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「七夕の国」がどれだけ面白いか、今から皆さんに説明しようと思います: 不倒城

2015年01月22日

「七夕の国」がどれだけ面白いか、今から皆さんに説明しようと思います



岩明均先生の代表作って何でしょう、というところから始まるわけです。


多くの方が「寄生獣」を挙げることは疑いないでしょう。現在の連載作である「ヒストリエ」を挙げる人も勿論いるでしょうし、岩明先生の短めな作品が好きな方は、「骨の音」や「ヘウレーカ」、「雪の峠・剣の舞」辺りを挙げるかも知れません。風子スキー、ないしみさ子スキーな方が「風子のいる店」を挙げたとしても全く驚くには当たりません。

私も、当然のことながら寄生獣は超名作だと考えておりますし、特に8巻辺りからの展開の物凄さを超えられる作品はそうそうざらにはあるまいとも思っておりまして、好きなキャラクターは田村玲子さんです。かっこいいですよね。田村さん。8巻終盤の田村さんのセリフなんか鳥肌なしで読むことが出来ません。


とはいえ、「七夕の国」を通してお読みになった方であれば、「同作の完成度はもしかすると寄生獣を越えているかも知れない」という私の評価に、賛同するかはともかく理解はしてくださるのではないか、と私は考えるわけなのです。


以下のテキストは、主に「七夕の国」を未読な方を対象に、核心的なネタバレは避けつつ、思わずちょっと手が滑ってAmazon辺りで七夕の国全4巻をポチらせてしまおう、という目的の元に記載しています。皆さん読みましょう。七夕の国。超面白いです。なお、漫画を読む前にWikipediaを見ることは推奨しません。




七夕の国。岩明均先生による伝奇SF漫画。全4巻。コミックスが発売されたのは1997年から1999年までの期間の筈です。

背景にSF的な要素を数々仕込みながらも、全体的には「東北のとある町、丸川町」と、主人公がもっている奇妙な能力の謎解きという、ミステリーを基調にしたストーリーです。

まずは、背景のお話をします。


・岩明先生と、ストーリーのスケール操作のお話

私、岩明先生の一番凄い所って、「お話のスケールコントロール」だと思うんです。

万事、ストーリーを構築する上では、「ストーリーの範囲」というものをよく考えないといけません。お話の射程距離。どこまでの要素を出して、どこからの要素は出さないか。キャラクターは何人登場させるか。主人公の手が届く距離。描写される範囲。読者に、どこまでの世界観を見せるか。どこまでの範囲は伏せておくか。

ストーリーのスケールを最初から広げ過ぎてしまうと、置いてけぼりにされる読者が多数登場します。一方、ストーリーのスケールを狭め過ぎると、読者の興味を引くことが難しくなりますし、早い段階でお話に飽きてしまう読者も出てきてしまいます。また、お話のスケールを広げ過ぎると、後からまとめきるのが難しくなります。いわゆる「大風呂敷広げ過ぎ」状態です。

岩明先生の作品は、長編短編関わらず、その「お話のスケール」を操作するのが物凄く巧みなのです。なんといいますか、「読者に見せる範囲」「見せる順番」「見せる量」が完璧にコントロールされている、とでもいうのでしょうか。消化不良を起こす程多くなく、空腹感を覚える程少なくなく、読者は知らず知らずの間に岩明ワールドを食べ進めることに夢中になっていく。そして、描写されたあらゆる要素が、一点の隙もなくきちっと回収されていく。


「七夕の国」は、戦国時代の描写から始まります。「丸神山」に築城を行おうとするとある東北の戦国大名と、彼を必死に止めようとする武将「南丸」や「丸神の里」との確執、そして合戦。大名の軍勢に相対するのは数人の里人、本来であれば勝負になる筈はないのに、謎の光と共に死屍累々となる光景。そして、ひるがえる「カササギの旗」。

読者は、この短い導入パートで、「七夕の国」全体を支配する様々な謎、テーマ、伏線を、実は殆ど提示されています。ただし、その伏線は、「謎の光と、倒れる軍勢」という強烈な主題の前に、殆ど隠されていて見えない。物語の序盤、この「謎の光」は、お話の主要なテーマの一つとしてストーリーをけん引します。


しかし、導入パートが終わると、お話はいきなり小さくスケーリングされます。そこに現れるのは、ごく一般的な大学キャンパスと大学生活。主人公として登場するのは、冴えない風体の「南丸(みなみまる)洋二」、通称ナンマル先輩。南丸という苗字から、冒頭の武将との関係は暗示されますが、暫くの間、伝奇SF的な要素はなりを潜めます。

南丸の持つとある特殊能力は、「精神集中をすると紙に小さな穴が空く」という、ただそれだけのもの。そんな彼を呼び出して、彼のルーツを聞きたがる、「丸神ゼミ」の江見先生。丸神の里で時折聞こえる、「窓を開いた者」と、「手が届く者」という不思議なキーワード。ここから、南丸は徐々に徐々に、「自分の能力の本当の意味」と、丸神の里を取り巻く不思議な謎を辿っていくことになります。


視点がナンマル先輩に移ってから始まる、「小さな視点から、徐々に大きくなっていくストーリー」のコントロール。まずは、この「展開の強弱」こそ、七夕の国という漫画の真骨頂だ、と私は考えるわけなのです。



・SFミステリーとしての「七夕の国」

ミステリーとしての七夕の国は、「三巻までに蓄積されてきた謎や伏線が、四巻で怒涛のごとく解決していく」という構成をとっています。

一巻でちりばめられていた様々な要素が、二巻〜三巻で更に増幅されて、四巻で一気に「そういうことだったのか!」という解決を見る。人によって向き不向きはあるかも知れませんが、岩明先生の描写の巧みさもあって、この展開には実に実にカタルシスを感じます。

では、一巻〜三巻の役割は、謎の提示と伏線張りだけなのか?と言うと、そんなことはありません。「七夕の国」では、もう一つ、「特殊な能力に気付いた南丸洋二は、その能力を何に使うのか?」というテーマが明示されておりまして、裏で動いている「丸神の里」とそれにまつわる謎と並行する形で、「自分の能力と向き合う等身大の主人公」というものも描写されます。


この「七夕の国」というお話は、そういう意味で一種の二重構造になっています。一方が、「丸神の里」を中心にした伝奇SFとミステリーの世界。もう一方が、南丸と彼の周囲を中心とした、能力についての紆余曲折を中心とした日常の世界。

ただ「能力」と言ってしまうと、まるで異能バトル漫画のような印象を出してしまうかも知れませんが、伝奇SFミステリーを背景にした「七夕の国」は、決して安易な能力バトル的な展開を選びません。

主人公の「紙に穴を空ける」能力は、二巻のある時点を境に急激な転換を見せ、一種の成長展開のようなカタルシスもあるのですが、物語中盤以降、「現代という時代、普通の生活をしている自分にとって、この能力は一体何の役に立つのか?」という、非常にでかいテーマを南丸は突き付けられます。


これ、結構普遍的なテーマだと思うんですよ。そんなに小回りが利く訳でもない、一面で観れば破壊的な側面に特化した能力を、自分は一体何に使えるのか。能力バトル漫画であれば、主人公には倒すべき敵がいて、その敵を倒す為に自分の力をつぎ込むかも知れませんが、実際のところ、日常的な現実でそんなものはなかなか現れません。


いつもの日常、いつもの現実で、ある日いきなり「かめはめ波」が使える様になったとして、あなたは何に使いますか?


「七夕の国」で、南丸に、あるいは読者に突き付けられた疑問というのは、いってみればそういうものです。

南丸の自問は、例えばバイト先やサークルでの様々な会話や、東丸高志や丸神頼之のような「先輩能力者」との邂逅やその行状の目撃、丸神の里の人々との会話などを経て、最終話でようやく、一つの決着を迎えることになります。



・「七夕の国」の登場人物のお話

ヒロイン的存在である東丸幸子がどう見ても風子、というのは置いておいてですね。いや、さっちゃんとても可愛いと思います。浴衣姿を見せるところとか特に。


私は、岩明先生の描かれるキャラクターについて、「無機質な人間臭さ」とでもいうようなイメージを持っています。人間くさいんだけど、無機質。描写が非常にシャープなので、人間くささがクリアに、ストレートに読み取れる、とでもいうのでしょうか。


本作の主人公である南丸洋二は、岩明先生の作品としては割と珍しい感じの「のんびりした」三枚目キャラクターであり、場面によってはバカ殿と呼ばれたりします。確かに平常、彼は非常におっとりとした感じで描写され、明確な意志を示すこともそれほど多くはありません。ただ、それだけに、「手が届く」能力者として明確に目覚めて以降、彼が時折強い意志を示して行動する部分は、普段とのギャップもあり強い印象を残します。


そんなナンマル先輩の周囲には、幾つかのグループに分かれたキャラクター群が描写されます。まず、序盤にしか登場しませんが、ナンマルのサークルの仲間たち。江見先生を始めとする丸神ゼミの面々。東丸幸子を含む、丸川町の人々。東丸高志と、彼との協力関係で金を儲けている八木原。そして、中盤以降最大のキーパーソンとなる丸神頼之。


丸神頼之を除くと、皆割と「普通な人々が、変わった状況で普通なことをしている」という空気が凄く強いんですよね。一見地味なキャラクターも多いのですが、その実様々な形で「自分のやりたいこと」を通そうとしているのは、知らず知らずに網の目が出来ているようでとても面白い描写だと思います。


個人的には、丸川町周辺の模型を作って40万円を得られるかどうかを始終気にしている、丸神ゼミの多賀谷なんか実にいい味出しているキャラクターだったと思います。徹底して「脇役」なんですが、江美先生や桜木と一緒に、最後の最後までなんだかんだでストーリーに絡み続ける存在感は凄い。

あと丸川町の早野さん。「われわれのような恐ろしい組織が」のところで後ろの二人が吹きだしている場面なんか、同作には珍しい軽いノリのシーンでステキ。


とはいえ、岩明先生の作品に共通したところですが、「全員なんか似たようなTシャツかポロシャツしか着てない」というところは否定できない事実かとは思います。ヒストリエでギリシャ世界という場面を得た岩明先生の躍動感(衣装的な意味で)凄い。

まあさっちゃんはかわいいのであまり気にしないでください。



ということで。長々書いて参りましたが、私が言いたいことは

・七夕の国をまだ読んでない人は今すぐAmazonでポチって読みましょう、出来れば4冊まとめて


という一点のみであり、他に言いたいことは特にないので、皆さんよろしくお願いします。

今日書きたいことは以上です。
posted by しんざき at 19:54 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
奇声獣と不倒城が大好きなので最初の20行くらいを読んだ時点で購入を決めました。残りは読破後に拝見致します。
Posted by at 2015年01月23日 00:04
恐れ入ります。お好みに合うことを切に祈念しております。
Posted by しんざき at 2015年01月23日 12:24
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