戻る

このページは以下URLのキャッシュです
http://stevie.seesaa.net/article/398584805.html


高島彩 「泣き続けた」死産と流産を経験していた過去を告白

2014年06月03日

高島彩 「泣き続けた」死産と流産を経験していた過去を告白

高島彩 彩日記-Birth-
今年2月、第一子となる女児を出産したフリーアナウンサーの高島彩(35)。

出産翌日は、高島自身の誕生日。『35歳の誕生日を、わが子を胸に抱いて迎えられること、深い喜びと感謝の気持ちでいっぱいです』と、喜びを伝えた。

先日は、夫・北川悠仁の母の自宅隣に、推定価格1億8000万円の豪邸を購入。初めての育児に追われながらも充実した日々を送っているという。

だが実は、今回の妊娠・出産に至るまで、つらい過去があった。先日発売した出産エッセイ本『彩日記−Birth−』の中で、高島本人が以前に死産を経験していたことを告白している。 → ranking

(以下引用)
本書によれば、最初の妊娠が判明したのは結婚から半年後のこと。妊娠4カ月目に入り、妊娠を世間に公表しようとしていた矢先、検診でおなかの中の赤ちゃんが亡くなっていることが分かったのだという。診断は「子宮内胎児死亡」、原因は染色体異常によるものだったそうだ。

この妊娠がわかったときには北川と歓喜し、「主人と手を取り合って喜んだ、幸せいっぱいのビデオ」も残っているという。


<関連商品紹介>
【高島彩 プライベートショット ⇒ 女子アナotakara写真館
【高島彩 チラ満載のハプニング特集 ⇒ 女子アナ大全
【高島彩 お宝コレクション ⇒ 女子アナmax


だが、当時の高島の認識は“結婚したら妊娠するのはあたりまえ”。そのため体を大事にしようと思いつつも海外取材を引き受けるなど、まだ“仕事モード”から抜け切れていなかったという。

死産という悲しい現実──妊娠から12週を過ぎていたため、処置は出産するのと同様に分娩形式を取り、さらには死亡届を提出する必要がある。

火葬も行うため、遺骨も残る。高島は小さなころから「つらい」と人に伝えるのが苦手だったというが、医師から説明を受けたときも、周囲につらい気持ちを悟られないよう「できるだけ平常心を保とうと必死でした」「ここでは絶対に泣かない」と気丈に振る舞った。しかし、北川の顔を見た瞬間、申し訳なさと悲しさで「我慢していたものが込み上げてきた」という。

「いつのまにかついた、おなかをなでる癖。『もうここにはいないんだ』と気付いては泣き、目が覚めて、あの子が死んでしまったことが現実だと分かると泣いて……。あの時期は、今まで生きてきて、こんなに泣いたことはないくらい泣き続けていました」(本書より) → ranking

そんな高島の心を癒やしたのは、同じような経験をもつ女性たちのブログだった。そして、流産の経験がある人が想像以上に多いということも知った彼女。北川とともに悲しみを乗り越え、半年間子宮を休めた後は、仕事をセーブしつつ基礎体温のグラフをつけたり、下半身を温めることを心がけたりと、本格的に「妊活」に取り組んだ。

だが、妊娠はすぐにうまくいくものではない。高島は一度、妊娠検査薬で陽性反応が出たにもかかわらず、生理が始まってしまう「化学的流産」も経験。これは受精したものの着床が続かなかった状態を指すもので流産とは見なされないが、高島は「やっぱり落ち込みは相当なものでした」と振り返っている。

そして死産から1年が過ぎたころに、ついに2度目の妊娠。それでも出産までの道のりは決して安泰なものではなかった。
マスコミへの妊娠発表の2日後には、胎盤が子宮口をふさいでいる「全前置胎盤」という状態であることが発覚。「切迫流産」の診断を受けるなどの危機もあったという。そうした不安な日々を乗り切り、今年の2月、無事出産を迎えたのだ。[引用元:日刊サイゾー ]

画像1⇒ geinoranking
画像2⇒ gazouranking
画像3⇒ geinoranking

posted by スティービー at 12:00