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感動・泣ける系のコピペ・AAを貼って毛|ねたAtoZ
    1: 名無しさん 2014/04/29(火)00:21:40 ID:IryZaipoK
    no title


    引用元: http://viper.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1398698500/

    2: 名無しさん 2014/04/29(火)00:22:57 ID:IryZaipoK
    俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
    なので料理は基本的に父が作っていた。
    ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
    でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
    母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。
    時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
    しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
    それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
    不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
    と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
    弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
    母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。
    そして後日、その定食屋に行って見た。
    定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
    そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
    そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
    たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
    腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
    形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。


    3: 名無しさん 2014/04/29(火)00:23:51 ID:IryZaipoK
    12年前に死んだおじぃの部屋から、
    当時小学6年だった私と一緒に折った紙飛行機が見つかった。
    「懐かしい」なんて手に取ったら
    紙が茶けててボロボロ、破れた隙間から何か文字が見えた。
    広げて見ると、おじぃが当時の私に書いたものだった。

    「かなこや、おまえはかわいい
    わ(わ→私)のたからじゃき だいじに だいじに
    おおきゅうなるまっで じいちゃが だいじにしたるきな
    じいちゃは かなこがだいすきじゃ
    おまんが じいちゃのこと いらんゆうとも
    さみしいけんど じいちゃは かなこがだいすきじゃきな
    あんま きらわんとってな かなこが・・・(ここから先読めない)」

    当時の私はおじぃが好きになれなくて平気でおじぃの前で「いらん」「死ね」って言ってた。
    こんなに愛されていたなんて、こんなに大切にされていたなんて
    全然知らなかった。 ごめんなおじぃ・・・。
    長文ごめんなさい。


    4: 名無しさん 2014/04/29(火)00:24:07 ID:mGmTrPEDx
     小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
    でも、絵が上手な子だった。
    彼は、よく空の絵を描いた。
    抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

    担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
    冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
    N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
    私はN先生が大嫌いだった。

    クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
    全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
    生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
    先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
    お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

    私は、A君の言葉を忘れない。

    「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

    A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
    水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
    放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
    その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
    N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。


    5: 名無しさん 2014/04/29(火)00:24:33 ID:IryZaipoK
    俺が働きもしないでダラダラと過ごしていた10年ほど前、ばあちゃんが入院した。
    ばあちゃんとは、別居だったが、歩いて数分のところにじいちゃんと住んでいた。
    でも、なんとなく、顔を出すのも照れくさく5年、いや10年以上も顔を見せていなかった。
    病気の容体があまり良くない事は母から聞いていたのだが、お見舞いに行っても、ずっとご無沙汰
    だったので、何を話していいのかも解らないし、お見舞いに行くのをズルズルと引き伸ばしていた。

    それを母親に怒られ、強引に連れられ、母親と一緒に病室に見舞いに行った。確か10年ぶりぐらいに会った んだと思う。
    「ああ、○○(俺の名前)大きくなったなあ」と、ばあちゃん。
    俺は、何と言っていいのかもわからないし、近くに住んでいるのに、大きくなったなあって言われるのも なんだか違和感を感じていたし、何より20歳を越えた人間にそんな事を言うばあちゃんに当惑した。
    見舞いに何を言って良いのか、長いブランクで何を話していいのかも解らなかった。たいした事も言えずに、その場の空気を苦痛に感じて、俺は、色々と世話を焼く母親を残して、5分ぐらいで病室を出てしまった。
    帰ろうとする俺をばあちゃんが呼びとめて、
    「○○、よく来てくれたなあ。こづかいやるから待ってろ」と言い、ガマ口を出した。
    俺は、「いいってばあちゃん」と断ったが、半ば無理やりに俺にこづかいをくれた。

    ばあちゃんは500円玉を俺に手渡した。ばあちゃんの体温でやたらと生暖かくなっていた。
    俺は「昔、よくばあちゃんに、こんな生暖かい100円玉を貰ってアイスとか買いに行ったな」と思った。

    一人、その500円玉を握り、暗くなった病院から出た。
    「ばあちゃん、20歳過ぎた孫に500円のこずかいは無いよなあ…ばあちゃん、俺が何歳だか解ってたの かな?まぁ、だいぶ会ってなかったから、解らないのも無理無いか…でも500円…子供じゃないんだから…」
    と思い、なんとなく、自分のサイフにその500円玉を入れられずに、ずっと握りながら帰った。
    そんな事をずっと考えながら、暗い道を家まで帰った。知らない間に、ボロボロ泣いていた。

    ばあちゃんは、退院すること無く亡くなった。
    今でも無駄使いしそうになると。あの500円の生暖かさを思い出す。


    7: 名無しさん 2014/04/29(火)00:25:20 ID:IryZaipoK
    私には、兄がいました。
    3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
    ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
    勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
    バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
    苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
    たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
    とても、強かったので、大苦戦してました。

    ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
    「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
    私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
    なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
    そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。

    葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
    お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
    でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
    だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。

    私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
    ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
    そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
    兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
    それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
    その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
    お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。

    今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。


    8: 名無しさん 2014/04/29(火)00:26:08 ID:IryZaipoK
    今日さ、母さんの事を思い出しよ。
    田舎者で世間知らずで畑仕事のせいでいつも土の匂いがして、
    笑顔を絶やさなかったよな母さんは。

    肝炎になり、もって4.5年と言われてから親父に中国に連れって行って貰った時に 、
    夜、国際電話を掛けて来て「電話代が掛かるから」と俺が言ってるのに 、
    初めての海外旅行で嬉しそうに30分も話していたっけ。
    あの時電話代幾ら掛かったんだよ(w

    肝臓癌になって入院してから祖母が見舞いに来た時「親不孝してゴメンネお母ちゃん」と、
    子供の様に祖母にしがみ付いて泣きじゃくっていた姿はとても見ていられなくて 、
    見舞いに来てた人たちと病室を出た後、待合室で皆で泣いたんだぜ。
    まったく年甲斐も無く(恥

    「散々親不孝したんだから、これから少しは親孝行させてくれよ」
    と俺が言うと、
    「お前の存在自体が親孝行だったよ、とっても幸せだった」と言ってくれたっけ。

    あんなに学校に呼び出されたり、バイクで怪我したり心配掛けたのに。
    本当かよ?と思ったよ。

    そうそう、そっちで見てると思うけど…、
    病室で紹介したあの子と結婚したんだよ、今2歳の娘が居るんだ。
    俺が親になったんだよ。
    娘は母さんに似て今からお喋りの素質を開花させてるよ。

    親になり我慢しなきゃならない事も有るけど、
    母さんの言ってくれた事が少しは理解できるようになってきたよ。


    9: 名無しさん 2014/04/29(火)00:26:41 ID:mGmTrPEDx
    ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。

    「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、
    被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振 り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」

    叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
    なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。
    「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」

    叔母さんはその声を聞いてハッとした。
    死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
    まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
    叔母さんは電話を切ることが出来ず、
    しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
    そして再び警察官と名乗る男に代わった。

    「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
    再び息子と名乗る男に代わった。
    「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
    そこで叔母さんはやっと真実を話した。

    「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
    電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
    しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
    「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。
     電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
    しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。

    「母さん」


    10: 名無しさん 2014/04/29(火)00:26:44 ID:IryZaipoK
    この前近くの神社まで散歩したんだ。
    絵馬がたくさんあって、あまりいい趣味じゃないなと思いながらも
    他人のいろんな願い事を見ていたんだ。
    「大学に合格しますように」「○○と一緒にいられますように」…

    そんな中で、一番小さく安い絵馬板に、たぶん小さい子供と思われる字で、

    「 おかあさんの びょうきを なおしてください 」


    事情はもちろんわからない。
    どんな子なのかも、どんな病気かも知りようが無いし。
    けど、この子のお願いが叶うように祈るよ。
    本当に心から祈るよ(´Д⊂ヽ


    12: 名無しさん 2014/04/29(火)00:27:30 ID:IryZaipoK
    俺には今年で80になるばあちゃんが居るんだが  
    もう長い間認知症で自分の名前も分からないし  
    言ってる事も支離滅裂だったもんでばあちゃんが何を言ってるかなんて俺も家族も全然気にしてなかったんだが、  
    ある晩自分の部屋ですいませんすいませんって誰かに謝ってる声が聞こえて(もちろん一人で)  
    いつもより妙にはっきり喋ってるからそのまま聞いてたら  
       
    すいませんね、すいませんね、ちゃんと謝らせますから  
    ○○(俺)はホントは優しい子なんですよ…  
       
    って言ってた  
       
    俺が昔、友達に石ぶつけて怪我させて  
    ばあちゃんが先生に謝ってる時の事をフラッシュバックしてるらしい  
    なんか立ち聞きしながら泣いてしまった  
       
    今日はデイサービスで居ないが  
    帰ってきたら優しくしようと思う  
    俺の事は新聞屋(か郵便屋?w)と思ってるらしいが  
    そんなの関係ないぜw俺のばあちゃんに違いはないからな  


    13: 名無しさん 2014/04/29(火)00:28:07 ID:IryZaipoK
    177 :おさかなくわえた名無しさん :sage :2008/06/26(木) 22:26:29 (p)ID:SS6FJz9B(2)
    和めるかはわからんがうちのじいちゃん(元米兵)の話。
    昔昔、まだ日本に米軍がごろごろいた頃、休暇だかなんだかに街に繰り出した時に、
    配給を配ってたばあさんに一目惚れして、居ても立ってもいられずばあさんに
    会いたいがために脱走したことがあるそうだ。それも何度も。
    ばあさんは「鬼畜米英」を教え込まれていたのでものっそい不審がって逃げ回ってたそうだが、
    それでもばあさんに会って、できれば恋仲になりたいと願い続けて、
    日本贔屓の上司にどうやったら日本の女性と付き合えるのか聞いて、
    日本語で恋文をしたためたり、貸してもらった和歌集から恋歌を抜粋して送ったり、
    積極的にいくと日本の女性は怖がると聞いたら遠巻きに立って
    「ここから一歩も近づきません!」と
    宣言してそこから一所懸命恋文や恋歌を投げたりしたんだそうだ。脱走して。
    贔屓とはちょっと違うかもしれんが。


    14: 名無しさん 2014/04/29(火)00:28:31 ID:IryZaipoK
    188 :177 :sage :2008/06/26(木) 23:22:43 (p)ID:SS6FJz9B(2)
    じいちゃんは毎週ばあちゃんのもとに通って、へったくそな日本語の恋文と恋歌の写しを投げて、
    ばあちゃんが拾うのを確認して一礼して走り去る、とやってたんだが
    じいちゃんが投げた恋歌の中に、ばあちゃんが好きな歌が入ってたのがきっかけで
    ばあちゃんから「この歌が好きなんですか?」と話しかけたらしい。
    そこでじいちゃんが全く日本語ができない(「ここから一歩も近づきません!」は
    日本贔屓の上司に教えてもらった唯一の日本語)ということが発覚して、
    じいちゃんが滞在中ずっとばあちゃんが日本語を教えてたんだそうだ。
    そのお礼として米軍配給の缶詰だのを渡してたんだそうだが、上司の入れ知恵で
    同じ隊の他の人に事情を話してちょこっとずつ缶詰だのを分けてもらって
    「ご近所の皆さんで分けてください」と箱一杯に差し入れたのがきっかけで
    ばあちゃん一家に受け入れられて、アメリカに帰る時には一緒にご飯を食べたんだって。
    その時に、もうアメリカに帰ったらばあちゃんに会えないかもしれない、と思って
    「普段味気なく食べている配給も、あなたと食べるとごちそうのように美味しかった。
    そんなあなたともう会えなくなるのは生きている意味を感じられないほど悲しい」と
    言ったら、ばあちゃんも「とても優しいあなたと会えなくなるのは私も悲しい」と返したので、
    じいちゃんは自分の所属部隊と名前と階級を書いて渡して
    「もし私とまた会ってもいいと思ったら、残っている米兵にここ宛に手紙をください」
    とやって、米軍が完全撤退するまでしばらく文通してたんだと。
    そのあとじいちゃんが日本にきて、ずっと独身だったばあちゃんと結婚。
    以上です。文才なくてスマン


    15: 名無しさん 2014/04/29(火)00:29:32 ID:de2MeMHsF
    俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
    見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
    それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
    俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
    母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
    当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

    母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
    特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
    ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
    無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

    しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
    まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

    普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
    人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

    今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
    祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


    その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
    崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。


    16: 名無しさん 2014/04/29(火)00:30:05 ID:IryZaipoK
    もう五年前ぐらいの話かな。
    人前ではほとんど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。

    お袋は元々ちょっとアタマが弱くて、よく家族を困らせていた。
    思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
    非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
    高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
    その間実家に帰ったのは3年に1回程度だった。

    俺もいい大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日、
    お袋が危篤だと聞き急いで病院に駆けつけた。
    意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、
    幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。


    17: 名無しさん 2014/04/29(火)00:30:25 ID:IryZaipoK
    そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握りこう言った。
    「ダメなおかあさんでごめんね」
    精神薄弱のお袋の口から出るにはあまりにも現実離れした言葉だった。
    「うそだろ?いまさらそんなこといわないでくれよ!」
    間もなくお袋は逝った。
    その後葬式の手配やらなんやらで不眠不休で動き回り、
    お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中のこと。
    家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
    かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。
    まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みな幸せそうに笑っている。
    裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
    それを見た途端、なぜだか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
    いい大人がおえっおえっ泣いてる姿はとても見苦しい。自制しようとした。
    でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。

    (俺は救いようがない親不孝ものだ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
    やり直せるならやり直したい。でもお袋はもういない。
    後悔先に立たず、とはまさにこれのことだったんだ。)

    その時、妹の声がした。
    「お母さん、笑ってる!」
    皆布団に横たわる母親に注目した。
    決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
    うっすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
    「みんな悲しいってよ、お袋・・・。一人じゃないんだよ・・・」
    気がつくと、そこにいた家族全員が泣いていた。

    ・・・あれから俺はことあるごとに両親は大切にしろと皆に言っています。
    これを読んだ皆さんも、ご健在であるならばぜひご両親を大切にしてほしい。
    でないと、俺のようにとんでもない親不孝ものになっちゃうよ・・・。


    18: 名無しさん 2014/04/29(火)00:31:17 ID:IryZaipoK
    no title


    19: 名無しさん 2014/04/29(火)00:32:01 ID:WvsHajGV5
    お仕事大変だね


    23: 名無しさん 2014/04/29(火)00:34:28 ID:IryZaipoK
    245 :いい気分さん :2006/03/32(土) 21:59:12
    春一番が吹き荒れた日。
    本当に物凄い強風で店の看板が倒れたり、その日は朝から
    トラブル続きでずっと落ち着かず、疲れ切っていた。

    そんなとき、若いカップルのレジをしたら男のほうが
    「駐車場の段ボールが飛び散って迷惑なんですけど。あのままにしておいていいんですか?」
    と少し怒りながら言ってきた。こっちも疲れ切ってイライラしていたので
    「申し訳ございません今すぐ片付けます」
    と適当にその場を収めて嫌々強風の吹き荒れる外へ出て駐車場を見たら見事に段ボールが一面に散らばり舞っていた。

    片付けるにもその最中も強風が吹き止むはずもなく気の遠くなるような作業だった。
    もうこのまま放っとけばどっかいくだろ。なんて思いながら掻き集めていたら後ろから
    「すみません、これ・・・」と、さっきのカップルの彼女の方が私より遥か多くの段ボールを抱えて立っていた。

    くるくる綺麗に巻いた髪がボサボサになっていた。
    ひらひらの綺麗なワンピースを着ているのに、汚い段ボールを胸いっぱいに抱えていた。
    その後ろには彼氏が、段ボールをたくさん抱えて立っていた。

    とても自分が恥ずかしくなった。
    申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
    カップルから段ボールを受け取って深くお辞儀をすることしかできなかった。


    24: 名無しさん 2014/04/29(火)00:34:57 ID:IryZaipoK
    高校生1年になってすぐ母が肺がんで入院した。

    親父と相談の結果、告知はしなかった。
    夏が過ぎ、秋が過ぎ、病気の劇的な進行とともに
    母ももうこの病気は治らないことに気づき始めた、と思う。

    そして年末、危篤状態になった。
    でも12月30日、意識を取り戻した。

    母:今日は何月何日?
    俺:12月30日だよ。
    母:そうかい、ウチはねぇ、この町で3代愛されてきた八百屋だよ。
    俺:うん、そうだね。
    母:だからね、町の人に迷惑かけちゃいけないんだ。
    俺:どういう意味だい?
    母:せめて「さんがにち」が明けるまで、不幸は出しちゃいけない。
      あたしなんかのためにみんなに正月早々やな思いをさせちゃいけない。

    そう言ったきり、母は年が明けて1月4日の明け方まで眠り続け、そして旅立って行きました。
    我ながらすげぇ母親を持ったもんだと、誇らしかった。
    やっぱね、もう、だめぽ、と思った時には母のことを思い出します。
    そうすると、まぁ、なんとかなる、うん。


    25: 名無しさん 2014/04/29(火)00:35:26 ID:IryZaipoK
    昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな
    でも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて
    そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・
    ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ
    でも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど
    試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね
    そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ
    敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってた
    んで、サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が
    「すげえよ○○!大逆転だ!!」
    皆それに続いて「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた
    相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない


    26: 名無しさん 2014/04/29(火)00:36:03 ID:IryZaipoK
    仕事帰りに乗ったタクシーの運転手から聞いた話です。

    ある夜、駅ロータリーでいつものように客待ちをしていると血相を変えたリーマン風の男性が「〇〇病院まで急ぎで!」とタクシーに飛び乗ってきた。
    男はどこかに電話をかけているようだが、相手が受け取らないようだ。
    ヒーヒー言いながら男は平静を保っていた。しばらくすると男の携帯が鳴った。

    男「もしもし!母ちゃんの様子は?…。
    そうか、頼みがあるんだけど受話器を母ちゃんの耳にあててあげて!…。」
    優しいが芯のある声で男が勇気づけるように語りだした。
    男「おいおいいつまで寝てる気だよ、 朝散々人のこと叩き起こしてたくせによ。
    今せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、」
    「おれまだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!おれが手握るまで息してろよな」と言って切った後、男は黙りこくっていた

    しかし病院までの道のりはかなり遠い、男の苛立ちを背中でヒシヒシと運転手は感じ、信号を避けるため裏道など利用し最善を尽くした。
    しばらく走ると再び男の携帯がなった
    男「もしもし…そうか…わかった…もう着くよ」そう言い電話を切ると男は黙りこくった

    そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い病院の中に消えた

    私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言った
    「覚えていてくれたんですね。これはあの時払えなかった運賃です。ありがとうございました。」


    28: 名無しさん 2014/04/29(火)00:38:41 ID:IryZaipoK
    役員「では自己紹介を手短に」
    剛田「はい。ハーバード大学院経済学修士課程から参りました、剛田たけしです」
    役員「では、アピールポイントを3分で」
    剛田「はい。2点あります。一つはリーダーシップ、二つ目は体力です。
       リーダーシップに関してですが、小学校の頃にジャイアンズという野球チームを
       立ち上げ、何度ものメンバーチェンジ、選手交渉、トレードを経てNYヤンキース
       に勝利するまで育て上げました。
       体力に関してですが、先に申した野球を始め、サッカー、アメフト、柔道など
       幅広いスポーツをこなしました。体力なら自信があります。
       またMorgan Stanleyで事務のアルバイトを経験し、不眠不休でエクセルの表を
       作っていました。」
    役員「では学生時代に頑張ったことは?」
    剛田「先ほど野球チームとアルバイトの話をしたので、アイビーリーグの学生をまとめて
       大規模なビジネスコンテストを主催した経験について話します。
       ハーバードの院に入った年から活動し始めたのですが、GE、P&G、AT&T、IBM、
       Merrill Lynch などの企業の役員にアポを取ることから始め、スケジュール管理、
       各大学への訪問などを繰り返し最終的にアメリカの5000人もの学生を集めることに
       成功しました。延べ一年半を費やしてようやく実現にいたりました」
    役員「いやあ、君は優秀だね。なんだっけかな・・・君と出身小学校が同じ子が面接に来たんだが
       奇妙奇天烈な学生でね。選考には進ませなかったんだが。」
    剛田「その学生・・野比という名前では?」
    役員「ん、まあ名前は言わないけど。“無能”な子だという印象を持ったよ」
    剛田「・・・・謝れ」
    役員「なんだって?」
    剛田「謝れと言っているんだよ、俺の友人に」
    役員「内定あげようと思ったのに」
    剛田「こんな会社の内定なんていらない。   だから野比に謝れ」


    30: 名無しさん 2014/04/29(火)00:39:18 ID:IryZaipoK
    俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
    親父は離婚していない。パチ〇コとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
    母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
    おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
    俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
    それで、俺大学落ちちゃったんだ。
    「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
    って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
    「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
    と、おばあちゃん。
    「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
    ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
    そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
    「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、
    「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。
    お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。
    年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
    と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
    それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
    「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
    マジ泣いたよ。
    なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
    もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
    それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ


    31: 名無しさん 2014/04/29(火)00:39:59 ID:IryZaipoK
    J( 'ー`)し
    自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。
    元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。
    別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。
    苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。

    悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。
    何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。
    余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。
    アナタにはアナタの考えがちゃんとあるのにね。
    でも、見守るだけしかできないのはつらい。
    苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。
    親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。


    今楽しいアナタへ。アナタが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。

    今苦しいアナタへ。何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。
    でも、つらくても生き抜いてください。
    お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。
    生きる場所は必ずあります。生きる道は必ずあります。
    アナタが、もがいて、もがいて。そこに辿り着くことを毎日祈っています。
    私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。
    誇大表現でも何でもありません。
    アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも
    大事です。


    32: 名無しさん 2014/04/29(火)00:40:40 ID:IryZaipoK
    私が財布から紙幣を出していると、表のガラスドアが開いて、五、六歳くらいの
    女の子が入ってきた。顔を赤くし、必死の面持ちで、
    「あのう、すいません」
    と言った。私の相手をしていた女性がはい、と言って女の子の方に向き直ると、
    彼女は、
    「あのう、チーズケーキはひとつ何円でしょうか」
    と丁寧な口調で尋ねた。店員は女の子の必死の気配がおかしかったのか、
    「四百三十円です」
    と笑いながら応えた。女の子は漫画のついた自分のガマ口を開け、二百円、三百円・・・、
    と声を出してお金を勘定していたが、
    「ああ、ないー」
    と悲しそうな声を出した。そして、
    「どうもありがとうございましたー」
    と泣きそうな顔で言うと、ガマ口も閉めず一礼してガラスドアの方へ向かって駆け出した。
    すると彼女にとっては厄日だったか、ドアの前で人と衝突し、ガマ口からお金をばら撒いて
    しまった。
    子供にぶつかるとはなんという不注意な人間だろうと思って衝突相手を見ると、私の友人だった。
    御手洗もさすがに悪いと思ったらしく、急いで屈み込むと、
    「ああ、ごめんね」
    と言いながら、女の子と一緒にお金を拾い集め出した。
    「二百円、三百円、四百円・・・・・、あれえ、ほら、四百八十円あるじゃないか、チーズケーキが買えるよ」
    と私の友人は、拾ったコインを女の子の小さな手に渡しながら言った。
    「あれえ、本当だー」
    と女の子は言った。
    「駄目だよ、きちんと数えないと」
    と、御手洗は笑いながら言った。女の子は嬉しそうにコインを握りしめ、私の横に戻ってきた。
    どうやら女の子はチーズケーキを買うことができるようだった。


    33: 名無しさん 2014/04/29(火)00:41:27 ID:ZQcwZWZtq
    今父から聞いたばかりの話。

    もう40年位は前の話。 金属加工の会社に勤務していた父が朝出 社すると、同僚が慌てた様子で駆け寄っ て来た。 どうかしたのかと父が聞くと、作業場で 死人が出たと言う。 何でも、大きい金属板を切断・加工する 機械に頭を突っ込み、金属板の代わりに 首を 切られたらしい。

    既に警察が到着していたので父が作業場 を見る事は出来なかったそうだが、同僚 によると 首無し死体が仕事を続けているかのよう に両手を機械に当てた状態で突っ立ち、 飛ばされた 首は加工部の旋盤上に乗って作業で出た 金属の粉で真っ白になり ながらごろごろごろごろ回り続けている 。

    床は血の海。機械の表面も血塗れで、真 っ赤に染まった機械はそれでも動きを止 めて いなかった。 第一発見者の社長は余りの惨状に卒倒。 お陰で通報が遅れたそうだ。無理もない 。 しかし、もっと怖いのは、その機械が前 にも一人の首を飛ばしていた事。 事故後本来なら処分しなければならない のを前の所有者が欲を出してこっそり転 売して いたのだ。

    警察の捜査でこれが分かり、改めて機械 は溶鉱炉に放り込まれ、ようやく処分さ れて めでたしめでたし…とは到底言えない話 だが、持ち主をよそに真っ白になった首 を乗せて 動き続ける機械を想像したらかなり怖い 物が有る


    34: 名無しさん 2014/04/29(火)00:41:35 ID:IryZaipoK
    no title


    36: 名無しさん 2014/04/29(火)00:43:05 ID:IryZaipoK
    270 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 05:11:13 ID:U+6mtiNa0
    49 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2008/05/29(木) 09:08:29 ID:???
    wikiで調べたところ画太郎先生がやたらババアを描くのには泣けるエピソードが隠されている。


    271 名前:水先案名無い人 sage 投稿日:2008/06/02(月) 13:31:46 ID:GgslFWtp0
    >>270
    ほんとだ、これは泣けるわ
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AB%E2%86%E7%BB%E5%A4%AA%E9%8E


    37: 名無しさん 2014/04/29(火)00:43:45 ID:IryZaipoK
    アメリカの、とある地方に野球観戦の大好きな、でも、目の見えない少年がいました。 
    少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。少年はその選手へファンレターをつづりました。

       「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。
       しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
       あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」

    少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
    カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
    今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。

    そして、その試合、ヒーローの最後の打席。2ストライク3ボール。テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで 固唾をのんで見守り、少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。

    ピッチャーが投げた最後のボールは・・・、大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
    全米から大きな溜め息が漏れようとした、その時、スタジアムの実況が、こう伝えました。

       「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」


    38: 名無しさん 2014/04/29(火)00:44:27 ID:IryZaipoK
    オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
    当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
    いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
    それをばあちゃんに見せては
       「ここでモンスターが出るんだよ」
       「ここに止まったら三回休み~」
    ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
    それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
    やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
    家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
       「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

    先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
    遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
    開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
    モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
    妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
    最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

       「義弘(オレ)く〇に友達がいっぱいできますように」

    人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
    ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。


    39: 名無しさん 2014/04/29(火)00:45:12 ID:IryZaipoK
    俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。

    それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
    親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
    俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
    そしたら・・・
    病室のベットの上にお母さんがうつってた。
    『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
    お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
    今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
    10分くらいのビデオテープだった。

    俺、泣いた、本気で泣いた。
    次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
    みんなにバカにされるくらい勉強した。
    俺が一浪だけどマーチに合格した時、
    親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。

    そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
    また、よく見てみたら。
    ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
    お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
    俺また泣いちゃったよ。
    父親も辛かったんだろうな、
    親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
    就職決まった時、
    親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

    俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。


    40: 名無しさん 2014/04/29(火)00:45:49 ID:ZQcwZWZtq
    別に霊感があるわけでもない(自分で はそう思ってた)・・。 なのに最近やたらと見る。何故だ!! 会社で「○○さーん」と自分の名前を 呼ぶ声がしたのでそちらを向きながら 「はァーい?」って振り向いたら誰も 居ない。 しかもいつも動きっぱなしの機械達が 全部エラーランプ作動。 「・・・・・。」 じぶんぽかーんですよ。 その瞬間悪寒ザァー!!鳥肌バ アー!!耳鳴りガンガン!! 慌てふためきながら成形室でようとし て向き直ったらいきなり「どん!」 って顔からぶつかった。 「ぶぅぅ!」って鼻押さえて前みたら 目が真っ赤で口からどばどば血を流し た女?が「痛いぃぃぃぃぃぃ い!!!!!!!」って絶叫。 腰が抜けた?っていうのかな? 尻もち付いたら後ろから肩つかまれ る。 「ブァ!」ってその手を振り解いたら工 場長・・・。 「どした!?」

    その後は女もいないし、エラー直って るし。 自分疲れてるのかな?って感じでその 日は早めにって行っても夜中12時過ぎ に仕事終わってロッカールームに行っ て着替えて帰ろうとしたら・・。 「痛いよぉ?」 だって! もちそっこー逃げたよvv腰抜け自分 vv ちなみに昨日の話、成形室で機会の具 合見てたらずっと向こうの成形機会の 間からあいつ覗いてた・・・。 あの時とおんなじ真っ赤な目で口から 血流して・・。 考えてみて欲しい、人の帰った工場の 機械の群の中、あいつは自分をみて る。 洒落ならんでしょや?これマジ話。自 分どうしたらいい?


    41: 名無しさん 2014/04/29(火)00:45:54 ID:IryZaipoK
    うちのババァが大事にしてる
    オレより年下に写ってるジーサンの軍服姿の白黒写真を
    ババァが出掛けてる隙に、スキャナーで取り込んで元の場所に戻してから

    仕事から帰宅して睡眠時間削りながら
    4日間掛けてフルカラーにコラしてヤったwww

    んで、写真屋でプリントアウトしてきて
    ついでに地味目の写真立てを購入し
    白黒写真の隣に飾っておいたら大泣きされ

    不覚にもオレ貰い泣き


    42: 名無しさん 2014/04/29(火)00:46:31 ID:ZQcwZWZtq
    俺は登山好きなんだけど、百間平周辺 を通る度に、毎回すげぇ濃い霧と雨に やられる。 90年の秋かなぁ、3人で縦走してたんだ けど、そん時もすげぇ濃い霧だった。 だだっ広いし、積み重なった石の原っ ぱみたいなとこだから、マーカー探す のも苦労した。 何も見えなくてすげぇきつかったし、 寒くて、サイの河原の中を延々歩く感 じ。 途中で、メンバーの一人が急にバテ出 して吐き気を訴えたから、小さなケル ンのあるとこで小休憩をとることにし た。

    馬鹿話しながら、ルートを少し外れ て、ザックを下ろして石に腰掛けた 時、ギィッとでかい音がした。 最初は鳥の声だと思って、クッキーと 水飲んで地図とか見ながらぼんやりし てたんだけど、そしたら、また尻の下 からギリギリッて音がした。俺は 「あれ?なんだろう?」 と思って、腰掛けてた石の下を覗いた んだ。

    結構でかい石がどかどか積み重なって る辺りで、隙間もでかかった。目を凝 らすと、奥になんか黒い塊が転がって るのが見える。 なんか気になったけど、手は届かない し、霧がすごくて暗いし、しばらく目 が慣れるまで見てた。 そしたら、黒い塊の表面に急に茶色い 犬歯がにぃって見えて、その歯がギ ギッてさっきの音たてた。

    その瞬間、背筋が凍った。人の首だっ た。ミイラみたいな感じで、目がくぼ んでたんだけど、そこが細い白い糸で ぎっちりと等間隔に縫ってあって、ま ぶたが震えて動いているのがわかる。 歯がぎっぎって音たてた。 俺はマジでびびって、大声あげて仲間 を呼んだ。で、代わりに覗かせたわ け。 そしたら、仲間も同じ物が見えて気分 悪かった奴は吐きまくって、ちょっと したパニックになった。

    すぐに離れた。そっから、ばててた奴 もすげぇ気合い入れて歩いて、霧はひ どかったけど、予定よりだいぶ早く小 屋に着いたと思う。 で、まぁそのまま小屋に連絡して、遺 体は警察が回収。俺は聴取受けてそん だけ。 まぶたが固く縫われてたと思ったの は、うじだったのかなぁと思う。メン バーも俺もその時は絶対に縫われてる と思ったけど。

    回収した警察からは身元不明の頭骨っ てだけ言われた。絶対にそんな事はな かった。あれは肉がしっかりついた頭 部だった。 今でもあそこを通るときは雨か霧にや られる。 もう、あまり恐怖心はないけど、覗き 込んでしまった、あの顔だけは忘れな い。 携帯だし、読みにくくてごめ


    44: 名無しさん 2014/04/29(火)00:47:20 ID:ZQcwZWZtq
    自分が高校入ってすぐ、学生にも携帯 が普及し始めた頃の話。

    学校が終わって、家に帰ったら丁度家 電に電話。 母親からで、今日は遅くなるってだけ の連絡だった。 適当にメシの準備してたら再び家電。 丁度手が放せなくて、母親だろうから かけ直せばいいやと、出ずにいたら、 今度は携帯の方が鳴った。 携帯は胸ポケットに入れたままだった ので、急いで番号確認せずに出たら

    「ねねねねねねねねねねねね、なんで 出ないの?ねぇなんで?」

    という野太い男の声。 意味がわからず「はぁ?」って返した ら、 家電が留守電に切り替わった。

    「ねぇ、聞いてる?なんで?なんでで ないの?ねぇ」

    携帯と、家電から、同じ声がスピー カー状態で声が響いた。

    携帯のバッテリーを外して、家電の電 話線ひっこぬいたよ。


    47: 名無しさん 2014/04/29(火)00:48:30 ID:IryZaipoK
    去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
    退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
    使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
    その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
    40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
    葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
    最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
    私の一生の保護メールです。

    「お前からのメールがやっと見られた。
    返事に何日もかかっている。
    お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
    孫が生まれたら毎日子守してやる。」


    48: 名無しさん 2014/04/29(火)00:49:16 ID:IryZaipoK
    某所に手のつけられない荒くれの死刑囚がいて看守達もほとほと手を焼いていた。
    そこで、神父様が呼ばれた。
    その神父様、なかなか良く出来た人で、彼と独房で会う時に、
    聖書の中に小さな紙切れをしのばせていた。
    最初は「声を出すな。お前を救う作戦がたっている」とか言う感じで。
    彼はそれを見て、神父はグルだと思って、自分のボスが助けてくれる
    と確信していた。
    会う度にメモが増えていった。「作戦は順調」とか「もうすぐだ」とか。
    そして最後の日に渡されたメモにはこう書いてあった。
    「作戦決行は、最後の瞬間」。


    彼にとってこの世で最後の日。最後の夕食を食べ、神父に最後の祈りを聞いてもらい、
    看守に引き連れられて電気椅子に向かい、最後に顔の前にカバーがかけられる瞬間まで
    彼は笑顔だった。
    彼の死後、一体荒くれだった彼をどうやって大人しくさせたのか、と問われた神父は
    その看守に答えました。
    「私は彼に『希望』を与えたんです。」


    50: 名無しさん 2014/04/29(火)00:49:57 ID:IryZaipoK
    小1の頃、ばあちゃんに旅行の土産にと「ドラクエ2」を頼んだ。
    でも買ってきたのは黄金に輝くソフト「ドラゴンバスター」。当時60歳くらいだった
    ばあちゃんにはそんな違いわかるはずも無いのに俺はばあちゃんが憎くて、
    「ばあちゃんなんか嫌いだ!!」
    といってその日は一言もばあちゃんと話さなかったっけ。
    物心ついたときから毎日いっしょに寝てたばあちゃん。でもその日だけは両親と一緒に寝たんだ。ばあちゃんその日は寂しかったろうな。
    んで、次の日学校から帰ってしょうがなく「ドラゴンバスター」をやってみた。
    そしたらこれが以外に面白い。夢中になって遊んでいるとばあちゃんが突然部屋に入ってきて、
    「ごめんなぁ。○○○。ばあちゃん馬鹿だがらわがんねくてよぅ・・・(山形弁)」
    俺はゲームに夢中で「もういいから!入ってくんな!!」
    そう言われた時のばあちゃんほんとに悲しそうな顔してた。
    でも、「ドラゴンバスター」が面白かったから怒りなんてとっくに忘れてその日はいつもどおりばあちゃんの部屋に行った。
    布団に入るとばあちゃんがぎゅっと抱きしめてくれた。
    俺はその日ばあちゃんに抱きしめられながらばあちゃんの腕枕で眠った。

    ばあちゃんが死んでもうすぐ5年。ばあちゃん、あの時は本当にごめんね。
    急病で亡くなったばあちゃんに俺は何もしてあげられなかったけど、一人暮らししている今でもあの「ドラゴンバスター」は大事に持ってるよ。
    ばあちゃん、いろんな思い出をありがとう。


    52: 名無しさん 2014/04/29(火)00:50:55 ID:IryZaipoK
    両親は、仲が悪いのだと思っていた。
    冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。

    両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、
    周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。


    母が子宮癌で手術を受けた。
    手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、
    好きな歴史小説を読んでいた。
    麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
    父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
    『ユミ、大丈夫だよユミ…』
    まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
    「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」

    父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。

    母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
    黙って撫でていた。


    58: 名無しさん 2014/04/29(火)00:53:49 ID:IryZaipoK
    小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
    でも、絵が上手な子だった。
    彼は、よく空の絵を描いた。
    抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

    担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
    冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
    N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
    私はN先生が大嫌いだった。

    クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
    全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
    生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
    先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
    お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

    私は、A君の言葉を忘れない。

    「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

    A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
    水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
    放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
    その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
    N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。


    60: 名無しさん 2014/04/29(火)00:54:40 ID:IryZaipoK
    昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

    N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
    先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
    過疎地へ自ら望んで赴任されました。

    N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
    A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
    お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

    「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
     みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
     ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
     空が、綺麗なんだよ。
     A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
     だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
     そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
     これは、簡単なことじゃありません!」

    A君は、空を描いた絵を送るそうです。
    その空はN先生が作り方を教えた、
    美しいエメラルドグリーンだそうです。


    63: 名無しさん 2014/04/29(火)00:55:28 ID:IryZaipoK
    6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

    夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

    昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
    朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
    早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
    夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
    「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
    動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
    私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
    夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
    その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
    「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
    お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。


    64: 名無しさん 2014/04/29(火)00:56:04 ID:IryZaipoK
    俺の近所に住んでた爺さんの話。

    一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
    ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
    老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
    俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
    爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
    なんて呼び合って遊んでいた。
    そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。

    卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
    さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれてベッドに横たわっていた。
    看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
    俺は「じい」に呼びかけてみた。
    「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
    ダメもとのつもりだった。・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
    そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

          「若、ご立派になられましたな。」


    66: 名無しさん 2014/04/29(火)00:56:41 ID:IryZaipoK
    なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
    どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
    何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく
    「どうすればいいの?」って聞いてきたが
    「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
    さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
    そしたら「・・・ごめんね」と一言。

    そんな母が先日亡くなった。
    遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
    俺の寝顔が写ってた・・・。

    涙が止まらなかった。


    70: 名無しさん 2014/04/29(火)01:03:07 ID:ZQcwZWZtq
    学生のころマックでアルバイトしてたときの事 。 わたしはドライブスルー担当で、その日は日曜 。 次から次へとやってくる客の対応に追われ、目 の回る忙しさだった。

    あまりの忙しさにあせってしまって、 「いらっしゃいませコンニチハ。マイクに向か ってご注文をどうぞ!」 って言うとこを、 「いらっしゃいませコンニチハ。マイクに向か ってコンニチハ!!」

    全身から汗がふきでたよ。 モニターの向こうのドライバーも、 「こ、こんにちは…」 とか言ってるし…


    72: 名無しさん 2014/04/29(火)01:04:43 ID:IryZaipoK
    俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
    見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
    それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
    俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
    母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
    当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

    母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
    特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
    ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり
    無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

    しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
    まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

    普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
    人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

    今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
    祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


    その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
    崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。


    74: 名無しさん 2014/04/29(火)01:05:30 ID:IryZaipoK
    奥山大佐遺書


    昭和20年5月22日

      この度、義烈空挺隊長を拝命、御楯の守りとして敵航空基地に突撃いたします。

     絶好の死場所を得た私は日本一の幸福者であります。

     只只、感謝、感激の外ありません。

     幼年学校以来、12年、諸上司の御訓戒も今日の為の様に思われます。

     必成以ってご恩の万分の一に報ゆる覚悟であります。

     拝顔お別れ出来ませんでしたが道郎喜び勇んで征来ます。

     20有6年親不孝を深くお詫びします。

    道郎

    御母上様


    75: 名無しさん 2014/04/29(火)01:06:15 ID:IryZaipoK
    母上様御元気ですか
    永い間本当に有難うございました
    我六歳の時より育て下されし母
    継母とは言え世の此の種の母にある如き
    不祥事は一度たりとてなく
    慈しみ育て下されし母
    有難い母 尊い母
    俺は幸福であった

    ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
    幾度か思い切って呼ばんとしたが
    何と意志薄弱な俺だったろう
    母上お許し下さい
    さぞ淋しかったでしょう
    今こそ大声で呼ばして頂きます
    お母さん お母さん お母さんと



    特攻隊の遺書


    77: 名無しさん 2014/04/29(火)01:06:49 ID:IryZaipoK
    自殺考えていた頃におふくろから電話

    ( ´・ω・`) 「かあさん・・・。オレが生まれた時どう思った・・・?」
           「そうねえ・・・。やっと会えたねって・・。それから・・。」(゚-゚*)
    ( ´・ω・`) 「・・・・・・?」
           「この子の為なら自分の命は捨てられるって思ったかなww」(゚-゚*)
    Σ( ´・ω・`) 

    ( ´:ω;`) 「・・・・・・・・・・。」
           「・・・・・?どうしたの アンタ?」 (゚-゚*)

    ( ´・ω・`) 「な・・・なんでもないよ じゃあね・・・。」

    電話切ったあとひたすら泣いた・・・・。オレに自殺する権利などない・・・・。
    オレは生きる・・・・。せめて親が死ぬより後に


    79: 名無しさん 2014/04/29(火)01:07:53 ID:IryZaipoK
    幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
    母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
    土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

    娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
    遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

    ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
    プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

    野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
    招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
    なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
    ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
    母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

    俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
    新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
    やることもできた。
    そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
    「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。


    81: 名無しさん 2014/04/29(火)01:11:03 ID:IryZaipoK
    6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いてお いたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。

    「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」

    夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw

    昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
    朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
    早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
    夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
    「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
    動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
    私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
    夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
    その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
    「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
    お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。


    83: 名無しさん 2014/04/29(火)01:11:19 ID:FMys22Ia2
    小さい時君と約束したよね結婚するって
    でも君はその帰り道の事故でずっと深い眠りについている
    早くむかしみたいに遊びたいね
    おままごととかよくやったよね
    俺が父親で君が母親、子供が2人にペットが2匹いつもおままごとの始まりは「ただいま」「おかえり」だったね
    あの時はすごい幸せだった


    84: 名無しさん 2014/04/29(火)01:12:04 ID:IryZaipoK
    3年前の話。
    当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
    いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
    子供が2人置いてかれてた。
    5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
    俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
    家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
    ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
    聞いても答えない。
    「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
    下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
    破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
    「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
    嫌な予感がした。
    だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
    2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
    「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
    すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
    すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
    近くの銭湯で体を洗ってやった。
    その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
    連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
    ・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
    俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。


    85: 名無しさん 2014/04/29(火)01:12:25 ID:IryZaipoK
    カーチャンの七不思議
    夜には疲れた顔してたのに朝には早起きして弁当作っててくれる
    夜遅く帰っても他の家族は寝てるのにカーチャンだけ起きてる
    俺が疲れてるの何故か把握してて栄養剤出してくれる
    俺が逆切れしても困ったように笑ってる
    俺が自分で言ったのに忘れてた事をずっと覚えてる
    いまだに俺の誕生日祝ってくれる
    俺より長生きしてくれない


    88: 名無しさん 2014/04/29(火)01:13:31 ID:IryZaipoK
    俺たち小学校から高校までずっと一緒だったよな。
    高卒後俺は就職、お前はフリーター
    学歴社会の昨今「俺たちゃ負け組じゃねぇよな!がんばろうぜ!」ってよく鼓舞しあってたな…

    25歳になった頃…俺も初めての役職に就いた日…嬉しくてすぐに連絡したよな…その時お前の言った言葉
    「そんな普通な生き方楽しいか?」
    俺は悲しくて頭に来て言ったよ「25でフリーターやってるお前にはわからねぇよ」

    あの日から俺たちは連絡取らなくなって……もう14年か……お互い39なんてオッサンだな…

    実は来年娘が中学生になるんだ。俺もそれなりの役職にステップアップしたよ。

    お前はどうだ?……なんて聞かないよ……その身なりをみれば久々の訪問理由も想像つく…
    何も聞かないさ…持っていけよ…普通の40歳の給料2ヶ月分は入ってるからさ…
    「…スマン」お前の呟きも聞こえないふりをするよ…
    さぁ帰ってくれ…金は返さないでいいから…家族に見られたくないんだ…
    こんな姿の親友がいるなんて知られたくない…近所の目もある……

    何度も振り返り頭を下げて小さくなっていくお前を見ながら思った

    俺はいつから人目を気にするようになったのかな…親友を厄介者扱いするような人間になったのかな……
    俺たちゃ負け組じゃねぇよな…がんばろうぜ…


    91: 名無しさん 2014/04/29(火)01:15:56 ID:IryZaipoK

    幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
    学もなく、技術もなかった母は、
    個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
    それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
    何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

    娯楽をする余裕なんてなく、
    日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
    給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

    ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
    俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
    母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

    野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
    母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
    チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
    帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、
    外のベンチで弁当を食べて帰った。
    電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
    母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

    俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
    新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、
    母に孫を見せてやることもできた。
    そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
    「野球、ごめんね」と言った。
    俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。


    92: 名無しさん 2014/04/29(火)01:16:49 ID:IryZaipoK

    叔父「いいかゆうすけ、そこに座れ。今から大事な話をする。
        お前は人生を真剣に考えたことがあるのか。
        もう32になのに、まだ独身なだけじゃなくて、
        無職とはどういうことだ。
        両親に申し訳ないと思わないのか。
        大学まで出してくれたのに、無職なんて・・・・
        従兄弟はみんな結婚して子供いるんだぞ。
        おまえは一体何をやっているんだ。
        一日も早く就職して、親に恩返しして罪を償おうと思わないのか。
        結婚はまああとでもいい。
        とにかく今週中に就職しろ。
        まず外へ出てハローワークに行ったり、企業の面接を
        片っ端から受けろ。
        無理です?甘えるな!泣き言を言うな。 
        そんな暇あったら就職しろ。
        辛いのはお前だけじゃないんだぞゆうすけ。
        一番辛いのはお前の両親と兄弟、そして我々親族だ。
        なんだ泣いてるのか。何故泣く。泣きたいのはお前の親だ。
        泣いている暇があったら就職しろ。
        こんなふざけた人生はもう終わりにするンだ。
        働き出せば人生も変わる。
        とにかくお前は一刻も早く就職して
        これまでの怠惰な人生を贖罪しろ。
        稼いだ給与は両親に上げるんだ。
        住まわせてもらってる、飯を食べさせてもらっている恩を金で払え。
        いいな。お前の人生は今からやり直すんだ。
        わかったな。32歳にこんなこと言うこっちも辛いんだからな」


    93: 名無しさん 2014/04/29(火)01:17:43 ID:IryZaipoK

    なあゆうすけ、お前ももう35だ。
    一端の大人だ。
    昔の35歳はな、もう家庭があって子供がいて
    家のローン組んで仕事と家族が生きがいって生き方だったんだよ。
    でも今はもうそんな時代じゃないよな。
    30過ぎても結婚しない人も増えたよ。
    それはそれでそういう社会風潮なのかもしれない。
    でもな、お前は仕事をしていないんだ。
    こればっかりは時代がどうなろうと許容されることじゃない。
    おまけにお前は大学もいいとこ出てる。
    なのに就職していないってのはなんだ。
    何か仕事以外でやりたいことがあって、
    そうだな、例えばミュージシャンとか画家とか
    そういうのに没頭しているのならおじさんもゆうすけに何も言わないよ。
    でも毎日何もせずにずっと部屋にいて、
    そのくせぷらぷらと出かけて親の金で生きてるってのは
    ちょっと許せないよね。
    おじさんね、高卒だけど必死に仕事やって頑張ってきたんだよ。
    子供も2人大学に行かせて、結婚して孫の顔も見せてくれた。
    それで叔父さんは十分なんだよ。
    十分幸せなんだ。
    ゆうすけ、お前も親にそういう「当たり前の幸せ」をあげるだけでいい。
    お前の親は優しいからお前を甘やかすのかもしれないけどな。
    おじさんはゆうすけのことも心配だが、お前の父さん母さんのことが
    何よりも心配なんだ。
    お願いだから、これ以上親に迷惑かけるのだけ早めてくれ。
    もうゆうすけは自分の人生を十分に謳歌しただろ?
    だったら残りの人生は全て苦労して、他人のために使え。
    そして労働した金は全部親に上げるんだ、いいね?


    94: 名無しさん 2014/04/29(火)01:18:20 ID:IryZaipoK

    なあ、ゆうすけ。おじさんは総理大臣になれとか、ノーベル賞を取れとか、
    そういう大きな事を言っているんじゃないんだ。

    若いうちに金がないなんてのは、そりゃ当たり前の話で、貧乏でもいから
    どこでもいいからまず働いて、地に足のついた、人として当たり前の生活をしろと
    言っているだけなんだぞ。

    お前は二言目には無理だの、辛いだの、おじさんは現状を知らないだの言うが
    おじさんだってもう30年社会に出て働いてる。
    何百人もの若い連中が、汗を流し、歯を食いしばって、社会での居場所を得るために、
    頑張ってきているのをちゃんと見てきたつもりだ。
    職を得る苦労なんて、
    得てからの苦労に比べりゃ屁でもないってこともちゃんとわかってる。
    いつまでも入り口のところで足踏みしているお前にはピンと来ないかもしれないが。

    そういう頑張る若い連中と、日がな一日パソコンの前で過ごしているゆうすけとは、
    一日ごとにスキルに差がついてくるんだぞ。今すぐお前も走り始めないと
    もうその先には社会的な死が待っているだけなんだぞ。
    去年も同じ事を言ったが、とにかく明日から仕事を探して、早く姉さんとお父さんを
    安心させてやることだな。


    96: 名無しさん 2014/04/29(火)01:20:07 ID:IryZaipoK
    ゆうすけの弟のたかしが結婚することになった。
    披露宴当日
    親戚1「今日はおめでとうございます。ゆうすけの結婚はいつかな?あははは」
    親戚2「弟に先越されちゃったねえ。ゆうすけくんも頑張れ」
    従兄弟「おめでとう。で、ゆうすけの結婚はいつ?」
    従弟「ゆうすけ兄ちゃん彼女は?今日呼んでないの?なんで?」
    親戚3「ゆうすけくん、焦らなくていいからね。まずは就職しましょう」
    親戚4「ゆうすけくん大きくなったわねえ。小さい頃は神童って言われてたんだよ」
    たかしの会社の同僚「チッス。お兄さんスカ。今日はマジめでてえッス。
                 お兄さん、ご結婚は?え?まだ?マジパネエッス」
    従姉「ゆうすけくん元気?久しぶりだねえ」
    従姉の娘「こんにちはおにいちゃん!おにいちゃんのお嫁さんは?」

    従兄弟「・・なあたかしの披露宴の時、ゆうすけと話したけど
         なんかおかしかったよな?」
    従姉「うん・・・なんていうか、世間知らずって言うか」
    従兄弟「機関銃のように話すんだけど、中身がないというか
         必死に話してる姿がなんかなあ・・・」
    従姉「キモかったよね」
    従兄弟「仕事の話とか政治の話とかになると、一生懸命なんだけど
         内容が全部否定的なんだよ。
         やれ安倍がどうのとか経団連がどうのとか」
    従姉「なんというかさ、リアリティがないんだよね。
       働いてる人の実感が全くない」
    従兄弟「もしかしてゆうすけ、働いてないんじゃ・・・」
    従姉「えーそれはないでしょ。もう32歳だよ?」
    従兄弟「だよなあ・・・ありえないよなあ」


    99: 名無しさん 2014/04/29(火)01:21:56 ID:IryZaipoK
    京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
    認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
    事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
    片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
    片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
    母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
    片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
    生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
    介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
    06年1月31日に心中を決意した。

    「最後の親孝行に」
    片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
    「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
    「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
    「すまんな」と謝ると、母は
    「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
    「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
    この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
    自分も包丁で首を切って自殺を図った。
    冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
    眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
    裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
    殺害時の2人のやりとりや、
    「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
    目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


    102: 名無しさん 2014/04/29(火)01:23:33 ID:IryZaipoK
    大学が決まり一人暮らしの前日の日
    親父が時計をくれた。
    金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
    「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
    そういってた。
    二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
    ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
    紛れもない偽者であることが判明した。
    すぐに親父電話した。

    俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
    親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
       最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
    親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
    俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
    親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
    親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

    正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
    今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
    そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
    また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
    親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

    オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
    俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
    二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

    親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。


    104: 名無しさん 2014/04/29(火)01:24:39 ID:IryZaipoK
    ある日、叔母さんのうちに一本の電話がかかってきた。

    「こちら警察のものですが、お宅の息子さんが事故を起して通行人に怪我をさせてしまいまして、
    被害者の方から示談で良いとのことで、至急こちらの口座に振 り込んでいただきたいのです。ただいま、息子さんに代わりますね・・・」

    叔母さんはすぐにそれが最近流行っているオレオレ詐欺だということに気が付いた。
    なぜなら、息子は5年前に事故で亡くなっているからだ。

    「母さん、俺だよ、事故起しちゃってさぁ、大変だよ。すぐに示談金振り込んでくれよ」
    叔母さんはその声を聞いてハッとした。
    死んだ息子の声とそっくりだったからだ。
    まるで死んだ息子が蘇り、そこにいるような気がした。
    叔母さんは電話を切ることが出来ず、
    しばらく息子にそっくりなその電話の声に聞き入っていた。
    そして再び警察官と名乗る男に代わった。

    「そういうわけなので、どうかお母さん、示談金、お願いしますね・・・」
    再び息子と名乗る男に代わった。

    「母さん、ゴメンよ、助けてくれ」
    そこで叔母さんはやっと真実を話した。

    「あのね、私の息子は5年前に死んでるの。」
    電話の声がパタリと止まった。気まずい空気が流れた。
    しばらくの沈黙の後、電話が切られる前におばさんは言った。
    「ちょっと待って、あなたの声、息子とそっくりなの。
     電話切る前に、もう一言だけ、声を聞かせてもらえないかしら。」
    しばらくして、電話の主はこう言い、電話を切った。

    「母さん」


    105: 名無しさん 2014/04/29(火)01:25:34 ID:IryZaipoK
    俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
    それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
    親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
    俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
    そしたら・・・

    病室のベットの上にお母さんがうつってた。
    『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
    お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
    今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
    10分くらいのビデオテープだった。
    俺、泣いた、本気で泣いた。
    次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
    みんなにバカにされるくらい勉強した。
    俺が一浪だけどマーチに合格した時、
    親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
    そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
    また、よく見てみたら。
    ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
    お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
    俺また泣いちゃったよ。
    父親も辛かったんだろうな、
    親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
    就職決まった時、
    親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。


    108: 名無しさん 2014/04/29(火)01:26:20 ID:IryZaipoK
    私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
    母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
    友達に見られるのが恥ずかしくて、
    毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。

    ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
    私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
    すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
    家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
    私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜って いたので、
    「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
    母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。

    それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
    中を見ると弁当のことばかり書いていた。
    「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
    日記はあの日で終わっていた。
    「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど…喜んでくれると良いな」
    何で食べてあげなかったんだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。


    111: 名無しさん 2014/04/29(火)01:27:15 ID:IryZaipoK
    俺は母親が嫌いだ。大嫌いだ。
    おせっかいなとこが嫌いだ。何よりも子供を一番に考えるとこが嫌いだ。
    大学に入り、一人暮しを始めて二年も経つ俺を赤ちゃんみたいに心配するとこが嫌いだ。
    今まで付き合った彼女より誰よりも俺を心配してくるとこが嫌いだ。
    金が無くなって「もっと金を送れ!」と、言って結局送ってくるくせに
    しぶるとこが嫌いだ。「こんな家に生まれてこなければよかった」と、言うと
    電話越しに本気で泣くとこが嫌いだ。

    俺は母親が嫌いだ。とにかく嫌いだ。
    そんな母親がこの間死んだ。毎日のように俺を心配してかけてくる電話が
    ただただウザくて、俺は携帯の電源を切っていた。だから、通夜にも行けなかった。
    死因は働き過ぎでの過労と、電話が繋がらない俺を心配して体調を悪くした併発だった。

    俺は母親が嫌いだ。自分の給料の倍以上の仕送りをする為に、働き過ぎるとこが嫌いだ。
    こんな俺のために死んだ母親が嫌いだ。五十年近くの人生の半分を俺に費やしたとこが嫌いだ。
    死ぬ直前まで、俺の声を聞きたがっていたとこが嫌いだ。

    俺が毎日2chに入り浸っているとも知らず、死ぬまで働いた母親が嫌いだ。
    今日をもって、俺は2chを引退する。嫌いだった母親にしてあげれなかった
    親孝行を今更だがしたい。受け止めれない程の愛をくれた母親の為に頑張って生きていきたい


    115: 名無しさん 2014/04/29(火)01:29:07 ID:IryZaipoK
    私が中学生くらいの頃、ちょうど反抗期真っ最中だった。

    私は母と些細な事で喧嘩になり、母から「そんな子に育てた覚えはない!」と言われました。
    売り言葉に買い言葉で「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」とつい言ってしまいました。
    お前なんて産まなきゃよかったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、
    母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。

    それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を大学に提出しなくてはいけなかったので、役所に取りに行きました。

    その戸籍には「養女」の文字が・・・

    私は父と母の本当の娘ではなかったのです。
    そんなこととは全く知らずに、あの日言ってしまったあの言葉。
    悔やんでも悔やみきれませんでした。
    養女だと知ったとき、私は全くショックは受けませんでした。
    むしろお父さん、お母さんの子として育った私って、なんて幸せなんだろうと胸がいっぱいになったのを良く覚えています。

    おかあさん、あの日はごめんなさい。
    私を本当の子以上に大切に育ててくれた事、感謝しています。
    私も自分の子供たちに、母が私に注いでくれたような愛情で育てたいと思います。


    120: 名無しさん 2014/04/29(火)01:30:32 ID:IryZaipoK
    もう何年も前になる。
    中学生の弟が鏡の前で一人で笑ってるのを見掛け、吹き出しかけた。
    服や髪に気を遣いだし、彼女が出来たと喜んでた時期だった。
    だから、今度は笑顔を作る練習でも始めたのか?と考えた。
    9つ離れてるから弟が生まれる前から知っていて、あの赤ん坊が
    大きくなったもんだと、兄貴面して見なかったことにしてやった。
    その後もそういう姿を幾度か見掛けた。

    どれだけ経ってか、弟と喋るうちにやっと理由が分かった。
    前に法事で親戚が集まったときに、みんな口を揃えて
    「○○(弟)は笑ったらお父さんにそっくり!」って言ってたんだよ。
    俺から見ても、確かによく似てる。父が死んだのは弟がまだ幼い
    ときで、弟は父の顔を憶えていない。父は写真を撮られるのが
    苦手だったから、笑顔の写真が一枚もない。

    弟は普段、誰かが父の話をしても、大して興味なさげにしてるだけだった。
    だから、記憶に残ってなきゃこんなもんかと寂しく感じたこともあった。
    でも、そんなわけないんだよな。弟は、ああやって父に会ってたのか
    と思うと、なぜか弟に申し訳なく切なくなる。
    あの時、からかわなくて良かった。


    121: 名無しさん 2014/04/29(火)01:31:19 ID:IryZaipoK
    小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
    いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
    あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
    俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
    といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
    休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
    その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
    俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
    避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
    心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
    光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
    そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
    「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
    俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
    家に避難することになってしまった。
    そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
    俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
    スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをあいつの姉貴が渡してくれた。
    メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
    次走るとき楽しみにしてるで」



    「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。

    あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四駆
    今も部屋の机の上に置いている。


    130: 名無しさん 2014/04/29(火)01:34:49 ID:IryZaipoK
    私の家は、俗に言う父子家庭でした。
    お父さんはとにかく家事が出来ませんでした。
    それはもう、笑っちゃうくらい。
    お弁当に入れる卵焼きさえ、いつも黒焦げでした。
    私はそんはお弁当を友達に見られるのが嫌でいつも隠れて捨てていました。
    包丁なんてまともに使えないくせに、無理してウインナーをタコの形に切るんです。
    りんごがあればうさぎの形に。
    ニンジンなんかは、とっても歪なハートの形に。
    いつもお父さんは朝早く起きて、私のためにお弁当を作るんです。
    私が誕生日を迎えた日にも相変わらず、お父さんはお弁当を渡してきました。
    私はいらないと言ったのですが、それでも無理矢理持たされました。
    しかし、その日も結局、友達に見られたくないという恥ずかしさから、私は登校中にそれを捨てました。
    そして何事もなく学校が終わり、家に帰宅すると、
    「どうだった?今日の弁当」
    お父さんがどこか浮き足だった様子で、私にそんなことを聞いてくるのです。
    「ハッピーバースデーって文字の形、海苔で作るの大変だった」
    お父さんはにこにこと、嬉しそうに言いました。
    それを聞いて、私は泣きました。
    私のために毎日欠かさず、一生懸命作ってくれたお弁当。
    それから、私は毎日お父さんのお弁当が楽しみになりました。
    ボロボロのタコウインナー。
    傷だらけのりんごのうさぎ。
    欠けたハート型のにんじん。
    どれもこれも、私の大好物になりました。
    友達に思い切り自慢してやりましたよ。
    私の大好きなお弁当だ!って。
    それから時間は経って。
    今では、娘の顔さえ忘れるほど年取ったお父さんに、今日も私はお弁当を届けています。
    いつも、全部食べてくれてありがとう。
    お父さんのお弁当、また食べたいよ。


    1001:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2014/04/13(日) 23:47:03.91 ID:AtoZ
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