鷺沢文香「百薬の長でも草津の湯でも」
※モバマスSS
※地の文あり
※登場キャラ……文香、楓
※Coだけどクールじゃない
※鷺沢文香
※高垣楓
●00
……そうしたあなたのあまりにも正確な優しさの中で、
私が何か判らない物足りなさを感じていたのに、あなたはお気づきだったでしょうか。
あなたの優しさの中には、いつも、あなたが残してきた過去が感じられました。
……それを、そねんだ訳ではないのです。
ですが、それでも、やはり、そうした過去の日々がなかったかのように、私はあなたに愛してもらいたかった。
はじめてのようなやり方で、あなたに愛してもらいたかったのです。
(柴田翔『されど 我らが日々――』)
●01
私のプロデューサーさんは、出会ってから今に至るまで、
変わらず魅力的な方であると私は思います。
『……アイドルをお探しですか? 当店は……アイドル雑誌などのお取り扱いはございません。
……違うのですか? ……ええと……あの、お話がよく飲み込めないのですが』
プロデューサーさんに初めて出会った時、私が抱いた感情は困惑でした。
私は、それまで日焼けした古本の不思議と仄甘い匂いに浸っていましたし、
これからもそうするつもりでした。それ以外の世界は、目に映っても心に浮かんでいませんでした。
けれど私のプロデューサーさんは、私の手を引いて、
強引なまでの勢いで、目映いほど輝くステージに連れて行きました。
『書店のお仕事は座っていればよかったのに、アイドルというのは……』
初めて足を踏み入れるアイドルの世界は戸惑いの連続で、最初は不安さえ感じる暇がありませんでした。
ある種の無知は恐怖心を鈍感にします。この世界で、私は赤ん坊同然でした。
『書の世界はどこか時が止まったような感覚で……
でも、もしアイドルという道に一歩を踏み出せば、私も前に進めるでしょうか……?』
『……新しい自分、興味あります。アイドルになったらもしかしたら……』
プロデューサーさんが手を引いて導いてくれる世界は、好奇心と不安が背中合わせでした。
うまく行かなかったらどうしよう、期待に応えられなかったらどうしよう……と思い、
人の目に怯み気圧される瞬間もたくさんありました。
そうして、たたらを踏んだり尻餅をついたりする私を、
プロデューサーさんは何でもない風な顔で支えてくださいました。
『……多くの人に見られるのは、やはり苦手です。守ってください』
今に輪をかけて未熟だった私は、ファンの皆様のため、という意識を持つほどの余裕がなくて、
燦めくステージの興奮と、舞台裏で見守ってくださるプロデューサーさんとの間を往復していました。
『……まだまだ新米のアイドルですけれども……私、せめて顔を上げて……
こうして、目を見てお話できるように頑張ります』
『……書との出会いは人生を変える、という名言があります。
プロデューサーさんは私を……変えてくれました。人生の、教科書のよう……』
遅ればせながら、プロデューサーさんが私を守ってくれている、ということが実感できて……
語弊を恐れずに言えば、私はプロデューサーさんのためにアイドルを演じていました。
●02
ただあなたに手を引かれるだけだったアイドルの姿が、私の新しい頁として綴じられるのに、
そう時間はかかりませんでした。プロデューサーさんとの時間は、格別に濃密でしたから。
『……書との出会いは人生を変える、という名言があります。
プロデューサーさんは私を、変えてくれました。人生の、教科書のよう……』
プロデューサーさんの手で、私の知らない私が、新たに綴られていきます。
『私からは、物語など生まれないと思っていました……でもプロデューサーさんが紐解いてくれました』
プロデューサーさんの手で綴られる、アイドル・鷺沢文香の新章を、私は心待ちにするようになりました。
一番熱心なファンよりも――もしかすると、プロデューサーさん自身よりも、その思いは強いかも知れません。
それを自覚した時、既に私の中は、プロデューサーさんへの感謝が敷き詰められていました。
『……プロデューサーさんと過ごす時間が増えるたび、私という書も厚みを増す。
それは、幸せです。心より感謝します。深く』
『プロデューサーさんは、甘いです。甘やかしてくれる、という意味です』
私のために心を配ってくださる方。
記憶の中で轟いて眠れなくなるほどの興奮と歓声の中、道を示してくださる方。
『……目は口ほどに物語ると言います。プロデューサーさんの目も、同じ』
私の中に、プロデューサーさんへの恋が入り込むのは、ありがちな展開でした。
本でしか恋愛を知らなかった私にすら、明白な事実でした。
『プロデューサーさん……私が目で語る言葉、分かっていただけますか……?』
私はプロデューサーさんへ近づくのをためらいませんでした。
私のプロデューサーさんなら、最初に私からアイドルへ続く扉を開けてくれたように、
私から恋愛へ続く扉を開けて、素晴らしい世界を見せてくれると信じられたから……だったと、思います。
プロデューサーさんは、いつだって頼りがいのある男性です。
プロデューサーさんは、私が自分に危機感を抱いてしまうほど、私のことを察して動いてくださいます。
そんな、これ以上望み様がないほど行き届いたプロデューサーさんの存在が、
私の内心をきりきりと痛ませるようになったのは、いつからでしょうか。
●03
「――大丈夫ですから、どうかご心配なさらず、お仕事に戻ってください……。
私も、プロデューサーさんの仰るとおり、ちゃんと休息しますから……」
私の声は、声帯を震わせるたびに腫れぼったく痛みました。
きっとプロデューサーさんなら、電話ごしでも不調に勘付いたでしょう。
通話を切ってから、髪が乱れるのも構わず寮のベッドに身体を倒します。
無造作に転がした身体が、熱く重苦しく、私は嫌でも自分の体調を実感させられます。
同室の子も仕事に出て行って、風邪引きの私が寮室に一人――
という状況をプロデューサーさんが心配してくださいましたが、
私は症状がたいしたことない素振りをして、強引に通話を打ち切りました。
実際、体温計がさした温度はかろうじて37度台でした。
発熱だけを考えれば、たいしたことではありません。
アイドルという仕事は、歌ったり踊ったりという体力的な消耗もあれば、
あちこち移動したりいろいろな人と会ったりという精神的な消耗もある、ハードな仕事です。
今はアイドルをしている私も、ほかの仕事は古書店の店番しかしたことがありませんでした。
もともと体力に乏しい私は、プロデューサーさんやトレーナーさんが配慮してくださっても、
時折こうして体調を崩してしまいます。
本当は、タオルで身体を拭くぐらいしなければ、熱が長引いてしまいます。
が、一人では指先一本も動かす気力が湧きません。
部屋に一人きりで、蛍光灯のかすかな音ばかりが耳に入り込んできます。
電話をかけたとき、プロデューサーさんは心配そうな口ぶりを聞かせてくれましたが、
今私がこんな風に発熱で惚けている間も、仕事をしているのでしょうか。
そのまま何をするでもなく、ベッドに寝転んだままでいると、
寮室のインターフォンが突然鳴りました。一回、二回、三回――
私は気力を振り絞ってベッドから起き上がり、応答機のパネルまでよたよたと歩いて、
モニタも見ずに送話ボタンを押しました。
「ピンポーン♪ 楓急便です。真心を届けに参りました。お風邪を召しちゃ――めっ、ですよっ」
私は脱力して壁にぶつかり、膝から床に落ちました。
上体が壁に引っかかっているうちに、手を伸ばして、
かろうじて――本当にかろうじて――ドアロックの解錠操作ができました。
●04
「はーい、文香ちゃんが残さず食べてくださって嬉しいですよ。お粗末さまでした」
「いえ、とんでもありません……ごちそうさまでした」
私の部屋を訪ねてきた先輩アイドル・高垣楓さんは、
室内のインターフォン応答機の前でへたり込んでいる私を見て、一瞬ぎょっとしたようでしたが、
私の意識がはっきりしているのを確認し、さらに食事すら摂っていないことを聞き出すと、
部屋の台所に行って料理を作ってくださいました。
生姜をほどよく効かせたおかゆは、風邪で弱った私の食欲でも、無理なく完食できて、ようやく人心地。
楓さんの家庭的な面を見て、私は素直に感心しました。
「あの、楓さん……?」
「文香ちゃん、どうしたの?」
「楓さんが来てくださったのは……もしかして、プロデューサーさんが?」
私は、楓さんの訪問をプロデューサーさんの差金だと思いました。
プロデューサーさんはご多忙ですし、部屋に体調不良の女性一人でいるところへ、
不用意に訪問するような軽挙は避ける方です。
なので、プロデューサーさんが楓さんに頼んで、私の様子を見に来させたのでは、と考えました。
ですが、楓さんは笑って首を横に振りました。
「あの人、私には特に何も言ってくれませんでしたよ?
ただ、顔にはしっかり書いてあったので……私が勝手に来てみました」
「……楓さん、すごいですね。顔だけでわかったんですか……」
楓さんは、私の問いかけを笑って否定しました。
その笑顔は、礼さんがなぞなぞを出す瞬間を連想させました。
「あの人は、担当アイドルの体調というデリケートな情報なら、不用意に明かしたりしません。
そういう配慮はできる人です……まぁ、時々寝癖が直ってなかったり、ズボンのチャック開けっ放しだったりしますが」
「……それ、見つけた時にプロデューサーさんへ言ってあげました?」
「放置しちゃいました。仕事終わりに一杯やってる時で、変な雰囲気になるのも嫌でしたし」
楓さんとプロデューサーさんと親密なところがさりげなく明かされて、
微熱が染み込んだ頭に動揺が降って湧きました。
「文香ちゃんは……ええと、19歳でしたか。んー、もう少し。誕生日来たら、飲みに行きませんか?」
「私が……ご一緒してもよろしいのでしょうか? たぶん、強くありませんよ」
「えー……そうですね。私とサシが不安なら、あの人も誘って……きっと楽しいです」
私は、プロデューサーさんと楓さんが、静かで薄暗いカウンターに席を並べている様を想像しました。
それはまったく実体験に基づかない妄想だったのでおぼろげでしたが、
はっきりしないがゆえに却って私の心へ執拗に巻き付き、どうしても離れません。
「プロデューサーさんって、酔うとどんな感じになるんでしょうか……?」
私は、いつもでき過ぎなぐらい私を支えてくださるプロデューサーさんが、
楓さんの前では、いくらか隙を見せるのだろうか、と邪推しました。
ついさっき“顔にはしっかり書いてあったので”なんて聞かされましたし。
私にはちょっと真似できそうもない観察力です。
「酔いが回ったら、その人の振る舞いが劇的に変
コメント一覧
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- 2015年03月15日 20:09
- 俺だ
-
- 2015年03月15日 20:30
- >>1
お前だったのか
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- 2015年03月15日 20:46
- なぜ草津なのか無学なワイに誰か教えてクレメンス
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- 2015年03月15日 20:52
- お医者様でも草津の湯でも恋の病は治せない
という言い回しがあるんです
草津は当時、湯治で有名だったから
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- 2015年03月15日 21:06
- 湯治の事だろ?恋の病は、薬でも温泉でも治せない、とかなんとか。それはそうと、小面憎いなんて表現は、自己満足成分が強すぎやしないか?
-
- 2015年03月15日 21:16
- さすがこいかぜの楓さん
-
- 2015年03月15日 21:42
- もっと読みたい感じ
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- 2015年03月15日 21:46
- 25歳児とふみふみのコンビいいな
アニメとかでこの2人絡んでくれないだろうか
-
- 2015年03月15日 21:47
- わりと好きな雰囲気
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- 2015年03月15日 22:28
- ちょっと気取り過ぎ?(悪いとは言ってない)
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- 2015年03月15日 22:56
- 楓さんは正妻ってはっきりわかんだね
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- 2015年03月15日 23:00
- さりげなく※1が未来から投稿してるな
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- 2015年03月15日 23:08
- この楓さんは既にPのお手付きなのかな……
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- 2015年03月15日 23:18
- 中々読ませる文字運びで、楓さんの飄々とした挙措に潜んだ鋭い部分も上手く表現出来てたと思う。
俺は好き。
-
- 2015年03月15日 23:41
- お手が付いてたらいじめてないでしょ
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