日々飛び込んでくる、災害、事件、事故などの目をそむけたくなるような現実を伝えるニュースは心に重くのしかかる。米テレビ局、NBCで番組制作をしていたネイサン W. パイル氏は、常に悲惨な現実に直面していかなければならなかったという。
そのうちパイル氏は、そういった悲しいニュースに目をするとき、陥りがちな3つの間違いに気が付いたそうだ。
1. いつまでも読み続け、深追いしてしまう
悲惨な話の大筋をつかんだ後でも、ノートパソコンの画面を閉じたり、TVを消すことができない。続編や、そのニュースにまつわる意見記事を読み続けてしまう。例えば、 " いったい誰の責任なのか?” もしくは、" なぜこんなことが起こったのか?" 深追いをせずにはいられなくなる。
すでに才能溢れる人々がこれらの疑問に取り組んでいると思いながらも、まだそのニュースを読み尽くさなければ気が済まない。無意識に、"どんなにささいなものだっていい。情報収集に向けられる私の絶え間ない努力は何かの役に立つ。"と、思ってしまう。
2. 身近にある現実は見て見ぬふり
朝、自宅近くでやっている"食料の配給"を求め、飢えに苦しむ人々が作る長い行列を何気なく通り抜けながら、携帯で悲惨な話題のニュースに没頭する。自分の周囲にある苦しみのことをすっかり忘れてしまい、遠くの悲惨なニュースにばかり気を取られているのだ。
遠隔地の出来事として悲惨な事件や悲しい話題を考えるとき、自分が直接影響を及ぼすことができる世界、つまり実際の生活圏にある現実を拒否してしまう。
3. 何もできない自分に打ちのめされる
助けたくてもその方法がわからない。泣きたいけれどそれもなんだか違う気がする。自分が知りたいのは "全てがうまく行く" ことだが、単純にそうはならない。そのうち心の中は恐怖と幻滅の渦巻きになり、自分がどうしていいか分からないことに怒りさえ覚える。
悲惨なニュースとの向き合い方:
立ち止まった後、そこから潔く立ち去ること
パイル氏は上記3つの過ちに気が付いたのち、その解決方法を見出した。それは単純なものだった。ちょっとだけ立ち止まって考え、あとは立ち去ることだ。延々と深追いしていったら、それに飲み込まれていってしまう。
でも泣くことは許される。悲しみや苦しみはリアルだし、我々の周りのいたるところにある。世の中は一年中、365日悲しい出来事であふれているけれど、同時に希望に満ちあふれている。
聖書の一節に、「悪に屈するな。善で悪を克服せよ。」という言葉がある。(ローマ書12:21)
悲惨なニュースを目の当たりにした時、ある時点でテレビを消し、パソコンを閉じ、スマホを見るのをやめよう。手の届かない場所で起きた出来事に介入することは不可能だ。当事者でなければわからないこともある。誰かを責め、暴言を吐いたところで解決する問題ではない。
遠くのニュースでも関われる場合もある。災害関係や救済関係など、ボランティア募集や、寄付金の窓口が開いている場合がある。何の意味もなさない無駄な議論に熱くなっている暇があるなら、即行動に移すことだ。
でも介入不可能な悲惨なニュースはたくさんある。そんなとき、自分のまわりの小さな世界を手助けする人間であることを心がけることだ。自分が住む地域の中で、自分にできる範囲のことをする援助者になることは誰にでもできるはずだ。その援助を待っている人がきっといる。それに気が付くことができれば、悲惨なニュースから最大限の教訓を得られたことになるし、やるせない脱力感、無力感から脱することができるはずだ。
via:buzzfeed・原文翻訳:R
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コメント
1. 匿名処理班
東日本大震災の時もろにこれになったな
目新しい情報も、自分が役に立つこともないのにTVとネットに吸いつけられてた
ネットだけの関係のフレに、気持はわかるがちょっと落ちつけって言われてハッとしたよ
2.
3.
4. 匿名処理班
ささやかでも自分のできることをできる範囲でやればいんだよなぁ。
5. 匿名処理班
震災の時twitterなんかでお役立ち情報をRTし続ける人とかいたな
そこまではいかないけど気持ちはわかるね、ずっとラジオで関連ニュース聞いてたし
6. 匿名処理班
ネガティブな事には吸引力があるからな、
意識に強い光を持たないとな。
7. 匿名処理班
「風化させるな」ってよく言うけどそっちはどうすんの?
個人的にはさせてもいいと思うけど
8.
9.
10. 匿名処理班
分かるわ
意識的にニュース断ちしないと毎日憂鬱になる
11. 匿名処理班
エア被災はまさに3のパターンだな。
12. 匿名処理班
「かわいそうだね」で済ませて忘れちゃうのが正しいってことですか。
ニュースって何の為にあるんだろう?
13. 匿名処理班
いつも言ってるだろう
ニュースこそ規制するべきだってね
そうすりゃ人は自分の身の回りの問題に目を向け始める
14. 匿名処理班
すごくリアルでまっすぐ伝わった
15. 匿名処理班
※7
具体的な対策や支援を行うことは必要で、そういう意味で「風化させるな」は正しいけど
ニュース読んで悩んでるだけの人は忘れちゃった方がいいんじゃないかな
16.
17. 匿名処理班
俺は1と2だな
身近の現実は眼をつぶりたいよ
18.
19.
20. 匿名処理班
長崎のやつがモロにこれ。
いまこの記事見てよかったかも。
21. 匿名処理班
今まさに自分が同じ状況で、記事読んでハッと気づかされた。
何が引き金になったのか、取り憑かれたように
キーワード検索しては数日ずっと落ち込んでる。
すぐにネットにつないではひたすら憂鬱になってしまって、
ヤバイと思い始めてたので今の自分にぴったりな記事でした。
22. 匿名処理班
ニュースを制作する側が視聴者の批判をするのはどうかと思うんだよね
自分たちの見せ方にも問題があったと主張しない人が
解決方法を見出した( ̄ー ̄)ドヤッ
なんてこと言ったって
ああアンタは悪くないのね( ´_ゝ`)フーン
って思われるだけだって
23. 匿名処理班
二番は特に陥りがちだな
よくよく気をつける必要がある
24. 匿名処理班
1の深追いは必然的に知識が深まるので良いことだとおもう。
25. 匿名処理班
なかなか起こらない珍しい出来事ほどニュースバリューがあるから
大々的に報道される訳だけど
そのなかなか起こらない珍しい出来事に振り回されて
日常や目の前にいる人達がおろそかになっているのでは本末転倒としか言えないからね
26. 匿名処理班
※12
自分自身をしっかり持って、悲しみの渦に巻き込まれないようにってことだと思う
忘れるとか他人事だと考えるというのとは違ってね
27. 匿名処理班
みんなニュース見てそんな深刻に考えてるのか
自分から遠い話ならふーんで済ませてたわ
28.
29. 匿名処理班
ニュースの深追いもいいけど
実際色んな事件の捜査に関わった知人が言うには全国的に報道された事件でも
プライバシーに関わったり面白みがないから報道されない部分はある。
地方紙にも載らなくて報道されない部分でどれだけ悲惨な事が起こってるかとか
一般人が知り得ないその部分が最も価値のある情報であることは多々あると。
つまりネット上では分からないおばさん達の井戸端会議レベルの話等が報道より真理突いてたりしているので
ネット上でごちゃごちゃ推理したりしても真理究明にはあんまり意味ないと。
30.
31.
32. 匿名処理班
つまりは心配するのもいいけどあんまり心配し過ぎて私生活に悪影響が生まれてしまうのはさすがに問題ってことさ!
33.
34.
35. 匿名処理班
災害とか戦災地とか社会問題とか
自分に直接関係のない事に深くのめりこむ奴って結局暇人なんだよな
36. 匿名処理班
ニュースやネットで悲劇を求め続ける私も含めた大衆の心理は興味深い
悲劇の効用はカタルシスにあるとアリストテレスは述べているが
ヨガにおける筋弛緩法に近いものがあるのでは無いかと思っている
あえて緊張状態を作ることによって、そこから解放された時に反動としての弛緩状態を作る
つまり遠くで起こる悲劇は日常を楽しく過ごす下味として機能しているんじゃないかな
もちろんそれに囚われて緊張状態を継続してしまっては本末転倒なんだけど
37. 匿名処理班
※12
済ませてしまってもいいと思う。
ただその時に少しだけ「今普通に暮らしている自分は幸せだなあ」と思うといろんなことのありがたさがわかってくるよ。
38. 匿名処理班
健康を害して、生きていくだけで精一杯になったので
助けられない人の事を考えて落ち込むのは現状ではマイナス、と判断して
新聞・テレビから離れてみたんだが
(ラジオは気が向いたらつける、ネットは気が向いたらクリックする程度)
ニュース取り込む時間を、他の人との会話に振り向けた方が
必要な情報だけ手に入れるのに適切な手段だったよ
ニュースで不必要に落ち込んだりしないから、精神的なマイペースを保てて
相手が喜んで答えてくれるように質問の仕方に気配りすること、
教えてもらったらていねいに感謝を伝えることに全力をあげる
健康害する前より周囲の人との会話が増えて、ストレスも減ったと感じてるよ
39. 匿名処理班
私はうがった見方をする
・深追いは好奇心
・遠い世界の悲劇は現実逃避
・絶望は自己防衛
結果だけを見れば、この記事のような行為は対象になんの利益ももたらさず、
自分が動かない理由を確かめているにすぎない
本当に悲劇に対して心を痛めるなら、まず自分のすべきことをきちんとするのがスタートではなかろうか