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かつて日本地図から消された「毒ガス島」の悲しい過去 - NAVER まとめ
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かつて日本地図から消された「毒ガス島」の悲しい過去

かつては日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造が行われ、地図からその存在を消された過去を持つ広島県の大久野島。今では700羽ともいわれる野生のうさぎで賑わいを見せています。

更新日: 2015年04月15日

ppp_comさん

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■うざぎの楽園「大久野島」を知っていますか?

大久野島は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmの瀬戸内海に浮かぶ、周囲4.3kmの小さな島

多くのウサギが生息することから「ウサギ島」とも呼ばれています

■島には人懐っこいうさぎが溢れている

腰を下ろすと、膝に前足を掛けて鼻をひくひくと動かすなど、愛らしい様子を見せてくれます

奈良の鹿のように、えさをもっていればたちまちウサギからの人気者になれます

■自動車すら走らない、うさぎたちの楽園

船着場から国民休暇村までのバスが往復しているのが、島で見られる唯一の自動車です

■このうさぎで賑わう島には、実はとても暗い過去がある

1929年から終戦まで、ひそかに毒ガス兵器を製造していたという、暗い歴史もある場所

戦時中、陸軍によって化学兵器の生産拠点として利用され、敗戦まで機密保持のためその存在は地図から消されていました

戦後も化学戦の実態は慎重に秘匿されていたため、日本軍が毒ガスを製造していたということは、1984年に報道がなされるまで、ほとんど知られていませんでした

生産された毒ガスの総量は6,616トンといわれ、終戦後は大久野島に残った毒ガスは合計3,270トンで、それらは、海洋投棄、焼却処分、地中処分と言った方法で処分された

島の土壌から高濃度のヒ素が見つかるなど、いまだに島の隅々では安全が保証されていません

毒物が残っている危険性があったり、建物が崩壊の危機にあるという理由で、環境省によりほとんどが立入禁止とされています

こうした暗い歴史を風化させないよう地元住民の願いにより、1988年には大久野島毒ガス資料館が開館されました

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