会社の社長から「お前は三国志のホウ統みたいだな」って言われたんだけど…
1:以下、\(^o^)/でVIPがお送りします: 2014/12/19(金) 18:53:33.12ID:IW0CnpKh0.net
喜んでいいの?
遠回しなリストラ宣言
>>2
まじか
三国志はゲームしかしらん
鳳統って優秀じゃん
龐統(ほう とう、178年 - 213年 もしくは、179年 - 214年)は、中国後漢末期の武将、政治家。劉備に仕えた。
字は士元(しげん)。道号は鳳雛。謚は靖侯。荊州襄陽郡(現在の湖北省襄陽市)の出身。「臥竜・臥龍(がりょう)」「伏竜・伏龍(ふくりょう)」と呼ばれた諸葛亮に対して、「鳳雛(ほうすう)」と称せられた。
弟は龐林。子は龐宏。従父は龐徳公。族弟は龐山民(妻は諸葛亮の姉)ら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/龐統
>>4
でも無双ではいらない子だったような
ブッサイクやなぁってことじゃね
若い頃はあまり身なりが冴えなかったことから評判を得なかったが、人物鑑定で有名な司馬徽に、その才能を認められたことでようやく名が高まった。
まあホウトウて言うとブサイクの代名詞みたいなもんだしね
ブサイクで簡単な仕事を与えるとさぼって
流れ矢に当たって死にそうな感じってことだろ
>>5
>>7
見た目を遠まわしにディスってんのかよ三国志とか微妙なワードをつかって
落鳳破で死ぬけどな
荊州を領有した劉備の下に転じ、耒陽(らいよう、現在の湖南省耒陽市)の県令の職を任ぜられるものの、仕事を滞らせたために罷免される。これを聞いた魯粛は劉備への手紙の中で「龐統は大役を与えてこその人物」と薦め、諸葛亮も取り成したので再び劉備に召し抱えられ、諸葛亮と同じ役職である軍師中郎将に任命される。
劉備陣営の次の方策として、西の益州を獲ることが考えられていたが、劉備は主が同族の劉璋であることを理由にこれを渋っていた。龐統はこれを諫めて、益州を獲ることを劉備に決心させた。入蜀に際しては龐統が劉備に同行し、諸葛亮は荊州の留守を守ることになった。
益州に入った当初、劉璋は劉備たちの本心を知らずに歓迎の宴を開くなど無防備だったので、龐統はこの機会に劉璋を捕らえて、無用に戦う事無く益州を取るよう劉備に進言したが、劉備は「他国に入ったばかりで、恩愛や信義はまだ現れていない。それはいかん」と答えこれを聞き入れなかった。
その後、劉備軍は漢中の張魯と対峙する振りをして駐屯し、成都にいる劉璋をどう攻めるかを検討していたが、東で曹操と孫権が戦い、劉備に対して援軍を求めてきたことを口実に軍団を移動させることを考えた。この時、龐統は劉備に対して、昼夜兼行で成都を強襲する上計・関所を守る劉璋の将を欺いて兵を奪い成都を目指す中計・一旦白帝城まで退く下計の三計を提示し、その結果劉備は中計を採用した。
そこで劉備は龐統の策略を用いて、白水関を守る劉璋の武将である楊懐と高沛を呼びつけて騙し討ちし、白水関を占領した(劉備の入蜀)。
劉備軍は、成都攻略の前に劉循・張任が守る雒(らく)城を包囲したが、この包囲戦の最中、龐統は流矢(雨のように降りそそぐ矢、あるいは流れ矢)に当たって死去した。享年36。劉備は龐統の死を大いに悲しみ、関内侯を追封し、靖侯と諡号を贈った。
三国志でブサイクすぎて孫権や劉備からキモがられた奴はホウトウだけ
小説『三国志演義』においては、龐統の兄弟が諸葛亮の妹を娶り、義兄弟となっている。赤壁の戦いでは周瑜に対して曹操を破るための献策を行なう。
周瑜は曹操軍の軍船を火攻めにしようと考えていたが、一隻に火をつけても他の船は逃げてしまい、燃え広がらないと言うことが問題となる。そこで龐統は連環の計と呼ばれる策を周瑜に勧める。龐統自身が周瑜の陣営に偵察にやって来た蒋幹を、うまく欺いて曹操の軍営に潜り込み曹操と面会して、北方人の弱点である船酔い対策として、船同士を鎖で繋げることを進言したのである。このことにより、火がついても曹操軍の軍船は逃げられないようになり、劉備・孫権の連合軍による火攻めで曹操軍は大敗したということになっている。また、曹操の臣下となっていた親友の徐庶が火計に巻き込まれないように、別方面へ派遣されるようにし向ける策を授けている。
その後、周瑜の葬儀に参列した諸葛亮に対面し、劉備に仕えるよう誘われる。彼の才を惜しんだ魯粛によって孫権に引見されるが、醜い風貌と歯に衣着せぬ言動から疎まれてしまう。次に龐統は劉備に面会するが、劉備はその風貌を見て諸葛亮が推挙する龐統かどうかが判らず、閑職の地方県令を宛がう。すると龐統は1ヶ月の間酒ばかり飲んで職務を怠け、村人から訴えられるが、劉備から派遣された張飛が詰問したところ、溜まっていた1ヶ月分の仕事を半日で全て片付けてしまう。これによって龐統はその才能を劉備に認められ、さらに劉備は自身の行為を戒めることになっている。
いいように捉えれば「やれば出来る子」だぞ
>>13って事だな
能力的に余裕で任せられる仕事回したらあっさり失敗するんだろ
>>15
昨日凡ミスしたわ・・・
まあ漫画とかのイメージとお前の顔が余りにも合ってたりしたら外見の意味で言われたりもするかもな
有能なブサイクという事だろ褒めながら貶しているな
同義語に山本勘助がある
簡単な仕事任せるとすぐにサボる
>>23
え?気付かれてんのか・・・?
サボりすぎて仕事溜まりまくってるわ
>>25
ホウトウってそういう逸話で有名なんだよ
不細工で本当は有能なんだけど簡単な仕事だと手を抜く人
>>29ブサイクは絶対条件かよwww
>>30
「本当は有能なのに見た目のせいで軽んじられる人」ってのはホウトウを誰に語らせても言うだろう
どう足掻いても不細工は入る
単に有能とか頭がキレるってだけなら諸葛亮とか言うよね
ブサイクでやればできる子って褒められてるんだろよかったじゃん
ブサイク
余計なことばっか言う
サボる
空気読めない
>>26
俺だわ・・・
でも優秀なんでしょ?
三国志で無能なやつなら山ほどいる
馬超みたいだねって割れた俺よりマシ
>>33
仲間になって全く活躍しなくなったってか
>>33
期待外れか
月の始めに同僚が引き継ぎなしで辞めやがって
必死で残業しまくってソイツと自分の分の仕事片付けてやったのに・・
やる時はやるぜ俺は
>>38
お前は西郷隆盛みたいだな
どういうタイミングで言われたんだよ
>>40
>>38の続きだけど
サボりまくってた自分の仕事とプラスして辞めた奴の分の残務をこなした
死ぬほど苦しかったけど客の引き継ぎと書類を2週間でやった時
腹立ってめっちゃ会社の在り方とかビジョンの統一とか会社に求めた
>>52
これはホウトウですわ、ブサイクだし
お前もし上司の車運転する事になったら気をつけろ
最悪死ぬぞ
>>41
ワロタ
>>41
社長「どこどこ行こうぜ、俺の車運転してくれ」
>>1「わかりました」
~~~
???「おい、あの車だ、降りてきたら撃て」
パァーンパァーン
于禁って言われるよりまし
于 禁(う きん - 黄初2年(221年)?)は、中国後漢末期から三国時代の武将。字は文則(ぶんそく)。兗州泰山郡鉅平県(山東省泰安市)の人。子は于圭。『三国志』魏志に伝がある。
晩節を汚す
http://ja.wikipedia.org/wiki/于禁
>>47
2枚目はゲームで知ってる
8枚目は完全に俺じゃねーかwww
>>47
現実はもっと酷いかもしれん
見た目で登用拒否られるくらいだし…
孔明が劉備から信頼されててそれに嫉妬したんだっけ
孔明→東大
・統→京大
ってイメージ
曹操目線かもしれんぞ
風采は上がらないけど優秀であろうやつ仲間にしたったwwwと思ったら埋伏の毒だったでござる
的な
当時の政治とは混沌に秩序をもたらすことで政治家も美しくあるべしという通念があった
見た目が不細工で集中すると凄いが態度が悪くすぐにサボるなんて人物は弾かれてしまう
しかしそういうあぶれものを使いこなしたのが劉備
まあ劉備も最初は見た目で敬遠したけど
三国伝のせいで鳳統は魏の武将だと思ってました
魏延よかマシ
裏切る顔してるわってだけで殺されたし
>>62
殺された理由は実際反乱起こしたからだろ
>>63
反乱じゃなくて権力争いに負けただけな
ホウトク?褒め言葉やんって思ったらホウトウだった
まぁ「お茶目な奴」って事で補完してもいいかな?
曹操に脅されて史実で活躍しなかった人じゃないのか
>>68
それは徐庶かな?
使えはするけど残念みたいな
なんか切なわ
俺もよく劉禅みたいだなって言われる
恐れ多いわ
于禁ってかわいそうだよな
やっとこさ魏に帰ってきたら曹操が自分を馬鹿にした墓立ててるとか
新参のホウ徳が潔かったのが拍車をかけたか
最高に優秀
例えられて嬉しい三国志の人物はあれだな、典韋とか?
典韋(?-197年) 字は不明。陳留郡己吾(現・河南省開封市東南)出身。
197年、曹操軍侵攻で降伏したはずの張繍が曹操との宴会から数日の後に急襲。
曹操を守ろうと駆けつけた典韋は張繍軍の兵士をことごとく殺して抵抗したが、
多方面から囲まれてしまい、曹操の息子・曹昂や曹安民と共に壮絶な最期を遂げた。
命からがら逃げ延びた曹操は息子の死以上に、典韋の死を嘆き涙を流した。
典韋を手厚く弔った後、典韋の子・典満を司馬に取り立てて側に置いた。
http://dic.nicovideo.jp/a/
ブサイクでコミュ障だけど優秀ってことじゃね
不細工の意味でわざわざホウ統なんて使わんだろ
喜んでいいよ
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コメント
2.気になる名無しさん2014年12月19日 21:21 ▽このコメントに返信
え?山梨のホウトウ?
3.気になる名無しさん2014年12月19日 21:21 ▽このコメントに返信
早死にすることだろうな
4.気になる名無しさん2014年12月19日 21:32 ▽このコメントに返信
逃げまわっていた劉備が戦で勝てるようになったのは、鳳統と法正のおかげ。
2人がいなくなった途端、パタリと勝てなくなり、挙句、呉への侵攻で致命的大惨敗。
そのとき「法正が生きていれば、陛下を止めてくれたであろうに」と孔明が肩を落としたのは有名な話。
なお、清廉な政治家の孔明は、戦場の駆け引き云々は苦手。
5.気になる名無しさん2014年12月19日 21:43 ▽このコメントに返信
※4
こういうちょっと齧ってる人ならだれでも知ってる知識を得意気に披露する奴って絶対出てくるよな
6.気になる名無しさん2014年12月19日 21:47 ▽このコメントに返信
大活躍した諸葛亮の陰に隠れて人違いで暗殺された不遇の人
三国志にわかの俺のイメージ
7.気になる名無しさん2014年12月19日 21:49 ▽このコメントに返信
たしか
孔明が不在の時に来て空いてる仕事の地方の裁判官やらされて
サボってたら張飛だかが様子見にいったら
たまってた大量の裁判を全て1日で双方が納得するように解決した。
孔明が帰ってきて、そんな所に置く人材じゃないぞって言って
副軍師的なポジションになった。
人だよね
8.気になる名無しさん2014年12月19日 21:50 ▽このコメントに返信
孫権にイラネって言われた人
9.気になる名無しさん2014年12月19日 21:55 ▽このコメントに返信
テガラヲタテテモ イラネ
10.気になる名無しさん2014年12月19日 21:55 ▽このコメントに返信
やれば出来る子ってことじゃん
褒められてるよおめでとう
11.気になる名無しさん2014年12月19日 22:07 ▽このコメントに返信
孔明があたかも軍略のプロのように言われるが
龐統こそ本当の軍略のプロ
孔明は政治家としては一流だったけど軍事は二流以下だった
12.気になる名無しさん2014年12月19日 22:09 ▽このコメントに返信
「どちらかゲットで天下もゲット」と言われた、「どちらか」のうちの一人。
うちの会社は天下取ったも当然だわってことだな
13.気になる名無しさん2014年12月19日 22:10 ▽このコメントに返信
デスラーホウ統ばんざーい!
14.気になる名無しさん2014年12月19日 22:19 ▽このコメントに返信
俺だったら絶対「あわわ」って言っちゃうわ
15.気になる名無しさん2014年12月19日 22:20 ▽このコメントに返信
三国志の登場人物で「○○みたいだね」と言われて最低クラスなのは、禰衡あたりだろう
まだ無能やバカなキャラ付けされた人物の方がマシ
16.気になる名無しさん2014年12月19日 22:36 ▽このコメントに返信
不細工で早死にしそうだけど頭は良いよねみたいな感じだな
射られて死ぬけど
17.気になる名無しさん2014年12月19日 22:39 ▽このコメントに返信
※11
さすがに二流以下はない
一流の鳳雛には劣るが一流に近い二流ではある
18.気になる名無しさん2014年12月19日 22:48 ▽このコメントに返信
天才、ただし早死にするってことか
しかも外的要因で。功をあせって失脚でもするのか...
19.気になる名無しさん2014年12月19日 22:50 ▽このコメントに返信
有能だけどブサイクってことだろうな。
20.気になる名無しさん2014年12月19日 22:51 ▽このコメントに返信
在野武将って意味じゃね
21.気になる名無しさん2014年12月19日 23:00 ▽このコメントに返信
張松って言われなかっただけでもいいじゃねーか
22.気になる名無しさん2014年12月19日 23:07 ▽このコメントに返信
ただのブサイクだったら「お前ブサイクだなあ」で済む話だもんなあ
少なからず称賛の意味合いは含まれてるわ
1.ほう豊丸2014年12月19日 21:17 ▽このコメントに返信
イグ~イグ~