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大炎上 | KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか VOL.3
 

KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか VOL.3

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『週刊大衆』連載、「KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」のvol.3です。
今年はあの試合、力道山対木村政彦戦からちょうど60年目にあたる年。試合のあった12月22日には何かしましょうかね。
さて、去年の10月にvol.0を紹介して以来、全く扱ってませんでしたが再び取り上げます。旧制中学に入った木村はますます柔道の腕をあげていきます。その一方で色街に行ったり酒を飲んだりと中学生とは思えないこともやっていたそうだ。
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旧制中学の2年、13歳にてこの飲みっぷり! これはバンカラな時代であり土地の習慣、それに九州男児の性格もあったんでしょう。紙面から漂うのは"この時代はこれが普通"だったみたいに思われます。もちろん全ての旧制中学生がこうではなかったでしょうが。

3年生となって上級生を押しのけ大将を務めるまでになった木村は、そのまま中学日本一へと牽引して その名を全国に知られるまでになっていきます。そんな中で出会うのがライバルとなる天才・阿部謙四郎。
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このときはまだ挨拶程度。けれど後に木村は痛い目に遭うことを知るよしもありません。阿部は"円の動き"を習得する訓練をしていて、これが後の木村戦で発揮されることから記憶に留めておいてください。
そして師匠となる牛島辰熊先生のスカウトを受けて上京。拓大予科に入学して牛島塾に入るのが大体の流れです。これに伴い牛島の生き様も描かれるわけですが、かなり波乱だったんですね。だから木村にも厳しくあたります。
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東京の講道館に出稽古に行った木村は「大したこと無い」と言うや、牛島と乱取りをすることに。ここで思い切り鼻っ柱を圧し折られます。どうも木村は増長するところがあるのでいい薬になったみたい。また牛島は日本刀を持って木村を追い回したこともあったらしく、良くも悪くもいい師弟関係だったんじゃないでしょうか。
KIMURA VOL.3 ~木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか~
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