2015年05月31日
主人公も内容もだいたい意識低い系だから
そればかりを読んでいるひとはどちらかというと社会不適合者系だと思う
中身じゃない
形だけに魅力を感じて手に取ってるから意識高い系って言われんだよ
純文学は取材ができない言い訳
最初はたしかに形だけで読みはじめるひともおおいかもしれないけど
それにはまるというのはやはり中身と相性がいいひとでしょ
確かに1~2年くらいなら雰囲気だけで読むひともいそう
純文学って謂わば芸術だからな
芸術を否定するのか?
芸術を否定するつもりはないけど
少なくとも積極的に社会と関わりをもとうとする意識は純文学の読者全般に低そう
小説がラノベと純文学に分類されると思ってるやつ
もっというと読書=小説を読むことだと思ってるやつ
大嫌い
純文学→意識高い系()
洋書→ガイジン気取りwwwww
ラノベ→キモータwwww
となったらもう快楽天しか残されてない
アホな俺に純文学とは何かって説明してくれ。ライトノベルと小説と純文学、エッセ、サウンドノベルの違いが分からない
>>14
ざっくり言うと、「純文学」と「大衆文学」ってカテゴリがあって、
今お前が挙げた例は、純文学以外は全て「大衆文学」に含まれる
>>14
文学のなかに小説とエッセイとサウンドノベルがあって
小説のなかに大衆小説と純文学がある
ライトノベルは大衆小説に含まれる
純文学は大衆小説より芸術性に重きを置いてる小説のこと
最近だと苦役列車とか
イラストレーターの描く絵とガチの絵画の差みたいなもん?
オーケストラの曲と、バンドやら何やらの曲の差みたいなもん?
スレタイの純文学のことについていえば芥川賞や三島賞あたりの受賞作系列
ってか純文学とひとことにしてもつねに変化しているから説明するのは難しい
一貫しているのは私小説と形式主義(最近ではスリップストリームも流行)でそれらが純文学のおおまかな雰囲気
三島もエッセイで近いこと言ってた
純文学読んでる奴って他の小説やらを読んでる奴を馬鹿にするよね
西村賢太とかは意識低いけど大抵は意識高いぞ
ドン・キホーテとか
>>23
確かにドン・キホーテは意識高い系基地外
芥川賞で受賞されてもおかしくないような作品が直木賞で受賞されて
直木賞で受賞されてもおかしくないような作品が芥川賞で受賞されて
ってのを何かで読んだ
>>24
最近はそのあたりの境界が曖昧になってきているみたいなことがよくいわれるけど
読んでみるとそうでもない・・・っていうか直木賞作家みたいに売れるような作品を書ける芥川賞作家は皆無に等しいのが現状
そろそろそういうのが受賞するのかな〜みたいな雰囲気はあるのだがギリギリで獲れない(いとうせいこうとか舞城王太郎とか)
車谷長吉はインテリナルシスト底辺
町田康は能天気サブカル底辺
西村賢太はガチクズ前科持ち底辺
意識低い系のお前らにおすすめ
本なんか読まなくても世間を馬鹿にすることはできる
本を読んで世間を越えようというのがそもそも愚か
なぜなら本は世間の子だからだ
村上龍とか芥川賞の人だけどエンタメ色強いの書くよな
近代文学の祖と言われるドンキホーテが純文学(serious literature)じゃなかったら何が純文学なのかわからないな
>>35
なんで近代文学=純文学なんだよ
>>35
言葉の使いかたにもよるけど基本的には日本のものを純文学と呼ぶからな
各々の特徴はあるけど出身高校の違いくらいに考えておけばいいかと
純文学高校出身で文学大学にも合格しましたみたいのもありうるしね
純文学というのは文学の影響下にもあるものだから〜みたいなことを言出したらややこしいけど
ドンキホーテの主人公のアロンソ・キハーノは意識高い系で社会不適合者だから
この時点で>>1の意識低い系=社会不適合者と矛盾してるんだよね
あんまり古い小説となると純文学・通俗の区別が微妙に意味をなさなくなるけどね
ドン・キホーテの技法なんて今じゃ当り前の使われるような代物だし
はあ、おまえらがアホだな
『虚構推理』を読んでから意見してください、アホドモー
虚構推理 鋼人七瀬
この記事へのコメント
落ちていくものである。
学問によって人は舞い上がり、学術によって宙を舞うのである。
そして世界を旅するのだ。
大地は常に心の中にあり、
君の心を潤す全ての泉を乾きから、
非論理的に導き出してくれるだろう。
君たちは今まで「知る!」といって全てを逆再生していただけなのだ!
そして大概純文学読んでるやつはラノベ馬鹿にするよねってレスとセット
自己実現出来ない連中の独白ばっかりでうんざりする。
ストーリー的な面白さを求めてるからか、ラノベの方が当たりが多い印象すらある
てめぇらの読んでる本なんて誰も気にしねぇよ
ただの娯楽に何を求めてるんだよ
読書を何か高尚なものと勘違いして他を見下して純文学上げしてるから意識高い系()って馬鹿にされてるだけだし
自虐的な視点も多いし、祖父の戯言も多い
本来芸術と通俗の境目なんて有って無いようなものなのに、自分たちのフィールドを守るためにムリヤリ権威化させたのが純文学
純文学はライトノベルと同じで、ジャンルというよりレーベルの名前だよ
書いた本人にしか理解できなくてもいい
大衆文学は人を楽しませるために書く
売れたか話題になったかで評価される
純文学は誰にでもお前らでも書けるが
大衆文学はある程度の知識と経験がないと書けない
自己満足を極めた純文学はある特定の人達だけを惹きつける
この言葉に表せないもの言葉にするのが純文学の面白さ
なので高尚さはまったくなく、むしろ低俗で醜い
ネガティヴな意識高い人間にはおすすめできるけど、それ以外の人間は見る必要はあんまりない
意識高い系からすれば対極の存在
起承転結はっきり入れろや
日記にでも書いてろって内容ばっかり
そんな連中の書くものなんか知れてるわ
ある意味ウシジマくんみたいなもんだろ
それを大衆から守るために権威化されている
権威化しておけば大衆は高尚なものだと思い込み保護される
偉人は変人だった
権威に弱かった日本人はグローバライズされ権威に疑問を持つようになった
ローカライズが得意な日本人には住みにくい時代になったのかもしれない
意識高い系は新書に飛びついて古典や純文学を馬鹿にしてるイメージだわ
大衆小説=漫画絵
ラノベ=萌えイラスト
みたいなもんだろ
自分が好きなものを楽しめばいいんだよ
美術館巡りが好きなやつが「漫画絵はちょっと楽しみ方がわからない」
って言ってても別に意識高いとかは思わないし
そういう好みなんだなって納得するだけ
使われてないから・・・
作る側は色々定義してるけど実際使われるのはいちゃもんの域でしかない
小林秀雄のがマシ
幼稚に思われて当然
色々狭めるから、誰得なのか本当にわからない
みんなが見てる
コメントする
卑猥な単語や誹謗中傷コメントは修正される場合がありますのでご了承くださいm(__)m