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【日本史】戦国ちょっといい話 てんこもり。


【日本史】戦国ちょっといい話

1: 人間七七四年 投稿日:2007/02/23(金) 22:33:24 ID:OA17Uaqt

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう




2: 人間七七四年 投稿日:2007/02/23(金) 22:39:51 ID:h1u8d7l0

お前たぶん負けるから絶対喧嘩売るなよ! 一応兵糧やらの関係で邪魔にならない程度の兵を送ってやるから
そんな忠告を無視し無謀にも3倍の兵力に喧嘩を売りボロ負けして奮戦したものの武将1人死んで壊滅状態で帰ってきた自分の軍
普通はここでブチ切れるか見捨てるかなのに何も言わず更にはそいつがピンチに陥った時に大軍を率いて駆けつける・・

信長マジいい奴じゃん


4: 人間七七四年 投稿日:2007/02/24(土) 03:13:27 ID:mG1IIf9w

母里友信は黒田家臣。
無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。




8: 人間七七四年 投稿日:2007/02/26(月) 01:22:06 ID:HNOYswQm

真偽は定かではないが、上杉謙信と平井城主・千葉采女の娘の話はちょっと可哀想だなと思った。


9: 人間七七四年 投稿日:2007/02/27(火) 09:20:20 ID:cYHNmDA6

>>8 
どんなの?


10: 人間七七四年 投稿日:2007/02/27(火) 11:15:54 ID:MbAiNPua

>>9
上杉謙信が関東へ遠征を行った際、上野平井城主千葉采女が降伏し、娘の伊勢姫を人質として送ってきた。
謙信は伊勢姫を目にした瞬間に心を奪われ閨房に入れようとした。伊勢姫も何かと気にかけてくれる謙信に惹かれていた。
だが重臣柿崎景家に「降将の娘を娶るのは傾国の元である」と諫められ、謙信は思いとどまった。謙信のもとに嫁ぐのは叶わぬ思いであると悟った伊勢姫は落胆し、青龍寺に入って剃髪しまもなく世を去ってしまう(一説には自害)。
これを知った謙信は深く悲しみ、生涯不犯の思いをより強くしたという。


何度も言うが真偽は定かではありません。


13: 人間七七四年 投稿日:2007/02/27(火) 15:02:56 ID:GgaN+b7M

信長が平手政秀を馬鹿にされたことに激怒した話とか


18: 人間七七四年 投稿日:2007/02/28(水) 23:53:20 ID:PobDX/OW

>>13
kwsk


20: 人間七七四年 投稿日:2007/03/01(木) 11:48:03 ID:XHQnjNAb

>>18

 これは近畿を平定し、信長の勢力が日に日に盛んになっていった頃のことである。

 近臣たちがへつらって「このように強大になるとも知らずに平手政秀が自害した(政秀は若い時の信長の素行
を改めさせようと諫死した)のは短慮でした」というと、信長は顔色を変えて怒り、「わしがこのように弓矢を執れ
るのは、みな政秀が諫死したことのおかげである。自分の恥を悔やんで過ちを改めたからこそだ。古今に
比類ない政秀を、短慮だというおまえたちの気持ちがこの上なく口惜しい」と言った。

 信長は事あるごとに政秀を思い出し、鷹狩りや河狩りに出たときなどは、鷹が捕った鳥を引き裂いては、その
一片を「政秀、これを食べろ」と言って空に向かって投げ、涙を浮かべたことが度々あったという。


115: 人間七七四年 投稿日:2008/02/07(木) 18:32:25 ID:VLBPkDDt

>>20遅まきながらそのエピソード出どころ確認しました ちゃんとした資料なんだな
他にも死んだ平手の事をなじった家来を強く叱責する話もありますね
平手政秀の息子(孫?)を家康へ援軍として送り討ち死にさせてしまった信長の無念が聞こえてくるようです


19: 人間七七四年 投稿日:2007/02/28(水) 23:56:47 ID:3obLOicD

備中高松城にて
隆景「マジでもういいよ。無茶すんな。」
宗治「だが断る!」


22: 人間七七四年 投稿日:2007/03/01(木) 20:58:53 ID:PS1CVjIN

まぁ大谷の鼻水はガチでいい話
関ヶ原へとつながるわけだし


32: 人間七七四年 投稿日:2007/03/04(日) 20:08:46 ID:D7MrSMDk

信長が岐阜と京都を往来する間、不思議な物乞いを見かけた
体が不自由そうで、普通恵んでくれる人を求めて移動するはずなのにいつも同じ場所にいたので気になった信長は近所の者に事情を聞く
するとその男は先祖の罪(源義経の母を殺した)でそこから動けない物乞いだという
ある日、そこに立ち寄った信長は近隣の人々を集めて反物を与え、その物乞いの暮らしが立つようにしてやってくれと頼んだ
天下を左右する大名が、乞食一人にわざわざ情けをかける姿に人々はありがたいことだと言い合った
魔王と呼ばれる信長の意外な一面を現すエピソード


33: 人間七七四年 投稿日:2007/03/04(日) 23:01:54 ID:r5gHPvox

大谷つながりで関が原の時の逸話を一つ。

藤堂高虎の軍に従軍していた藤堂高刑が吉継の小姓の湯浅五助を発見した時、
五助はうずくまっていたので勝負してみると五助は「待ってくれ。今、ここに主君の首を埋めたが、
主君の面容を敵に見せるは恥辱となるので埋めたのだが、私の首の代わりにここに埋めたことを秘して欲しい」
と頼んだのを高刑は「武士の面目にかけて他弁は致すまいぞ」と誓い、五助の首を取った。
このことを伏せ、主君の高虎に同行して徳川家康に見せると「五助ほどの者が主君の行方を知らぬはずがない。
もしかしたら五助は首を隠したのではないのか?」と聞くと高刑は
「私は知らない事はないが、五助と他弁をしないと誓って首を取ったので
このことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、私を御処分くだされ。」と言ったので家康は
「これほどの律儀者がいるとはな。首のありかを言えば高虎の手柄になる物を」と言って褒美を高刑に与えたという。


34: 人間七七四年 投稿日:2007/03/04(日) 23:46:52 ID:xewO2Meq

無類の強さを誇った島津義弘も
晩年は老いに勝てず、1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
そこへ家臣の1人が「殿、戦で御座る!!」と告げると
城外で一斉に兵たちのトキの声が聴こえてきた

すると、今まで寝込んで起き上がれずにいた義弘の目がクワッと見開き
1人で起き上がり飯をたらふく喰らったという。

勿論、戦というのは、義弘を奮い立たせようとした家臣たちの嘘だった訳だが
老いても戦と聴くだけで奮い立った義弘の凄まじさが垣間見える逸話だね


37: 人間七七四年 投稿日:2007/03/05(月) 02:33:44 ID:kkU1I50N

>>34
粋な家臣達だなぁ・・・


102: 人間七七四年 投稿日:2008/01/04(金) 00:46:13 ID:kdHssbqW

>>34
これ凄い好き。

「義弘晩年の平和な一日」

みたいな内容で、三谷幸喜さんに脚本書いて欲しい。


55: 人間七七四年 投稿日:2007/10/11(木) 16:53:18 ID:oxcwdwVP

「結局戦なんて運なんだよ。個人的武勇の差なんてそんなにある訳がない
今に見てろ。今日一つも首を挙げられなくとも、次は十も首を取れるぞ」

そうして慰められた奴が見事武将を討ち取り刀を授けられましたとさ



…別にいい話じゃねぇな


56: 人間七七四年 投稿日:2007/10/11(木) 17:09:32 ID:HzmBeWdw

それは、なんというか、いい話しだけど、けんしんがしんげんに塩おくったみたいな具体的な話しじゃないけど。

きっとみんなそうやっていいあっていきてたんだろうね。


57: 人間七七四年 投稿日:2007/10/14(日) 04:28:11 ID:unPCZziN

にんげんっていいなぁ


60: 人間七七四年 投稿日:2007/11/02(金) 23:02:16 ID:Ypc2+khU

織田軍が行軍中の路傍で農民が横になって爆睡していた。
信長の横にいた家臣がその無礼を怒り殺してやる!といきり立つと信長はそれを止め「何の不安もない民のくらし…わしはあのような平和な国を作りたいのだ」と言ったと言う。
それを寝たフリをして聞いていた農民の顔は猿顔だった。


63: 人間七七四年 投稿日:2007/11/02(金) 23:49:39 ID:Ypc2+khU

郡山城には人柱の代わりに百人一心の石碑が埋まっている。
伊達輝宗の遺徳を慕い殉死が相次いだ。その中には低い身分から異例の出世をした者もいた。
謙信が佐竹義重の武勇をみて「我が武略を真に継げる人物はあなただけです。この長刀は老後に杖として使うつもりでしたがあなたに託そうと思う」と言って刀を贈った。
しばらくして手取川で織田軍5万を2万で破った謙信は死去した。義重はこの宝刀を大切に想い武神の魂としていつも手入れを欠かさなかった。
義重もいつしか歳をとり息子の義宣に我が武略の魂として長刀を与えた。
少し経ってから義宣に会った義重は何やら見た事がある刀を見かけて不思議に思って聞いてみた。「なんだその刀は見た事あるな?」
すると義宣はニコニコしながら答えた。「あぁこれは過ぐる日に父上からもらった長刀です。なんか長すぎて柄に収まりづらくて使いづらいから短く切断しました♪だいぶ使い易くなりましたよ!」
それを聞いた義重は悲しい表情をして空を仰いで「あぁ我が武神も去ったか」と嘆息した。その後義宣は常陸一国から転封され出羽秋田に飛ばされた。


64: 人間七七四年 投稿日:2007/11/03(土) 12:13:20 ID:2G+Lmnvj

>>63
それがかの有名な「小豆長光」なんですか?
だとしたら哀しすぎる。・゜・(つД`)・゜・。


69: 人間七七四年 投稿日:2007/11/04(日) 06:50:59 ID:eBU6j+Zb

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