2014年07月04日
宮崎勤の事件の頃は迫害されてた
雑誌とクチコミが情報源
だから普通に住所晒してた
バイタリティは今のオタクの数倍
絶対数がやたら少なかった
専門的なことに関しては頼りになるような感じだったかな今のオタクは気持ち悪いだけだろ?
ハガキが全て
あとはパソ通
もう最初期のオタクは老人層に達してるらしいな
今や深夜アニメ一本見たらヲタクだからな
>>15
円盤やフィギュアに手をだせばガチオタらしいぜ
同人誌の奥付には住所が書いてあるのが普通だったな
コミケの会場がビッグサイトに移った頃から、段々書かない人が増えてきた印象
嫌がらせの手紙が多くなったとかで
ある程度のサークルだと私書箱使うようになってた
はたから見てたら何ら変わらんが文化の進みはオタクが変えたと言っても過言ではないな
ビデオデッキも高値の花で
そうやすやすと庶民の手に入らない頃は
記録する手段もなくて大変だったな
オープンリールデッキとか
ごく限られた富裕層しか持ってなかったし
ラジカセをテレビの前に持ってて音だけ録音が出来るようになっただけで画期的だったという
>>22
かなり違和感ある
VHSビデオデッキ出た頃にはオープンリールとか
すでに一部のコアなオーディオマニア層向けのものだった
>>24
すまんの
書き方がビデオデッキ出る前と出た後の話ごっちゃになってたわ
ビデオデッキも最初はβ派も多かったよな
>>31
ベータvsVHSとかそれも一部の金持ちマニアの話題で
普及し始めたら普通にVHS優勢だったで
ヲタ文化の裾野を一気に広めたのはインターネットだけど
ヲタ文化をつまらない物にしたのも多分インターネット
ネットなかった頃の自己表現の場と言えばラジオと雑誌
これしかなかったで
まあこだわる奴はベータ&ハイバンドとかな
マンガ雑誌立ち読みするために今よりずっと高頻度で本屋行ってたな
週3か4くらい行ってた気がする
今より立場は低かったが、住み分けは出来ていた(というより非オタがオタクに対して基本無関心だった)から、案外居場所には困らずマイペースにやってられた。
今は変な奴、枠組みから外れた奴はSNSあたりでのネタとして、徹底的に追い回され晒し者にされちゃうじゃん。
昔ながらのピーキーなオタクには生きづらいと思う。
>>39
やな
ヤンキーはヤンキーの棲む世界があったし
やきうの人はやきうの人の棲む世界があった
雑誌の投稿欄もめっちゃ賑わってたのを思い出した
ジャンプ放送局なんて、単行本になってたものな
チサタローがアイドルでw
>>40
ジャンプ漫画使った今でいうコラ画像みたいなコーナー好きだったわw
現在50〜40代が色々と頑張って今のゲームやネットの文化が有るけどまさか小学生〜高校生が自分達を罵倒したりしてくる時代が来るとは頑張ってる時は思いもしなかっただろうなwww
ネットで気軽に知り合える時代じゃなかったからオタトークに餓えてたw
同好の士が身近にいないと
好きな作品について語ることも出来なかったのよなー
当時の腐女子なんてさぞや……と思うがどうだったんだろう?
>>48
オタクの女はなんぼかおったけどやっぱグループで固まってたで
いまツイッターやFBに必死な40〜50の女はオタ属性高いのは間違いない
VHSからLDへの転換期がビックリしたわ
あんなデカイものどうやって置けと
>>52
LDとか全然流行らんかったけどな
>>52
流行はせんかったけどウチには未だにデッキが健在や
ひっくり返さずに見れるタイプのがある
ネット前のサムライトルーパーの時のコミケがすごかったと当時の参加者の回想で聞いた
参加サークルを「サムライトルーパーか否か」で分けててそんなのは後にも先にも無かったそうな
>>53
あの頃のコミケは今以上にコアやったと思うで
行ったら人生終わりくらいのレベルで俺も思ってた
>>57
特にバブル期のコミケの話はすごいからなあ。同人作家で家建てたような人もいるし
がゆんクラスの手伝いをやった人曰く札だけダンボール箱にぎゅうぎゅう詰めにして入れて、
小銭は重くて持ち帰れないからダンボール箱に入れたまま会場に置いて帰ったとか
>>64
訳のわからんそんなイベント行くだけで日陰者扱いというか変わり者扱いやったからな
勇気要ったんや
コミュ障じゃオタクになれなかったイメージがあるな
とにかく情報を集めないと話にならないので
がゆんクラスの大物だと自分たちでパーティ開いてたらしいんだが、
そこで実際にアニメつくってるスタッフに自分たちの見たい同人アニメつくらせて
声も本物の声優に当てさせてたらしい
んでパーティに声優も呼んで
全国の自販機のコーヒー選評を同人で出したとかそんな話を聞いた覚えがある
自分で情報をとにかく漁るしかないってのが大変だな
昔の本は輸入物とかだと高いし、地方だと入手もしにくい
ミリタリー系の先達は相当苦労したらしいって聞いた
>>81
ワイはミリタリーバランスの原書を丸善で取り寄せてた
>>81
お陰で情報収集能力は発達したぞw
なので、「○○について教えて下さい」って書いちゃうお子さまを見ると
微妙な表情になってしまいます(^^;
ググったらすぐ出てくる時代に何を言ってるんだ? って感じてしまうので
アニメ化のハードルがもの凄く高かったので、ラジオドラマが多かった
んで、それを聞くために四苦八苦
夜10時からの放送に合わせてラジオをチューニングするんだけど
9時半くらいからノイズがひどくなり
最後にはハングル(喋り方からして多分北朝鮮w)に乗っ取られる悲劇
結局、文化放送ではなく夜だけ入るようになるラジオ大阪で聞いていました
そんな東北民
そうこうするうちに「軍事研究」が発刊されたり
ミリタリーバランスの訳本が入手できるようになったからな
自分はアニメ誌はOUTとアニメック購読してた
特撮専門誌は宇宙船を途中まで読んでた
音楽系はギターマガジンとかBURN!とか読んでた
OUTには本作って投稿もしてたわw
現在46歳
そういえば俺が20代半ば位の時に2ちゃんの雑誌盤みたいなのでゴンとか言うのあったなあれいつ廃刊になったんやろ
ここのスレ軽くタイムスリップさせてくれたな
オタクはすでに死んでいる
この記事へのコメント
あの頃は「ブサヨがこの世の正義」という無茶苦茶な世界だった。
アニオタといえば放送されてるアニメ全部見てて
シーン全体を俯瞰してる仙人みたいな人がよくいた
というアクティブな女オタが調子づいてしまうくらいコミケ内に女は少なかった。
回線くそでオンラインはとてもじゃないし動画なんてなかったので
SVHSだった
まず人脈創らないとナニをどうするコトも出来ないから
社交性ゼロだと始まりもしないっていう
募集する欄があって文通してたよ
同人誌作ったり交換したりとか
ぼく「今アニメ録音してるからだまって!!1」
漫画雑誌少年誌4種、少女誌5種購読してたわ。アニメージュやファンロードも必読。
高校は男子校行ったからオタ街道まっしぐらや。
内容から判断して、80年代〜90年代前半の時期に思春期以上だった世代
ということから、40代半ばくらいが多いと思われ
多分そこら辺がこういうオタクがいた最後の時代だろうなあ
住所から電話番号まで、平気で載せてたしw
〜ビデオダビングさせて下さいとかも普通にあったw
ゲームはマリオやドラクエがあったおかげでまだマシだった。
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