1: 地家ヤスマサ 2012/06/20(水) 14:20:34.98 .net
江戸時代に百姓、町人に名字がなかったというのは間違いです。
名字は存在していましたが、江戸幕府の政策で庄屋、名主や旧家、大商人など許された人しか名字を公に名乗れなかっただけです。
いわゆる名字・帯刀を許されたという表現です。多くは名字のみ許されたケースが殆どで、名字・帯刀を許される場合は稀でありました。許されても一代限りということもありました。
また藩内では名乗れても、藩の外では公に名乗れないなどの制約もありました。
お金や養子縁組によって武士の身分や郷士、下士の株を買って、名字・帯刀を手中にした場合も多々あります。
お寺の寄進帳(寄付者の名簿)や過去帳(檀家が代々記してある)には名字を名乗っている場合も多く、ここを調べることは大変重要なことです。
http://roots-origin.jugem.jp/?eid=9
転載元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1340169634/
「あなたの名字の由来は?」 全国の名字95パーセント以上を網羅する由来検索が話題に
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4126505.html
1_1


2: 地家ヤスマサ 2012/06/20(水) 14:22:28.25 .net
さて前置きはこのあたりにしまして、日本国中の誰もが名字を名乗るようになったのは、明治維新後の明治8年2月13日の「平民苗字必称義務令」からです。
(明治3年の平民苗字許可令がありますが、課税されることを恐れて届け出は少なかった)

ここで名字を公に名乗ったり、つけたりしました。
必ず、名字にはそれ相当の理由があって名字をつけます。
ルーツを知る上で、大変重要なポイントです。
江戸時代に武家で名字を公に名乗っていたは場合以外で、「平民苗字必称義務令」で明治8年に名字を届け出た場合の解説です。



3: 地家ヤスマサ 2012/06/20(水) 14:23:26.94 .net
①江戸時代以前に武士であったが帰農した。江戸時代以前の名字を名乗る
②江戸時代から公ではないものの名字を名乗っていた
③江戸時代以前の先祖が名乗っていた名字を復活させた
④江戸時代から名字を名乗ることを許されていた
⑤庄屋、名主、お寺の住職などの方につけてもらった
⑥地域や集落で連帯感を表すためにみんなで名乗った
⑦自分で考えて名字をつけた

この7つのケースにほぼ集約されます。
まずどのケースかご先祖を調べてください。




4: 日本@名無史さん 2012/06/20(水) 14:55:47.32 .net
>>1
江戸時代は学校も義務教育もなく漢字の読み書きができない民衆に苗字はないよ
漢字を知らない民衆がどう名乗るんですか?
名乗れなかったではなく根本的に漢語文字を知りません



5: 日本@名無史さん 2012/06/20(水) 17:12:47.34 .net
>>4
読み書きできなくても苗字は名乗れる
読み書きできない民衆が権左衛門とか又吉とか
どうやって名前を名乗れたと思うの?



749: 日本@名無史さん 2012/11/10(土) 08:43:21.63 .net
>>4
イギリスのドーアという社会学者によると、明治元年の日本全国の就学率は男子が43パーセント女子が10パーセントあったそうですがこれはかなり高い数字です。
都会に限れば識字率80パーセントという数字はうなずけます。
(『講談社日本の歴史19文明としての江戸システム』p306)

ゴローニンやシュリーマンは著書の中で「全ての日本人は読み書きができた」と述べています(翻訳は岩波文庫、講談社学術文庫にあり)。
朝鮮通信使の申叔舟や捕鯨船員のアメリカ人マクドナルドも同じことを言ってるそうです。
井原西鶴の『西鶴織留』には「今時は物かかぬといふ男はなく」と書かれています。

ひらがなの読み書きができれば、当然自分の名前の漢字位書けるのが当たり前じゃないのか?
小2の子供でも自分の漢字は書けるぞ。



8: 日本@名無史さん 2012/06/21(木) 00:20:09.36 .net
いまは戦後日本人
(戦後になって帰化、または帰化せず日本的な俗名を名乗る)
がけっこう多いから
明治、江戸までさかのぼれる
名字の人は真性日本人として貴重。



15: 日本@名無史さん 2012/06/21(木) 13:12:38.32 .net
伊能忠敬とか商人だけど苗字あるな。



16: 日本@名無史さん 2012/06/21(木) 13:19:43.83 .net
江戸時代に百姓一揆を主導した涌井藤四郎なんていうのも
庶民(町人)なのに苗字があるよ
同じく幕末の百姓一揆主導者、夏目原村は百姓だ
こちらも苗字持ち



17: 世界@名無史さん 2012/06/21(木) 13:55:48.15 .net
佐原の名主であった伊能忠敬は領内においては代々「伊能」姓を許されていたが
領外でこれを名乗ることが出来ず、57歳の時に蝦夷地測量の功績によって江戸幕府から
改めて苗字帯刀の許可を得て佐原以外でも「伊能」姓を名乗ることが許されている。
また苗字と帯刀の特権は必ずしも一体ではなく、苗字は認められても帯刀は認められない例や
苗字は子孫への伝承を許すが帯刀は授与された当人一代に限った例もある。
江戸時代も身分制度は、とにかく細かい



25: 日本@名無史さん 2012/06/21(木) 16:51:43.41 .net
「田中」は漢字が書けない農民でも書ける定番苗字
これ本当だよ



28: 日本@名無史さん 2012/06/21(木) 20:03:23.79 .net
我が地域の大半は、伊や井の字は使わず
代わりに居を使う 井伊の殿様にはばかってのことであろう



33: 日本@名無史さん 2012/06/22(金) 08:26:38.63 .net
江戸時代になると「苗字」を名乗るのは武士階級と特別に貢献した
医者・学者・商人など一部の人間に限られるようになりました。
そして、もし僭称したら罰金や刑罰が科されたようです。
そのため、明治三年に「平民苗字許可令」が公布され国民全部に苗字
を名乗ることが許されたものの、平民は罰金や刑罰が科されるのではないか
と疑い、なかなか申告する者が現れなかったようです。
その為、明治八年に「平民名字必称義務令」を布告して苗字の創設を強制
しました。
しかし、平民はどう名乗ったら良いか分からなかったので、
多くの人は神主や僧侶に命名を依頼したようです。
これによって、ある程度「氏家制」に基づいた命名がなされた
(神社やお寺には先祖を示す資料があったから)ようです。



34: 日本@名無史さん 2012/06/22(金) 12:04:39.19 .net
苗字には当たらないよ、屋号だよ~ということにして
実際には江戸時代の庶民も苗字相当のものを名乗っていたよ。
寺請制度によって寺は壇家を把握し、通行手形を発行しなければならなかった、
だから江戸時代の寺には過去帳が残っているが苗字相当のものが書かれてある。
奈良時代、班田収授のために造られた戸籍でも「○○部」など家族ごとに共通の
苗字相当のものが名前の前につけられていた。
これらは厳密に言えば朝廷から与えられる「姓」でなければ江戸幕府が公式に認めた「苗字」でもないが
苗字相当のものであったとしかいいようがない。



39: 日本@名無史さん 2012/06/22(金) 18:39:02.17 .net
>>34
水戸藩では、墓には名字を刻んで良かった。「誰の家の墓か解らないと困る」という領民からの陳情に、徳川斉昭が正式に許可を出してる。



37: 日本@名無史さん 2012/06/22(金) 16:38:06.70 .net
例えば、石川五右衛門というのは、その存在(16世紀)は確実らしいが、
盗賊でありながら苗字が残ってる。

公的機関が苗字を与えたとは、到底考えられないが、
ちゃんと苗字が歴史に残ってる。



40: 日本@名無史さん 2012/06/22(金) 19:08:32.29 .net
>>37
>公的機関が苗字を与えたとは、到底考えられないが

苗字って、公的機関が与えるものってわけでもないんだけどな
古代豪族の場合、自分達の氏をきちんと持っていたからね
源平のように、臣籍降下の際に賜るものもあるし
古代には氏姓制度に基づいて与えられた氏が沢山あったとも言うけど

現在の苗字というのは、源平と藤原氏の子孫は
全国津々浦々に領地を得たり、官職等を得て散っていき
その際に地名や職名を新たな苗字として名乗る事で成立してる
本姓なんて言葉があって、例えば家康をフルネームにすると
徳川朝臣源家康(徳川が苗字、朝臣が姓、源が氏(本姓))とかなっちゃう
従って苗字そのものは公的機関から与えられたものってわけではない
勝手に土地の名前とかを名乗ってるだけだから

もう一つの系統が、庶民が名乗ったとされる仮名(けみょう、字(あざな)呼名(よびな)ともいう)で
「住んでいる村の名前+何番目の子供かを示す言葉」とか「縁起のいい漢字+何番目の子供かを示す言葉」とか
まあそんな感じで、平安時代には、庶民が普通に苗字を名乗ってたりしたらしい

なお五右衛門については豪族や武士だった説があるので、ただの泥棒じゃないよ



50: 日本@名無史さん 2012/06/24(日) 23:16:14.82 .net
江戸時代の庶民の墓苑管理は無茶苦茶だよ。好きな場所に墓が乱立。
その為、国土開発により残存してる庶民の墓はほとんどない。
寺で管理されてる墓は名主、すなわち苗字を名乗れた人じゃないかな。




61: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 21:23:31.01 .net
そもそも、百姓は苗字を持ってなかったなんて言う珍説は誰が流し始めたんだ?

「苗字帯刀を許す」と言う本来の意味は苗字の公称を許すと言う意味だが、
苗字を持っていいと曲解したのが始まりだろうな。




63: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 21:39:13.07 .net
>>61
学校教育でそう教えてる事だけは間違いないよね
いつ頃からそういう教育が始まったかはわからないけど



62: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 21:33:40.09 .net
お墓の墓標の名前は基本的に戒名を書きます。
お墓に〇〇家と入れるのは近年の事です。
元々は、僧には名字がありませんでした。多くの僧が名字を名乗るのは明治からです



65: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 22:14:43.95 .net
>>62
江戸期の墓にも○○家って入ってるよ



67: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 22:34:08.06 .net
>>65
ほとんどの庶民は土葬です
墓石はないよ



73: 日本@名無史さん 2012/06/26(火) 00:14:55.47 .net
>>67
墓石が無いのは江戸初期
寛永は無いのが普通で、あればかなりの旧家
墓石は寛文あたりから増えてくる
近世の墓石は家単位ではなく、夫婦か個人の戒名を刻んだものが一般的



64: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 22:00:34.53 .net
苗字帯刀を許すの「帯刀」の意味も、刀を2本 おおやけに差して良いと言う意味だが、
刀を持って良いと言う意味に単純に解釈しちゃったんだろうな。

普通の農家の倉の中にも、戦前は刀がごろごろあったそうだ。大戦中に国へ供出したり、兵士として戦場に持って行ったりして
あらかた無くなってしまったが、それでもボロボロのヤツを何本も死蔵しているケースは結構ある。

苗字帯刀を許すと言う意味は、苗字や刀を持って良い、と言う意味ではなく、
おおやけに使って良いと言う意味なのだが、明治時代の学者は馬鹿ばっかりだったのかな。



66: 日本@名無史さん 2012/06/25(月) 22:27:34.91 .net
>>64
明治政府には江戸時代を農民が支配者武家に抑圧された悪しき時代としたい思惑もあったからね
革命政府(維新は実質無血革命だから)の宿命として、革命の正当性を誇示する為、旧体制を悪しざまに描く



90: 日本@名無史さん 2012/07/07(土) 08:26:01.20 .net
まず江戸時代に限った事ではない
室町時代の法令に【東寺百合文書:とうじひゃくごうもんじょ】があり、
その中に【近年地下人(庶民)たちは勝手に名字を名のることは理屈に
合わないので、以後それをかたく禁止、違反者には重い罰を与える】
と書かれてる



92: 日本@名無史さん 2012/07/07(土) 17:53:00.15 .net
>>90
「勝手に名字を名乗る」って「名字を騙る」という意味ではないの?
あと流れには関係ないけど、「地下人」って殿上人の対義語だったり色んな意味があるようだね。



94: 日本@名無史さん 2012/07/08(日) 00:27:18.73 .net
オレの叔父が田舎で郷土史を調べていたが、
村民は庄屋も含め全員百姓身分んだったようだが、百姓身分でも、
ちゃんと系図を持ってる家は結構あるな。

多くは、江戸時代以前の滅ぼされた旧領主に何らかの関係を持っていた。
旧領主が藤原氏系だったらしく、住民も藤原氏系が多いが、村に藤原と言う苗字は
一軒もない。
ほとんどが地名由来のものだ。





96: 日本@名無史さん 2012/07/08(日) 07:02:04.30 .net
江戸の昔から系図屋がいて金を取っては系図を創作してたからねえ、
滅ぼされた旧領主なんかは文句を言う奴も居ない良い素材



109: 日本@名無史さん 2012/07/09(月) 10:27:54.43 .net
>>96
うちの倉庫から出てきた家系図は、鎌倉時代から織豊時代に飛んでいて
鎌倉時代以前の部分は明らかに系図屋の手によるものだと思われる。
しかし、その系図に載っていた鎌倉時代の人物についてよく調べてみると、
我が家の先祖との繋がりが浮かんできて、嫡流ではないにしろ何かしらの血縁があると推測された。



100: 日本@名無史さん 2012/07/09(月) 03:01:23.98 .net
庄屋クラスの墓 見てみなさい。
no title


これが江戸の真実。庄屋具脳の墓はまさに当時の権力の縮図を現してる。
こんな彫刻のような墓・・武士でも無理でしょ・・・



164: 日本@名無史さん 2012/08/02(木) 18:26:38.99 .net
テレビの大岡越前とかみても、町民は、げんばち、銀二とか下の名前でしかでてこないからな。
大岡越前が名字あるのは、やはり武士だからだな。




165: 日本@名無史さん 2012/08/03(金) 02:25:31.63 .net
>>164
一族との縁の薄い江戸の長屋暮らしの連中は苗字を受け継ぐのを
止めてしまった可能性がある、理由は苗字が全く必要ないから
地方のように一族で固まって暮らしてるケースが多い場合は
受け継いでる可能性が高い



262: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 04:34:44.06 .net
庶民のうち、かなりの無視できない多数が苗字を持っていたのは確実だな。
江戸時代に、庶民の苗字を名乗ることを何度も禁じていることが、何よりの証拠。



264: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 07:54:16.95 .net
天明2年(1782年)に、勘定奉行の立て札の
【幕府の直轄領では、特別な由来や奇特な儀があって許した場合を除いて農民は苗字を名のられない】
というお布令 ←対象が百姓

1801年(享和元年)7月に幕府から、
「百姓・町民が苗字を名乗る事を固く禁じる」御触書←対象に百姓に町人も追加される。



265: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 08:55:58.95 .net
そもそもなんで苗字を名乗るのを禁じる必要があったんだっけ?
江戸時代まではそんなのなかったのに。

江戸武士が民百姓上がりの武士で、素性が卑しいから、差別化を
測りたかったわけ?秀吉が偉い武家になってからやった兵農分離みたいに。



268: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 10:30:01.30 .net
大雑把だけど、江戸も中期になると
商人なんかは逆に金貸して武士以上にブイブイ言ってるでしょう。
これは根本的に社会の危機だから、武士とその他を区別する、
という意味だったとは思われる。

江戸初期は庶民はまだ八や熊で区別がついたからわざわざ
苗字は名乗らないけど、安定してきて武士よりブイブイ言い出すようなのが
苗字名乗りだすと武士との区別がつかないし実際にいたわけだろう。
だから「禁止」令を出したという感じで。

許可もらえば屋号みたいに許された、というのも例外っぽく
別に「許可してやる」と武士が上に立ってればいいだけのことで
本質は単に「武士の再差別化」みたいな部分が多かったんだろうね。

ちなみに「禁止令が出る」というのはそれが実情であったわけであり
複数出るのは「あまり効き目がなかった」ということ。
こういう話はいっぱいある。



269: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 10:32:58.23 .net
>>268
>複数出るのは「あまり効き目がなかった」ということ。
なんか説得力あるね



273: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 14:27:34.61 .net
江戸時代には御用金制度という富裕商人から財源を求めた幕府債があった
苗字に関しては三千両を上納し、返還を求めなければ幕府から見返りに永代苗字が許された。

幕府としては上納させ名乗る事を許す永代苗字に価値を持たせたかった。
だから三千両を上納しないような町人、百姓が苗字を名乗るのを禁じた。



280: 日本@名無史さん 2012/08/05(日) 23:33:25.11 .net
禁止されたからって苗字使うのやめる馬鹿なんていないだろ
獣肉食うなと言われても陰で食ってたのが日本人



283: 日本@名無史さん 2012/08/06(月) 18:35:10.00 .net
>>280
苗字については、禁止された天領では、口伝で子々孫々に苗字を伝え残した




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