米Gizmodoにとっても、アップルのイヴェントは特別なものになります
よかった…。そう思いました。
アップルが現地時間9月9日に新製品の発表イヴェントを開催することを発表しました。開催される場所は1984年にスティーヴ・ジョブズ氏が初代Macが発表したフリントセンターが選ばれ、何やら特別な催しになるのでは?と話題です。
また、毎回ハイコンテクストなメッセージで私たちをワクワクさせてくれる招待状。そこには「Wish we could say more」の文字と、時計の表記を思わせる開催日時…ぱっと見ると潔いほどに情報が少ないインヴィテーションですが、思考を巡らすほどに「次」を予感させてくれます。
ここで、個人的な話をさせてください。
冒頭にも書いたように、米Gizmodoにとっても特別な日になるのです。それは、この発表会に行くことができるから。どうして?と思われる方も多いと思います。実は、米Gizmodoとアップルにはある関係があったのです。
そこで、以下の2011年10月11日に掲載された記事を一部編集して再掲載の形式で振り返りたいと思います。
スティーヴ・ジョブズと米Gizmodo前編集長の最後の会話
米Gizmodoの前編集長、ブライアン・ラムさんのブログによれば、ジョブズもGizmodoのファンで、1日3~4回もチェックしてくれてたそうです。
ジョブズは思ったより背が高くて、いい色に焼けてました。ハワイかな。 話しかけようとして一瞬、「彼も忙しいだろうし...僕なんかに話しかけられても迷惑かな?」という思いがよぎり、とりあえずサラダをとってきてまた考えました。
いや、Gizmodoの編集長という仕事をしてるんだからもうちょっとアグレッシヴにいかなきゃね。そこでぼくは皿をテーブルに置き、人混みをかきわけて彼の前になんとかもぐりこみ自己紹介したわけです。からかいたかったんじゃなくちょっと挨拶したかったんです。「Gizmodoのブライアンです。あなたがiPodを作ったんですよね?」みたいな(後半は口に出してないけど)。
そしたらスティーヴは急に興奮して、嬉しそうな顔をしたんです。
そして彼は「Gizmodoが大好きだ。1日に3~4回見てるよ」と言ってくれたのです。しょっちゅう更新されて動きのあるサイトだからね、と。
Gizmodoは、彼のお気に入りのガジェットブログなんだそうです。彼の顔は心の底から興奮しているみたいに、くちゃくちゃに笑っていました。
そしてその3年ほど後には、Gizmodoのサイトデザインの相談に乗ってもらうくらいの仲に発展していました。ラムさんが見せたデザイン案に対し、ジョブズからこんなコメントをもらっていたそうです。
From: Steve Jobs
Subject: Re: Gizmodo on iPad
Date: March 31, 2010 6:00:56 PM PDT
To: brian lamブライアンへ
一部気に入ったところもあるが、理解できない部分もある。この「情報密度」が、きみたちのブランドにとって十分なのかどうか。ちょっとおとなしすぎる気がする。今週末見てみて、それからまたもっと役に立つようなフィードバックができると思う。
きみたちがやってることは大体好きだし、毎日読んでいる。
スティーヴ
Sent from my iPad
でもラムさんは、次々と成功を収めてエスタブリッシュメント化していくアップルと、反エスタブリッシュメント的なGizmodoが、いつかうまくいかなくなるときが来るのではないかと予感し始めます。そして...バーで拾われたiPhone 4のプロトタイプを買い取り、検証し、そして一連の流れを記事にしたことでそれまでの関係は変わってしまいました。
ジェイソン記者がiPhoneのプロトタイプを手に入れたとき、編集長の僕は長期休暇中でした。
記事公開から1時間後、僕の電話が鳴って、発信元の番号はアップル本社になっていました。PRチームの誰かからだろうと思いました。でも、そうではありませんでした。
「やあ、スティーヴだ。僕の電話、本当に返してほしいんだ」
彼は要求というより、依頼のトーンで言いました。彼はチャーミングで少し楽しい感じでした。僕はサーフィンから戻ったところで半裸でしたが、なんとか正気になりました。
「僕らの電話で楽しんでくれたことはうれしいし、腹を立ててもいない。電話を失くした営業のやつには腹が立ってるけど。でも、間違ったところに行ったら困るから、あの電話は本当に返してほしいんだ」
僕は、もしかして僕ら自身が「間違ったところ」なのかなと思いました。
彼は続けて「2つやり方がある。1つは、僕がこれから誰かに電話を取りに行かせることだ」
僕「僕は持ってないんですが」
「でも、誰が持ってるかは知ってるよね...2つめは、誰かに法的文書を持たせて行かせること。でも、それはしたくないんだ」
スティーヴは僕らに楽な出口を示してくれたのです。
僕は彼に、Gizmodoのみんなと話さなきゃと言いました。電話を切る前に彼は、「で、あの電話どう思う?」と聞きました。
僕は「美しいです」と言いました。
次の電話は約束通り僕の方からコールバックし、スティーヴは「さて、どこに誰を行かせればいい?」と聞きました。僕はその前に条件を話し合いたいと言いました。僕は、アップルから僕らが手に入れたプロトタイプはアップルのものだという申し立てをして欲しいと言いました。それが紛失物を取り戻そうとするときの正しい法的プロセスだと考えたからです。
でも彼は、それによって現行モデルの売上に影響が出るので、公的な申し立てはしたくないと言いました。「自分を撃てって言うのか!」と。会社の売上が問題だったのかもしれませんが、そうでもなかったかもしれません。彼はただ人から何かしろと指図されたくないのかも、という感じを受けました。そして僕自身も、指図されたくありませんでした。特に自分が記事にすべき相手からは。それにそのときは、僕の方がスティーヴに対して指図できる立場にあったので、僕は折れませんでした。
今回は、彼はハッピーじゃありませんでした。彼は誰かと話さなきゃと言い、また電話を切りました。
ジョブズとラムさんの交渉は平行線をたどり、最後の会話は次のようなものになりました。
スティーヴがコールバックしてきましたが、冷たいトーンで「例の電話の返却を申し立てる文書を送る」と言いました。僕が彼に最後に言ったのは、「スティーヴ、僕はただ、僕はこの仕事が好きなんです。で、面白いときもあるけど、ときにはやりにくいこととか、一部の人から見たらうじ虫みたいと思われるようなことでもやらなきゃいけないんです。例えば健康問題とか、今回のこととか」
僕は彼に、僕はアップルが大好きだけど、世の中と読者のためになることをしなきゃならないんだと言いました。僕が悲しんでいるという事実は隠そうとしていました。
スティーヴは「きみは自分の仕事をしてるだけだ」と言いました。可能な限り優しい言い方で。僕は少し救われると同時に、さらに悲しい気持ちになりました。
これが、スティーヴが僕に優しかった最後のときでした。
その後ラムさんは、記者仲間との会話をきっかけに、この件がアップル、そしてジョブズに与えた痛みについて考えるようになりました。
職業上は、僕は後悔はしません。あのスクープは大きなものでした。世間からも喜ばれました。もしもう一度できるなら、僕はまたあの電話のスクープ記事を手がけることでしょう。
でもそのときは、僕はスティーヴに文書を求めるなんてことはしないと思います。そして、あの電話を失くしたエンジニアの記事をもっと同情を込めて、名前を出さずに書くと思います。スティーヴィは「きみたちは楽しんで、あのスクープを書けたのに、欲も深い」と言いました。そしてそれは正しかったんです。そう、僕らは欲張りすぎたんです。切ない勝利でした。それに僕らは目の前しか見えていませんでした。ときどき、僕は僕らがあの電話を見つけなければよかったと思うことすらあります。そうすればこの痛みを感じないですみます。でも、これが人生です。楽な出口なんかないときもあるんです。
ラムさんは今年6月に米Gizmodoの編集長を辞め、さらに8月にはiPhone 4に関して米Gizmodoは不起訴という正式な判断が下りました。それでも、ラムさんの中でこの件は終わっていませんでした。
約1年半、僕はそのジレンマについて毎日考え続けてきました。とても悲しく、ほとんど何も書けなくなるくらいでした。心が弱くなりました。そして3週間前、僕はもう十分だと感じ、スティーヴに謝罪のメールを送りました。
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"From: brian lam
Subject: Hey Steve
Date: September 14, 2011 12:31:04 PM PDT
To: Steve Jobs
スティーヴ、iPhone 4の問題が決着して数ヵ月になりますが、僕はこんな風にならなければよかったと思っています。僕は多分、いくつかの理由で、あのスクープ記事が出てからすぐに辞めるべきだったんです。僕はそれをチームに迷惑をかけずに言う方法がわからなくて、できませんでした。でも今は、信念を持てない仕事なら辞めた方がいいってことを学びました。迷惑をかけてしまって、すみませんでした。
B---
若かりし頃のスティーヴ・ジョブズは、彼を裏切った人物を許さないことで知られていました。でも数日前、彼に非常に近い人物から「全てはもう過ぎたことだ」と聞きました。僕は返事をもらえることは期待していませんでしたし、結局もらえませんでした。でも上のメールを送ったあと、僕は自分自身を許すことができました。そして僕の「書けない」状態も終わりました。
僕はあの優しい人物に、自分がバカだったことを謝ることができて幸運に思います。
source: The Wirecutter
Joe Brown - Gizmodo US[原文]
(miho)
この記事が書かれたのは、ジョブズというあまりに大きな存在を失った直後でした。
そして4年の歳月を経て米Gizmodoは、再びアップルのイヴェントに降りたちます。この間、米Gizmodoのスタッフ編成も当時とは大きく変わりました。それでも変わることがないのは、私たちはほぼ毎日、興奮とリスペクトを持ちながらアップルの記事を書き続けていること。「アップル」という単語が飛び交わなかった日なんてないんじゃないでしょうか。
今、この偉大な船の梶をきっているのはティム・クックCEOです。道行く誰もがスマホを持って、加工を楽しみながら写真を投稿し、そして私の目の前にいる人はBeatsのヘッドフォンをつけながら音楽を聴いています。4年前とは何もかもが違うのです。もしかするとアップルの中でも何か変化があったのかもしれません。
ああよかった。アップルのみなさん、ありがとうございます。最高の記事を書きます。
(嘉島唯)
- 無敵の天才たち スティーブ・ジョブズが駆け抜けたシリコンバレーの歴史的瞬間
- ダグ・メネズ,Doug Menuez|翔泳社
- スティーブ・ジョブズ I
- ウォルター・アイザックソン|講談社