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絶滅してまった動物挙げてく パート2 | 不思議.net

世界の謎と不思議を探求!

絶滅してまった動物挙げてく パート2

2014年04月30日

コメント( 1 )

元ネタ:http://viper.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1398576114/

タイトル:絶滅してまった動物挙げてく


1: 名無しさん 2014/04/27(日)14:21:54 ID:5WWTma7vc
どうも
絶滅寸前の動物スレを立てた者です

今回は絶滅してまった動物を挙げていきたいと思います

よろしくお願いします

絶滅寸前の動物挙げてく
http://world-fusigi.net/archives/7229616.html






2: 名無しさん 2014/04/27(日)14:24:14 ID:BVgnzV78c
期待

5: 名無しさん 2014/04/27(日)14:28:21 ID:5WWTma7vc

■ターバン
ターパンは有史以前よりフランスやスペインの南部からロシアの東部、中央部にかけて分布している。
ラスコーやアルタミラの壁画に描かれた動物はターパンだと考えられており、
またロシア南部では紀元前3000年頃のスキタイの遊牧民がターパンを家畜化していた痕跡が残っている。
野生のターパンは1875年から1890年の間に絶滅したと考えられている。
最後の1頭のオスは、捕獲の最中の事故で死亡した。
飼育下の最後のターパンは1909年にロシアの動物園で死亡した。
ポーランド政府によって、Bia?owie?aの森林地帯のターパンの子孫を保護する努力がなされたが、
これらの子孫はPolish primitive horseとして今日でも知られている。

6: 名無しさん 2014/04/27(日)14:33:08 ID:5WWTma7vc

■スチーフンイワサザイ
スズメ目イワサザイ科に属する鳥で、
ニュージーランドの北島と南島の間に位置するスティーヴンズ島に生息していたが、
1894年に絶滅した。
全長10cm程度で体は茶色、現生のスズメ目で唯一の飛べない鳥だった。

スティーブンズ島への人間の居住は、灯台の建設が始まった1892年のことである。
この後、3人の灯台守とその家族がこの島に住むようになった。
このころすでにこの島の "ミソサザイ" についての言及が建設労働者によってなされている。
灯台が稼動し始めた1894年、飼い猫」が捕まえてきた見慣れない鳥に興味を持った灯台守の一人デイヴィッド・ライオール がその鳥を鳥類学者のウォルター・ブラー に送ったことによってこの鳥が新種と確認されその存在が知られることになった。
猫は合計で15~16羽ほどを捕まえてきたが、それを最後にスチーフンイワサザイの姿を見た者はおらず、
学者による調査も行われたが結局見つからず、猫1匹によって絶滅させられたものとされている。
ほとんど天敵もいなかったスティーブンズ島では、空を飛べなかったことでネコに簡単につかまってしまったと考えられている。
発見と同時に絶滅したこともあり、生態に至っては全く不明である。

8: 名無しさん 2014/04/27(日)14:35:26 ID:BVgnzV78c
>>6
これは結構有名だな

7: 名無しさん 2014/04/27(日)14:35:08 ID:eqwfB85yb
これは期待

9: 天才数学者◆tNHOcrmZ/s 2014/04/27(日)14:35:53 ID:f8WfqtllC
ニホンオオカミ

11: 名無しさん 2014/04/27(日)14:36:28 ID:lONQKmuck
>>9
まだどっかに生息してると信じてる

10: 名無しさん 2014/04/27(日)14:36:21 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ブルドッグネズミ
インドネシア・ジャワ島の南方300kmに位置するオーストラリア領のクリスマス島に生息していたが、
すでに絶滅した。

体色は茶色で、体長25cm前後。尾は16cm前後で他種に比べやや短い。
背には厚さ2cmgほどもある脂肪層があった。
食物は果実、種子、樹皮、芽など。生息地は島の中でも標高の高い所にある森の奥深くであった。
木に登ったりはせず、原生林内の木の根の隙間や空洞となった倒木の下などに巣穴を掘り、
少数の群れで生活していた。昼光の下では半分寝呆けたように見え、
名前のイメージとは異なり、おとなしい性質だったという。

19世紀、クリスマス島でリン鉱石が発見されると、
人々の島への移住が盛んになり、人間とともに流入したクマネズミやドブネズミとの競合や、
それらのネズミが持ち込んだ病気の流行などにより絶滅した。
最後の記録は1903年のものだという。
絶滅に関しては、人間の直接的な関与はなかったとされている。


12: 名無しさん 2014/04/27(日)14:38:30 ID:5WWTma7vc
画像無し
■バルバドスアライグマ
巣は樹洞に作り、森林や茂みを好んで行動していた。

18世紀中期にはすでに、バルバドスアライグマは農産物に被害を与える害獣として駆除の対象になっていた。
農地開発によってバルバドスアライグマの生息地は減少していった。
人間のゴミを漁っていたともいうが、生息地減少の影響に伴う悪循環の一つと考えられる。
そして、19世紀以降の毛皮産業の発展や、ペットとしてのアライグマの人気によって、
バルバドスアライグマは乱獲され減少の一途をたどった。
1970年に絶滅したとされている。

13: 名無しさん 2014/04/27(日)14:39:20 ID:xVkeIdVUe
何日にも渡って空を一面埋め尽くす程だったリョコウバトが絶滅するんだから世の中分からない

14: 名無しさん 2014/04/27(日)14:40:11 ID:eqwfB85yb
人の手で絶滅してしまった動物が多いのかな

19: 名無しさん 2014/04/27(日)14:42:52 ID:5WWTma7vc

■バッドランドオオツノヒツジ
バッドランドオオツノヒツジの名は、バッドランドとよばれる岩山に住んでいたことによる。
巨体のわりに敏捷で、岩山や崖を平然と行動した。
オスの頭には下向きに丸くカーブする大きな角が二本あった。

先住民スー族は、肉と角を目当てにオオツノヒツジを捕まえていたが、頭に角をつけて接近するという方式によるもので、捕獲数もわずかだった。
しかしヨーロッパ人の進出以降は事情が変わった。
他のシカやレイヨウ(絶滅したものではションブルクジカやポルトガルアイベックスなど)と同様に、見事な角が部屋飾りとして人気を集めたのである。
ハンターが盛んにオオツノヒツジ狩りを行い、新たな生息地を捜しても追いつかなくなった。
人間に撃たれた最後のバッドランドオオツノヒツジは、
1905年にノースダコタで撃たれたものとされている。
その後も1910年、あるいは1925年頃まで生存していたという説もある。

20: 名無しさん 2014/04/27(日)14:44:16 ID:5xRKjGzgL
>>19
頭骨が黒魔術とかで使われてそう

21: 名無しさん 2014/04/27(日)14:44:50 ID:eqwfB85yb
有名どころだとモアやドードーかな

22: 名無しさん 2014/04/27(日)14:45:46 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ケープアカハーテビースト
南アフリカ・ケープ地方に生息していた。
角の大きさは70cmほど。
体色は赤みを帯びた褐色で、頭と脚に黒い斑点があり、尾は黒かった。

ボーア人の入植とともに、ケープアカハーテビーストの数は減り始めた。
毛皮や肉を目当てにされ、あるいはキタハーテビーストと同じようになぜかウシの伝染病を持っていると誤解されたりして、狩猟の対象になったためである。
1883年までには、野生のものは見られなくなっていたという。
そして1940年、ケープアカハーテビーストの最後の生き残りを保護していた一家が倒産し、
当時55頭いたというケープアカハーテビーストは全て射殺された。
おそらく毛皮などを売って債権の足しにするつもりだったのであろうし、
別にパンダやドードーではないから生きたまま売った方が高いようには見えなかったのであろう。
ともかく、ケープアカハーテビーストはこれを最後に絶滅した。

23: 名無しさん 2014/04/27(日)14:46:50 ID:eqwfB85yb
>>22
名前は強そうなのに・・・

24: 名無しさん 2014/04/27(日)14:47:21 ID:gRo290nfW
バーバリーライオンはよ

26: 名無しさん 2014/04/27(日)14:48:34 ID:xVkeIdVUe
>>24
再発見されたとの情報が

29: 名無しさん 2014/04/27(日)14:49:36 ID:gRo290nfW
>>26
マジ?

30: 名無しさん 2014/04/27(日)14:51:22 ID:xVkeIdVUe
>>29
wikipediaより

原産地のモロッコのムハンマド5世の私的動物園で飼育されていた純血種の個体群が生き残っていた事が判明。2012年に首都ラバトに開園したラバト動物園にて、全世界で確認されている個体数の半数にあたる32頭が飼育されており、動物園開業直後に3頭誕生している

28: 名無しさん 2014/04/27(日)14:49:15 ID:5WWTma7vc
>>24
バーバリライオンは再発見されましたよ

32: 名無しさん 2014/04/27(日)14:53:28 ID:gRo290nfW
ホントだあぁぁぁぁ!
ググッたらマジだった
バーバリライオンを初めて知ったのはアフリカでした

25: 名無しさん 2014/04/27(日)14:48:30 ID:5WWTma7vc

■バリトラ
インドネシアのバリ島だけに生息していた。
大きさについて記録されているのはメスだけで、全長211cm、
トラの中では最も小さな亜種とされる。外見はジャワトラによく似ていた。

毛皮の利用や娯楽のために狩猟の対象となり、1940年ごろに絶滅した。

27: 名無しさん 2014/04/27(日)14:48:35 ID:zmB1UHO6K
ドードーはよ

31: 名無しさん 2014/04/27(日)14:53:14 ID:5WWTma7vc

■ドードー
マダガスカル沖のモーリシャス島に生息していた。
存在が報告されてから83年で目撃例が途絶え絶滅した。
ドードー鳥と呼ばれることもある。

大航海時代初期の1507年にポルトガル人によって生息地のマスカリン諸島が発見された。
1598年に8隻の艦隊を率いて航海探検を行ったオランダ人ファン・ネック提督がモーリシャス島に寄港し、
出版された航海日誌によって初めてドードーの存在が公式に報告された。
食用に捕獲したものの煮込むと肉が硬くなるので船員達はドードーを「ヴァルクフォーゲル」(嫌な鳥)と呼んでいたが、続行した第二次探検隊はドードーの肉を保存用の食糧として塩漬けにするなど重宝した。
以降は入植者による成鳥の捕食が常態化し、彼等が持ち込んだイヌやブタ、ネズミにより雛や卵が捕食された。
空を飛べず地上をよたよた歩く、警戒心が薄い、巣を地上に作る、など外来の捕食者にとって都合の良い条件が揃っていた。
ドードーは森林の開発による生息地の減少、そして乱獲と従来モーリシャス島に存在しなかった人間が持ち込んだ天敵により急速に個体数が減少した。
オランダ・イギリス・イタリア・ドイツとヨーロッパ各地で見世物にされていた個体はすべて死に絶え、
野生のドードーは1681年のイギリス人ベンジャミン・ハリーの目撃を最後に姿を消し、絶滅した。

33: 名無しさん 2014/04/27(日)14:56:13 ID:5WWTma7vc

■エピオルニス
マダガスカル島に17世紀頃まで生息していたと考えられている。

かつては無人島であったマダガスカル島で独自の進化を遂げ繁栄していたが、
2000年ほど前からマダガスカル島に人間が移住・生活するようになると、
狩猟や森林の伐採など環境の変化によって生息数が急速に減少し、最終的に絶滅してしまった。
ヨーロッパ人がマダガスカル島に本格的に訪れるようになった17世紀には既に絶滅していたと言われるが、
1840年頃まで生存していたとする説もある。

35: 名無しさん 2014/04/27(日)14:58:48 ID:5WWTma7vc

■ハワイクイナ
ハワイ諸島のハワイ島に生息していた。
またモロカイ島にも生息していたとする説もある。
ハワイ島とモロカイ島の間にはマウイ島、ラナイ島などの島があるが、
これらの島にも生息していたかどうかは不明。

森林沿いの草地に生息していた。飛翔力は退化していた。
欧米人のハワイ諸島進出により持ち込まれた家畜(主にブタ)やネコ、ネズミなどによる食害や生息環境の破壊が原因で、
1884年(1893年にも不確実な記録がある)に目撃されたのを最後として絶滅したものとされる。

36: 名無しさん 2014/04/27(日)15:04:05 ID:5WWTma7vc

■ハルパゴルニスワシ
かつてニュージーランドの南島に生息していた大型のワシである。
翼を広げた際の長さが3メートルにもなるという史上最大のワシであった。
しかし餌となるモアが絶滅したため、この鳥も絶滅した。

このワシは、モアなどの自身の体重の15倍もある大きくて飛ばない鳥を獲物としていた。
狩猟の際は、時速80キロメートル以上で攻撃をしかけ、一方の足の鉤爪を獲物の骨盤に引っ掛け、もう一方の足で頭や首を打って殺した。
大きなくちばしは、内臓に向かって体を引き裂くために使われ、獲物は失血から死に至った。

しかし、約1000年前にニュージーランドへ先住民族であるマオリ族がやってきて以後、
マオリ族もモアを狩猟した結果、モアなどの種は絶滅した。
そのためハルパゴルニスワシには餌がなくなり、西暦1500年ごろには絶滅したとされる。

余談だが著名な探検家であるチャールズ・ダグラスは、1870年代にランズボロー川の渓谷において2羽の巨大な猛禽類と遭遇し、
これらを撃って食べた、と彼の旅行記に記している。
これらの鳥はこのワシの最後の個体であった可能性があるが、これはありえない。
なぜなら、19世紀からおよそ500年前にはこのワシが種を維持するに適した餌はすでになく、
またpouakaiは生きている記憶が見られない鳥であるというマオリ族の強固な口伝があったからである。
なお、ダグラスの野生生物に関する観測は一般に信頼できるものであるため、翼長が3メートルまでは長くなかったとすると、
その鳥はアイルズ・ハリアーであったという可能性はある。
この鳥は最大のチュウヒ(小型の猛禽類)であり、一般には有史以前には絶滅したと思われている。
ただし、このチュウヒは食性がハルパゴルニスワシの様に特殊化していないため、
近年まで生存していた可能性はハルパゴルニスワシよりも高い。

37: 名無しさん 2014/04/27(日)15:06:44 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ヒガシグリーンランドカリブー
北極圏のグリーンランド島東部に生息していた。
体色は灰色で、背中だけが濃い茶色だった。
つがい、単独、大集団で行動することはなく、6、7頭の群れで移動しながら暮らしていた。
食物は苔を好んだ。

グリーンランド先住民の狩りによってヒガシグリーンランドカリブーの数は減りつつあったが、それでも19世紀末には少数ながら数が維持されていた。
しかし、1899年にホッキョクオオカミがグリーンランドに進入してきたことが破局をもたらした。
食べ物の少ない氷原のことだから、ホッキョクオオカミはひたすらカリブーを追いかけた。
逃げ回っているうちに衰弱して死んだカリブーもいたほどで、約1年たった1900年にはヒガシグリーンランドカリブーは絶滅に追い込まれた。

38: 名無しさん 2014/04/27(日)15:10:29 ID:5WWTma7vc

■ニホンオオカミ
本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種。

1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる。
なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、
地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、
標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけて居る所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついているので、
正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。
剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった。

39: 名無しさん 2014/04/27(日)15:13:39 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ウミベミンク
北アメリカ大西洋岸のニューブランズウィック州からマサチューセッツ州にかけての海辺に生息していた。

ウミベミンクが絶滅したのは、その毛皮が人間に珍重されたからである。
先住民も毛皮と肉を目的としてミンク狩りをしていたが、ヨーロッパからの移住者はさらに熱心で、毛皮貿易の対象となった。
いくら泳ぎが上手くて魚介類が主食だからといっても、別に水中生活をしているわけではないから、陸上にいるところを犬を使って追い込んだり煙で燻したりすれば捕らえることができた。
個体数が減ってもおかまいなしに毛皮の需要に合わせて乱獲されたため、1880年、あるいは遅くとも1890年までには、ウミベミンクは絶滅した。
アメリカ東部からあまりに近すぎたせいか、ミンクの養殖が軌道に乗るまで生き延びることはできなかった。

41: 名無しさん 2014/04/27(日)15:18:31 ID:5WWTma7vc

■ニホンカワウソ
日本に生息していたカワウソの一種である。
全国に広く生息していたが、1979年以来目撃例がなく、
2012年絶滅種に指定された。愛媛県の県獣でもある。
かつては北海道、本州、四国、九州、壱岐島、対馬まで日本中に広く生息していた。

河川の中下流域、砂浜や磯などの沿岸部に単独で生息していた。
主に夜行性で、魚類、テナガエビ、カニ、カエルなどを食べていた。
1頭の行動域は十数kmにもおよび、この中に「泊まり場」と呼ばれる生活の拠点(岸辺近くの大木の根元の穴や岩の割れ目、茂みなど)を3、4か所もっていた。
縄張り宣言のために、定期的に岩や草むらの上など目立つ位置に糞をする習性があった。

ニホンカワウソの毛皮は保温力に優れているため、この毛皮を求めて大正から昭和初期にかけて乱獲が進み、生息数が激減した。
このため、1928年に捕獲禁止となっている。
第二次世界大戦後、香川県から愛媛県にかけての沿岸部、および高知県南西部の沿岸部にわずかに生息域を残すのみとなったが、
農薬や排水による水質悪化、高度経済成長期における周辺地域の開発、河川の護岸工事等により、生息数の減少に更なる拍車がかかった。
さらに、漁具による溺死や生簀の食害を防ぐための駆除も、大きな打撃となったと見られる(最後の個体群は当初猟師だけが知っていたもので、細々と密猟されていた)。

42: 名無しさん 2014/04/27(日)15:21:40 ID:5WWTma7vc

■オオスベトカゲ
カーボベルデ諸島の一部であるブランコ島とラソ島に生息していた。

もともとブランコ島もラソ島も地図にも載らないような小島でほとんど利用されていなかった。
しかし、1833年に囚人が30人流されてくると事情は変わった。
流刑者は自給自足生活を余儀なくされ、オオスベトカゲの肉がおいしいことに気づいたのである。
さらに腹の脂肪が傷薬としてよく効くことも分かった。
オオスベトカゲから採った傷薬は輸出されるまでになった。小さな島だけに住むトカゲが生き延びられるはずはなかった。
1940年に目撃されたのを最後に、オオスベトカゲは絶滅した。現在6体の標本が残っている。

43: 名無しさん 2014/04/27(日)15:24:51 ID:5WWTma7vc

■カリフォルニアハイイログマ
アメリカカリフォルニア州の南部に生息していた。

1848年のゴールドラッシュ以降、カリフォルニアに移住者が増えるにつれてカリフォルニアハイイログマは家畜を食べる害獣とされて駆除の対象とされた。
毛皮の利用価値もあってカリフォルニアハイイログマの数は激減し、1880年頃には平野部ではほとんどみられなくなった。
1922年トゥーレアリ郡の牧場で1頭のカリフォルニアハイイログマが子牛を襲って射殺された。
これが人間に撃ち取られた最後のものとされている。
1924年にセコイア国立公園で1頭のカリフォルニアハイイログマが数回目撃されたが、これが最後の記録となっている。

44: 名無しさん 2014/04/27(日)15:27:03 ID:5WWTma7vc

■ションブルクジカ
タイ南西部の湿原地帯に生息していた。

ションブルグジカが絶滅した要因は二つある。
一つは角を目的とした狩猟、もう一つは開発による湿原の消失である。
ションブルグジカの見事な角は、トロフィーとして申し分なかったし、漢方薬の材料にもなった。
湿原の消失が減少に拍車をかけた。
人口が増え技術が進歩するにつれて、それまで利用されなかった湿原でも水田として開発出来るようになれば、環境保護などという発想のなかった当時のことだからションブルグジカの生息地はたちまち減っていった。
森林で生きていこうとしても狩猟者はそこまで追いかけてきたし、角がじゃまになって住める森林も限られていた。
1938年にベルリン動物園で死んだのを最後に絶滅したとされるが、1931年、1935年という説もある。

45: 名無しさん 2014/04/27(日)15:29:47 ID:5WWTma7vc
以上です

ありがとうございました

もうかしたらパート2も挙げるかもしれないです

以下。絶滅してまった動物挙げてく パート2 より


元ネタ:http://viper.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1398590602/

タイトル:絶滅してまった動物挙げてく パート2


1: 名無しさん 2014/04/27(日)18:23:22 ID:5WWTma7vc
こんにちは

絶滅してしまった動物スレパート2です

前回挙げられなかった動物がまだまだたくさんいるので、
今回はそれらを挙げていきたいと思います

2: 名無しさん 2014/04/27(日)18:24:10 ID:ucQd5yyiv
wktk

4: 名無しさん 2014/04/27(日)18:25:59 ID:u9n45dOLm
このシリーズ好きだわ

5: 名無しさん 2014/04/27(日)18:25:59 ID:5WWTma7vc

■メキシコハイイログマ
メキシコ北部からアメリカ南西部(カリフォルニア州南部、アリゾナ州、ニューメキシコ州)にかけて生息していた。

主に植物、果実や昆虫類を食べていたが、
ときおり小型の哺乳類を捕食したり、死骸を漁ることもあった。

メキシコハイイログマと初めて接触したヨーロッパ人は、16世紀にシボラの七都市を求めてフランシスコ・バスケス・デ・コロナドと共に遠征したコンキスタドールである。
生息地にヨーロッパからの移住者が入植するにつれ、メキシコハイイログマは家畜を襲う害獣と見なされ、狩猟の対象となり数を減らしていった。
1930年代にはすでに稀になり、チワワ州のチワワ市の北80kmにあるセロ・カンパノ山、サンタ・クララ山、シエラ・デル・ニド山に少数残るのみとなった。
1960年には30頭程度が生存するだけになり、保護の対象となったにもかかわらず狩猟は続き、1964年に射殺された2頭の子グマを連れたメスが撃たれたのがメキシコハイイログマの最後の記録となった。
1969年にソノラ州のヤキ川源流にある牧場で目撃情報があり、米国の保全生態学者カール・B・コフォード博士が3ヶ月にわたり調査を行ったが、ついに発見されなかった。

7: 名無しさん 2014/04/27(日)18:29:47 ID:5WWTma7vc

■オーロックス
かつてはユーラシア全体および北アフリカで見られたが、生息していた各地で開発による生息地の減少や食用などとしての乱獲、家畜化などによってオーロックスは消滅していった。
南アジアでは歴史時代の比較的早期に姿を消し、また、メソポタミアでもペルシア帝国が成立する時代には絶滅していたと見られる。
北アフリカでも古代エジプトの終焉と同時期にやはり姿を消している。
中世にはすでに現在のフランス・ドイツ・ポーランドなどの森林にしか見られなくなっていた。
16世紀には各地にオーロックスの禁猟区ができたが、それは単に諸侯が自らが狩猟する分を確保するために設けたものでしかなかったため、獲物を獲り尽くすとともに閉鎖された。
最後に残ったのはポーランドのヤクトルフにある保護区であったが、そこでも密猟によってオーロックスの数は減り続け、1620年には最後の1頭となってしまった。
その1頭も1627年に死亡が確認され、オーロックスは絶滅した。

12: 名無しさん 2014/04/27(日)18:35:44 ID:ucQd5yyiv
>>7
かわいい

8: 名無しさん 2014/04/27(日)18:30:17 ID:xsxzlOGGf
もうすぐお前らの一族も絶滅するだろ

10: 名無しさん 2014/04/27(日)18:33:51 ID:5WWTma7vc

■フクロオオカミ
オーストラリアのタスマニア島に生息していた。
単独またはつがいで行動し、日中は木や岩の影で過ごし、日が暮れてから狩りに出かけた。
ワラビーなどの小型哺乳類を主に捕食していたと考えられている。

もともとフクロオオカミは、オーストラリア大陸やニューギニア島を含めたオーストラリア区一帯に生息していたが、
3万年前人類が進出してくると、人類やその家畜だったディンゴとの獲物をめぐる競争に敗れ、人類の到達が遅くディンゴの生息しなかったタスマニア島のみに生き残ることになった。
この状況は、タスマニアデビルも同様であった。
大航海時代が訪れ、ヨーロッパから入植者が住み着くようになると、彼らのヒツジなどの家畜を襲うフクロオオカミを目の敵にした。
1888年から1909年までは懸賞金がかけられ、2,184頭ものフクロオオカミが虐殺されたという。
1930年に、唯一と思われる野生個体が射殺され、次いでロンドン動物園の飼育個体が死亡し、絶滅したと思われたが、1933年野生個体が再度捕獲。
ホバートの動物園に移されるも、1936年に死亡し、絶滅となった。
それ以降も度々目撃情報があり、タスマニア大学の研究チームなどによる生存調査も実施されているが、確実な証拠はない。

13: 名無しさん 2014/04/27(日)18:36:59 ID:5WWTma7vc

■カリブモンクアザラシ
カリブ海に生息していた。

16世紀以降、脂肪から油を取るための乱獲(クジラや他のアザラシにも共通する)や、漁業関係者による駆除、観光開発による陸上での生息地の減少などにより数が大きく減少した。
アザラシは陸上での動きは鈍く、棍棒で殴って回るという方法でも十分にアザラシ猟は成立したという。
カリブモンクアザラシが最後に目撃されたのは1952年で、現在はその年に絶滅したものとされている。
まだ野生動物の保護に大きな関心がむけられない時代でもあったため、彼等の生存時期は何ら有効な保護対策がとられなかった。
1967年に、絶滅危惧種保護法に基づき、ようやく絶滅危惧種に指定されたが、あまりにも遅きに失していた。
その後数回にわたって調査が行われたが、生息は確認されないままであった。
2008年、アメリカ海洋大気庁(NOAA)漁業局が、過去50年間にわたって姿が見られなかったカリブモンクアザラシについて「絶滅した」と公式に判断した。
カリブモンクアザラシは人為的な要因によって絶滅した唯一のアザラシということになる。

14: 名無しさん 2014/04/27(日)18:37:34 ID:IVI0oLfua
ステラーカイギュウに期待

17: 名無しさん 2014/04/27(日)18:39:53 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ミミナガキットキツネ
アメリカカリフォルニア州に生息していた。
体色は黄色がかった灰色。
耳がまっすぐ立っているほかは他のキットギツネと大きな外見上の違いはない。
すみかは砂漠の中の灌木林で、夜行性。食物はネズミなどの小動物や昆虫など。

移民に害獣とみなされて駆除の対象とされた。
ミミナガキットギツネの毛皮はシラミがたかっていて、あまり価値があるとはされなかったが、それでも狩猟の対象となり数が減っていった。
移民の流入によって、開墾、灌漑、道路の建設などが行われ、キツネの生息環境が破壊されたことも減少に拍車をかけた。
1910年を最後として、ミミナガキットギツネは絶滅したものとされている。

20: 名無しさん 2014/04/27(日)18:41:11 ID:IVI0oLfua
絶滅種とかものすごいwktk

21: 名無しさん 2014/04/27(日)18:44:02 ID:IVI0oLfua
前回のスレで出たスチーフンイワサザイとか一匹のぬこ様に絶滅させられたってエピソードが好き

22: 名無しさん 2014/04/27(日)18:44:59 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ニューファンドランドシロオオカミ
カナダ・ニューファンドランド島に生息していた。

ニューファンドランドに住んでいた先住民ベオトク族に因むが、ヨーロッパ人は彼らの頭の皮に懸賞金をかけて皆殺しにし、1800年までにベオトク族は消滅した。
1842年、今度はニューファンドランドシロオオカミが家畜を襲うというので懸賞金の対象になり、銃や毒餌によってオオカミ狩りが行われるとともに、ゲームとしての狩猟の対象にもなって生息数は減少の一途をたどっていった。
しかし、従来はこれら人間の行為が絶滅の直接の原因だとされてきたが、近年の研究では餌であるトナカイの減少が主要な要因となり、その他の要因が複合的にはたらき絶滅に至ったのではないかと考えられるようになった。
現在分かっているオオカミ懸賞金の最後の支払い記録は1896年であるが、その後まで生息していたことは明かである。
しかし、最後の一頭がいつ死んだかについて特定することは非常に難しい。たとえば、John H. Mossという牧師は1920年頃にダニエル港付近で殺されたものが最後の一頭だと書いているが、
シートンは、当時のニューファンドランド島の遊漁及び内水面漁業管理局の事務官だった人からの手紙を引用して、1921年にはセントジョージ付近で2頭が、1922-23年にかけての冬にはBirchy湖を渡る別の2頭が目撃されているとしている。
この他にも1930年代の初頭まで不確かな情報がいくつか散見されるが、少なくとも1925年頃までには非常に減少しており、それにともなって繁殖率も著しく低下していたはずで、
1925年以降では、もし彼らが生存していたとしてもその数は極めて僅かなものになっていたと推定されている。
にもかかわらずオオカミへ懸賞金の条例が撤廃されたのは1963年のことであった。
いずれにせよ、かつてニューファンドランド島の丘々にこだましたであろうオオカミたちの遠吠えは遠い過去の彼方に消え去り、もはや永遠に聴くことのできないものになってしまったことだけは確かである。

24: 名無しさん 2014/04/27(日)18:46:55 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ドウソンシンリントナカイ
カナダ・ブリティッシュコロンビア州のクイーンシャーロット諸島に生息していた。

ドウソンシンリントナカイは、それまで知られていた他のトナカイに比べてあまりにも小型であったため、新種の認定と同時に学界で大騒ぎになったという。
本当にそのような小さなトナカイがいるのかという点について、クイーンシャーロット諸島で綿密な調査が行われた。
そして1908年、ドウソンシンリントナカイは再び人間の前に姿を現し、射殺された。
それを最後に絶滅したとされている。絶滅の理由についてはよくわかっていない。

25: 名無しさん 2014/04/27(日)18:48:28 ID:5WWTma7vc
画像無し
■カムチャッカオオヒグマ
ロシアのカムチャツカ半島に生息していた。

先住民コリャーク人は食用、薬用(心臓を薬の材料としていた)、そして毛皮をとるためにクマ狩りをしており、アイヌ人のイヨマンテに相当する熊祭りの風習があった。
しかし、人間の狩りがカムチャツカオオヒグマの絶滅につながったのは17世紀半ばにロシア人が東進してきてからの毛皮目当ての乱獲が大きな要因である。
冬眠中でもお構いなしに狩りは行われたので、クマの数はみるみる減少していった。
1920年に狩られた一頭を最後として、カムチャツカオオヒグマは絶滅したとされる。

27: 名無しさん 2014/04/27(日)18:49:56 ID:IVI0oLfua
こうしてみると知らないの多いな、好きで調べたりするから見てはいるけど、有名だったり目立つのしか覚えて無いんだろうけど。

28: 名無しさん 2014/04/27(日)18:52:52 ID:5WWTma7vc

■ステラーカイギュウ
かつて北太平洋のベーリング海に生息していた。

ステラーカイギュウはハンターたちにとって好都合なことに、カイギュウたちは動作が鈍く、人間に対する警戒心ももち合わせていなかった。
有効な防御の方法ももたず、ひたすら海底にうずくまるだけだった。
このような動物を銛やライフルで殺すことは容易だったが、何トンにもなる巨体を陸まで運ぶことは難しいため、ハンターたちはカイギュウをモリなどで傷つけておいて、海上に放置した。
出血多量により死亡したカイギュウの死体が岸に打ち上げられるのを待ったのだが、
波によって岸まで運ばれる死体はそれほど多くはなく、殺されたカイギュウたちのうち、5頭に4頭はそのまま海の藻屑となった。
ステラーカイギュウには、仲間が殺されると、それを助けようとするように集まってくる習性があった。特に、メスが傷つけられたり殺されたりすると、オスが何頭も寄ってきて取り囲み、突き刺さった銛やからみついたロープをはずそうとした。そのような習性も、ハンターたちに利用されることになった。
1768年、シュテラーの昔の仲間であったイワン・ポポフという者(マーチンの説もあり)が島へ渡り、「まだダイカイギュウが2、3頭残っていたので、殺した」と報告しているが、これがステラーカイギュウの最後の記録となった。
ステラーカイギュウは、発見後わずか27年で姿を消したことになる。
その後もステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。
最も新しい報告例では、1962年7月のベーリング海でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ巨大な海獣が観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明。

30: 名無しさん 2014/04/27(日)18:57:25 ID:5WWTma7vc

■オオウミガラス
かつて北大西洋と北極海に分布していた。

オオウミガラスは、肉や卵を食用にするため、または、羽毛や脂肪を採取するために、少なくとも8世紀頃から捕獲利用されていた。
小氷期によって個体数減少があったとも考えられているが、その後の大規模な乱獲により、数百万羽いたとされるオオウミガラスはたちまちのうちに数を減らすことになった。
オオウミガラスは人間に対する恐怖心がなく、逆に好奇心を持って自ら人間に近寄ってきたといわれる。
また、1年に1個しか産卵せず繁殖力が低かったことも、減少した個体数の回復が望めず、絶滅に繋がったと考えられている。
1534年、フランスの探検家ジャック・カルティエの隊がニューファンドランド島に上陸し、1日で1000羽以上のオオウミガラスを殺した。
この話がヨーロッパ中に広がって、ニューファンドランド島のみならず各地の海岸で無秩序にオオウミガラスが狩られ、卵が持ち去られることとなった。
1750年頃には北大西洋各地にわずかな繁殖地が残るだけとなったが、それでも乱獲が続いた。

1820年頃、遂にオオウミガラスの繁殖地はアイスランド沖のウミガラス岩礁(Geirfuglasker)だけになった。
この島は周囲を崖で囲まれていたため人が近づくことができず、繁殖地はかろうじて捕獲の手から守られていた。
しかし、1830年に海底火山の噴火にともなう地震により、岩礁は海に沈んだ。この災害から生き残った50羽ほどが、近くのエルデイという岩礁に移り住んだ。

最後の繁殖地が天災により失われたことによりオオウミガラスはこの時点で既に絶滅寸前であったが、そのため却って希少価値がつき、標本は収集家や博物館に高値で買われるようになり、一攫千金を狙った者たちによって残ったオオウミガラスも次々と狩られていった。
1844年7月3日、エルデイで最後に確認されたオオウミガラスの生体は抱卵中のつがいだったが、発見と同時に発見者に1羽は棍棒で殴り殺され、もう1羽は絞め殺された。
残された卵は殻が割れてしまっていたという。

その後、国際自然保護連合のレッドリストにも掲載されている1852年のニューファンドランド島のグランドバンクでの目撃例など、目撃証言もいくつかあるが、現在では80体余りの剥製、20体余りの骨格標本と70個余りの卵殻が知られるのみである。

31: 名無しさん 2014/04/27(日)19:01:39 ID:5WWTma7vc

■クアッガ
南部アフリカの草原地帯に生息していた。
クアッガという名前の由来は、「クーアッハクーアッハ」というその鳴き声を写したものである。
1785年のある記録では、クアッガの鳴き声は「ロバとはかなり違っており、
マスティフ犬の滅茶苦茶な吠え声に似ていた」という。

人間による乱獲と開発に伴う生息地の減少とされる。肉は食糧に、皮は靴・袋などに加工されるために大量に殺された(つまりバーチェルサバンナシマウマと同じ事情である)。
野生の最後のクアッガは1861年に射殺された。
ヨーロッパ各地の動物園に運ばれていたものがその後も生きていたが、飼育下で絶滅回避を図るには数が少なすぎた。
この時、雄雌両方のクアッガがいたが雄のクアッガが暴れたことで薬殺処分されてしまったことで絶滅が決定的となった。
アムステルダム動物園で飼育されていた最後の一頭である雌のクアッガが死んだのは1883年8月12日のことである。

32: 名無しさん 2014/04/27(日)19:03:59 ID:5WWTma7vc

■チチカカオレスティア
ボリビアとペルーの国境に位置するチチカカ湖の固有種であった。

1937年、アメリカ合衆国内務省・合衆国魚類野生生物局がチチカカ湖にレイクトラウトを放流したことが、絶滅のきっかけとなったと考えられている。
本種の生息水深はチチカカオレスティアと近く、生息域の競合、あるいは小型個体を捕食されたことにより急激に減少した。
1950年頃にはほとんど姿が見られなくなり、1960年に実施された調査ではレイクトラウトや他のオレスティア類は多数確認されたが、チチカカオレスティアは1匹も発見できなかった。

33: 名無しさん 2014/04/27(日)19:08:02 ID:5WWTma7vc

■グアダルーペカラカラ
カリフォルニア半島西方沖約300kmのグアダルーペ島だけに生息していた固有種であった。

1700年から島でヤギの放牧が始められると、子ヤギを襲う害鳥とされて(現生のカラカラの獲物には、子ヒツジや子ワニさえも含まれる。
グアダルーペカラカラも実際に子ヤギを襲ったのかどうかは資料によって記述がわかれている)グアダルーペカラカラは毒や銃で駆除されるようになった。
小さな島ではグアダルーペカラカラを脅かす動物はそれまで存在せず、警戒心の薄いグアダルーペカラカラはあっさり撃ち取られた。
数が少なくなると博物館、鳥類学者、収集家などが標本を手に入れようとして奔走し、ますます減少に拍車がかかった(オオウミガラスやアメリカハシジロキツツキと同じパターンである)。
1897年には、1羽100ドルの値が付けられた。
1900年12月1日、11羽のグアダルーペカラカラの群れが鳥類学者によって発見され、9羽が標本用に撃ち落とされた。
それ以降、グアダルーペカラカラを見たものは誰もおらず、1900年絶滅とされている。

34: 名無しさん 2014/04/27(日)19:09:23 ID:vR9IMTAKi
メガテリウム期待

35: 名無しさん 2014/04/27(日)19:12:10 ID:5WWTma7vc

■メガテリウム
164万~1万年前ごろ、南アメリカ大陸に生息していた。

地上性のナマケモノとしては最大級であり、成長すると全長6~8m、体重3tにもなった。
この巨体、特に過大な体重のため木に登る事はせず、現生するナマケモノと異なり地上性であった。
四肢に長い鉤爪があり、尾は太く長い。二本足で立ち上がって巨木の枝を鉤爪の付いた強い前足で引き寄せ、長い舌で葉をしごいて食べていたと考えられる。
草原に出て、鉤爪で土を掘って根茎を食べていた可能性もある。
細長い吻部には門歯は無く、貧弱な臼歯がわずかに残るだけであった。
しかし咬筋は強力であり、この歯で葉や根茎をすり潰していた。
かれらが好んで食べたのは、かつての生息域に多くみられるケヤキに似たヤマゴボウ科の植物の一種であった。

鮮新世末に南北アメリカがパナマ地峡でつながり、ジャガーの祖先や剣歯虎のスミロドンなどの仲間がアメリカ大陸間大交差で南アメリカに進出し、
メガテリウムの幼獣も捕食したが、なお繁栄を続け、更新世末に絶滅した。絶滅の原因はこの頃、南北アメリカに広がった人類による部分が大きいとされるが、はっきりしていない。

40: 名無しさん 2014/04/27(日)19:28:21 ID:vR9IMTAKi
>>35
メガテリウムサンクス!

36: 名無しさん 2014/04/27(日)19:14:26 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ナイジェリアコビトカバ
ナイジェリア南部の湿地に生息していた。

ナイジェリアコビトカバは香草が主食だったため、その肉自体にハーブの味がついてかなり美味であったとされる。
そのため乱獲され、肉料理の材料とされた。

先住民は食用にコビトカバ狩りを行ってきたが、1945年に動物コレクターのヘスロップがニジェール川の流域で射殺したのをきっかけにナイジェリアコビトカバという亜種が認識されたとされる。
その後目撃が途絶え、1989年に大規模な調査が行われたが、1頭も発見出来なかった。
ナイジェリアの南部は油田として開発・探査が行われたり、ビアフラ戦争の戦場になった地域であり、絶滅したのではないかとも見られている。
この亜種がまだニジェール・デルタにいるという報告もあるが、既に絶滅しているか、生き残っていてもその個体群が今後生き残れる可能性はほとんどない。

38: 名無しさん 2014/04/27(日)19:22:00 ID:P47vdhDQJ
>>36
ビアフラに居たんならあの戦争で食われたんかな

37: 名無しさん 2014/04/27(日)19:16:22 ID:5WWTma7vc
画像無し
■ボリエリアボア
ラウンド島に生息していた。
ヤシ林の中で、地面に堆積した落ち葉の中に巣を作っていた。
食性は動物食で、トカゲを食べていたと考えられている。

森林伐採や人為的に持ちこまれたヤギ、アナウサギ等による生息地の破壊などにより、1975年を最後に絶滅したとされる。

39: 名無しさん 2014/04/27(日)19:23:24 ID:QRBK1HEog
人間の馬鹿な行いの結果ばかりだな。

41: 名無しさん 2014/04/27(日)19:29:38 ID:5WWTma7vc

■ニホンアシカ
日本の沿岸・近海に生息していた。
ニホンアシカは、アシカ種の現存する他の2亜種、カリフォルニアアシカやガラパゴスアシカと比べ、大型であった。
主食はイカやタコ、魚類であった。

ニホンアシカの骨は縄文時代の貝塚から頻繁に出土しており、最後の生体発見例がある礼文島においても狩猟が盛んであった。
江戸時代に執筆された和漢三才図会には、肉は食用には適さず、油を煎り取っていただけであると記されている。
油脂は身を煮沸して抽出し、そのまま使用する以外にも石鹸や膠などの原料にも用いられた。
表皮は皮革製品として、特定の部位は漢方薬として、ひげはパイプ の掃除に使われていた記録がある。
20世紀に入ってからは、必要部位を取り除いた後に残った肉と骨は肥料として販売され、昭和初期にはサーカス用途にも捕獲されていた。

1900年代初期から戦前にかけて複数の動物園や水族館でニホンアシカが飼育されていた。
竹島周辺のアシカ漁は、1900年代初頭から本格的に行われるようになった。
乱獲が懸念されたため、1905年(明治38年)2月22日に同島の所属を島根県に決定、同年4月に同県が規則を改定してアシカ漁を許可漁業に変更、
行政が許可書獲得者に対し指導して、同年6月には共同で漁を行うための企業「竹島漁猟合資会社」が設立されて組織的な漁が始まり、
同年8月には当時の島根県知事である松永武吉と数人の県職員が島に渡り、漁民から譲り受けたニホンアシカ3頭を生きたまま連れて帰り、
県庁の池で飼育していたがまもなく死亡し剥製(後述の各高校に所蔵されていた内の3頭)にした、と山陰新聞(当時)が同年8月22日に伝えていた。
アシカ漁では平均して年に1,300-2,000頭が獲られており、1904年(明治37年)からの僅か6年間で14000頭も捕獲するなど、明治大正年間の乱獲によって個体数・捕獲数共に減少していった。

昭和初期には見世物として使用するため興行主(木下サーカス・矢野サーカスなど)から生きたままのニホンアシカを求める依頼が増えたが、
その需要に応える量を確保することが難しい状況になっており、1935年(昭和10年)ごろには年間20-50頭まで落ち込んでしまった。
捕獲量が最盛期のおよそ40分の1にまで激減したことや、太平洋戦争勃発の影響で、戦中アシカ漁は停止された。

戦後は竹島関係の事例が複数報告されており、1951年11月に鳥取県立境高等学校水産科が竹島に行く際、実習船と並んで泳ぐニホンアシカを目撃した証言、
1950年代に竹島を占拠していた独島義勇守備隊により、アシカが20 - 30匹ずつ群れをなして泳いでいる姿を目撃、などが挙げられる

朝鮮戦争中(1950-1953年)には韓国兵が射撃訓練の的として使ったとの噂もある。

WWFによると、繁殖は1972年(昭和47年)まで確認されており 、捕獲された個体が韓国の動物園で子供を出産したという記録が残されている。
1974年に礼文島で幼獣一頭が捕獲され、1975年に竹島で韓国の自然保護団体が目撃した記録が現在における最後のニホンアシカ目撃事例となっており、
以後は生息の情報は得られておらず、絶滅したものとみられている。

42: 名無しさん 2014/04/27(日)19:30:43 ID:5WWTma7vc
今回はこれでお終いです

ありがとうございました

43: 名無しさん 2014/04/27(日)19:31:04 ID:u9n45dOLm


45: 名無しさん 2014/04/27(日)19:32:38 ID:vR9IMTAKi


46: 名無しさん 2014/04/27(日)19:59:27 ID:2b83SjXG2
おつ!

15: 名無しさん 2014/04/27(日)14:40:17 ID:BVgnzV78c
もしかしたら人間のいないところでひっそりと生きてるのかもな



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コメント

1  不思議な名無しさん :2014年04月30日 23:34 ID:c6iDGcDI0*この発言に返信
いかに人間が愚かな生き物か再確認できた。

 
 

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