サッカー元韓国代表MFの朴智星(パク・チソン、PSVアイントホーフェン)が14日、現役引退を発表した。
朴は京畿道水原市の朴智星サッカーセンターで記者会見を開き、「ひざが来季まで耐えられる状態ではないと判断し引退を決めた」と説明した。
また、昨年から交際を続けていた韓国SBSテレビのアナウンサー、キム・ミンジさんと7月27日に挙式することも明らかにした。
韓国SBSテレビのアナウンサー、キム・ミンジとパク・チソン 2011年1月に韓国代表から引退した朴はひざの故障に悩まされ続け、現役引退の時期を検討していた。小学4年生だった1990年からサッカーを始め、2002年のワールドカップ(W杯)後に京都パープルサンガからオランダの名門PSVに移籍。2005年には韓国人初の英プレミアリーグ入りを果たし、マンチェスター・ユナイテッドで活躍した。2012年にQPRに移籍し、昨年8月には古巣のPSVにレンタル移籍した。
朴は22日と24日に開催されるPSVと韓国プロサッカー、Kリーグの水原サムスン、慶南FCとの親善試合に出場し、ファンに別れを告げる。[
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パク・チソン一問一答
- 引退を決めたのはいつなのか?
▶今年2月ごろです。膝の状態が全く良くならず、試合をしてから4日も休憩を取らなければならない状況が続き、来年も選手生活を続けることができるだろうかという疑問が生じました。できるという確信が持てなかったのが一番大きかった。
手術をする選択もあったが、回復に時間がかかり過ぎること、100%完治する保証もなかったので、残った選択は、引退しかなかった。
- 膝の怪我は、特定の試合で起こった事ですか?▶試合中に怪我をしたわけではありません。
2002年ワールドカップが終わって日本での最後のシーズンの時から膝が良くなかった。特に競技中に起きた負傷ではなく、多くの運動量のために膝にダメージが蓄積されたのだと思う。
- 引退後の計画は?▶休憩をとりながら何をすることができ、何を準備すべきか考える。韓国国内ではなくヨーロッパに留まる。
- 引退後の指導者、行政家(マネージメントの仕事)などの仕事には?▶監督になるつもりは全くない。そもそも指導者の資格がないのでできない。(笑)行政家を夢見ているのは事実だが、不透明だね。どうにか韓国サッカーとスポーツに役立つ仕事をするために努力する。多くの時間と勉強が必要だと思います。
- 2002年ワールドカップスターのアン・ジョンファンなどが解説者として活動中だが、その道はどうか?▶解説者は考えてなかった。もし解説をすれば、選手たちを批判できるかな。(笑)後輩たちにを批判したくないからコメンテーターはできないと思う。
- 自分のプレイスタイルについて評価するなら?▶選手ごとの利点があり、その利点をどのように最大限活かしてチームのために戦うかで違ってくると思う。
私の長所は、運動量である。これを最大限活かす事が重要な課題だった。テクニシャンに対して羨ましがったり、(テクニックの乏しい)自分に失望したりはしなかった。私もその選手たちが持っていない部分を持っていたからね。
- 大衆の期待が負担になったことはないか?▶幸いなことに、ヨーロッパに長くいたのでその負担は少なかった。代表チームで試合をするときは、そのプレッシャーを切実に感じたが、それは代表選手なら当然のことだ。チームのために何ができるかが重要なので、特に気にしないように努力した。
- 時間を過去に戻すことができるならどの場面に戻りたい?▶当然2002年のワールドカップですね。幼い頃から代表になってワールドカップに出るのが夢だった。あの時は一番年下だったのでプレッシャーもなかったし、なにも考えなくてもサッカーができた瞬間だった。
- 最後にユニフォームを着て試合に出るなら、どこのユニフォーム?▶二つが頭に浮かぶ、ひとつだけ挙げろと言うなら韓国代表のユニフォームです。子供の頃からの夢だったからだ。
もう一つ選ぶことができればQPRのユニフォームを選ぶ。QPRのユニフォームを着ている姿を見せて終わりたいから(笑)。
- 最も記憶に残る師匠は?▶まず、すべての方々に感謝を申し上げたい。今まで教えてくれた人たちの誰が抜けても今の私はなかった。
その中でも最も影響を与えた監督はヒディンク監督です。私をワールドカップ代表チームに抜擢してくれたし、アジアリーグからヨーロッパにも連れて行ってくれた。その時が最も大きな転換点になった。
ヒディンク監督が「今のようにハードなトレーニングをすれば、英国やスペインでプレーすることができる」と言ってくれたことも大きな刺激になった。
ユナイテッドという世界的なクラブで8年間プレーしたパク・チソンは韓国サッカーの顔として相応しい。世界のサッカー界の関係者に顔が利くだけではなく、英語にも堪能である。現役生活を終えたパク・チソンだがその名前の影響力は変わらず大きいとみられる。Via:
News1/
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