
武家との婚姻関係で見る家格

将軍家-内親王・摂家・親王家
御三家・御三卿-摂家・親王家
国主大名-親王家・清華家・平堂上家
一般大名・旗本・大藩家老-平堂上家



71:日本@名無史さん:2012/02/27(月) 20:14:06.52
公家の生活は「家の格」によって出世できる終点の身分も決まっていた。
武家の方が自身の才覚によって身分上昇が可能なので、「世の中を変革しよう」
など、公家の側からは出なかったのだろうな。



75:日本@名無史さん:2012/03/02(金) 18:01:17.87
公家が一番困窮したのは戦国時代でしょ?
でも江戸時代見ても100石に満たない公家がぞろぞろいたよな・・・
戦国時代は天皇も飢えて餅屋からの献上品を食ってたというし
京都にいた有力武家は何をしていたのかと小一時間問い詰めたい



77:日本@名無史さん:2012/03/02(金) 21:48:30.44
>>75
>京都にいた有力武家

これって室町将軍のことでしょ?室町将軍も金欠で援助どころでは無かった。
大体将軍が京に不在なことが多くてね。追い出されちゃって。



76:日本@名無史さん:2012/03/02(金) 20:59:42.79
別に扶養義務があるわけじゃないし。
正直どうでも良かったんじゃないの?
余裕がなかったのかも?



83:日本@名無史さん:2012/03/08(木) 13:42:47.72
そもそも江戸時代に公家って必要だったのか?
皆無でいいとは思わないが、大臣家未満は無嗣絶家でも問題ないでしょ。
大名の改易みたいに浪人が増えるわけでもない。



94:日本@名無史さん:2012/04/01(日) 11:46:22.32
>>83氏の言ってるように、「なんで必要だったの?」っていうのは、
天皇家・公家っていうシステムの不思議さを改めて感じさせます。



96:日本@名無史さん:2012/04/02(月) 12:47:14.17
>>94
武家は権威付けに朝廷から官位貰わないといけないのに
天皇家、公卿を粛清とかする必要あるのか?
織田信長は生きていたら自分が天皇として即位しそうな感じだけど
明智光秀に殺されてるし。



97:日本@名無史さん:2012/04/02(月) 13:37:52.55
今から見ると、皇室は日本史上存続するのが当たり前だったように見えるけど、
実際には、偶然が続いてここまで存続した、と見るのが正しいと思う。

特に、室町中期までは、皇室にもまだ
財政的基盤も政治的基盤も、それなりにあったわけだが、
戦国時代にそれが、ほぼなくなった。
その後江戸時代には、家康の貴種マニア的な性格もあり、
朝廷は箱庭的に生き残ったわけだが、あくまでも箱庭であって
財政的にも、政治的にも従来のものとは全く異なったものになっていた。

もし戦国時代があと数十年続いていたら、皇室が滅亡していてもおかしくなかった、
と自分は思うが。最後まで京都を離れなかったのが幸いした。
もし本当に生活できなくなって、地方に亡命したりしたら、きっと滅んでいたと思う。



100:日本@名無史さん:2012/04/02(月) 16:09:05.90
>>97
皇室の権威を利用したのは紛れも無く戦国大名だろ?
大内や毛利がどれだけ献金したと思ってるんだ。

ただそれでも経済的には安定しなかったが信長、秀吉の登場で
天皇権威は復活しただけでなく、以前にもましてその存在意義が増した。

もちろんそれは信長、秀吉の栄光のお陰であることは間違いないが
戦国時代を終わらせたのはある意味この両名であって、
あたかも家康が皇室の存続に大きく寄与したというのは
あまりにも飛躍した話である。



102:日本@名無史さん:2012/04/02(月) 16:26:55.78
>>100
いやだから書き方が悪かったかも知れんが、
勿論家康だけじゃなくて、信長秀吉が現れずに、
あのまま足利将軍家の権威低下だけが続いて、あと数十年~100年程度
戦国時代が続いたら、やっぱり金欠で生活できず、
「どこかの勢力に取り込まれてしまう」ことになったのでは?
ってのが自分の想像。
あくまでも想像だから、それ以上議論はできないけどね。

とにかく、戦国時代の朝廷は、(一般的に思われていることに反して)
「存続の危機」の状態にあった、ってことは確かだと俺は思う。



104:日本@名無史さん:2012/04/02(月) 16:33:33.89
その「あと100年間戦国時代が続いたら~」っていう想定自体がナンセンスだからな。
戦国時代があと100年続くってのはどういう状態か想像もつかないし、
逆に言えば戦国時代が終了するその100年後というのはどういう終了の仕方なのか。

つまり設定自体に(歴史を考える上では)無理があるので、その設定に基づいて天皇がどうだというのは無理だし無意味。
なのでそれをもって「存在の危機」にあったとも判断はできない。

むしろ戦国時代でさえもその存在が失われなかったことを考えれば
「存続の危機」は戦国よりも道鏡の登場や、足利義満のような公家社会も取り込んだ独裁者の登場時の方がよっぽど切迫していたと思う。



113:日本@名無史さん:2012/04/05(木) 00:52:52.90
>>104
戦国時代が続いてたら天皇制が滅んだか?ってのは議論あり得ると思うが、
「戦国時代があと100年続くってのはどういう状態か想像もつかない」ってのは、すまんがよくわからん。
想像くらいは、容易につくだろ。
信長秀吉以前から、戦国の覇者はいて、しかしそいつらは強い権力を持ちながら
維持できずに滅び去っていっていたわけで。そういう状態が続いて、
100年後になってようやく秀吉みたいな傑物が現れて統一する、なんてことくらい、想像するのは容易。

むしろ、歴史に「もし」なんてそもそもありえんだろ、って言うのならまだ話はわかるが、
それは全く別の問題な。



115:日本@名無史さん:2012/04/05(木) 12:46:49.47
>>113
現実に起こってないことを想像するのは容易とはなw
そもそも覇者がひたすら滅び去って行くことが繰り返される状態がただ延長されるだけと考えてるようだが
それは想像以下のものだろ。

ここは日本史板なんだから想像するにしても学問としての科学性を多少なりとも根拠とし給え。
それを踏まえた上で想像するのは困難だ、というわけだ。
戦国の覇者が攻防を繰り返すことが200年続くという状況は日本史の歴史性を考えた時にそれはどういう状況か
もう少しその想像とやらではなくて丁寧に説明してくれないかな?



143:日本@名無史さん:2012/04/14(土) 04:15:03.47
やあ、なんか、すごく基本的な質問させてください。

戦国期以後の「公家/公卿」の地位ってのは、何をもって尊いとされたんでしょうか。
家柄ということですか?



146:日本@名無史さん:2012/04/14(土) 11:07:43.58
>>143
「貴種」というのは何時の時代でも尊いものよ。

武家が「貧乏公家め」と腹の中で小馬鹿にしていても
結局かなわないのがあなたの指摘する家柄とそれに基づく歴史伝統文化、
そして武家政権の裏付けとなっている天皇の直臣という権威的位置なんだろう。

幕府や大名にとって自分たちを権威付けるためにはどうしても必要な存在だったわな。



187:日本@名無史さん:2012/05/07(月) 20:05:51.45
下級公家の食事は庶民と
同じ様な内容だったの?
玄米とか雑穀の雑炊とか?



189:日本@名無史さん:2012/05/10(木) 12:52:27.62
格の上下と貧富は直接には関係しないし、
庶民以下の生活もいれば、大名並みの生活もあるでしょ。
利権化した家業持ってるとか、宗教がらみはかなり裕福。



198:日本@名無史さん:2012/05/24(木) 07:46:22.19
江戸時代における一般の公家のイメージは鉄漿・白塗り・猫なで声・陰湿・・・で
統一されてしまったな、時代劇のせいで。おまけに大河なんぞも同様だし。
質実剛健な武士に対しての悪のイメージか。



199:日本@名無史さん:2012/05/24(木) 08:51:32.24
江戸時代の公家は、基本的になにもしないひとたちだからね。
社会に対してなんの貢献もしてない。



209:日本@名無史さん:2012/06/20(水) 18:53:36.35
>>199
江戸時代の将軍家や御三家の正室の多くは摂関家をはじめとする公家の出身
となれば武家の上流社会に正室を送り込むという役割があっただろ>公家の役目
武家上流社会が公家の姫をほしがったのは血筋の良さもさることながら
諸芸や作法を身に着けた才媛であったことも大きい

江戸時代の公家が何もしてなかったというのも誤り
室町時代以降、公家は生活の足しにするためさまざまな「家芸」を身につけ
それを教えて副業とし生活していたからだ
西園寺家の琵琶、蹴鞠の飛鳥井家などなど文化貢献をしていた



240:taka:2012/11/02(金) 11:59:47.25
>>209
同感。ただ所謂蹴鞠とかそういうものだけでなく、色々な特権というものがあったみたいだね。もっとも
そんな特権を有する公家自体ごく一部なんだが。

摂家筆頭近衛家では、領地からの収入二千石他領地伊丹の酒造組合からの運上金が毎年2,000両あっ
たそうだし、その他油等も献上されていて、将軍家や島津家等大藩からのお手伝いで潤っていた。

公家社会の中で一番金持ちだった清華家の村上源氏久我家。当道座、つまり盲人による実質金貸集団の
官位の任命や寺社奉行の手前の採決権等管領権による支配による財産、そしてそれに基づく武家や商家
への金貸しで莫大な財産を保有している。

それ以外にも、暦道や全国の陰陽祈祷の免許を交付する権利を有する土御門家や、神社の支配権を有し
ている吉田家等はかなり裕福だったみたいだよ。



218:日本@名無史さん:2012/07/07(土) 21:24:07.47
まろは~でおじゃりまする。
おーほほほほ!




転載元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327570986/
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