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サバイバーズ:あらゆる困難を乗り越え生きのびた奇跡の生存者たち25人 : カラパイア

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 生と死を分けるものはなんなのだろう?同じシチュエーションでありながらも助かるものと助からないものもいる。その鍵を握るのは運だけでなく、本人が生きることを諦めない命に対する執着心も関係しているのではないだろうか?

 ここに上げる25人は、想像を絶する困難に巻き込まれながらも、奇跡的に生をつなぎとめることができた生存者たちである。
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25.ジュリアン・カプケット

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 1971年、ペルーの熱帯雨林上空で落雷を受けて空中分解し、墜落したペルー航空508便の唯一の生存者は当時17歳の少女だった。彼女はシートに着席したまま落下したが、アマゾンの密林の樹木がクッションとなって目の負傷と鎖骨を折るだけで助かった。近くを流れる小川を辿って9日間歩き続けたのち、きこりに救助された。


24.ナンド・パラードと乗組員

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 1972年、ウルグアイのラグビー・チームが乗った飛行機がアンデス山中で墜落し、生き残った者は生存のために死者の肉を食べざるを得なかった。生存者の一人、ナンド・パラードは、自分達を氷河に閉じ込めている5000m超の山を越えることを考えつき、皆で10日間歩き続けてついに救助された。

生き延びる為、人は苦渋の選択をした。アンデス山脈飛行機遭難事故の奇跡の生還者




23.スティーブン・キャラハン

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 金糸雀諸島からカリブ海に向けて小さなヨットで航海に出た後、スティーブンの船は大西洋の真ん中で沈んでしまい、救命いかだに乗って76日間漂流した。偶然、バハマの島に辿りついて救出された。


22.ジョン・コルター

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 アメリカのワナ猟師で、1808年に凶暴な部族として知られるブラックフット・インディアンに捕獲された。裸にさせられて「逃げろ」と言われた時、自分が「人間狩り」の獲物にされていることを明確に悟った。彼はうまく逃げ、追跡者を数名殺して、300km以上離れたフォート・レイモンドまで無事にたどり着いた。


21.アーネスト・シャクルトンの探検隊

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 アーネスト・シャクルトン卿が南極を歩いて横断しようとした時、彼の船は流氷に閉じ込められ、助けを求めることもできずに22か月も漂流した。最初の年は船の中に居たが、流氷が船を破壊したので、彼らは流氷の上に上がった。そしてついにアーネストは救命筏に乗って、1200km以上離れた、捕鯨基地のある南ジョージア諸島に向かうことにしたのだ。

南極大陸の初横断を目指し失敗した、帝国南極横断探検隊の記録写真



それでも人は前に進む、新たなる希望を目指して。およそ100年前に撮影された南極大陸探検カラー写真



20.アーロン・ラルストン

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 アーロンの話は2003年に出版されている。壁と岩の間に右手を挟まれて、生き延びるためにその右手を切り落とさなければいけなかったいう話だ。ユタ州でハイキングをしていた時、岩が動いて、壁との間に右腕が挟まれてしまったのだ。



19.ピエール・ビュー

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 1766年 ピエール・ビューは嵐によってフロリダの海岸に座礁したフランスの商船に乗っていた。フロリダの湖沼の中で必死になって食糧と住処を探した。彼は自分の奴隷が飢えないようにと奴隷を殺したりもした。しかしついに彼は助かった。


18.デビー・キリー

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 1982年、デボラと他の4人はヨットでアメリカ・メイン州からフロリダに向った。カリフォルニア沖の高波に遭って船が壊れてしまい、救命筏に乗ってサメがうようよいる海を漂流することになった。一人は泳いで行ってしまい、二度と帰ってこなかった。もう1人は筏の真下に居たサメに食われてしまった。デボラともう1人だけが助かった。


17.グレムリンの搭乗員

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 1945年5月13日。グレムリン・スペシャルというニックネームがついた米軍の飛行機がオランダ領ニューギニアに墜落した。搭乗員のうち3名だけが生き残ったが、墜落箇所は人食い人種で有名な部族の住む山だった。だが彼らにとってラッキーだったのは、その部族は敵を討ち取って食べることはあっても、敵以外は食べないということであった。おかげで3人とも生還できた。


16.捕鯨船「エセックス」の乗組員

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 マッコウクジラに衝突され、沈められたエセックス号の21人の乗組員は救命ボートで漂流した。生きるために死んだ仲間の死体を食べ、自分の尿を飲みながら、あまり資源のない無人島に漂着した。彼らはそこでバラバラになり、何人かは海に戻った。結果的に8人だけが生き残った。


15.ジャン・バールズレッド

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 1943年3月、ジャンと国外居住者の奇襲部隊は英国から、ナチス占領下のノルウェイに到着した。彼らの目的は、レジスタンスを助けることであった。任務は失敗に終わり、ジャンは追われ、銃創を負いながらほとんど何も着る服もない状態でノルウェーのツンドラへ逃げた。偶然、北極圏にあるフレンドリーな村にたどり着き、そこから英国に無事に戻れた。


14.アビー・サンダーランド

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 世界一周の最年少記録に挑戦する航海の最中に、インド洋のど真ん中、陸地から3000km以上離れた場所で、40フィート級の彼女の艇のマストが折れた。緊急信号を発信したあと2日後に漁師に助けられた。


13.ヒュー・グラス

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 ミズーリに熊罠猟に行った時、クマに襲われ酷い怪我をおったヒュー。猟のリーダーは仲間数名に、ヒューが死ぬまで付き添い、死んだあと埋めるようにと言い残し去って行った。しかし彼らはヒューが死ぬまで待たず、ヒューが死んだということにしてその場を立ち去ってしまった。ヒューは意識を取り戻した後、ミズーリ川まで這って行き、筏に乗ってフォート・ノックスに向かった。途中で原住民たちが、ヒューの化膿した傷の上に熊の皮膚を縫い付けて助けてくれた。


12.ベック・ウェザース

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 エベレスト登山史上最悪の結果になったある秋のエベレスト登山を書きつづった「空へ!」には、ベック・ウェザースがデス・ゾーン(エベレストの肩:サウスコルに当たる標高7900m以上の場所を差す。1泊以上すると危険と言われる)で、意識を失っていたのにもかかわらず生還したことが続かれている。18時間を氷点下で過ごしたあと、意識が回復し、必死にサウスコルのキャンプに戻った。顔と手は酷い凍傷にやられ、両手を凍傷により失っている。



11.アメリカの開拓者チーム

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 アメリカ開拓者であったドナーのチームは、カリフォルニアに向かって進んでいたが不幸が重なり、1846年の冬をシエラネバダの山の中で過ごさざるを得なかった。87名中、生き残ったのは48名で、中には生き延びるために人肉を食べたメンバーも居た。


10.デビッド・スティーブス中尉

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 飛行機を操縦し、カリフォルニアからアラバマまで飛んだはずのスティブス中尉は目的地に到着しなかった。捜索が開始されたが何も見つからず、彼は死亡宣告を出された。2週間後、シエラネバダの山から歩いて降りてきた。飛行機に何かがぶつかり、脱出したそうだ。


9.気球の事故

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 1920年のフウ、アメリカ海軍中尉達が乗った気球がカナダの原生林の上に墜落した。ハドソン湾の交流所に着くまで1週間歩き続けた。


8.ヨッシー・ギンズバーグ

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 1982年、ヨッシーと3人の友人はボリビアのアマゾンで迷子になった。4人は2人ずつに別れたが、2人は二度と会うことはなかった。ヨッシーと友人は筏を作り、川を下ったが、瀬の早いところでバラバラになってしまった。友人は助けられ、ヨッシーはそれよりさらに19日後に川から水を引こうとしているところを発見された。


7.小野田寛郎

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 第二次大戦を戦った旧日本軍の情報将校。終戦後も任務解除の命令が届かず、戦争がずっと続いていると信じルバング島の密林にこもって戦闘を続け、終戦後29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。今年1月16日、肺炎により亡くなった。91歳だった。


6.ジェームズ・ライリー艦長

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 1815年、アメリカのジェームズ・ライリー艦長とその乗組員は北アフリカの海岸で座礁した。彼らは捕えられ、奴隷として売られ、サハラ砂漠を横断するという狂気の沙汰になるところであった。偶然、英国人の商人と会い、同情した彼によって釈放された。


5.ルイス&クラークの遠征

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 トマス・ジェファーソンによって西に派遣されたが、遠征隊は盗賊に遭い、傷を負い、何度か餓死しにかけた。通訳サカジャウィーの出身村の原住民の親切な手助けがなければ、間違いなく死んでただろう。


4.ロバートソン家族

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 ガラパゴス諸島から300km以上離れた場所で、シャチの群れがロバートソン一家の船にぶつかり、破壊した。両親、3人の子供、そして友人1名はそれから36日の間漂流し、日本のトロール船に助けられた。


3.ジョン・マケイン

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 ベトナム戦争中に乗っていた飛行機が壊れ、ジョン・マケイン中尉は敵に捕えらた。解放されるまでの5年近くの間、繰り返し拷問にあった。彼は早めに解放するという敵の申し出をきっぱり断わり、彼のあとに来た捕虜全員が解放されるまでは自分は解放には応じないと断言した豪傑である。


2.スティーブ・フォセット

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 気球による単独世界一周を3分の2まで達成していたスティーブは、紅海上で嵐に遭い、上昇することでやり過ごそうとしたが失敗。高度約9000m雹が気球に当たって気球が裂け、彼の乗っていた客室部分は海に向かって落下した。奇跡的に彼は命をとりとめ、10時間後に救出された。


1.スラヴォミール・ラウィッツ

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 シベリアの強制労働収容所に25年閉じ込められることになっていたポーランド人将校は、他の6人とともにヤクーツクのキャンプを脱走し、シベリアの凍ったツンドラを6400kmを歩いてゴビ砂漠に到達し、チベットを通り、ヒマラヤを超えてついに英国領インドに到達した。

via:list25・原文翻訳:LK

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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 20:59
  • ID:ECKoeQpU0 #

小野田寛郎は日本人の鏡やで、帰国後の日本のマスコミの対応があまりにも酷くてメキシコで農場やってたんだよな

2

2. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 21:04
  • ID:UdCmuRNR0 #

小野田さんの生還は当時幼心にもびっくらした。戦い続けてた事がすごい。
横井さんはここには載ってないのね。

25のジュリアン・カプケット(ユリアナ・ケプケ)の生還を元に映画『奇跡の詩』がつくられてる。
皮下のウジを取り出すシーンがえぐい。

3

3.

  • 2014年04月26日 21:28
  • ID:PY.be83y0 #
4

4. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 21:30
  • ID:uLiiisj70 #

小野田さんってスパイ養成の陸軍中野学校出身だろ。サバイバル訓練は徹底的に行われてたから奇跡というより必然に近い気がする。サバイバル状況でも適切な知識さえあれば人間29年生きられるっていう証明だよね

5

5. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 21:35
  • ID:CufG7LIN0 #

おい、アーネスト・シャクルトン卿が彷徨ったのは、北極じゃなくて南極だぞ。

6

6. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 21:48
  • ID:5q1pR0pd0 #

14のアビー・サンダーランドだけやたらショボイな
マストが折れて2日後普通に助かったとか

7

7. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 22:33
  • ID:O9q.u9Ww0 #

マケインってそういえばそんな逸話あったんだっけか
ああいう戦争のエグい所を体験してる当人が政治では保守派ってのが良い

8

8. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 22:37
  • ID:f7Nrwo1p0 #

過酷な自然環境を相手にサバイバルできる能力がある人が
必ずしも複雑な現代社会をサバイバルできるとは限らないと思う。

小野田さんとか、ジャングルではうまく生き延びれたけど
もし戦後の日本社会で暮らしてたら、法的に危ないことをしたかも知れない人物だと思う。

9

9. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:08
  • ID:wRnzn37q0 #

25のは何かで再現ドラマを見たな
確か父親からサバイバル技術を教えられてたとか…

墜落当時は他にも数人生存者が居たけど、怪我で動けなかったり
動き回るよりはその場で助けを待つといって動かなかったりで、
捜索隊が来たときには、もう全員…

10

10. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:19
  • ID:rSCEuva50 #

八甲田雪中行軍遭難事件
が挙げられてないなぁ
200人以上が行って助かったのが10人くらいだったんだよね

11

11. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:21
  • ID:OCIKNVXX0 #

24は『生きてこそ』って映画にもなってたね。
後21は『エンデュアランス号漂流』って本で読んだことあった。

12

12.

  • 2014年04月26日 23:24
  • ID:nDYE.mRd0 #
13

13. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:26
  • ID:pgBxdtsr0 #

こういった記事を見ると寒気がする
自分がこんな状況におちいったら真っ先に命をおとすか、
むしろ絶望して自殺しそう
サメが泳ぐ海を漂うなんて…深い海恐怖症としては地獄だ

14

14. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:34
  • ID:YKLK6jza0 #

小野田さんも凄いけど、最後の6400km歩くって…

15

15. 匿名処理班

  • 2014年04月26日 23:51
  • ID:U8NkmcoS0 #

1位のラウィッツは、「脱出記」という本になっているので、リンクを貼ったらどうでしょう。

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