戻る

このページは以下URLのキャッシュです
http://bipblog.com/archives/4796721.html


昔の日本の面白雑学書いてけ BIPブログ

    titleicon 昔の日本の面白雑学書いてけ

    2014/6/7
    categories カテゴリ 挙げていくスレ

    hatena はてブ | twitter つぶやかれ数 | comment (11)
    1 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:26:14 ID:tOcWDqYpa

    明治時代に、相撲が「まわし一丁で取っ組み合いなんて野蛮!」と言われて
    廃止されかけたことがあった
    で、危機感を持った力士達は消防団として働くことで存続を訴えた

    4 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:48:20 ID:ufRlLJ5nL

    黙祷が始まったのは
    関東大震災から

    5 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:58:22 ID:aSeab4YDl

    幕末にペリーが上陸した時、電信を披露して日本人を驚かせていたが、
    ペリーがくる前から佐久間象山が文献のみで電信の実験をしていた

    6 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)11:59:40 ID:uBjVxK3z7

    14代将軍徳川家茂は31本中30本の歯が虫歯だった

    8 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)12:58:46 ID:X8zLLYY5r

    あばたもえくぼ
    天然痘が撲滅するまで 軽度重度の差があれど誰もが痘痕持ちだだった
    肌の綺麗な時代劇はすべて偽りである  

    25 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:55:49 ID:GIFYaOm8N

    江戸時代の人がググってそうなこと
    吉原 評判
    春画 じっぷ
    年貢 回避 裏技
    生類憐れみ 蚊
    目安箱 身バレ
    将軍のお膝元 どこ
    ござる 古い
    都市伝説 印籠 老人
    ブケショハット かぶり方
    切腹 痛くない
    ぺるり  もしかして:ペリー
    水戸黄門 見分け方
    キリスト教 ばれない

    PR)もしかして・・・私の年貢、高すぎ!?

    9 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)14:02:31 ID:X8zLLYY5r

    野干玉能 昨夜者令還 今夜左倍 吾乎還莫 路之長手呼
    ぬばたまの昨夜(きそ)は還(かへ)しつ今夜(こよひ)さへ吾を還(かへ)すな道し長手を
    訳 真っ暗な昨夜は逢ってもくれないで還しましたね。今夜こそは、逢わないと云って
    私を追い返さないで、暗い夜の長い道を。

    いつの時代も男ってせつないね とういう万葉集の歌

    11 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)14:52:52 ID:sRUrQqWQx

    江戸時代には内風呂がない家が大多数だった
    庶民が暮らした貧乏長屋だけでなく
    裕福な町民の屋敷や下級武士の家にも
    内風呂がないことが多かった

    12 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)15:21:31 ID:X8zLLYY5r

    寛永御前試合は存在しない 勝海舟の与太話である

    13 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)15:45:20 ID:X8zLLYY5r

    熊谷直実は世を儚んで出家したのではない
    所領紛争の幕府の裁判に不公平と憤慨したからである

    14 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)15:59:18 ID:X8zLLYY5r

    仙台藩の荒井加右衛門盛従は町奉行時代「名判官」と謳われた人物である
    だが彼の母は裁判を危ういものと辞職をすすめたが、都合もあり実現できなかった
    ある時盛従の家で金が無くなった
    居間に出入った下僕が疑われたが 下僕は認めなかった
    下僕以外に犯人はいないと推定し否認の贖罪に落とそうとした時
    母が金を持って現れ 裁判とはこういう危険なものだから辞職しなさいと戒めたため
    盛従は恥じて辞職した 

    15 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)16:01:44 ID:3IVNyBr8z

    野口英世は学歴詐称をしてた

    16 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)16:10:02 ID:X8zLLYY5r

    泉鏡花の「婦系図」には電車の中で男が娘の手を握って困らせる場面がある
    痴漢は戦前から 電車とセットだった

    17 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)16:41:37 ID:X8zLLYY5r

    与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は反戦詩ではない
    日露戦時中の状況を見れば 反戦詩であれば雑誌「明星」に掲載すらされなかった

    18 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:14:37 ID:X8zLLYY5r

    首帳の作法
    侍が戦場で敵の首をとると それを大将の所へ持って帰る
    その時 首帳をいう帳面にそれを
    付けるのは右筆(ゆうひつ)の役目である 右筆は今で言う秘書である
    古い物では「蒙古来襲絵詞」の中に、右筆が胡坐をかいて 首帳を付けている絵がある
    首帳には1,2,3番まで番号を付けて、4番首からはいちいち番号をつけない

    20 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:24:03 ID:X8zLLYY5r

    首には紙変に首のぬしと 討手の名前を書いて
    はっきりわかるように髻を結び付けておく
    入道首(ハゲ)には髻がないから
    何か証拠になるような その首のぬしの持物とか兜とかを添えておく
    名前のわからない場合には討手の名前だけを書いておく
    島原のキリシタン一揆には この名前のわからない首の中から
    天草四朗の首が発見されて 相手を知らず討った陣佐衛門という浪人は
    一躍2千石の知行取りに出世した 

    21 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:31:12 ID:X8zLLYY5r

    二番首が到着するまでは 一番首を記帳しないのが慣例になっていた
    これは討手に騎馬の士もあれば馬を持たない徒侍もあるので
    一番首を取った徒侍がコツコツ歩いて本陣に戻る
    あいだに二番首を取った騎馬の士が馬を飛ばして先に到着する場合があるからだ
    一番首二番首というものは 首をとった時の先後できまるものであって
    到着の順序をいうものではない

    22 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:40:08 ID:X8zLLYY5r

    首に付ける書付には一定の法式がある 
    討たれた者の名は尉を付けず、討った者の名には反対に尉をつける。
    例えば首の主の名前が十兵衛なら「十兵衛」とだけ書くが
    討手の方の名前が二右衛門なら 「二右衛門尉」と書くのである
    「兵衛」「右衛門」は兵士のことだが これに尉が付くと士官になるから、
    討手を上位においたわけだ

    23 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)17:44:35 ID:X8zLLYY5r

    剣豪小説の種本として大正四年に国書刊行会から出版された
    「武術叢書」が使用された

    26 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)18:40:26 ID:X8zLLYY5r

    歌川 広重の東海道五十三次の蒲原宿は豪雪地帯のように描かれているが
    実はほとんど雪が降らない
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E5%8E%9F%E5%AE%BF#mediaviewer/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hiroshige_nuit_de_neige_%C3%A0_Kambara.JPG
    Hiroshige_nuit_de_neige_à_Kambara

    27 名無しさん@おーぷん 2014/05/30(金)23:58:55 ID:X8zLLYY5r

    >>26
    蒲原宿の図は「北越雪譜」の蒲原ではないかという説もあるが
    出版時期にずれがあるため否定的だ
    ただ著者が本を出すため江戸に来ていたこともあり
    版元の間で知れ渡っていた可能性もなくはない

    29 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:00:51 ID:x3LEg0nPW

    江戸時代 夏 庶民は暑い甘酒を飲んで涼んだ

    30 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:17:21 ID:x3LEg0nPW

    カキ氷は平安時代には食べられていた

    31 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:27:05 ID:x3LEg0nPW

    江戸時代の蕎麦は蒸し蕎麦

    32 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:33:06 ID:x3LEg0nPW

    佃煮は江戸佃島の人が作ったが彼らはもともと大阪の佃にいた

    33 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:45:09 ID:qCrrUV2JU

    写楽=北斎 の珍説がある

    しゃらくさい、あほくさい

    34 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:48:03 ID:vjULi3liL

    山本五十六の名前の由来は父親が五十六歳の時に産まれたから。
    五十六は名前の由来を聞かれるのがとても嫌だったらしい。

    35 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)22:53:16 ID:1Z4TP9KpK

    日本人が土偶やはにわを作ってるとき、エジプト人はピラミッドを造ってた。

    卑弥呼が曹操に金印を貰う数十年前にキリストはゴルゴダの丘で張り付けになってた。

    43 名無しさん@おーぷん 2014/06/02(月)11:20:32 ID:tZlm2SZjU

    >>35
    奴国の金印と間違えてないか?
    邪馬台国の金印 は200年後ぐらいだぞ。

    江戸時代初期の江戸の銭湯は、基本的に混浴。

    44 名無しさん@おーぷん 2014/06/06(金)21:07:00 ID:EjzcOzTV4

    江戸時代、時を経るごとに中下級武士はどんどん貧乏になっていった
    なぜなら頭の良い百姓は新米を早々に市場で売りさばき
    同じ量の安い超古米を仕入れて倉役人への幾ばくかの賄賂と共に納めるからである

    36 名無しさん@おーぷん 2014/05/31(土)23:17:59 ID:clK1Q3fSY

    幕末、伊予宇和島で蒸気船が生産されたがそれを設計・建造した中心人物は
    藩の学者でも何でもなく、嘉蔵という城下町の貧乏な提灯張り職人であった

    39 名無しさん@おーぷん 2014/06/02(月)11:01:09 ID:5sVez9RbM

    >>36
    風雲児たち

    37 名無しさん@おーぷん 2014/06/02(月)10:58:30 ID:vseuLLdjk

    幕末に江戸幕府の大老となり安政の大獄を行った井伊直弼は
    32歳までは養子の宛もなく300俵の捨て扶持で一生を終わるものと本人も諦めており
    埋木舎(うもれぎのや)と名付けた邸宅で世捨て人のように暮らしていた
    この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。
    そのほかにも和歌や鼓、禅、槍術、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していたが、
    風流に生きる姿から「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名された

    38 名無しさん@おーぷん 2014/06/02(月)11:00:58 ID:5sVez9RbM

    >>37
    風雲児たち

    40 名無しさん@おーぷん 2014/06/02(月)11:02:09 ID:vseuLLdjk

    風雲児たち面白いよね

    元スレ 昔の日本の面白雑学書いてけ
    http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1401416774/

    hatena はてブ | twitter つぶやかれ数
    mixiチェック   Clip to Evernote
    ★お勧め記事
      ★コメント
      ※1 2014年06月07日 07:28 ▼このコメントに返信
      >>35 は土偶と埴輪の製作時期も全く違うしメチャクチャだな
      ※2 2014年06月07日 08:13 ▼このコメントに返信
      ※3 2014年06月07日 10:27 ▼このコメントに返信
      ※1
      2chの歴史板に昔からこういうのいるよ、何かと日本を落とそうとするやつ。
      その割りに言ってることが印象論や思い込みばかりで間違いが多い、
      でも巨大古墳にすごい技術と莫大な経済規模がいることは触れないとか。
      ※4 2014年06月07日 13:33 ▼このコメントに返信
      ※3
      だからなんだって話だよなw
      アメリカだってその頃は農耕が
      始まったばかりだし。
      ※5 2014年06月07日 13:59 ▼このコメントに返信
      ドリフのテーマで有名な「ド・ド・ドリフの大爆笑~♪」の歌は、戦時中の歌の替え歌。
      元は「とんとんからりと隣組~」というやつで、「回してちょうだい回覧板♪」とかの歌詞だった。
      ※6 2014年06月07日 18:26 ▼このコメントに返信
      隣組の曲はメガネドラッグの宣伝にも流用されてたね。

      ズンドコ節も戦時歌謡曲が元唄だし、いかりやさんの趣味もあっただろうけど、これで喜ぶ高齢視聴者がたくさんいたんだろう。戦時中真っ暗史観の嘘がわかる例。

      ※7 2014年06月07日 18:58 ▼このコメントに返信
      初詣の習慣は明治時代に鉄道会社が広めたもの。
      それまでは、その年の神様が来るのを自宅で待っていた。
      ※8 2014年06月07日 22:56 ▼このコメントに返信
      江戸時代まで喪服の色は「白」。
      ※9 2014年06月07日 23:36 ▼このコメントに返信
      >17
      「君死にたまふことなかれ」は反戦詞だよ。
      実際に明星に掲載されて批判もされた。
      けど、「お国のために死ね」とどれだけ口で言えても、真実大切な人に対して心からそうは思えないものでしょ、
      歌はそういう本音をつづるものでしょ、
      と本人がきちんと反論してる。
      ※10 2014年06月07日 23:38 ▼このコメントに返信
      自己レスだけど、反戦詞というか、
      お国のためにという気持ちと、大切な人へ之死んでほしくないという気持ちは別物、と
      きっぱり言っている歌ってことね。
      ※11 2014年06月08日 00:03 ▼このコメントに返信
      明治維新の時は大文字焼きも廃止されてたな
      理由は裸火を使うのは未開で列強から文明国とみなされないと考えたから
      あの時の日本って廃仏毀釈もやってたし文革みたいな事やったんだよなあ
      名前 ←空白だと投稿できません。

      ※「>>154」で本文、「※24」でコメント欄にポップアップ表示の安価ができます。
      ※スパム対策のため「http」を禁止ワードにしています。URLの書き込みは「ttp://~」でお願いします。
      2014/6/7
      categories カテゴリ 挙げていくスレ

      hatena はてブ | twitter つぶやかれ数 | comment (11) |

      更新を通知!

      更新を通知
      Googleリーダーに登録
      お使いのリーダーに登録
      月別アーカイブ
      スポンサードリンク

      アクセスランキング

      このブログにたくさんアクセスを下さっているサイトのランキングです。3日分の集計です。
      全ランキング
      全ランキング(30日集計版)
      置換依頼はメールフォームよりどうぞ
      当ブログにリンクするだけで自動的に表示されます(どのページでもOK)。 ランクインしているのにRSSに登録されていない場合はご連絡ください。
      ブログパーツ ブログパーツ ブログパーツ アクセスランキング アクセスランキング

      Rakuten オススメ

      スポンサードリンク