まるで人間が設計図を元に機械を組み立てている工程をビジュアル化したよう。機械部品と人体の手や目などが克明な描写で描かれています。
小山篤さんは多摩美術大学絵画科を卒業した後、東京理科大学に入学し数学を学ぶという経歴を持っています。
頭の中で消化できたものを描き写すのではなく、消化できないからこそ描く。自分が何を選び どのように描いたのか、その痕跡を見てみたい。私は描く造るということに重点を置き制作して いる。
見ただけでは納得いかないものを図や補助線を使い確認していく。理解に到達したかに関係な くその残ったものが絵になっていると感じた。理解のために頭の外に出力せねばならなかったも のが現れていたからだ。納得いくものならば外に出す必要がない。描かざるおえない何かがあっ たのだ。ここに描く造るという本質があるのではないか。
制作の目的は、画面との試行錯誤の結果、画面から出てきたものから自分が何を選び何を無視 したか、どのように描いたかを自分自身で確認することである。考えて結論が出ているものを表 すための媒介として画面に再現することが目的ではない。
対象はなんであれ理解するため、その理解を確認するための画面とのやり取りの状態が美術で あると考えている。私の興味は作品から主張を読み取ることではなく作者がよく見るために置い た絵の具の痕跡にある。小山篤 ATSUSHI KOYAMAより