今年も9月に開催される東京ゲームショウ。
日本で開催される世界的規模のゲーム展示会として知られている。しかし意外にも任天堂は、東京ゲームショウに参加したことがないという話である。今回は、その理由を調べてみた。
<表向きの理由> ※サムネイル画像「東京ゲームショウ2014公式サイト」 正確には
1度だけ特別招待を受けて参加したことがあるらしいが(2001年、『大合奏!バンドブラザーズ』の前身ソフトを出展)、基本的に任天堂は「入場料を取るイベントには参加しない」というポリシーを持っており、独自の無料イベントを全国各地で行っていく方針なんだとか。
また、「関東圏の人しか来られないから」という見解を示したことがあるらしいが、それらはあくまでも表向きの理由なんじゃないかと考えられている。
<特別招待の意味> 冒頭で、東京ゲームショウに参加したことがないはずの任天堂が、1度だけ特別招待されたことがあるという話をしたが、なんで「特別招待」なのか、疑問に思ったかもしれない。
そもそも任天堂は、東京ゲームショウを主催しているCESA(コンピュータエンターテインメント協会)という業界団体の正会員ではないのだ。そりゃあ、正会員じゃないなら参加できないわな!って話であるが、そこには、もっと深い事情がある。
ことの発端はいわゆるファミコン・スーファミ時代にまでさかのぼるのだ。
当時、ゲーム業界は任天堂の独壇場だったが、ハドソンのPCエンジンへの流れや、ナムコの反乱、SEGAの台頭など、それに対抗しようという動きが少なからずあった。そんな中、複数のサードパーティが集まり、CSG(コンシューマ・ソフトウェア・グループ)という独自のゲーム見本展示会が行われるようになったのだ。
同展示会は、東京、名古屋、大阪の三大都市で、わりと頻繁に行われていたらしいが、どこかの会議室のような場所で行われたり、何かのイベント会場の一角で行われたりと、基本的に入場無料の小ぢんまりとしたものだった。
規模的にいえば、現在の東京ゲームショウとは比べ物にならなかったという。その代わり出展費用も比べ物にならないくらい安く、メーカー側にとってもお手軽なイベントだったとか……
<主催者が対抗団体だった> やがて1996年になり、CSGを運営していた複数のゲームメーカーが、そのままCESAを設立。当時は、1994年に発売されていたプレイステーションやセガサターンがゲーム業界に旋風を巻き起こしており、任天堂の牙城が崩れゆく時期だったため、同団体が任天堂をぶっつぶすために作られたということが、見え見えだったという。
※サムネイル画像「CESA公式サイト」 したがって、任天堂にとって「東京ゲームショウ」とは、自分を倒す気満々だった団体が主催するイベントだったのである。なんだかんだ理由をつけて、参加したがらないわけだ。
そして情勢が変わった現在でも、任天堂は同団体の
特別賛助会員という位置にとどまっており、参加拒否の方針は変わらないんだとか……
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個人的希望だけど、京都ゲームショーやって、本当の意味での日本最大の
ゲームイベントとかやってくれないかな。