NYビル倒壊の危機を回避した技術者倫理の鑑・ルメジャーと、彼を動かした学生
1977年建造当時、59階建てのシティコープ・センター(後のシティグループ・センター、現呼称は601レキシントン)は世界で7番目に高いビルでした。
てっぺんが45度に切り立ってて、ひと目でそれとわかるランドマークデザインなのですが…
…ビル最大の特徴はなんといっても、その土台にあります。下9階分が吹き抜けになってて、4本のぶっとい柱でビル全体を支えてるのです。
通常、支柱は四隅にあるものですが、思いっきり、ド真ん中。ラディカルです。まあ、これでも倒れないって公算があったから建てたんだろうと普通は考えます…
…よね?
ところが違うんです。
ビル設計者はHugh Stubbins氏ですが、この支柱のデザインを考えたのは構造エンジニア総括のウィリアム・ルメジャー(William LeMessurier)氏(写真上)。元々は、ビル北西の53丁目とレキシントン街の角を占領するセント・ピーターズ福音ルーテル教会の空間を確保するため考えた苦肉の策でした(ルメジャー氏はこの教会のことを「古くてみすぼらしい建物…ビクトリアン様式が落ちるところまで落ちて底を打った到達点だ」と酷評してます。実物ここ)。
「同じ場所に新しい教会を建ててくれるならビル建造に同意してもいいよ」っていうのが教会側の出した条件だったので、「だったら教会の横と上にデーンと建ててやろうぜ」ってことで、こんな鳥の巣みたいなデザインになっちまったのです。
ルメジャー氏が後に述懐したところによると、デザインはギリシャ料理屋で閃いて紙ナプキンにサラサラッと描いたものを発展させたものでした。
以下に、このビルの尋常ならざる特徴をまとめておきます。
・セントピーターズ教会の真上のビルを支柱が支えている。9階分ある支柱は、オセロのように教会に角をとられちゃってるのでビルの真ん中にたてるほかなかった。
・でもそれだと不安定になっちゃうので、ルメジャー氏はV字型構造を採用し、8階分ずつV字になるようにビルの骨格を組んだ。・でもV字構造だと、高層ビルとしては異常なぐらい軽くなり、風が吹くとグ~ラグラ揺れてしまう! そこでルメジャー氏は傾斜屋根のところに重さ400トンのおもりを浮かべた油槽を置き、揺れと逆方向におもりが振れビル全体のバランスが図れるようにした。
実に独創的かつ前衛的。ビルは各界から絶賛を受け万事順調に思えたのですが、それを一転させる出来事が起こりました。「ある日ある1本の電話が入って、万事休すになってしまった」(ルメジャー氏)のです。
ルメジャー氏曰く、その電話は1978年、ある大学で建築を学ぶ学生から入ったのだそうです。「今のままじゃシティコープ・センターが、風で倒れてしまう」って言うんですね。
その学生(そのまま歴史に埋もれてしまった)は卒論でシティコープ・センターのことを調べる中で、このビルが斜風(四隅に当たる風)に弱いことにハタと気づいたのでした。 普通のビルは角が一番強く、垂直の風(壁に当たる風)が一番負担になるもの。ですが、その常識がこのビルには通用しないんです。
ルメジャー氏も垂直風のことは考慮に入れてました。が、斜風のことは盲点でした。そこで早速計算をしてみたら、これがドンピシャ学生の言う通りで、ビルが耐えうる最大風速を実際の気象データと突き合わせてみたら、シティコープ・センターをなぎ倒す強風はニューヨーク・シティに55年に1度きてることがわかったんです。
でもこれはおもりがちゃんと動いて、ビルを安定に保ったと想定しての話。よくよく考えてみたら大嵐では停電も起こるので、そうするとおもりもアウトで、反対に振れるどころか一緒に揺れちゃうざます。
で、おもりがブラックアウトになると仮定すると、シティコープ・センターをなぎ倒す強風はニューヨーク・シティに…16年に1度の頻度できてることがわかってしまったのであります。
つまりシティコープ・センターが1年無事倒れずに年の瀬を迎える確率は16分の15で、残り16分の1は…四方八方が阿鼻叫喚というわけですね。
こりゃまずい、一刻も早くなんとかせにゃいかん、俺が黙ってりゃ済むことだけど、そんなわけにはいかぬ!…ということで、ルメジャー氏と氏のチームは施工主シティグループの上の人に話をつけ、一緒に緊急補強工事を断行します。
NY市警の協力を得ながら、ビル周辺10ブロックの緊急脱出避難プランを策定し、赤十字のボランティア2,500人を常時スタンバイさせ、気象サービス3社に委託して24時間365日無休で暴風警戒に当たらせて行いました。
現場では夜を徹して溶接作業を行い、夜明けとともに作業をやめ、ビルで働く人たちが通勤してくる前には終える、という態勢でした。
ビルで働く人たちがパニックしないように、以上のことは完全に極秘です。1978年夏、ハリケーン・エラが東海岸沿岸部を北上した時も、このことは外部には一切公表されませんでした。
結局ハリケーン・エラは上陸しなかったので入居者も市民も事実は知らされずじまい。ちょうどNY市内の新聞各社がストライキだったことも騒ぎが拡大しない方向に働きました。
こうして長年埋もれていた事実を掘り起こしたのは、かのJoe Morgenstern記者(後に映画批評でピューリッツァー賞受賞)です。パーティーで誰かがこの話をしてるのを小耳に挟んで、ルメジャー氏本人にインタビューし、1995年ニューヨーカー誌上で一大スクープとして報じ、こうして世界中に知れ渡ることとなったのですね。
このルメジャー氏の話は、下請け会社の技術者がミスに気づいていながら経営陣圧力に負けて招いたチャレンジャー号爆発事故とよく対比される技術者倫理の模範例として教科書や本によく出るので、知ってる方も多いのではないでしょうか?
ただこの話には、まだ続きがあるんです。これです。
これは英BBC放送がまとめたシティコープ・センターの危機を振り返る特集番組なんですが、これを何気なく観ていた視聴者の中に、Diane Hartleyさんがいました。彼女こそがあのルメジャー氏を動かした卒論(下)の学生だったのです。
と言っても、彼女自身はルメジャー氏とは一度も話したことはありません。電話を受けたのはルメジャー氏の部下だったんですね。
21歳のプリンストン大学在学当時にビルの斜風対策について問合せたあの電話が、まさかルメジャー氏を動かしていたとは夢にも思わなかったDianeさん。ずっと後になって自分の卒論がマンハッタンの運命を大きく変えていたことをこのドキュメンタリーを観て知り、本当に腰を抜かすほど驚いたと語っています。
今回のポッドキャストでは編集部のJoel Werner記者とSam GreenspanプロデューサーがDiane Hartleyさんと彼女の卒論アドバイザーDavid Billingtonさんに話を聞いてきました。この事例についてAIA保険の白書をまとめたMichael Vardaro氏、ルメジャー氏の元部下Joel Weinstein氏にも取材しています。
Dianeさんの声は以下に埋めたポッドキャストの17:09から先。「何度やっても計算が合わないので、自分の計算違いかな…こうして現にビルは倒れずに建ってるんだし…と思った記憶があります」と語ってますよ。知的な声で、聞き惚れます。
この取材テーマを薦めてくれたDamn InterestingのAlan Bellowsさん、ウィリアム・ルメジャー氏の音声アーカイブ探しを手伝ってくれたSimil Raghavanさんにこの場を借りて感謝します。
Music: "Wild'n Cuz I'm Young"- Kid Cudi; "A Drifting Up"- Jon Hopkins; "Cobweb Collector"- Twink; "Aufbruch"; "Its Caption Was A Star"- The Octopus Project; "Panic Disorder"- Melodium; "Dome Nest"- OK Ikumi; "brass practice"- Lullatone; "Red Air"- OK Ikumi; "Grundlsee"; "Sunlight"- OK Ikumi; "Making Up Minds"; "Dome Nest"- OK Ikumi
本稿はデザイン&建築専門ポッドキャスト「99% Invisible」(Facebook、Twitter、iTunes購読)の初出原稿をRoman Mars記者からの許可を得て再掲しました。
Roman Mars - Gizmodo US[原文]
(satomi)
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