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犯罪捜査に大きな変化をもたらした10の殺人事件簿 : カラパイア

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 犯罪者を捕まえるのは簡単なことではない。現行犯、もしくは、がっちり証拠を残して目撃者も多数揃っているのならばともかく、犯罪者の方もあの手この手で欺いてくる。私たちは犯罪捜査に科学の力を使わざるを得なくなった。

 長きにわたる犯罪史の中には、その後の犯罪捜査に大きな変化をもたらした殺人事件が存在する。ここでは、従来の犯罪捜査の在り方を変えることとなった10の殺人事件を見ていくことにしよう。

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10. 人間心理学を導入するきっかけとなった洗脳殺人事件

1_e14 1890年代、トゥッサン・オギュスタン・グッフェを殺した容疑で、恋人関係にあるガブリエル・ボンパード(女性)とミシェル・エイロー(男性)が逮捕された。ボンパードがグッフェを部屋に誘い、部屋のカーテンの影に隠れていたエイローがグッフェの首を紐で締め上げ殺害、その後2人が遺体をトランクに詰めて山に捨てたというのが事件の顛末なのだが、催眠術師であるエイローが、ボンパードをどれだけ洗脳し、操っていたのかが論点となり、裁判は長期化した。

 その捜査と裁判には"催眠術"と"メスメリズム(動物磁気)"という用語が使われた。ボンパードを弁護する専門家らは、今で言う"限定責任能力"の議論を交わした。若くて貧しく、身体的な虐待を受けていたボンパードは恋人に逆らうことできたのか?

 そこで科学的な証拠を与えようと考えた法執行官は、当時はまだ発展途上だった人間の心理学や神経学の専門家を呼び入れた。その中にはフロイトの師にあたる人物も含まれていた。それが功を奏し、男女2人は共に有罪判決を受けたものの、死刑になったのはエイローだけだった。


9. 検死の重要性につながったヒ素殺人事件

2_e14 1800年代、時間と共に腐敗していく遺体を扱う工程は複雑だった。実際、専門家が調査する前に埋められたり、墓から掘り出さなければならない場合もあった。

 そんな中、パリで科学者から専門家証人に転職したスペイン人のマシュー・オルフィーラは、検察官の間では不評を買いまくっていた。それは彼が長期間埋れていた死体が土壌のヒ素で汚染されるケースがあるのをつきとめたせいだった。実際その事件の被告人は、自然死した"被害者"のおかげで処刑される可能性があったという。

 1830年代になり、彼は自身の理論にしっぺ返しをくらった。それは実の息子に毒を盛ったと訴えられた男性の裁判で、彼が検察側の専門家証人として呼び出された時のことだ。そしてすでに墓は掘り起こされ、ヒ素の汚染検査が行われていた。弁護側は、遺体から検出されたヒ素は埋葬された土のせいだ、と主張していた。

 それに対しオルフィーラは、まず遺体がどのようにヒ素を取り込むかを研究し、そして遺体が埋められていた場所の土に含まれているヒ素の量を計測した。そして、遺体が土中のヒ素を吸収することはあるが、今回のケースは違うということを証明した。かくしてその父親は有罪になり、以降、埋葬後の遺体を検査する際は、周辺の土のサンプルも取集するようになった。


8. 現場写真の重要性を喚起した殺人偽装事件

4_e 写真技術が確立しておらず、犯罪現場の保存について考えられていなかった時代、ハンス・グロスはオーストリアで予審判事(※ 裁判を行うか否かを判断するために事前に事件を捜査する判事)の職についていた。1800年代半ばのある日、彼はある自殺事件に呼び出された。重い病を患う男性が自宅の天井の梁に縄をかけ、首吊り自殺をしたというケースである。グロスはスケッチブックを取り出し、その遺体が降ろされる前の現場の様子を素早くスケッチした。

 その後、彼の絵から故人が首を吊っていたのは部屋の真ん中で、現場には椅子やテーブルなど、足をかけるものが無いことが判明した。

 疑問に思ったグロスはそれを尋ねようとその家の使用人2人を呼び出した。使用人は夜間に独り身の老人を放置していたことを白状した。彼らが家に戻ってきた時に老人は既に亡くなっていたのだが、自分たちがほったらかしにしていたことを責められたくないが為に、老人を自殺したかのように見せかけたという。

 彼らはそのせいで自分たちに殺人容疑がかかることに気づいてなかった。グロスはのちに地域の法科大学に"犯罪科学研究所"を設立し、写真技術のほかあらゆる犯罪現場の保存を標準化した。


7. 容疑者の身体特徴を記録する測定法で起きた珍事

5_e12 アルフォンス・ベルティヨンは1800年代でもっとも知名度が高い捜査官だった。彼も前述のグロス同様に犯罪現場の写真撮影を主張し、さらに犯罪者の身体的特徴を記録する「ベルティヨン式測定法」を考案した。これは犯罪者の腕の長さや耳の長さなど、身体のあらゆる部位の測定を行うという複雑なものだった。しかもこの測定法は教えるのが困難で測定する部分が多く、測り間違えが起きたり、調査官によっては数値が変わってしまうこともあった。

 犯罪捜査では指紋の使用が流行りだしていたが、ベルティヨンはその発想をひどく嫌悪した。そんなこんなで1903年、米カンザス州レブンワースの刑務所に、"ウィル・ウエスト"という名を持つ2人の殺人犯が収監されるという珍事があった。

 2人はベルティヨン式測定法では"同一人物"だった為に収容されていたが、そのうちの一人は、自分はウィル・ウエストではないと主張していた。その刑務所には2人の"ウィリアム・ウエスト"が同時に存在していたということになる。

 結局2人のウィル・ウエストは指紋による判定で1人のウィル・ウエストに絞られた。捜査員が罪人の記録カードの指紋に着目することで殺人犯の特定が可能になったのだ。この"ウエスト・ブラザーズ"の一件は、ベルティヨン測定法の終焉と指紋鑑定を強化するきっかけになった。


6. 我が子を殺害した事件で決め手になった指紋鑑定

6_e11 指紋鑑定は目覚ましい進歩を遂げた。クロアチア生まれ、アルゼンチン暮らしのジュアン・ブセティッチは警察官で犯罪学を学んでおり、犯罪現場の証拠に指紋を使う非常に新しい考えを取り入れた先端技術にも明るかった。まもなく彼はかなりやっかいな事件に関わり、その学問を実践する機会を得た。

 ブエノスアイレスで2人の幼い子どもたちが殺されるという無残な事件が発生した。現場には母親であるフランシスカ・ロハスもいて、彼女自身も喉に深い傷を負っていた。彼女は侵入者が息子たちを殺して自分を襲った、と証言した。ブセティッチは慎重に現場を調査し、家のドアの柱のところで襲撃してきた犯人の血まみれの指紋を見つけた。ところがその指紋は母親であるロハスのものと一致した。彼女は指紋により罪を暴かれた初の犯罪者になったのだ。


5. ヒ素検出試験がもたらした悲劇の殺人事件

3834903b-s ジョン・ボドルは継母にあたるマリー・ラファージュを死刑に追いやった。彼は財産目当てに自分の父親を殺したのだが、その罪をマリーに被せたのだ。無罪になったボドルはその犯罪を自慢げに吹聴していた。彼が無罪になったのは当時の科学捜査官である薬剤師、ジョン・マーシュのおかげだというのだ

 当時、ヒ素検査は時が経つに連れ結果が薄れていく為、陪審は検査官の言葉を信用するしかなかった。ボドルの裁判で使用されたのはマーシュの研究していた最新式のヒ素試験だった。ところが遺体からヒ素は検出されなかった。ボトルが吹聴しているのを知ったマーシュは精度の高いヒ素検出に全力を注いだ。ボトルの裁判の後に行われるマリーの裁判の為だ。

 結果次第ではマリーが有罪になってしまう。マーシュは総力を注いだ。そしてマーシュが発案したヒ素試験がマリーの裁判に使用される時がきた。ところが、ボトルの時と同様、マリーの夫でありボドルの父親の遺体からヒ素は検出されなかった。

 そのかわり、エッグノッグの中から大量のヒ素が検出されたのだ。この結果が証拠となり、マリーは有罪、ボドルは無罪となった。もしマーシュのヒ素試験が完璧であったらマリーは有罪とならなかったかもしれない。第三者が後からエッグノッグにヒ素を入れることは十分に可能なのである。


4. 銃器による犯罪捜査

8_e10 1929年2月14日、ジョージ・"バグズ"・モランというギャングのメンバー5人がアルカポネの元に届くはずのウイスキーの積荷を奪い取ろうとした。その積荷が搬入されるはずの倉庫に彼らがたどり着くと、4人の見知らぬ男たちが歩いてきた。そのうちの2人は警官の制服を着ており、メンバーたちに発砲した。彼らのうち1人は12口径のショットガンを使い、別の2人はサブマシンガンを使っていた。

 ギャングメンバーの全員が死んでしまったため、詳しいことはほとんど何もわからなかった。のちに"バレンタインデー虐殺事件"と呼ばれるようになったこの事件は、生存者もなく直接目撃した者もいなかったため、警官数名が容疑をかけられた程度で捜査が進展しなかった。

 その後、銃研究の第一人者である科学者、カルヴァン・フッカー・ゴダードに話が持ち込まれた。彼はそこで使用された銃をそれぞれ特定した。更に使用されたトンプソン・サブマシンガン2丁は、警官を撃った罪で逮捕されたフレッド・バークの自宅から押収されたものと同じものであるということを突き止めた。彼は科学界や一般社会に向けて犯罪は人からだけでなく銃器からも追跡ができることを証明する人物になった。

3. 新聞紙の切れ端が決め手となった18世紀の科学捜査

 ポピュラーな犯罪科学の専門書によく記載されている事件がある。それは1784年に銃でエドワード・カルショウの頭を撃って殺害したジョン・トムスのケースだ。なお、わかっているのはその捜査方法だけでジョン・トムスの動機についてはあやふやなままだ。

 トムスの服のポケットには新聞の切れ端があった。そしてカルショウはそれと一致する切れ端を持っていた。当時、人々は火薬と銃弾をまとめて保管するために適当な紙切れを使っていた。その2つの切り口がピタリと一致したことがトムス逮捕の決め手となった。どうやらこの一件が史上初の科学捜査だったようだ。トムにしてみれば、人類の歴史上で初めて科学なんてものが使われ、そのせいで捕まってしまったことになる。彼はきっと悔しくてたまらなかっただろう。


2. 嘘発見テストを使用した発砲殺害事件の顛末

000 こちらの殺人事件は最高裁行きになったケースだ。1920年11月、ロバート・ブラウンは職場で銃殺された。その場から逃走した若い男をブラウンの同僚が追いかけた。その男はその同僚に向かって何度か発砲したが命中はしなかった。しばらくして強盗で逮捕されていた若い男、ジェームス・フライが別件であるこの発砲殺害事件は自分がやったと自供した。しかしなぜこの供述をしたかについては今だに議論がなされている。

 ところがこの発砲殺害事件が裁判沙汰になる頃、ジェームス・フライは供述を覆した。殺人が起きた当時は友人のところに行っていた、と主張しだしたのだ。フライの弁護士は彼にウィリアム・マーストンが実施する新しいテストを受けさせた。

 マーストンが実施した"嘘発見テスト"によりフライの無罪は証明された。にもかかわらず、その事件を取り仕切る裁判官はその結果を退け、彼を有罪にしてしまった。フライの弁護士はマーストンのテストは科学的に有効であり、それを退けるべきではないと述べた。結局この事件は最高裁まで持ち込まれたが、そこでも最初の判決が覆されることはなかった。その後、人々の注目を集めたフライの事件は、多くの州から裁判における証拠や証言の採用基準になっている。


1. 魔女裁判による霊的証拠の衰退

14_e4 セーラムの魔女裁判も、結果的には科学を勝利に導いた出来事の一つだ。当時でさえ、その裁判に疑問を持つ人々は多かったのだ。セーラムの住民が裁判で"霊的証拠"という言葉を使うと、その近隣の町に住む人々は呆れ返った。"霊的証拠"とは文字通りの意味だ。

 原告は法廷で被告の亡霊を目撃したとし、その亡霊の行動に関する証言が証拠として使われた。公開裁判の中では、素行の悪い十代の少女たちが虐待を受けたと言い張ったせいで、サラ・グーデやジョン・プロクターといった人々が死刑にされていった。こればかりは周囲の人々も黙っていられなくなり、霊的証拠を検証する為の専門の委員会が発足した。

 だが進展はなく、王室から指名されてマサチューセッツ湾直轄植民地の総督になったウィリアム・フィップスさえ、それを抑えるような動きを見せなかった。しかし何者かがウィリアム・フィップスの妻が魔女であると訴えたことで、事態は急速に変化し始めた。

 法廷に持ち込まれる告発の数は減り、すでに進んでいた裁判も閉廷になり始めた。フィップス総督は数ヶ月もしないうちに法廷で霊的証言を使う慣習を中止させた。彼はそのような証言は説得力が無く、科学的ではない、とみなした。

via:io9 原文翻訳:R

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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2014年11月08日 22:36
  • ID:7rUJ0Z8t0 #

自分の嫁さんが訴えられて初めて本腰を入れたってことかねぇ。
人間、自分のケツに火が付かないと動かないってことだな。

2

2. 匿名処理班

  • 2014年11月08日 22:39
  • ID:OM2qRe.90 #

>何者かがウィリアム・フィップスの妻が魔女であると訴えたことで、事態は急速に変化し始めた。

頭いいな。
しっかし昔の捜査や裁判ひどすぎw

3

3. 匿名処理班

  • 2014年11月08日 22:53
  • ID:aRXRdwD.0 #

※2
運命のダダダダーンでは3人の少女たちが奇声を発していたな・・・彼女たちが元凶では?

4

4. 匿名処理班

  • 2014年11月08日 23:13
  • ID:o.0xviEk0 #

山や峠での初の広域一斉遺留品捜査やったテッド・バンディも入ってるといいのに。

5

5. 匿名処理班

  • 2014年11月08日 23:44
  • ID:F0lro.C40 #

その昔の犯罪捜査は「検察、警察にとって都合のいい」調査結果しか採用しなかった。
それは日本でも例外なく行われていたんだよね。
現在でも明らかな他殺であっても大きな事件が同時に発生すると、何故か自殺で処理され、充分な遺体見分や実況見分も行われないまま処理されてしまう。
犯罪調査は慎重に行われなくてはならないのだが、最大の問題は「それを実行するのも人間」である事なんだよね

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