東京電力福島第一原発で事故発生後、当時の指揮責任者だった故・吉田昌郎(よしだまさお 食道

がんで2013年7月に死去)所長の命令を無視して、東京電力の社員約9割逃亡していた

と報じられています。

画像:【故・吉田昌郎所長】
故・吉田昌郎所長
http://abcnews.go.com/images/International/gty_masao_yoshida_dm_111128

20日、朝日新聞は吉田所長が政府の事故調査委員会に対して回答した公式の調査報告書「吉田調書」

のコピーを入手したと発表。

2011年7月22~11月6日にかけて行われ、全部で約28時間、400ページ以上、全7編に渡るボリュー

ムを持つ報告書となっており、原本は内閣官房に保管されていますが、これまで政府は一部を紹介するのみ

にとどまり、多くの重大な事実を公表していません。

吉田調書 - 特集・連載:朝日新聞デジタル

第一原発にいた約9割にあたる社員約650人は10キロ南の第二原発に撤退していたことがわかる内容と

なっており、これまで政府が公表を控えている重要な資料です。

故・吉田昌郎所長(2)
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/8919991/Fukushima-nuclear-power-plant-director-steps-down-suddenly-due-to-illness.html

2011年3月15日の朝6時15分ごろ、第一原発・免震重要棟2階の緊急時対策室にいた吉田所長の元に

重大な報告が届きます。

内容は原発2号機から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというもの。

2号機の格納容器が破壊されたのかと現場では緊張感が走りますが、緊急時対策室の放射線の線量計は

ほとんど上昇していなかったため、吉田所長は格納容器は破壊されていないと判断。

午前6時42分、吉田所長は社内のテレビ会議で

「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」
「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

と社員に向けて、命令しました。

しかし、社員らは午後7時ごろ、第一原発・免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に

「第二原発に行け」

と指示し、逃亡

自家用車で逃亡する者もいたとのこと。

中には事故対応を指揮しなければならない立場にある部長・課長職にあたるGM(グループマネージャー)も

いたと証言しています。

また道路は震災の影響で傷み、第二原発に出入りする際も防護服やマスク着脱が必須で第一原発に戻る

には時間がかかる状態でした。

第一原発に居残ったのは吉田所長を含め、わずか69人。

逃亡した社員らが第一原発に戻ってきたのは同日昼ごろでしたが、その間に第一原発では白い湯気

状のものが噴出、4号機では火災が発生し、放射線量もこれまでの最高値を記録していました。

画像:【2011年3月15日に撮影された原発の様子(NHK)】
2011年3月15日に撮影された原発の様子

東電の内規違反の可能性や、法的に問題はなかったのか検証が必要と指摘されています。

20日、菅義偉官房長官は記者会見で

「ヒアリングは公開しない。吉田氏はヒアリング記録の外部への開示を望んでおらず、政府として情報公開制度に対する扱いは不開示としている。本人からは書面での申し出もある」
「現在、事故があったときに対応する人には(吉田調書を)職員立ち会いの下で開示して、対応できるようにはしている。事故を二度と起こさないように施策を政府をあげて行っている。それ以上でもない」

と説明。

自民党の石破茂幹事長は

「極限の事案の時にどう対応するかは危機管理だ。生命の危険があると逃げた時に法的にどう判断するのか。責務は何なのか。法的にどう裏打ちされたものなのか政府で検証されるものだ」

小野寺五典防衛相は

「報告書の内容が事実であれば明らかにしなければならない。
(多くの東電社員が一時撤退したとされる報告が)もしあったなら大変残念だ」

新潟県の泉田裕彦知事は

「事故の検証のためにも公表すべきだ」
「(多くの東電社員が一時撤退したことについては)労働法制の制限があり、一定の放射線量を超えると、使用者が労働者を働かせると違法になる」

とそれぞれ語りました。

またか・・という思いですが、事故後、東電や政府によるさまざまな嘘や隠ぺいが明らかになっています。