59 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:01/10/01 17:42 ID:JJy7prMs
故人話ばかりでアレというわけではないですが。泣いた女子バレーの試合。

94年暮れに突然解雇を通告された、大林と吉原は、95年にイタリア・セリエAに移籍、結果を出すも、
当時の規定では「日本代表は、日本リーグ所属選手によって構成される」事になっていた為、イタリア
リーグに所属していると、日本代表に入ることはできなかった。どうしてもオリンピックに出たかった二人は、
残留を求めるチームのオファーを蹴って、帰国する事を選んだ。

ワールドカップ95、アトランタオリンピック予選を兼ねたこの大会で、女子バレーは宿敵韓国にほんの数十分で
三セットとられて負けるという敗北を喫した。試合後の吉原の呆けた表情は忘れられない。
チームはガタガタになってしまいそうになる寸前だった。次の相手は当時世界チャンピオンだったアメリカ。
アメリカ戦で黒星を喫すれば、この大会でオリンピック出場権を取るのは絶望的になってしまう。

そんなアメリカ戦の前日、チームのセンタープレイヤーで柱的存在の多治見のお母さんが亡くなった。
代表チームは、多治見を送りだした。「もし多治見がこのまま戻ってこなくても、誰も多治見を責められない」
だが、多治見は試合開始前、試合へと戻って来る。
チームは喪章をつけて試合に臨む。身長がそれほど高くない多治見のブロックが何度も決まり、王者アメリカ
相手に日本は2セット先取する、圧倒的な試合内容だった。

王者アメリカは、調子の悪かった正セッターに替えて、サブのセッターを投入。サブのセッターは、アメリカ人と
結婚し、アメリカ国籍を取得した、ヨーコ・ゼッターランド。アメリカでまた一からやり直し、アメリカ代表になっていたのだ。
ピッチ再度でレポートする益子直美とは、ティーンエイジャーの頃から知っている同世代のプレイヤー。
「よっこ、大きくなったね…」とまるでリポートになっていない事をつぶやく益子直美。

セッターを交代したアメリカも、日本の流れを止めることはできずに、そのまま3-0で日本は勝利した。
試合終了時、MVPに選ばれた多治見は、そのまま泣いて泣いて、インタビューでも「お母さん…」としか言えずに、
ただ泣いていた。

俺はそれをテレビで見て「なんだこのマンガみたいな試合は…、これが現実なのか…」と思って泣いた。

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