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A-12オックスカート抜きにSR-71ブラックバードは語れない : ギズモード・ジャパン

A-12オックスカート抜きにSR-71ブラックバードは語れない

2015.02.12 19:00
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A12のAはArchangel(大天使)のA。

SR-71ブラックバードと生き写しですが、これはその父親のA-12オックスカート。ある意味、ブラックバードよりもっと優れたマシンとも言えます。その歴史を少し見てみましょう。

マッハ3.2実現の長い道程は1957年に始まりました。技術の粋を結集した極秘の飛翔体はどれもそうですけど、A-12開発史もまた驚くべきエピソードの連続でありました。

1957年にオックスカート開発プログラムがスタートしたのは、米軍の業務委託先が「ソビエトの防空網を回避する唯一の道は、超高高度の超音速飛行だ」と提案したのがきっかけです。

1954年にU-2偵察機開発プログラムの指揮をとったCIA幹部リチャード・ビッセルは、U-2(高高度偵察機)がソ連のレーダーと地対空ミサイルに対して無防備だという懸念を抱いていました。事実、氏の予感は的中し、1960年5月1日にはソ連スベルドロフスキ近郊でU-2が撃墜され、操縦していた米軍フランシス・ゲーリー・パワーズ大尉が捕まる事件が勃発します。

ちょうどその頃、水面下では既にA-12開発プロジェクトが進行中でした。ロッキードが「対レーダー研究、航空力学的な構造テスト、デザイン設計」を完了したのを受け、CIAは1960年1月30日、A-12の12機製造にGOサインを出します(まだバージョン11なので厳密には「A-11」)。主任設計者はロッキード社スカンクワークス初代トップのクラレンス・ジョンソン。U-2の開発責任者だった人です。

ところが何ヶ月も図面を直して風洞テストをやった後になっても、まだ誰も本気でこれが「飛ぶ」とは思っていなかったようです。


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最終的には飛びましたが、そこに辿り着くまでは苦難の道のりでした。たとえば飛行機のフレーム。これはトップスピードで華氏550度(摂氏288度)の高熱に耐えなきゃならないので、チタン合金を使わなければならないのですが、当時の飛行機製造工程はアルミニウムのフレームしか扱ってなかったもんだから、さあ大変。チタンを突っ込んだら機械が全部ぶっ壊れて新しいパーツを全部一から設計して造り直す羽目に…。当然、飛行機は1機1機手づくりです。

レーダーシグネチャをつくる部分も一筋縄ではいきませんでした。1年半もの間、さまざまな新開発のレーザー吸収素材で作った等身大モデルのテストを続ける日々。極秘基地で何度も試行錯誤を繰り返してやっとわかったのは、胴体の各側面に大きな金属製部品を若干加えるとレーダーの到達範囲が狭まるということでした。

ジョンソンは「空気力学にはマイナスかも」と考えたのですが、いざ飛行テストをしてみたら浮力にもプラスになるではあーりませんか。レーダー探知を交わす技術を探す中で得た横道の発見ですが、ロッキードはこれはこれとしてありがたく頂戴し、後年ほかの超音速機の設計をする際にこの仕組みを採用しました。

そんなこんなで、ほぼ原型がわからないまでに改良を重ねてようやく辿り着いた最終進化形、それがA-12です。


コックピットは八熱地獄

A-12は外枠もひと苦労なら中身もひと苦労でした。まず重さ。重量的にキツいので断熱材は搭載できないので、コックピット内は釜茹でオーブントースターです。パイロットは宇宙飛行士みたいに冷却装置つきのスーツを着用しないと操縦ひとつできませんでした。もちろんトイレなんか立てないので、「ファイヤーフォックス」主演のクリント・イーストウッドみたいにアスベストの下着着用です。たった4時間操縦するだけで体重が5ポンド(2.2kg強)落ちるのが普通でした。恐るべし、音速超え。


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滑走路もオックスカート・プログラム専用のものを作りました。 最初のテストで使ったのはネバダの砂漠にある極秘の滑走路(CIAは記録に残していませんが、おそらくエリア51)。でもこれは長さが5,000フィート(1.52km)しかない上に、A-12の重量をとてもじゃないが支え切れないため、コンクリートを山のように投入して、A-12の離着陸に必要な8,500フィート(2.6km)ぶんの長さを確保したのです。

パイロットの条件は身長6フィート(183cm)、体重175ポンド(80kg)未満であることです。その条件をクリアして見事この未曾有の怪物のテスト飛行に選ばれた勇者がWilliam L. Skliar、Kenneth S. Collins、Walter Ray、Lon Walter、Mele Vojvodich、Jr., Jack W. Weeks、Ronald "Jack" Layton、Dennis B. Sullivan、David P. Young、Francis J. Murray、Russell Scottの面々。「ライトスタッフ」の飛行機版ですね。


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逆さまでレーダーテストを待つA-12@エリア51


1962年4月26日、A-12はついに空を飛びます。40分に渡る非公式の初飛行で操縦桿を握ったのはLouis Schack。その4日後、公式の処女飛行でも氏がパイロットを務め、59分飛びます。音速超え達成は5月4日、記録はマッハ1.1。その後は政治のドロドロと事故で延期を繰り返し、実戦配備になったのは5年後のことでした。赴任地はベトナム。

1967年5月31日の初出動では、全数値目標を達成。がんばったA-12は翌1968年に退役し、SR-71ブラックバードに主役を交代しました。ロッキードが製造した最後の15機のうち5機は行方不明、死亡したパイロットは2名。目立った成果はなかったように思われるかもしれませんが、A-12は当時の概念と限界をあらゆる方向に押し上げ、今みんな超音速機で常識と思っていることの多くを実現しました。航空力学の設計、生命維持装置はもちろんのこと、製造工程に残した影響は計り知れません。

操縦士のひとり、ケン・コリンズはラングレーのCIA本部で行われた初公開イベントのとき、こう語っていましたが、まさにその通りだと思います。

「美しい飛行機だった。着陸して美しく、飛ばして尚いい。技術に圧倒される名機だった」


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15機生産のオックスカート・プログラムで生き残った10機。1機はNYCの空母USSイントレピッド(現在は博物館)のデッキで見学できる


A-12オックスカート vs SR-71ブラックバード

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さて、後継ブラックバードとスペックを比べてみたのがこちらのチャートです(正式には「機密」扱いの数値も結構混じってますが、どれもかなり正確な数字ということになってます)。

A-12オックスカートとSR-71ブラックバードを比べてみると、一番の違いは最大積載量と燃料補給無しで飛べる距離です。ブラックバードの方が同じ時間内で、ずっと多くの物を、ずっと遠くまで運べました。



それは2012年に機密が解除になって公開された上記の比較資料からも明らかです。A-12はミッションごとに搭載物を入れ替えないとダメでしたが、SR-71は以下の各種センサを同時に搭載することができました。これはDefenseTechが2012にまとめた搭載物リストです。

「技術的カメラ」2台
「作戦用カメラ」2台
「地形撮影用カメラ」1台
「高解像度」の側面監視レーダー1台
赤外線カメラ1台
電子通信諜報用パッケージ
電子戦闘(対策)システム3基、CFAX, APR 27、System 13C


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あとデザインも若干違います。以下の写真は手前がA-12、奥がSR-71。奥の方がコックピットの窓は多いのがわかります。

最後にエンジン。これはSR-71ブラックバードのプラット・アンド・ホイットニーJ58の方が、A-12初ロット5機のJ75より格段にパワフルです。まあ、A-12も6機以降はJ58搭載ですけどね。

[おまけ]
米版コメントにあったエピソード。これは知ってる人もいるかな?

エリア51といえばこんな逸話が有名だよね。CIAはソ連の衛星が通過する時刻を知っていたので、飛行機を(この記事の写真みたいに)立ててレーダー反射断面積を確認して、ソ連が通過する前に機体を屋内にしまっていた。ところが何ヶ月か経ってからモスクワでCIAのスパイがA-12の輪郭を発見。正体はわからないながらも、形だけはソビエトも把握していることがわかった。

よくよく探りを入れてみたら、ソ連の衛星は赤外線センサーもついていて、地面に冷えたところがあれば、それも拾えるんだよね。つまり衛星はオックスカートが地面に落とした影を拾っていたというわけ。

しょうがないのでCIAはダンボールをいろいろありえない形に切り抜いて地面に置いて、モスクワを何年も困惑させ続けたっていう話。

*本稿は2007年の記事に加筆したものです。


Jesus Diaz - Sploid - Gizmodo SPLOID[原文
(satomi)

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