2014年12月26日
コツ知りたい?
じりだいっ
教えはよ
居ないなら俺が知ってる事を端的に言おうか?
おらんか
おるで
おったな
仏陀の教えで分かった事を伝える
夜も遅いので手短にいくわ
日本に伝わっている仏教というのは言わば又聞きの又聞きなので、
伝わった言葉をヒントに突き詰めた人のたどり着いたところという要素が強い
その中でも仏陀の教えに近いと言えるのは、個人的には禅宗
何故多彩なものになった日本の仏教で禅宗が仏陀の教えに近いと言ったのか
それは仏陀自身が行った精神そのものを扱う作業に類する物だから
古代仏教は分析的で理性的且つ心理学的な魂の探究と言ってもいい
言い始めると言いたいことがどんどん出て来ちゃうな
これは個人的な事なのだが、全世界的な聖人は家庭環境に問題を抱えている割合が
多いんじゃないかと思う
イエスも肉体的な父親は居なかったと”される”し、仏陀は母と若い内に死別して
その後の生活は荒れた
つまりいわゆる一般社会の愛されて育った人が心に抱いて生きるものを持たなかった、
生きる上で見えてくる苦しみを目の当たりにし真っ正面から向き合うのが
彼らのきっかけの一つなんじゃないかと思う
仏陀の瞑想の中で慈悲の瞑想という重要なものもある
でも仏陀って超セレブなんでしょ
>>14
王子だし嫁も子供もいたしね
>>14
超セレブもセレブ、王族の王子
さて、これで仏陀の考えが分かったと思う
何故人は苦しむのか、何故死ぬのに生まれてくるのか
これらを突き詰めていくとその原因を明らかにし、自分自身をそうしたものも含めた
迷妄に流されずしっかり生きていく事が大切と分かった訳だ
仏陀は天才的有能だったから、その分析的な理性を極限まで突き詰めていった
普通の人が考えても居なかった因縁因果の影響度を見抜いて、行動として気をつけなさいと説明していった
仏陀の教えというのは迷妄を捨てた悟りを得るためのヒントだった
生活の教えや、殺生で心を乱されて悟りを得る妨げになるのを防いで生きる考え方
その特徴として、今その場に居る事の因縁因果に目を向けるというのがある
何故今自分がここに居るのか
何世代も前の親の親のまたその親の親の・・・人と人のつながりの中で生まれてきたこの偶然に
因縁因果の強力さというのを見いだした
だから仏陀は自分の心も行いも整えて、何故そこに居るのか分からないくらい混乱してしまうような
ところから脱却しなさい。理性的になりなさいと説いた。
今の日本の仏教と、いわゆる原始仏教は違う
原始仏教は今あるとしたらヨガ瞑想同好会みたいなものになるだろうか。
カルトにも見えてしまうかもしれないが、カルトとは一線を画したところがある
それは教祖が居ないという事
ただただ理性的な心の分析、修行のための身体の調整という分析作業に
教祖というのはいなかった
その優れた見識の果てに遺された言葉を元にして、仏陀の死後遺された弟子達が
まとめた言葉、それが仏教となっていった
私達はこの仏教の本質を突かないといけない
見てる人いるかな?
質問ある?
>>20
面白く読ませて貰った
仏教に少し興味があって詳しく知りたいと思ってるんだけど、おすすめの本とかある?
>>25
手塚治虫のブッタ
>>25
岩波の仏教でもいいし、とっかかりはしっかりして且つ見やすいのでいいと思う
あとは仏陀とキリストの言っている事が同じという話の本とか、
慈悲の瞑想、ビパッサナー瞑想についての本を見るといいと思う
俺は原始仏教のテクニックを取り入れた某宗教をチラッと見て参考にしたりした
>>25
ID:FoJQbze5Mじゃ無いけど
超訳 ブッダの言葉
>>25
横からだけど飲茶の哲学入門(東洋思想編)はウパニシャッド哲学から仏教への流れをわかりやすくかいてる
ただ仏教以外のことも書いてるからあれかもしれない
あとは青空文庫に般若心経入門ていうのもあるけどこれは少し大乗仏教といわれるものに偏ってる気もする
仏教は解釈の仕方も人によって違うことが多いしいろいろ読んで少しづつ輪郭を掴んで行くのがいいんじゃないかな
はー釈迦に会いたい
理性的ってのは簡単に言うとどういうことなん、あまり執着とかを持たなかったりすることなん?
>>22
単純にありのままを見る心
こだわり無く手を見ればその形やシワや感覚等々、分かる事が次々に見えていく
これが理性的な目
でも拘って見れば、誰それよりかっこ悪い、細い、シワが…とちゃんと見る事が出来ない
理性的では無い
言わば後者は小さい狂気だね。それを取り除いていく。
簡単に仏教中の心の動きを書いていこうと思う
最初は何か気になる事に目を向ける
何故それが気になるかを頭の中で分析していく
何にひっかかっていたかを理解してそこから自由になる
この繰り返し
仏陀の言葉が覚えられない障害者の弟子には掃除を任せて
一心に掃除を続けていったところ、一つずつきれいにしていく(心を)というのに気づいて悟ったらしい
なかなか詳しくて為になる。
>>24あたりを見るとなんか森田療法と
似通ってる感じがする。
手塚治虫のブッダで私は心の医者だというセリフが
あるが、案外本人もそんな気でいたのかも知れない。
>>54
森田療法は仏教の教えそのものだと思う
あるがままに事象を受け止める
苦しみというのは自分が作り出したものにすぎない、って
自分で自分を洗脳しちゃってるんだよね
おかゆ食べただけじゃん
>>26
あれが非常に大事で、苦行をし続けた先に悟りがあるのでは無く
必要なものを必要なものだけ得ていくという中庸に気づかされたエピソード
今、そこに、生きている、だから悟れる
→ → → →
こういう論理的な段階を踏んでいる事も一目見れば分かるから、
全てを真っ当させるには、その場で必要なだけの栄養を取って
必要なだけの休みを取り、必要な行動を始めるというだけの話
全て極端に走らない極めて冷静な判断によるもの。
自分的には死ぬのは仕方が無いので諦めましょう
諦める事ができたら苦も無くなりますよ。
それには日頃から欲を少なくして中道を行きましょう
というのがぶっちゃけ仏陀の教えだと思ってる。
まあ>>1じゃないけど100人に1人いるかどうかだろう。
>>28
なるほど
俺は欲も明らかにさせるというものだと思ってる
食欲も睡眠欲も性欲も
それら全て生きる上で生命が自分に与えてくれているシグナルだから
その衝動に任せるばかりでは動物と近しくなってしまう
あきらめるというのは明らかにせしむる(解明する)という意味があるので、
必ず死ぬという事にもありのままの心で向かい合い、真実を見つけようということなのだと思う
中庸な考えかたしろってこと?
文章にすんなって言われて口伝の教訓みたいな形で残ってて、
後に入ってきた景教とかの流行受けて
「我が国にもそんなもんあるで」みたいな感じで
最初に文章に起こされたのが死後400年以上経ってから、だろ
原始仏教とか言うと聞こえいいけど、スッタ・ニパータあたりでも
もう原型ないんじゃねえの、実際んとこ
上座仏教の教えなんて今の日本の社会からかけ離れすぎてて山にこもるでもしないかぎり無理じゃないか
>>38
大切なのは今そこで何が出来るか
上座部仏教にだけ悟りが売られた訳じゃない
自分を探究した果てにある
もっと早くから仏教を知れていたらな
>>47
俺も強迫性障害で人生狂う前に出会いたかった
まあこの狂ったてのも自ら生み出した迷妄なんだろうけど
>>51
何故そうなったのか、原因があるはず
強迫性障害になる前となった後の間で起きた気に掛かる事を
ただ思い出して行けばいい
何か決意してたとか失いたくないものを失ったとかがあればそれに向かい合っていく
こいつといいピカソといい普通に生きてりゃいいじゃん肩の力抜けよって言いたくなるわ
「修行するぞ修行するぞ修行するぞ・・・」
↓
今「あの時の心とは・・・」
だから原始仏教は洗脳から抜け出す事が出来る
人間に備わる分析の力がはんぱなく稼働し始めるから
割とすごく勉強になった感
個人的な事を言おうか
みんな、忘れてしまった決意には気をつけろ
俺は小さい頃母親に「身の回りのものは全部皆が頑張って作ってるんだね」と言ったら無視した
その時「頑張って作るのは悪い事だ」と内心決意してしまった
それから数十何年、頑張って作る事は罪なのだと思い名がら生きてしまったよ。
だから日記は友好的。心のタグになるから。
もしそういう隠された決意に突き動かされている人が居たら、それが生み出された出来事を思い出しなさい。
そしてそれを何度も意識し通り抜けて、気づいた事はメモしておきなさい。
>>58
これすごいわかるわ
日記つけてみるかな
月並みだが
元来仏教というものは無い、キリスト教というものもない
どちらも死後弟子が聖人の言葉や一生を思い出して書いているだけだ
常に聖人の教えは心の中にある。見聞きしただけで影響していくものだ
それじゃそろそろ落ちるけど、質問あるかな?
>>61
因果を突き詰めていくと決定論にたどり着いて堕落を選んでしまいそうになるんですがどう対処すればよいの?
>>65
自分が泣いている子供を助けたらそれも因果だ
目の前にペットボトルが落ちてあるのは過去の因果が原因だが、
それを動かす自分も因果だ。
その動かす自分の心の中の、反自動的な色々なものに反応する心から脱却していく。
それが主張と言える。
宇宙が始まってからの因果で自分が生まれたと考えたとしても、自分がその時点その意思で
動いている事は今自分自身が因縁になるという事であって、全ては決定していると思うのは早合点
手塚ブッダって原作ブレイカーなの?
>>62
まあ、ブッダがただの汎神論者になってたり
一部の逸話も、時系列的に当該人物が死んだ後に
唐突にねじこんでるから元と違う弟子が担当する事になってたり
論敵sageするために池沼化したり色々危うい出来
原典読んでからどうぞ、みたいな
悪いこと言わないから手塚ならブッダと無関係の
火の鳥とか読んだ方がまだいい
手塚氏の思想は別に嫌いじゃないが、
あれがブッダの皮をかぶっちゃいけねえ
仏陀の生涯をブレイクしたという意味では原作ブレイカーかもしれないが
それも一つの観点だからね
中々面白い漫画だよ
ブッタとしったかぶったなら持ってる
>>76
ようつべでよければ宮崎哲弥と呉智英ってひとの対談
か南直哉ってひとの動画
あとこれは批判も多いかもしれないけど苫米地英人の仏教について語っている動画も一つの解釈としては面白いよ
仏陀は修行をいくつもバックれた天才
結論は許す心
ブッタとシッタカブッタ
この記事へのコメント
ようは逆境だよ逆境
ついには一族滅亡して、本人だけ勝手に悟り開いたとかいって
納得したような教えはダメだわ。
訳知り顔で解説されても、じゃあお前も同じようにオシャカにしてやろうかwで終わり
姿勢を整え、呼吸を整え、心を整える。
自分の一番ニュートラルな芯を確認してみる事だ。
懊悩とか慢心とかの煩悩は、PSのアナログスティックのニュートラル設定が狂っている様な物。
それに引きずられて入力ミスするのが人の世の過ちの根源。
ゲームで上手く行かず、イライラした事は無いか?
そんな時、思い切ってしばらくゲームから離れてみたらスッキリした事は?
仏教は突き詰めると合理主義ってのはそこら辺にヒントがあるぞw
あとスレで出てた南直哉さんって人は恐山の院代なさっておられるので
夏場に恐山の宿坊に泊まればお話きけるよ。非常に話が上手いのでおもしろいよ。
仏教を知りたいなら三蔵の原訳を自分で読むしかない。
聖書やコーランはネットで大方読めるのに三蔵のまともな原訳が読めるサイトは残念ながら無い。
待機説法が実話なら、人によって伝えていることも異なるだろーし(だから分裂もするよね)、その断片に磨きをかけたり誤解したりした結果が今の仏教じゃなかろーか。
経典もそうだが、特に大乗の論書と呼ばれる哲学文献群は内容が難解なので
それぞれのテキストを学者が苦労して翻訳し、批判をまっているようなものが多い。
ただ、サンスクリットやチベット語、漢文の知識がある人なら
それぞれ原語のサイトがあるので自分で確認してみるのもよい。
電子辞書のサイトも各種ある。
パーリ語の経典の中国語訳のサイトならある。
パーリ語経典の和訳のシリーズは既に戦前に発行されているので紙の本でなら読めなくもない。今買うと高いと思う。
仏教て宗教ってか思想だよね
釈迦の原典を読むなら、中村元先生の訳書を読むのが一番、非宗教的というか
学問的で良いと思う。
中公文庫の『論理のことば』がおすすめ。原著は12世紀ごろのインド経量部の僧。
ただし、内容はよくまとまっているが高度なので全くの初心者には向かない。
日本や中国仏教を教理面から知りたい人は鎌倉時代の著作である『八宗綱要』が概論としてはよい。
講談社文庫から和訳と注解が出ていた。大蔵出版からも詳細な注解が出ている。
ただし、これもある程度知識があって、学習意欲がある人向けである。
しかも主に奈良平安までの仏教を扱っていて鎌倉仏教にはほとんど触れていない。
よし、俺も仏教徒になろう。
釈迦は「無常・苦・無我」や四諦のような偉大な教えを残しているけど、
竜樹や世親、日本だと法然みたいな人達が独自の考えを加え仏教を発展させてきている。
今の日本のお寺はどうしてそういう高僧達の教えを門徒に説こうとしないんだろうな。
という話だと思ってる
最後に教えたものこそが本当の仏教だと言ったそうだ。
それが「法華経」なんだよって創価学会の友達が言ってた。
だから創価学会が一番正しい仏教なんだとか。
やっぱりどうしても派はできてしまうんだな
「これは何だ」「座布団です」「これは何だ」「いや、座布団・・・」「これは何だ」「・・・」
こんな問答を極限状況で繰り返すと、言葉や抽象概念が剥げおちて
物そのものが見える(と思える)境地に至るらしい
そこから洗脳するのは赤子の手をひねるようなものだとか
5次元だから
5次元そのものには意味はない
非局在だから
どうすればいいのか?
どうしようもない
本なんて1冊も読む必要はない
苦悩さえあれば一発だよ
仏陀は一切が苦しみであると説いた。だけども苦しみは滅することができるとも説いた。
苦しみを紛らわすのではなくて根本的に滅していく。その方法を説くのが仏陀の教え。
思考することだけが真理に到達する道では無いと思うがな
精神を肉体の上位と決めつけてしまっては真の悟りは遠のいてしまうよ
アレでもないコレでもない
それは全くその通りだと思う。頭でっかちではよくないね(笑
ただ苦しみを紛らわすことと滅していくことの違いを言いたかった。
人は気を紛らわすために良くないものに頼ったりしてしまうからね。
禅宗の考え方に合致してる
早々簡単に見えるもんじゃない
でも見えたときは、チャンスだ
そういうことだったんだ!と受け入れることができれば
その瞬間から解放される
不思議なもんだけどね
本来の仏陀の思想も、最近の研究じゃヒンドゥー教の亜種ってくらいの位置付けだぞ。
ちなみに真言宗がヒンドゥーには一番近い。
みんなが見てる
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