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こちらはコメントにて当サイトに直接投稿いただきました記事です
【名無しの鬼女】 さんありがとうございます!

[投稿日時]
2015年04月08日 17:57
■体験談

私の母は私が2歳の時事故で亡くなった。その後後妻(義母とすら言いたくない)が押し掛け再婚、3年後男(弟と言いたくない)が生まれた。
後妻は最初は甲斐甲斐しく私の世話をしていたみたいだが、息子が生まれると継子苛めが始まった。暴力や食事抜きなどの虐待しなかったが、父の居ない所で男をこれ見よがしに可愛がり、暴言を吐かれ、何事にも差別された。だが外面良く「私子は可愛がってあげてるのに全く懐いてくれない、とにかく性格悪くて弟を苛める」等父や周りに吹聴してた。
当然男も後妻に感化され、私は男の単なる憂さ晴らしのサンドバッグ。でも大怪我はさせない程度に加減をしていた為、周りにはよくある「姉弟ゲンカ」にしか思われなかった。父は仕事が忙しく殆ど家にいない。









もう一刻も早く家を出たかった。思いっきりグレて後妻に迷惑掛けてやろうかとも思ったが、それでは後妻の思う壺と思い、とにかく部屋に籠って必死に勉強した。勉強に影響しない程度にバイトも頑張った。後妻は私の好成績とバイトの仕事ぶりを近所の人に褒められ「アテクシ(後妻)の指導のお蔭」といい気になってたみたいだがちげーよバーカ。
私が成績は良いのは周りに知れ渡ってたので、後妻は勉強の妨害や学費のケチりはしなかった。私は県立高校に進学、県外の大学に進学すべく頑張ってた。そんな時父がガンに倒れた。
気が付いた時には父は末期ガンで、余命がついた。私は目の前が真っ暗になった。父が死んだら私は無一文で家を追い出される?いや就職させて搾取&奴隷? 様々な思いが頭の中を駆け巡る。はっきり言って後妻を制御出来ない父にも恨みがあり、シ別の悲しみよりも自分の将来の不安が大きかった。
父の見舞いはたまには行った。言いたいことが山のようにあったが、やせ細って荒い息している父を目の前にすると何も言えず黙ってた。殆ど声が出なかった父だったが、一度だけ微かな声で「ごめん」「俺が死んでも心配するな」とだけ言った。余命を待たずして父は息を引き取った。
葬式が終わり、遺産分与という事で弁護士が来た。家と現金のあらかたは後妻親子に。法律に疎い当時高校生の私にもこれは酷いと思った。後妻は思ったより金が貰えたと思ったのか、私を搾取要員にせずに追い出す事にしたようだ。「出ていけ」と言われた。父を恨んだ。弁護士に身の回りの物を纏めるように言われスーツケースに荷物をまとめる。涙が出た。
玄関を出ると弁護士も付いてきた。言われるがままに車に乗せられ駅へ。電車を乗り継ぎ県外へ連れ出されまた車に乗せられ割と大きなマンションに。そしてある部屋の中に通された。弁護士が「ここがあなたの家です」と言った。事態が呑み込めず呆然とする私。
何とか落ち着いて話を聞く。
父はこのマンションの部屋と多額の預金(母の保険金らしい)が入った通帳を私への遺産として残してくれていた。あと父からの手紙を渡された。

そこには仕事に熱中し過ぎて後妻が私をいびっていたのに気づくのが遅れた事、離婚を考えてたら自分のガンが見つかり、離婚成立まで体が持たない事がわかり、私が路頭に迷わないよう住む家と金等を用意し、再婚したことで疎遠になってた母の兄(伯父)に訳を話して私が成人するまで後見を頼んだこと、あとはひたすら私への謝罪と幸せになるよう願う言葉がひん曲がった字で綴られていた。
この手紙では涙は何故か出なかった。何をいまさら、と言う気持ちもあったのかも知れない。でも、弁護士から渡された箱の中の、亡き母の遺品や写真、アクセサリーの類を見たら涙腺が崩壊した。てっきり後妻が捨てたもしくは盗られたと思ってた。父はずっと隠してたらしい。
伯父に初めて会い、その後転校とかの手続きをしてもらい、新しい生活が始まった。伯父一家には本当にお世話になり、成人した今も付き合いは続いている。
後妻親子は、多額の遺産が入ったことで浮かれてかなり散財したのと、株に手をだし例のリーマンショックでかなりの大金が紙屑と化し、家を売ってどっかに消えた。その前に息子はドラッグに手を出して塀の中らしいが噂なので本当なのかどうかはは知らない。でもそんな事どうでもいいや。
この部屋一人で住むには広すぎるので、当分の間人に貸して自分はペット可のマンションに引っ越す予定。父の遺言は守るつもり。絶対幸せになってやる。


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