<ゲームはスポーツみたいなもの> うまいね、プロだね。ファミコンやってるとよく言われます(笑)
でも僕はプロゲーマーじゃないのだ。ではプロゲーマーの定義とは何だろうか。それは
ゲームをプレイすることでお金を稼いでいるひとのことだと思うのだ。スポンサー契約したり、大会に出たり、グッズや本を出したりしてるひとのことだ。
格闘プロゲーマーの梅原大吾さんは世界一稼ぐプロゲーマーとしてギネスブックにも載ったことのある有名人である。
いまいちピンと来ないなら、スポーツで例えてみよう。プロゴルファーなんかは、大会に出場してお金を稼いでいることが多く、現在のプロゲーマーと同じような状況なのだと思う。現にゲームはしばしば「eスポーツ」と名を変え、世界各地で大会が開かれているのだ。
<子どものサッカー教室にて> スポーツと言えば先日、サッカー教室に通い出した息子(5才)に「サッカーうまくなりたいか」と聞いたら、首を横にふったので、じゃあ何がうまくなりたいんだと聞いたら
「ゲームがうまくなりたい」って答えやがった。
さすが我が子である。
すでにユニフォームやらスパイクやら買い込んでしまった妻が、うしろで鬼の形相をしていたのは言うまでもない。でも、いいじゃないか、もっともっとうまくなってプロゲーマーになれば。喉元まで出た言葉を飲み込んだ。
もちろん、サッカーだろうがゲームだろうが、そう簡単にプロになれるわけがない。そんなことはわかっている。でも、だとしたらプロを夢見る気持ちも同じはずなのだ。
サッカー選手が良くて、なぜプロゲーマーが駄目だと言うのか……(わりと本気で)
<日本社会はゲームに寛容なのか?> 日本はかつてゲーム先進国とまで言われていた国である。日本で生まれたファミコンが世界を席巻していたこともあった。現在ではクールジャパンとか言って、国産ゲームを世界にアピールしてるじゃないか。でも、なぜか知らないがeスポーツ分野だけは発展が遅れているんだとか。
そんな状況をさしてか、しばしば一般社会で見られるのが
「プロゲーマーなど、ふざけた職業」という風潮。“職業に貴賎無し”という言葉はあるものの、日本でのゲームに対するイメージといったら、娯楽、道楽、堕落の象徴であり、ゲームばっかりやってるとアホになるという巷説が、まことしやかに蔓延してたりする国である。
空回りクルクルジャパンやないかい!
でも僕は、まったく逆なことを言おうと思う。もしかしたら日本は元々ゲームに寛容なな国なのかもしれないのだ。だってほら、日本には昔からプロゲーマーがたくさんいるじゃないか。
伝統文化として確立された世界で、何百人というプロゲーマーたちが日々真剣勝負をしてるじゃないか。しかも彼らは「日本中の天才が集まっている」とか言われ、人々から畏敬にも似た感情を向けられているのだ。もうおわかりだろう。それは何かと言われたら……
そう、
将棋の棋士である。
<正確にはプロボードゲーマー> もちろん囲碁、麻雀、ポーカー、他にも色々あるけど、ここではあえて日本で独特な発展をとげた将棋に注目したい。将棋を辞書で引くと「室内遊戯」とか「ボードゲーム」などと説明されている。つまり将棋だってゲームなのだ。
だから
棋士のことをプロゲーマーと呼んでも何も間違っちゃいないわけだ。
そもそも将棋のルーツは古代インドにあり、日本に伝わったのは奈良~平安時代と言われている。主に貴族のたしなみとして日本に浸透していった。江戸時代には家元制度があったものの幕府が消滅するともに消滅。現在のようなプロ組織「日本将棋連盟」が誕生したのは戦後間もない1947年のことだったという。
それから現在まで男女合わせ400人くらいのプロ棋士が誕生し、将棋界のみならず、さまざまな方面で活躍していることは皆さんもご存知の通り。
史上最強の天才と呼ばれる羽生善治名人(現在四冠)などは極め付けの人物で、その存在感は将棋界を飛び出し“日本を代表する頭脳の一人”とまで評されている。あえて語弊のある言いかたをすれば
「たかがボードゲームの名人が」である。
でも逆に言えば、それほどまでに日本はゲームのことが好きで、尊重してきた国だったのだ。だから心配することは何もない。自分がやりたいことを、自分がやりたいように、一生懸命やればいいじゃないか。
がんばれ、息子!
※梅原大吾が魅せた伝説の技
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等があるからイメージが悪くなっているし。