<逆に「なるほど」と思った> 最近ツイッターで「ファミコンを面白いと言ってる人間は信用できない」というような発言を見かけました。
おそらくこの発言は、その頃の時代背景だとか、付加価値とか抜きにして、ファミコンを純粋にゲームとして見た場合、現代のゲームと比べて、本当に面白いと言い切れるのかということかと思います。
まあ、昔からよく言われていることのような気がしますが、僕はこの発言を見て「ああ、なるほど」と思ったんです。実はここ最近、ずっと考えていたことがあって、きっかけは僕が書いた
「最近のゲームは余計なものが多すぎる論」についてというエントリーに頂いた
「芸術でも娯楽でも、時代を経てから再評価されるのはよくあることです」というコメントで、そもそも新しいものと古いものを、同じ土台に乗せること自体間違いではないかとは模索していたところに、このツイートですよ。
つまり、どこが「なるほど」だったというと「ファミコンと最近のゲームを比べると、おかしなことになるなんだな」と納得したわけ。だってファミコンって面白いじゃん。最近のゲームも面白いし、どっちも面白いじゃ駄目なのかな。いや、違うでしょと。じゃあ、そもそも別物として見たほうがスッキリくるのかなと思った次第である。
<他の分野に目を向けてみる> そこで僕が思いついたのは
水墨画だ。水墨画ってかなり古い絵だから、純粋に絵として面白いと言い切れるか?
著作者:freedesignfile.com いや、水墨画には水墨画の良さがあるじゃんって話だと思う。水墨画を面白いという奴は信用できないのか。そんなことないよね。せいぜい地味だねとか、うちのじいちゃんと同じ趣味だとか言われるくらいで、実際に、いまだに水墨画を楽しんでるひとは沢山いるし、西洋画が好きなひともいれば、現代アートみたいなものが好きなひともいるわけじゃないですか。(このへん広げすぎると論点がずれてっちゃうのかも)
だからゲームの世界にも、いまだにファミコンを楽しんでるひともいれば、携帯ゲームが好きなひとがいて、最新のCGみたいなゲームが好きなひともいていいわけです。
それぞれのジャンルにそれぞれの良さがある。「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれないが、今回、それをうまく一言で説明できる言葉を見つけたのだ。←今回、これが一番、言いたいこと。
<レトロゲームは形式美である> たとえば水墨画を見て、
「なんで実際と形が違うだ」とか「なんで黒一色なんだ」なんて言うひとは、まず、いませんよね。当時は筆と墨しかなかったとか、色々事情があったと思うんだけど、そういった中でも当時の絵師たちは、工夫に工夫を重ねて、ハゲる思いで絵を描いてわけじゃないですか。
そこから生まれたのが
「形式美」ってやつで、竹はこういう風に描くとかっこいいとか、松はこういう風に描くのがベターみたいなものが出来て、それが「美しい」みたいな共通認識が確立されていったわけです。
これはレトロゲームにも同じことが言えて、当時の開発者が当時の技術力でもって、全力でゲームつくった結果が、今日に残るレトロゲームの数々なんだけど、レトロゲームの場合は、それに対して「絵がカクカクじゃないか」とか、「音がピコピコじゃないか」とか言うひとが、まだまだいるんだよね。
そこがレトロゲームと水墨画の圧倒的な違いであって、残念ながらレトロゲームの形式美は、まだ確立されてないってことになるんだけど、もっと長い目で見ると、やがて、そういうことを言うひともいなくなるんじゃないかって思うわけです。
なぜマリオにはヒゲが生えてるのか。なぜドラクエの主人公はいつも前を向いてるのか。そんなことを言うひとは、やがて地球上からいなくなるのかもしれません(笑)
<ゲームの「純粋な面白さ」とは何か!?> 絵の世界と、ゲームの世界は歴史背景も諸々の事情も、ぜんぜん違う。そんなことはわかってるんだけど、そこから見えてくることもあるのかなと、こうやってゲームについて、ああでもない、こうでもないって考えるのも、また楽しいんですよね。
そう考えると、我々のような立場の人間にとって「ゲームの純粋な面白さ」なんて話は、実はぜんぜん関係なかったりします。ゲームでも何でもそうなんですが、結局は、それに付随する様々な事柄をひっくるめて、我々にとっての「面白さ」なんですよね。
最後にまとめですが、あとから色んな解釈つけて、レトロゲームを楽しむのも自由だし、再評価するのも自由。やがて形式美みたいなものが確立すれば、無駄な争いもなくなるのかなあと、今回はそんな結論とさせてもらいます。ありがとうございました!
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