はいわかった、なかったことにしましょう
環状線をもう一周して帰ろうと思った。
追加料金が発生するけれど、そのくらい払ってやろうと思った。
今日は楽しい一日で、これからもそうであるはずだったのに。
電車に乗り込み、たまたま椅子に座れたまではよかった。
その座席で俺は二年付き合った女から一方的に別れを告げられた。
突然の出来事に呆然とし、立ち上がることも出来なかった。
降りるはずの駅に止まっていた電車は、俺に情状酌量の余地も与えずドアを閉めた。
一人暮らしの部屋は真っ暗だった。
電気をつける気力もわかず、二度か三度ほど何かにつまずきながら俺はベッドに転がり込んだ。
目は段々と暗さに順応して行き、うっすらと灰色の天井が見える。
目蓋の裏に今日のデートが、彼女の笑顔が映って目を開けた。
静かな部屋では彼女の声が聞こえるようでヘッドフォンをして音楽を聞く。
好んで何度も聴いていたはずの歌が急に安っぽく聞こえるようだった。
頭はまだ現実を認められないでいる。
ぐるぐると現れては消えゆく思考に、五月蝿いだけのヘッドフォンを外す。
『何が悪かったんだろう』 『なんでフラれたんだろう』
『なんで何も言い返せなかったんだろう』 『もし今日出かけなければ』
『またやり直せないかな』
付き合う前に戻りたかった。あの頃はまだ彼女の言いたいことがよくわかるようで。
最近の彼女は何を考えているのかよくわからなかった。
――彼女と、女と付き合ってなきゃよかった。
そんなことを考えながら眠りに付いた。
『はいわかった、なかったことにしましょう』
夢の中で神様にそう言われた。
「は?」
携帯を見ると、女からのメールが一通入っていた。
>昨日は楽しかったね! 誘ってくれてありがとう。
>昨日に続いて早速でごめんね。
>もしよければでいいんだけど今日映画見に行かない?
>見たい映画が今日までらしくて。
思わず画面を二度見する。だが文面は変化しない。
馬鹿にされているのかと思った。
だから俺は返信をせず、携帯をベッドに投げつけた。
携帯の着信音が部屋に鳴り響いた。反射的に俺は電話を取った。
《あ、もしもーし》
女だった。電話を切ろうかと思ったが、急にさっきの夢の言葉が頭に響いた。
『なかったことにしましょう――』
「まさか、な」
《あれ、聞いてる? もしもーし》
「ああ、もしもし」
《ん、何か都合悪かった? ごめんね》
「いや、大丈夫。どうしたの?」
でも、もし。
騙されてるとは思いつつ何かに期待して会話を成立させる自分が不甲斐なかった。
《メール見たかな……?》
「ああ、いいよ。何時に集合する?」
《やったあ! 映画が14時からだから……》
彼女の純粋な声色がどうしても嘘だとは思えなかった。
おかしいのは俺のほうだったんじゃないか。
そんな風にさえ思えてきた。
昨日のあれは、悪い夢だったんじゃないか。
《それじゃあ、12時くらいにいつもの場所で!》
きっと、そうに違いない。
煮え切らない思いを無理やり御すと、俺は出かける準備を始めた。
家にいても全く落ち着かなかった。
待ち合わせ場所に一時間も早くついてしまった。
五分、十分と経つにつれ、徐々に心に不安がたちこめてきた。
やっぱり騙されているんじゃないか、どこかに隠れて笑っているんじゃないか。
疑心が渦を巻き始め、思考はだんだんと悪い方に向かっていく。
帰ろうか。そんな考えが浮かんだときだった。
彼女は手を振りながら走ってきた。
「おまたせ! ごめん、待った?」
時間は11時42分。
「いや、さっき来たとこだよ。それにまだ待ち合わせ時間にもなってないし」
俺にはやっぱり彼女の不安そうな、嬉しそうな表情がどうしても演技には見えなかった。
よく来ていたファミレスで昼食を取る。
「いつも遅刻する男くんが先にいるんだもん、慌てたよ」
「なんとなく家にいても落ち着かなかったんだよ」
いたずらっ子のようににやりと笑いながら軽口を叩く彼女。
不自然にならないよう心がけながらの会話の応酬。
それはどこか疲労がたまるようでもあった。
「……もしかして、今日何か予定あった?」
食事も終わり軽い談笑をしているとき、彼女は不安そうに聞いた。
「ん、ないけど。どうして?」
「いや、なら私の勘違い。ごめんね」
慌てる彼女を見て、いたたまれなくなってつい携帯に目を落とす。
今朝のメールをもう一度確認しようとしたとき、あることに気が付いた。
「……これ、昨日の夜のメールか?」
>今日は楽しかったね、いつも誘ってくれてありがとう!
>次は誘うからまた遊ぼうね!
返信のマークがついているのに気付き、送信メールも確認する。
見つかったのは送った覚えのないメール。
>こちらこそありがとう。期待して待ってるよ!
「マジ、かよ」
「どうしたの? もしかしてほんとに急用できちゃったとか?」
ハッと気付き顔を上げた。
「いや、すまん。女からのメールを読み直してただけだよ」
そう言うといつも彼女は恥ずかしがる。それが楽しくていつも弄るネタにしていた。
「んー私なにか変なこと送った?」
しかし今、彼女は平然とグラスを持ちジュースを飲む。
「いや、ただの確認だよ」
ごまかすようにそう言って笑った。彼女も優しく微笑んだ。
別れ話がなかったことになったのか。それとも別れ話なんてなかったのか。
どちらにしても結果は同じだ。
首をかしげながらも俺は現状に従うしかない。
きっとすぐに慣れてしまうのだろう。
そう自分に言い聞かせた。
ファミレスを出て映画館に向かう。
いつもの癖で彼女の手を取ったときだった。
「えっ」
一瞬ビクッと手を震わせ、彼女はすぐに手を引いた。
彼女は少し困ったような顔をしている。
「ん、どうした……?」
まさかと思い、恐る恐る聞いてみる。
「いや、いきなりでびっくりしただけ……ごめん」
「……いや、こっちこそごめん。手、繋いでいいか?」
よくわからないまま謝り問うと、彼女は少し悩むような仕草を見せた。
「……男くんは、私のこと好きなの?」
俺はその一言で混乱したんだろう。
何が起きているのかを考えもせず、ついに彼女に直球の質問を投げた。
「え、俺ら付き合ってるんだよな?」
一瞬の間をおいて、彼女は笑って答えた。
「なーに? またいつもの冗談?」
でも、彼女の笑いが僅かに引きつったのを俺は見逃さなかった。
「悪い悪い、ちょっとふざけすぎたよ」
その一撃で冷静になった俺は作り笑いで頭を掻いた。
俺は。俺と彼女は付き合っていない。
それがこの世界の事実だということだろうか。
『なかったことにしましょう――』
ありえない。そう思いつつももう無視することが出来なかった。
くっきりと脳裏に残る夢で言われた神様の言葉。
俺は寝る直前に何を願ったんだっけ。
『彼女と、女と付き合ってなきゃよかった』
おそらくその願いが叶ったということだろう。
俺と女の付き合った二年間は、おそらくなかったことになっている。
そしてきっと違う二年間が、俺と女の間にあるのだろう。
俺たちは一緒に映画を見て、買い物をして、そのまま居酒屋に入った。
お酒の力を借りて、もう一度彼女に告白した。
彼女は赤かった顔をさらに真っ赤にして、静かに頷いた。
彼女を家まで送り届け、俺は家に帰った。
またやり直せる。このとき俺は幸せでしょうがなかった。
今度こそ彼女を大切にすると決めた。
それから三ヶ月が過ぎた。
俺たちは色々なところに行った。
俺の二年間で行ったところに、行かなかったところに。
当たり前かもしれないが、俺と彼女の二年
コメント一覧
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- 2015年03月02日 10:54
- 観測者として存在を確認できなくなればそれは存在しないものということでは
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- 2015年03月02日 10:59
- >>1
死に直面した老人が願ったのは、すべての記憶を無くして赤ん坊から始める「新しい世界」。
『はいわかった、なかったことにしましょう』
成長した青年は、その「新しい世界」を無かったことにしてくれと願ってしまった。
同じ人間のねがいを叶えるため死に直面した老人のいる世界を戻した。
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- 2015年03月02日 11:55
- >>3
この程度もわからないとか、>>1はSS読みとして知性が欠落しているよね。
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- 2015年03月02日 12:06
- オールフィクション!!!
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- 2015年03月02日 12:19
- ※1だけど※3ありがとう
そういう解釈の仕方をすれば最後の俺はもう〜の意味がわかったわ
※4はSS読みとか気持ち悪い言葉使ってる知性を疑え
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- 2015年03月02日 12:53
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>>3のお陰でなんとか理解できたわ
普通に面白かった
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- 2015年03月02日 15:12
- これを期に文庫サイズで出版されているショートショートを読んでみようよ。
雑誌の数ページから半ページを埋めるために紡がれる文章を読めば、
文章の余韻ってのが読めるようになるから。
時間つぶしにもなるしさ。
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- 2015年03月02日 16:41
- 便所の落書き読むのに知性がいるのかよ…
あ、SSは面白かったです
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- 2015年03月02日 18:38
- SSって「ショートショート」の略だったのか
ショートストーリーかと思ってたわ
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- 2015年03月02日 18:49
- 『僕は悪くない』
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- 2015年03月02日 19:01
- どうでもいいんだけど文章の余韻を読むってなに?
行間を読むってこと?
ポエマーなん?
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- 2015年03月02日 19:07
- ???「俺は…俺は悪くねえぞ」
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- 2015年03月02日 20:06
- あのどうしたら※3のような解釈ができるんですかね?根拠となる文を教えてほしい。
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- 2015年03月02日 20:06
- 『』これからしててっきりオールフィクションな話しかと
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- 2015年03月02日 21:00
- ※3.4は作者の自演だよ
根拠はないけど、SS読み(笑)としての俺の勘がそう告げてる
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- 2015年03月02日 21:07
- 文庫のショートショートと便所の落書きは別物だから
引き合いに出すこと自体筋違いもいいとこだからね?
焼きそばとカップ焼きそばくらい違うからね
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- 2015年03月02日 23:34
- 作者の自演で下の中だった作品が下の下に成り下がってしまった
なぜ自分の作品を貶めたのか
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なんで世界がなかったことになると願ったのに終わるのは自分の世界だけなの?
他人に影響与えられるなら世界がなくなってるはずだし
影響与えられないなら彼女がなくなったのおかしくね