岡本玄介 - YouTube,キャラクター,ゲーム,レトロゲーム,動画 06:00 PM
考察:『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は一体どこで滑ったのか?
時代背景と共に栄枯盛衰を迎えるヒーロー。
任天堂のマリオに対抗して、1991年に誕生して以来セガの顔となった、青いハリネズミのキャラクター『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。
『ソニック』はセガのマスコット・キャラクターとして生み出されたにしては、テレビアニメ化やマンガ化も果たし、ゲームやメーカーのマスコットという枠を超えてもっと現実味のある、まるで生きた人間のようなキャラクターとして、特にアメリカ人は身近に感じているようです。
彼はもちろんセガが開発する『ソニック』ゲームを売るための顔も持ち合わせていなければいけませんが、子供から大人までみんなの友達のような存在にまで成長しました。これまでの長い歴史で、マスコット以上のキャラになった彼の足跡を少し辿りつつ、今回はそんな『ソニック』についての在り方を考えてみます。
米Kotakuのゾラーニ・スチュワート記者いわく、『ソニック』が登場するテレビゲームやマンガ、ファンが作ったアートワークなどの中で『ソニック』は人間味が溢れているように見えるものの、あくまでマスコットとして描かれていると捉えられるそうです。
しかしながら、新作『ソニックトゥーン』ではキャラクター・デザインが少し変更され、みんなの脚が非現実的と言えるほど長くなってしまいました。これは従来のマスコットのイメージから、ちょっとだけ遠ざかってしまっているのかな? という危惧も。
1992年にミニシリーズが1年続き、1993年からなんと2014年の4月までコミック・ブックが259巻も続いていたアーチー・コミックから出版されている『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。
この第125巻では、『ソニック』の生みの親、ゲーム・クリエイターの中裕司さんよりコミック化10周年のお祝いコメントが寄せられており、以下の画像のように大々的に掲載されているのがわかります。
その文面には、ニンテンドーゲームキューブ用『ソニックアドベンチャーDX』と『ソニック メガコレクション』についても話されており、ゲームボーイアドバンス版の『ソニックアドベンチャー』についても、「携帯端末で遊べる携帯電話ゲームである」という旨が書かれています。
マクドナルドのハッピーセットにも、プロモーションの一環として登場した話や、当時のアニメ新シリーズ『ソニック X』についてのアナウンスもあるのですが...そこでは中さんによる、『ソニック』への想いも綴られていました。
「メガドライブ」用に『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が生まれた時、私たちはこれまで誰も見たことのない、新しく完璧なアクション・ヒーローを見つけるために、終わりの見えない挑戦と失敗の時代を通り抜けてきました
ゲームに必要な最後の素材はヒーロー。正義と自由を表すだけでなく、「クール」さが感じられるヒーローだったのです。当時の『ソニック』は、他のどのキャラクターよりも大きく違っていたのに、世界中の人たちは受け入れてくれました。その時、私たちは新しい立ち位置による挑戦が受け入れられた事自体が、『ソニック』のキャラクターそのものだと知ったのです。多分、この新しい立ち位置が『ソニック』の運命を変えたと言う人もいるかもしれませんね。
『ソニック』が生まれた90年代初頭は、消費者文化と個々の反抗心が繋がった時代なのだそうです。それ以前の1970年代の経済的危機状況から抜け出た1980年代は、政治的にも経済的にも大きな分岐点を迎えた時で、1990年代にはますます企業経営も自由になり、市場が大きく経済を動かしていた時代でした。
コカ・コーラよりペプシを買って貰おうという比較CM(特に故マイケル・ジャクソン氏の功績が大きい)もありましたし、ウィンドウズ機よりマッキントッシュ機を、そして家庭用ゲーム・コンソールでも「スーパーファミコン」ではなく「メガドライブ」を持っていたほうが、友達の中でも自分はトンガッていることをアピールできる時代でした。
そんな大量消費時代に出てきた『ソニック』は、テレビゲームのキャラクターでありながらも、マクドナルドのオマケのような大量消費フードとのクロス・プロモーションなどを経て、「商品」としてその顔を売っていったのです。
■『ソニック』とテレビゲーム
CMやらアニメやらコミックやら(特にアメリカで)と、お茶の間ではキャラクター性ばかりが目立つ『ソニック』でしたが、いざ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』ゲームをプレイしてみますと、かなり世間一般からのイメージと違うことが分かります。
ゲームの世界では、彼のキャラよりもそのアクション、そして音楽やステージ・デザイン、テキスチャーやカラフルな色遣いなどなどいろんな要素が複雑に絡み合い、あの青いハリネズミだけにフォーカスされるのではなく、その世界観すべてが『ソニック』であることが見て取れます。そして最も重要なのが、プレイヤーと『ソニック』との間に在る繋がりなのです。
上のは『ソニックアドベンチャー DX』が、『グランド・セフト・オート』みたいじゃないかとツッコミまくる動画ですが、まぁそれでもそれなりにプレイヤーとの繋がりがあります。
ともあれ、1998年にリリースされた『ソニックアドベンチャー DX』はグラフィックが3Dとなり、声優さんが声を当て、カットシーンが入り、キャラクター同士で会話や独り言などを話し、ストーリー性とキャラクター性を重視する作品となりました。
そしてそのせいか、『ソニック』がますますマスコットのように見えるようになった、とスチュワート記者は言います。(なのでそれ以降の『ソニック』ゲームで台詞の有るシーンになると、棒読みで喋る姿とピクサーの映画みたいな音楽が許せないので音量をミュートにするのだとか)。
■『ソニック』とコミック・ブック
日本では馴染みがありませんが、上記で触れたようにアメリカでは22年にも渡りコミック・シリーズが発刊され続けていました。
なのでテレビアニメ・シリーズの影響と相まって、当時のキッズやティーン・エイジャーたちは、『ソニック』をもの凄く身近な存在に感じており、おそらくこれらのお陰で『ソニック』がゲームの中だけのキャラクターではなく、人間性を持った独立した存在としてみんなの心に刻まれてきたのだと思われます。
ということで、コミック・ブックでは『ソニック』がどんなキャラだったのかを、いくつか観て行きましょう。
このページでは、友人だったトミー・タートルズの墓参りに来た『ソニック』が、ガールフレンドの所在を知らないかと尋ねにきたナックルズと遭遇するシーンです。バッド・ボーイ風に会話をするふたりは互いに「トゥルー・ブルー」、「ラッド・レッド」という相性で呼び合い、先立ってしまった仲間たちを惜しむ、男気が垣間見える場面となっています。
前後関係がわかりませんが、仲間たちを心配し、危険を顧みず街へと急ぐ様子が描かれています。自分の命よりも仲間を大事に想う『ソニック』の姿がみられますね。
トラックに乗った仲間たちが逃げ延びないといけない状況で、自らの命をはって爆発物にやられ、逃げる時間を稼いだバニー・ラビットの旦那。自らも傷付きながら、泣き崩れて旦那を抱えるバニーに対して心配の色を隠せない『ソニック』の優しさが描かれています。
ただ疾走するだけのゲームとはガラっと変わり、コミック・ブックでの『ソニック』は、マスコットとしてのイメージを壊さないよう、そして誰からも憧れを持たれ、親近感を持たれ尊敬される存在として描き続けられてきました。とにかく皆から愛されるイイ奴なのです。
だからこそ、尚更その他のメディアに登場する『ソニック』にはキャラクター性が認められず、元キッズたちの目には魂の抜けた人形のように写ってしまうんですね。ここが大きなギャップなのです。
■『ソニック』とインターネット
ネットの世界はまた独特で、ファンたちによるアートやゲーム、フォトショップによるコラージュなどなど、好きなように面白おかしく『ソニック』をネタとしてイジることができ、そしてまたネットの中で永遠にリツイートやタンブラーなどシェアされ続けるのです。
Yeah, why? pic.twitter.com/396BP5dKTs
— Chris Person (@Papapishu) 2014, 7月 17
Submitted by @TheMTwinny pic.twitter.com/7TwFvVqMmI
— Bad Sonic Fan Art (@BadSonicFanArt) 2014, 4月 5
@BadSonicFanArt #dr.eggman #tails soul calibur 5 pic.twitter.com/FGd2hFs4Yw
— Jake Monkay (@JakeMacKay3) 2014, 7月 18
@TheLaq pic.twitter.com/x5CXPmkaKm
— S-P (@HelloMrKearns) 2014, 7月 23
ネタとして扱われてしまっては、アニメやコミック・ブックで培ってきた人間性もヒーロー像も関係ありません。ただ面白がられ、笑われるための素材でしかなく、中には『ソニック』を知っているがためにウケるものもあれば、そのために失望するファンも少なからずいるでしょう。
『ソニック』が生まれたのがテレビゲームの世界であれば、また彼が死ぬ場所もテレビゲームであり、死後も生き続けるのもまた、テレビゲームの世界です。
そこで生まれた「Oculus Rift」用ゲームが『Sanic '06』。『ソニック』ではなく、「サニック」なのが重要です。ちょっと動画をご覧ください。
ゲームエンジン『Unity』で作られたこの作品は、もうどうしょうもなくヒドい、そしてホラーで悪夢のような出来栄えとなっており、立体視で間近に遭遇する青いハリネズミたちが、あなたにトラウマを与え続けることでしょう。
なんとなく『ソニック』を意識して作られたであろう色合いや造形の不気味なキャラたち。時には動いてこちらに寄ってきたり、または後ろを付いてきたり、そしてただジッとしていたりしますが、たまにバグのように小刻みに震える姿なども確認できます。無機質な空間で生気のないキャラクターたちが蠢く世界は、まるで墓場のようでもあります。
2006年に登場した、オリジナルのリブート版『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のオマージュなのだと思いますが、ここまでのクオリティーで作られてしまうことが、ファンにとってはショックでなりません。
テレビアニメとコミック・ブックが終わってしまった今、「『ソニック』は死んだ」と嘆くファンたちもいるようですが、インターネット/テレビゲームのミックス・カルチャーから生まれたこの『Sanic '06』によって、完全にトドメを刺されてしまった感が無きにしもあらずDeath。
これまで育て上げてきたヒーロー像が、これほどまでに瓦解させられた今、人間性を持った『ソニック』はもう消滅し、遠い昔の存在のように扱われようとしています。
現実世界、1990年代の育った元キッズたちは学生ローンに苦しみ、就職難に喘ぎ、蔓延する鬱屈とした空気と明日への不安、孤独感という重圧で潰れそうになっています。みんなが前向きだった時代とともに黄金期を迎えた『ソニック』は、みんなが下を向いている時代と共に衰退していくのです。
元キッズたちを救ってくれる、あの青いハリネズミはもう颯爽と現れてくれないのですから。
ということで、意外にも日本でよりもアメリカでのほうが身近なキャラとして大人気だった『ソニック』。子供の頃から一緒に育ってきたキャラクターなので、いつまでもそのままでいて欲しい反面、大人になると子供の頃の宝物を1つずつ忘れていかなければいけない場面にも直面しているようです。
そして各時代に政治や経済と共に動いていたテンションのような空気感、さらにはセガの家庭用ゲーム・コンソール開発撤退も相まって、そしてインターネット独自の文化の発展により、ずっと友達だった『ソニック』が、今では古いもののように扱われ出しています。
複合的な事情が折り重なっているとは言え、とても寂しく哀しい気持ちになりますね。でも劇的な復活はいつの時代でも起こり得ます。今こそ巧くネットを巻き込んで、ここはセガの腕の見せどころという局面ではないかと思う次第です。
文化の違いから、読者のみなさんにはいまいちピンと来ない箇所もあったかもしれませんが、今後の『ソニック』にはどう在って欲しいでしょうか? ぜひとも教えてください。
Where Sonic The Hedgehog Went Wrong[Kotaku]
(岡本玄介)
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